15話 中間考査対策とご褒美
──五月下旬の土曜日。
週が明ければ中間考査が始まる。
澄も含めた学生にはイヤでも無視できない行事だ。
テストは週明けから開始されるため、土日は範囲内の復習に当てるつもりだった。
しかし今日は三度、
問題ないと約束した手前、後になってテスト勉強を理由に反故しては奏の不興を買ってしまう……などと頭を悩ませている内に、あっという間に約束の日を迎えてしまった。
結局断ることが出来ないまま、乗り気な妹と対象的に澄は気の重さを抱えながら灯依の部屋に来ていた。
もはやそうするのが当たり前のように、奏は灯依の膝に座っている。
迷惑になってないか澄はヒヤヒヤしたが、当の彼女に嫌がった様子はない。
そんな二人の様子を窺いながら、澄の視線は手元に集中していた。
奏の意識が灯依に向いているのであれば、その間なら勉強を進められるからだ。
決して妙にドキドキする心臓を誤魔化すために、気を紛らわせようとしているワケでは無い。
人の家に来てまですることではないと苦言そうだが、教師である灯依の前なら勤勉に励んでも問題ないと踏んでいる。
現に彼女からは『勉強してて偉い』という暖かい視線を向けられているだけだ。
なんてことない感想にも関わらず、少しだけ動揺してしまったが。
「あのね、ひぉちゃん。とぉくん、おべんきょーばっかでね、かなとあそんでくれないときがあるの」
しかし奏は最近の兄の態度がお気に召さないようで、あろうことか灯依に不満を告げた。
その言葉に灯依は苦笑しながらも奏の頭を撫で続ける。
「う~んそれは寂しいね」
「うん……でもね、すこししたらまたあそんでくれるから、かなもがまんをがんばるの」
「おぉ~奏ちゃんも頑張り屋さんだ」
「むふ~!」
灯依に褒められて嬉しくなった奏が胸を張る。
「頑張り屋さんといえば澄くんもだよね。成績は平均を下回ったことないみたいだけど、遊びに来てる時くらい休もうって気分にはならないの?」
「ならないワケじゃないッスけど、サボって成績落としたら父さんに怒られるんで……まぁ出来る限りはやろうってだけッス」
「お父さんって厳しい人?」
「いやむしろ真逆で大らかというか大雑把というか、靴下は裏返したまま洗濯に出すわ、ゴミはいつも出し忘れるわで威厳は微塵もないッス」
「ふふっ、なんだか楽しそうだね」
「大人なのに子供みたいで、息子としてはしっかりして欲しいんですけどね」
だらしのない父の姿を思い返しつつ嘆息する澄だが、灯依から微笑ましそうに見つめられる。
そこまで面白い話をしたつもりはないのに、どうしてそんな表情をするのが疑念が浮かぶ。
「パパ、とぉくんよりかっこわるい」
「あはは……」
追い討ちと言わんばかりな奏の感想に、灯依は愛想笑いを浮かべるだけだった。
身内の恥を曝すようで申し訳なさはあるものの、悪いのはいつまでもしっかりしない父だと結論付ける。
「あ、そうだ!」
そんなことを考えていると、ふと何か思い至ったのか奏が灯依の手に触れながら口を開く。
「ひぉちゃん、おべんきょーがんばってるとぉくんにね、ひぉちゃんからごほーびして!」
「え!?」
「ご、ご褒美?」
思わぬ提案に澄は驚愕の声を漏らしてしまう。
それは灯依も同様で、咄嗟に意味を呑み込めず目を丸くした。
二人の反応を見て何やら自信を得たらしい奏がドヤ顔をしながら続ける。
「このまえみたラブピュアでね、がんばったこがごほーびもらってたの! でもかなはまだこどもだから、おとなのひぉちゃんがとぉくんにごほーびあげてほしーの!」
「ちょうど先週のがそういう話だったけど……」
「ご褒美、か……」
どういった発想の経緯なのかは分かったが、灯依の気分を害さないかヒヤヒヤしてしまう。
しかし澄の予想と違って灯依は思案するように顎に手を当てる。
どんなご褒美をしようか考えていると分かり、澄は無性に視線を逸らせなくなった。
やがて彼女の中で案が浮かんだのか、少しだけ顔を赤らめながらも笑みを見せる。
「えっと……もし分からないところがあったら教えよっか?」
「めちゃくちゃありがたい提案ですけど、教師の灯依さんに教わるのは反則じゃないッスか?」
「流石に担当科目を教えたりしないよ。当然テストの中身も内緒だけど、数学の公式とかは教えられるからね」
「う~ん……」
いつもは控えめな灯依にしては珍しく自信ありげに言う。
だが澄は即諾せず逡巡する。
何も教職に就いている灯依の学力を疑っているワケではない。
彼女の負担にならないかという不安が拭えないからだ。
とはいえ本当に負担になるのであれば、わざわざ提案しないことくらい澄にも分かっていた。
それでも頷けないのは……口にするまでもないくだらない理由がある。
(受け入れた方が良いのに、そうしたらなんか恥ずかしくなる……)
情けない姿を見せたくないという、男のプライドが邪魔をするのだ。
澄もつまらない意地だとは重々自覚している。
しかしどうしてだか灯依に頼るのは負けた気がしてしまう。
「──すみません。気持ちだけで十分ッス」
「……そっか」
結局、澄の中で答えが覆ることはない。
深々と頭を下げて断ったが、顔を上げて見やった灯依の表情は少なからず落ち込んでいた。
傷付けてしまっただろうか。
そう思った時には、いつの間にか膝元にまで近付いていた奏が、兄の膝をペシペシと叩いていた。
「とぉくん、ひぉちゃんなかしちゃ、めっ!」
「だ、大丈夫だよ奏ちゃん。私がただ余計なお節介を焼いただけだから」
「むぅ~! でもかな、とぉくんにプンプンさんなの!」
「ぷ、ぷんぷん……」
頬を膨らませてこれでもかと怒りを露わにする奏に、灯依はたじろいで閉口した。
これは謝らないと怒ったままだろう。
最近は妙にワガママな妹の前では、どれだけ丁重に断ろうとも穏便に済みそうにない。
少しでも矛を収めてもらうためにも澄は再考する。
灯依の気持ちはありがたいが、やはり教えを乞うのは避けたい。
澄は思案しながら灯依へ視線を向ける。
彼女は奏を宥めようとしてくれているが、妹はまるで聞こうとしない。
懐いている灯依相手にも引かない様子から、単なる説得だけでは難しいだろう。
こうもワガママに振る舞う姿を見ているといっそ羨ましくなってくる。
(いやいや余計なことは考えるな!)
漠然と浮かんだ羨望を払う。
そんなことをしている間に、灯依は何か思い付いたような面持ちで澄に呼び掛けた。
「そうだ、澄くん。ただ貰うだけじゃ申し訳ないなら、条件を付けてみない?」
「条件?」
「そう! 中間テストで総合五十位以内に入れたら、ご褒美として私が何かお願い事を聞くっていう感じで」
「えぇ……」
先の提案と違い、今度の案は腑に落ちるように呑み込めた。
にも関わらず躊躇ってしまうのは、自分のお願いを聞くという危うさすら感じ取れる内容だからだ。
高級品やお金を要求されたり、最低なことを言われたっておかしくない。
仮にそれらを考慮した上で言っているのであればとんだ悪女だ。
これまでの付き合いから彼女がそんな性格ではないのは知っているが、それはそれで無警戒にも程があると思わざるを得ない。
そもそも澄なら総合五十位に入れて当然と見做されたことに首を傾げてしまう。
一年生の頃における最高順位は七十位前後だったため、今からであればそれなりに努力を重ねる必要がある。
けれどもハッキリと断れなかったは、先の羨望に加えて一抹の期待感が溢れたからだ。
テストを頑張った褒美であれば、少しくらい甘えてみてもいいのかもしれない。
よほどの無茶振りでなければ灯依も怒らないだろう。
そこまで考えたところで、澄の答えは固まった。
「や、やっぱりダメだった?」
「! そんなことはないッス。その……俺、頑張りますんで」
「いいの?」
「なんで灯依さんが聞き返すんッスか。ただ内容に関してはそっちに任せる形で……」
「うん! 澄くんのために考えるね!」
「っ……」
食い気味に答える灯依に澄は一瞬だけ呆気に取られる。
真剣な眼差しで見つめられ、遅れて顔に熱が集まっていく。
気恥ずかしさから顔を逸らしてしまうが、視線だけは外さずに続ける。
「……じゃ、そういうことで」
「う、うん……」
澄の顔色につられてか灯依も顔を赤らめながら頷く。
互いの了承を以て、澄が中間テストで総合五十位に入ったら灯依がご褒美をくれることになった。
教師と生徒が交わした約束にしてはとんでもない内容だと自嘲する他ない。
それでも澄の胸中には歓喜が上回っていた。
「ひぉちゃん! かなもてすとがんばったら、ごほーびくれる?」
「奏ちゃんも? じゃあ今度、私が特別にテストを作ってあげるね」
「うんっ。かな、がんばる!」
感慨深い気持ちに浸っていた澄を余所に、奏と灯依が新たな約束を取り付けていた。
余韻も何もあったものではないが、気を紛らわすには丁度良かったと安堵する。
そうして自分と違って気軽に交わしていく妹の姿を見て、またも過った羨ましさは誤魔化せそうになかった。
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