16話 それはいくらなんでもズルい



 週が明け、澄は中間テスト当日を迎えた。

 教室で開始を待つクラスメイト達の過ごし方は様々だ。

 ギリギリまで勉強して詰め込みを働く者、人事は尽くしたと天運に身を任せる者、そもそもテストの存在などお構いなしにはしゃぐ者と多岐にわたる。


「はよっす、澄」

「おはよ、優成」

「テストだりぃ~……って、そっちはなんかやる気満々だな?」

「普通に勉強してるだけだっての」

「そりゃ見れば分かるけどさ、いつもより気力が漲ってる感じがするんだけど」

「まぁ色々あってな」

「色々って……」


 登校してきた優成ゆうせいの疑問に、澄はノートに視線を向けたまま答えた。


 中間テストで総合五十位に入れば、灯依から何かご褒美をくれる。

 その約束を交わして以来、澄は高校受験の頃以上に勉学に集中出来ていた。

 あまりにも単純過ぎる我が身を振り返って面映ゆい気持ちに駆られるが、本番の今日はそんな暇などない。


 ご褒美を貰いたい邪な考えがないワケではないが、何より灯依に失望されたくない気持ちが強かった。

 澄なら総合五十位に入れると期待させた以上、それを裏切るような真似だけはしたくない。


 そんな返事に呆気に取られる友人に続いて汐美しおみもやって来た。


「おはよ~って、どうしたの優成。全然勉強してなくてテストヤバい感じ?」

「いや俺じゃなくて澄がさ……」

「ん? 普通に勉強してるだけに見えるけど?」

「そうだけど、なんかこうオーラが違くね? 全集中っていうか」

「あ~言われてみれば確かにいつもよりやる気に満ちてら」


 二人は澄に似て非なる人物を見るようにひそひそと話す。

 わざとなのかその話し声は澄にも聞こえているのだが、当人としては集中力を切らさないためにスルーするのみだった。


 ともすればその対応が、自分達の会話が耳に入っていないように見えた二人は小さく息を吐く。


「っま、澄の真面目さを見習って自分の心配をしたまえ。赤点取って部活に出られなくなっても知らないよ~?」

「心配無用だぜ仁菜沢になさわちゃん。俺は一度だって赤点を取ったことないからな!」

「赤点ギリギリの点数は数え切れないくらい取ってるから言ってんでしょうが!! ホントに澄の爪の垢を飲ませてやりたいわ……」


 楽観的な調子の優成に汐美は頭が痛いとばかりに額を手で覆う。

 結局、澄が二人の会話に加わらないままタイムアップを告げる予鈴が鳴ったのだった。


 ========


 テスト中、不正行為がないか監視するため二名の教師が教室に居座ることになっている。

 それは灯依も例外ではなく、彼女は副担任を務める澄達のクラスに訪れていた。


 教室に入って来た灯依は相も変わらず丸眼鏡と引っ詰めた黒髪に地味なスーツ姿だったが、澄にとってはその存在自体に意識せざるをえない。

 何せ彼女が見ている場でテストに挑むのだから、胸の内に走る緊張と不安は凄まじい重さを伴っていた。


「よぉし、それじゃ数学のテスト配っていくぞ~」


 数学の担当教師が教壇で合図を送ると、前の席から後ろの席へ問題用紙と答案用紙が配られていく。


 自身の机に並べられたテスト用紙を見た澄は全身が強張っていた。

 出来る限りの準備は整えたつもりだが、いざ開始を前にすると際限なく不安が湧き上がってくる。


 ──まだ足りないのでは?

 ──本当に総合五十位なんて入れるのか?

 ──そもそもまともに解けなかったら?


 押し寄せる疑念に苛まれるあまり、吐き気すら込み上げそうなプレッシャーで心が締め付けられる。

 ペンを持つ手も震える中、澄はほとんど無意識の内に灯依の方へ視線を向けた。


 何か助力を期待したわけではない。

 かといって何か言いたいことがあるわけでもない。


 ただテストが始まる前に、一目だけ彼女を見ておきたかっただけだ。


「!」

「ぁ……」


 いざ目にした灯依は明らかに澄を見つめていた。

 不意に目が合った驚きから、微かに声が漏れてしまう。


 開始前にも関わらず視線を外す気すら起きないでいると、灯依は口元に手を添えながらゆっくりと唇を動かし始めた。


「?」


 何をしているのか理解が及ばず澄は首を傾げる。

 伝わっていないと察したのか灯依は苦笑つつ、空いている腕で力こぶを作るようなジェスチャーをしながらもう一度口パクをした。


 それはまるである単語を一文字ずつ発しているようだった。

 読唇術の心得はないが、ジェスチャーのおかげである程度の方向性は見える。

 改めて灯依の口の動きを注視していく内に分かった内容は……。


 ──が・ん・ば・れ。


 声に出さない応援を口にした灯依の表情は、顔を赤らめながらもはにかんでいた。


「!!」


 ようやく彼女の意図を悟った瞬間、澄は頬が紅潮していると自覚出来る程の熱と動悸を覚える。

 バッと灯依から赤くなった顔を隠すために伏せるが、ドキドキと逸る鼓動は中々落ち着いてくれそうにない。

 脳裏には何度も灯依の応援が反芻する。

 発声していないにも関わらず、これまでに聞いた鈴を転がすような声音が容易に脳裏で再現されていた。


(──それはいくらなんでもずるいだろ……本当に勘違いしそうになる)


 突っ伏したまま澄は心の中で愚痴を零す。


 彼女としては普通に応援しただけなのは分かっていた。

 しかしその応援は他の誰でもない澄個人に向けたというのが大きく、自惚れそうな己を必死に押さえ付ける。

 考えすぎだと諫めるが、高揚感で弾む胸は一向に冷めてくれない。


 ──灯依が澄にご褒美を渡せる機会を楽しみにしているのだと。


 そんなことあるはずない。

 溢れ出る期待感によって、気付けばプレッシャーは跡形もなく消え去っていた。

 むしろホームルーム前とは比べものにならないほどのやる気が漲っている。


 今の澄の心に残っている気持ちはただ一つ。


(やれるだけ……やってやる!)


 そう決心した彼の手に震えはなかった。


 ========


 ──中間テスト終了から休日明けの月曜日。


 廊下の掲示板に学年別の総合順位表が張り出されていた。

 登校して間もなく優成と汐美の二人と共に見に来た澄は、まるで夢を見ているかのように順位表を茫然と眺める。




 二十六位:二年一組 久和澄 464点



 それは間違いなく、彼の努力が実った瞬間だった。


  


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