第二章

第51話 一生分の愛

 教師も忙しさの余り、忙しなく走り回るそんな月が終わり、再び年は振り出しに戻る。

 寒冷を帯びる室外を尻目に音絃はこたつで身体を暖める。

 普段から規則正しい生活を送っている遥花は睡魔には太刀打ちできなかったようで隣で眠っていた。

 静かに立つ寝息と無防備に晒す純粋無垢な寝顔は自然と音絃の頬を緩める。


 ハラハラと舞い散る花弁のような粉雪が外をチラつかせていた。

 ゆっくりと降り積もる粉雪を見ていると世界が落ちていくような不思議な感覚に襲われる。

 机上には冬に相応しい籠に入った蜜柑が四つ乗っていて、その一つに手を伸ばし、皮を剥く。

 甘味と酸味を兼ね揃えた汁が匂いを放ち、指先に飛び移る。


 何でもない日常の一コマも、年が明けた瞬間には何もかもが「初めて」に変わっていく。

 まるで今まで積み上げてきたものが嘘だったかのように。

 俺はどうしようもなく恐れている。

 何かのきっかけに関係が崩壊して、関係がリセットされて孤独に戻ることを。

 今しても何の意味も成さない焦燥は、幸せや安心を感じる度、おまけのように付き纏う。

 確信を約束しても、愛を形にしても、腕の中の幸せを抱き合わせても消えはしない。

 あの日の仕打ちをトラウマのように思い出す。あの中学時代のことを。


 「俺は本当に遥花を幸せにできるだろうか」


 今を生きていくだけで精一杯だった音絃は将来への心配ができるようになっていた。

 遥花と過ごす日々を重ねる度に強くならないといけないと思うようになっていた。

 平気なはずだった孤独をいつしか恐れるようになっていた。


 「ん――……音絃くん……」


 焦燥に駆られるこちらの気も知らない遥花はふにゃりと微笑みながら寝言を零す。

 

 「本当に幸せそうに寝やがって……。無防備にも程があるだろ」


 そう言って音絃は苦笑を一つ。

 現在、音絃と遥花は交際関係にあり、男として意識されてない訳ではないことは分かっている。

 気を許してくれるのも嬉しいし、もっと甘やかしたいとも思っている。

 だが、ここまで警戒心ゼロの態度を取られては男として少し不服だ。

 だからと言って面と向かって言えるはずもなく音絃はまた黙り込む。


 特に見たい番組がある訳ではないが、何となく番組表を眺める。

 何処ぞのアスリートたちが番組の企画に挑戦する内容の番組が放映されていて退屈はしない。

 タイムリミットが迫る警告音は音絃の焦燥心を揺さぶる。


 「くしゅんっ!」


 突然、横で遥花がくしゃみをした。

 こたつの中は暖かいが、遥花は冷えてきたらしい。そういえばこたつで眠ると風邪をひくと聞いたことがある。

 脱水症状になったり低温火傷をする危険性があることも思い出し、起こそうと試みる。


 「遥花さん――?起きて頂けますか?」


 できるだけ平和な方法で覚醒を促すが、全く身体を起こそうとする気配はなく、遥花は「うう――……」と呻るばかりだ。

 音絃は仕方なく壊れてしまわないように脇を持ってこたつからゆっくりと引き摺り出す。

 女性の身体にはいつになっても慣れない。慣れないでいいのかもしれないが遥花を傷付けないためには必要なことだと思う。

 首の後ろと膝の裏に腕を回してゆっくりと抱き抱えて立ち上がる。

 やはり遥花はとても軽く、華奢な身体付きは今にも崩れ落ちてしまいそうだ。


 「もっと食べていいのにな……」


 また独り言をポロリと溢して寝室に向かった。

 冷え切った廊下を抜けて寝室へ入るとまた暖かさを肌で感じる。

 自分が就寝するときのために暖房のタイマーをセットしていたのだ。

 眠っている遥花のポケットから鍵を取り出す訳にもいかない。家まで送り届けることができればそれが最善なのだが、叶わない以上、音絃のベッドに寝かせておくしかない。


 少しだけひんやりとした毛布を捲り、ゆっくりと身体を降ろしてから再び毛布を上に被せる。

 明かりを消して部屋を去ろうと遥花に背を向けた。


 「行かないで……下さい……」


 離れようとする音絃の袖を遥花は力なく掴んで、今にも事切れてしまいそうなか細い声を上げる。

 今にも泣きだしてしまいそうな小さな子供のような声で。


 「傍に……居て欲しいです……お願いします……」

 「遥花がそう願うなら俺は仰せの通りにするよ。どこにも行ったりしないから安心していいぞ」


 どんな顔をして遥花が話をしているかは、背を向けている上、部屋を暗室にしているため分からない。

 だが、何が原因かは分からずとも遥花が辛いと感じていることは分かる。


 「横に座ってもいいか?」

 「うん……。その良ければ手……握って欲しいです……」

 「いつも以上に甘えてくるな――。何か嫌な夢でも見た?」


 少々の沈黙の後にコクリと頷く。

 繋がれた手を優しく温かく、そして握り返してくる。

 遥花の震える手はひどく小さく見えた。


 「大丈夫だよ。夢は夢だから現実じゃない。俺も傍に居るからさ、辛かったら寄りかかって甘えまくってくれて構わないからな」

 「夢を見たんです。音絃くんが私に愛想尽かして見捨てて独りになる夢を見たんです……」


 慰めになるかなんて分からないが、今は遥花が元気になるような言葉を見つけてかけ続けるしかない。

 不器用すぎる俺は気の利いたことなんて言えない。

 でも、遥花の笑顔が守れるなら恥だってかける。

 こんなにも守りたくて愛おしい相手にはもう一生逢えない。断言できる。


 「俺の一生分の愛は遥花へのものだ。遥花が笑顔になるまで……いや、なってからもずっと隣に居るから安心してくれ」


 音絃は自分の胸の中に遥花を引き寄せて包み込む。

 今でもあの焦燥感は消えてはくれない。黒い渦が渦巻いて存在感を露わにしている。

 だが、そんなことよりも目の前の幸せを大切にすることが今の音絃にできることだ。


 「やっぱり私、音絃くんが大好きです。音絃くんの胸の中はいい匂いがして居心地が良くて安心します。私だって私の一生分の愛は音絃くんへのものです!絶対に負けませんからね!」

 「どうして張り合うんだ……。というか俺に匂いとかあるの?」


 遥花の口調は元に戻り、身体の震えも治まった。

 顔は見えないが、もう大丈夫だろう。


 「音絃くんの匂いは私だけの特権です!誰にも渡したりなんかしません!」

 「遥花以外の誰のものにもならないよ。俺はいつだって遥花のことしか見てないからな」

 「ど、どうして音絃くんは平気な様子でそんなことを――……照れちゃいます」

 「じゃあ今日のところは俺が優勢だな。もっと甘やかしてやるよ。いつものお返しだ」

 「音絃くんギブアップです!私の負けですから――!」


 この後、遥花がノックアウトするまで甘やかし倒した。

 今年もいい年になることを願い合いながら二人でたくさん笑い合った。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

〜後書き〜


第二章の始まりです。

え――砂糖が不足していた皆様お待たせ致しました。

長い間、連載をしていなかったにも関わらず、恋愛部門日間120位を貰うことが出来ました✌️

感謝ですm(_ _)m


これから少々シリアスな展開もあるかもしれませんが、安心して下さい!

私はハッピーエンド作家です!

どうぞお付き合い下さい。


尚、作者は自身で砂糖を吐きながら血の涙を流しております。現場からは以上です。

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