第46話 抱えた愛を……

――バシンッ


「なんの真似だよ……黒原」


「女性に手を出すのはダメだろ。少し落ち着けよ」


音絃は雄人の手を遥花の頭上で間一髪受け止めた。

完全に怒りに身体を任せた雄人には何を言っても無意味だろうが、少しの希望にかけて無血開城を促す。

だが、やはり無駄だったようで雄人は音絃の手を振り解き、威嚇状態を保ちながら距離を取った。


「あいつが悪いんだよ……だったらこの手で制裁が必要だよな?だろ!?」


全く理解が出来ない。

ある意味で次元が違う存在なのだろう。


「じゃあ……遥花に手を出した事を反省するつもりはないんだな?」


「反省……?なんだよそれ。まるで俺が悪いみたいな言い方するじゃねぇか……」


「十中八九だが、今この場でアンケートを取ると、お前が悪いって回答が全員一致で返ってくるだろうな」


歯をギシギシと言わせて雄人は完全にキレている。

その様子を平然と眺めながら、おそらく来るであろう一発に備えていた。


――俺は絶対に手を出さない


それが誰かを守るものだとしても……


暴力はなんの解決にもならない。

俺がもし雄人を暴力でねじ伏せてこの場を収めたとしても、そんな事をした俺に遥花の隣に立つ資格があるとは思えない。


雄人は殴るモーションに入り、音絃は親友を信じて歯を食いしばり目を瞑る。


――バチンッ


勢いよく振り抜かれた拳は音絃の顔ではなく、掌に直撃した。


「ったく……少しは自分の事を守れよな」


「俺は蓮を信じていただけだよ」


「世話の焼ける親友だ……よ!」


蓮は雄人の拳を突き放す。

駆け付けたのは親友である蓮……と先生布陣。

実は遥花を庇いに行く前に、蓮に先生方を連れてくるようにお願いをしていたのだ。


「くそっ……てめぇら!」


「現行犯だから言い逃れは出来ないぜ。大人しく指導を受けて来やがれってんだ!」


音絃は雄人が連れて行かれる前に言っておかなければならない事がある。

堂々とした態度で雄人へと近付いていく。


「俺は殴られようが蹴られようが、それは心の底からどうでもいいし、全く気にしないが……」


一気に距離を詰めて耳元で囁く。


――もし次に遥花に手を挙げたら……その時は容赦しないからな?


これは脅しか……それとも牽制か。

いやどれでもないな……これは彼を守る為の忠告だ。


怒り、抑圧、独占欲が混ざりあった感情なのだろう。

どの感情が大きいかは、一概に言えそうにない。

だが、その中にもただ一つ、他の感情と比べ物にならない程に大きな感情がある。


雄人が先生方に連行されるのを確認すると、音絃はすぐに後ろを振り返る。

何より音絃にとって一番大切なのは遥花自身だ。


「遥花……怪我とか痛いところはないか?」


外見にはあまり目立った外傷はないが、左手を押えている。

無理に指輪を外されそうになった為、指への負担が大きかったのだろう。


「………………怖かった……です……」


遥花は掠れて消えてしまいそうな声で音絃に訴えかける。

その様子からどれだけ怖い思いをしたかが容易に見て取れた。


「ごめんな……俺がもっと早く駆け付ければ、こんな思いをさせずに済んだ……」


物理的に遥花を傷付けたのは雄人だが、本当に遥花を傷付けたのは俺の方だ。

助けられる状況だったのに、助けなかった。

手を出されてからでは遅かったのだ。

だから俺は最後まで雄人を責めきれなかったのかもしれない。


「手……痛いのか?」


遥花は顔を俯き、手を押えて屈んだまま動かない。


「違うよ……。音絃くんから貰ったこの指輪だけは外されないように……押さえてるだけなんだよ……」


音絃はまた心が熱くなるのを感じる。

そして音絃の遥花を守りたいという気持ちが一層強くなった。


「とりあえず一旦保健室に行こう……立てるか?」


周りには野次馬が続々と集まってきている。

遥花の身体も心配だし、ここを早めに離れるべきだろう。


「身体に力が入りません……」


「腰が抜けたか……しょうがないな……」


「音絃……くん……?」


今すぐにでもこの場を離れなければ、面倒事になるのは目に見えている。

遥花が動けないと言うのなら致し方ない。


「ひゃっ!」


音絃は首と膝の後ろに手を通して遥花を抱える。

少しでも何か衝撃が加われば、壊れてしまうんじゃないかと思わせる程の華奢な身体は、とても柔らかく軽い。


「文句は言わないでくれよ……?」


「ね、音絃くんに……そんな事……言いません」


野次馬の女子からは黄色い声が聞こえてくる。

何が起こっているのか全く理解していない男子たちもいるが、それも無視をしながらその間を通り抜けていく。


「遥花だけ……ズルいぞ。俺だって顔を手で覆いたい気分だよ……」


「だって……こんなに恥ずかしい顔を音絃くんに見せられないです……」


「いや……だったか?」


「それを聞くのは……とってもズルいです……」


「ははは。じゃあお互い様だな」


一緒に話す度に元気になれる。

一緒に食事をする度に温かい気持ちになれる。

一緒にいるだけで幸せだと感じる。

そんな相手が今、俺の腕の中で笑ってくれている。

最初から迷う必要なんてなかったんだ。


「遥花……」


「どうしましたか……?」


「我が家に帰ったら……話したい事がある。聞いてくれるか……?」


だが、やはりまだ恥ずかしい気持ちは消えず、ロクに顔を合わせて話す事もままならない。

ゆっくりと遥花を視界に入れると、にへらとした顔で音絃の方を向いていた。


「はい!是非聞かせて下さいね」


遥花はもう既になんの事が分かっている様子で嬉しそうに返事をする。

音絃にとってこの気持ちが溢れ出て、遥花に知られるのは別にいいのだ。

どんな形であろうといいのだ。


自分の口で……声で……心で……直接、遥花に伝える。


――もう逃げない。


そして音絃は今の幸せを噛み締めながら、保健室のドアを開いた。

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