最後のピース
『無理よ。部活の指導員なんて。』
電話越しに聞こえてくるのは、共犯者であるルイズの声。
「どうしても指導者が必要なのよ。」
我が家の自室にて。綾羽はベッドに寝転びながら、ルイズに部活動指導員の打診を行っていた。
「ギガントレイスの操縦に慣れてる、プロのね。わたしは天才で無敵だけど、人に教えるのはちょっと、ねぇ。ほら、凡人の思考って、いまいち理解できないから。」
綾羽自身、初めから他人任せにしているわけではない。趣味であるTTOを通じて、前々から知沙に動き方を教えようとはしている。けれども、綾羽が手本を見せようものなら。その間に知沙は、気がつけば頭を吹き飛ばされて死んでいる。シューティングゲームで、なぜ敵の”狙撃を察知”できないのか。綾羽は基礎としてそのレベルを求めていた。
『手伝ってあげたいのは山々なんだけど。そもそも無理なのよ。この前、交番でわたしの手配写真が貼ってあるのを見たのよ。怖くて、まともに外なんて出歩けないわ。』
ルイズとて、出来ることならば綾羽の頼み事に手を貸してあげたかった。けれどもその立場が、多くの物事を制限していた。
「……それは、本当に悪いと思っているわ。」
ルイズが指名手配されている理由。それを生み出したと言っても過言では無いため、綾羽はそれ以上何も言えなくなる。
『もう。気にしないで。』
困った子供を諭すように。ルイズは否定する。
『もともとわたしは、第一級の犯罪者だし。今まで指名手配されていなかったのは、単純に死んでいると思われていたからよ。どんな形であっても、生きている今の方が楽しいわ。』
身分を偽り、自分を偽っていたかつての自分と。全てをさらけ出し、追われる身となった今の自分。ルイズの中に、後悔の念は微塵も存在していなかった。
『あぁ、そうだ。丁度良い奴が居るじゃない。年がら年中暇してて、指名手配もされていない。おまけに、GRの操縦はわたし以上。』
「あの引きこもりのニートね。」
二人の共通の友人である、マイペースな狙撃手の顔が頭に浮かぶ。
『ま、あの堕落っぷりじゃあ、説得は難しいでしょうけど。』
「とりあえず、検討してみるわ。」
それ以外に案も思いつかないため。とりあえずの保留と決める。
「それじゃあ、”オペ”の日に会いましょう。」
そう最後に伝えて。綾羽は通話を終了した。
スマホを軽く放り投げ、ベッドに仰向けに寝転がると。綾羽は目を瞑って脱力する。かつての自分とは違い。今の綾羽には、ゲーム以外にも考えることがいっぱいあった。
そうして綾羽がうたた寝をしていると。コンコン、と。部屋のドアがノックされる。
「ウルスラ。何のようかしら。」
基本的な同居人は彼女のみ。その名を呼ばれ、ウルスラは部屋の中へと入ってくる。
「実は、ですね。」
ただの軽い要件ではないのか。ウルスラは寝っ転がる綾羽の側までやって来る。
「エイチツーさんのオペの前に、最後にカロンの転移装置を使っておきたくて。」
「まぁ確かに。霧子との”約束”があるから、使えるのはもう最後だけど。どこに跳びたいの?」
「もう一度、”地下の研究所へ”。」
思い返すのは、二人が初めて出会った崩落寸前の景色。
「足の踏み場どころか、全て崩れ去っているかも知れませんが。どうしても、”忘れ物”を取りに行きたくて。」
それがウルスラの、たった一つの心残りであった。
◇
それは粉雪の舞う、ある寒い日のこと。
長生きに渡るニート生活の末、三十路に突入した残念な美女、
(やはり、来るべきではなかったですね。)
今日、正確には明日であるが。この日は新型のゲーム機”バーチャルコンソール”の発売日であり。この深夜の待機列は、全てそれを目的にする人々の列である。当然それは、由喜江も同じであり。これまでとは一線を画す新世代のビックウェーブにいち早く乗るため、わざわざ外出を試みたのである。けれどもやはり。引きこもりが身に染みている由喜江にとって、この環境での徹夜待機は過酷であり。すでに脳内のゲージはレッドゾーンに突入していた。
由喜江が、心の中のカラータイマーと格闘していると。ふと視線の先で、小さな騒ぎが起きていることに気づく。目を向けると、そこに居たのは明らかに未成年であろう一人の少女と。彼女に声をかける、警察官らしき男が2人。いわゆる、未成年者の深夜徘徊と、その補導というものであろうか。ヘッドホンを着けたその少女も、由喜江と同様にゲームが目当てでこの場所へ来たのだろう。
少女と警官が何やら揉めている。距離が離れているため、その内容こそ分からないものの。少女は中々に肝が据わっている様子で、警官に対して真っ向から立ち向かっていた。だがしかし、少女がいくら抵抗した所で、その問題が望む方向へ転ぶことはない。それが”社会の常識”であり、由喜江だって分かっている。分かっていないのは、世間知らずなその少女のみ。
このまま行けば、きっとあの少女は警察に補導され、親の元へ突き返されるのだろう。彼女の親がどんな人物かは知らないが、こんな夜分に一人で行動させるあたり、あまり褒められた人物ではないはず。何はともあれ。今日、彼女がゲームを手に入れることは難しい。
その少女を憐れむ気持ちと、この極寒地獄から抜け出したいという願望が合わさり。
「――あの。少々、よろしいでしょうか。」
由喜江の心に、気まぐれを引き起こした。
薄暗い照明が照らす、とあるホテルの一室。明らかに普通のホテルには不釣り合いな大きなベッドの上で。ニートな大人である由喜江と、ニートな子供である少女は、互いに無言で座り込んでいた。
補導されかけていた少女を助けた由喜江は、とりあえず寒さを凌ぎたいという思いで近くのホテルへと入った。少女の手を握ったまま。由喜江は20代前半からずっとニート生活で、それ故にまともな社会常識が欠如している。そのため、家族でもない少女を夜中に連れ歩くことの違法性や、そもそも入ったホテルがアウトなことにも気づいていなかった。
そんなことはつゆ知らず。ホテルに連れ込んだ女と、連れ込まれた少女は共に座り。互いに冷静なった状態で、それ故に会話が生じない。由喜江はよく考えたら他人と会話するのが久しぶりであるため、話しかけられない。奇遇なことに、隣の少女の内心もだいたい同じであった。一応、警察から庇ってくれた恩人であるため、無下には扱えない。
それでも、互いに会話が発生せず。それ以上考えるのは不毛だと判断したのか。互いに同じタイミングで、同じ携帯ゲーム機を懐から取り出した。当然ながら、その事実に双方ともに戦慄する。
だが、だからといって話すのもあれなので、そのまま黙ってゲームを起動。すると奇遇にも、まったく同じゲームのBGMが鳴り響く。狩猟本能を掻き立てられるような、壮大な音楽が。
流石に、そこまでの偶然が続けば、黙り続けるのもおかしなもので。
「良ければご一緒に、いかがですか?」
由喜江がゲームに誘い。少女は黙って、それにうなずく。
そこから先は、あっという間であった。単純な話、二人は共通の目的のもとで出会い、その趣味すらも似通っていたのだから。打ち解けるのに、時間はかからなかった。
「――ええぇ、それどうやってるんですか!?」
少女はまさしく、ゲームの申し子と言うべき存在であり。複数人でのプレイが前提の行動を、一人で完璧にで行っていた。有り体に言って、自分を天才だと密かに思っていた由喜江であったが。上には上がいるものだと、そう実感するほどであった。
深夜徘徊とされる朝の4時まで。2人はホテルの一室でゲームに興じた。奇しくも、それはお互いに初めての協力プレイ体験であり。まるで青春の1ページ。修学旅行の夜のような、そんな特別な記憶として刻まれた。
朝の4時になると。2人は家電量販店の前の行列まで戻り、共に列に並んだ。死を覚悟するほどに寒かったが、2人だからこそ乗り越えられた。
そして、時が経ち。ゲームの販売が開始される。バーチャルコンソールの購入を求める長蛇の列に、テレビの取材等も集まっている。そんな中で、由喜江と少女は二人一緒に最後まで並び続け。
「……困りましたね。」
由喜江は苦笑いを浮かべ。少女も顔をしかめる。2人は確かに並び通し、念願のバーチャルコンソールを入手できた。しかし、彼女たちが入手できたゲーム機は一つだけ。ちょうど二人の間で、初日の出荷分が尽きたのである。
途方に暮れる2人であったが。その場に現れた一人のメイドの姿に、少女は表情は緩める。
「いいえ。どうやら、問題は無さそうよ。」
メイドの腕には、ゲーム機の箱が抱えられており。そのまま二人の前までやって来る。
「ご苦労さま。エイチツー。」
用意周到な少女は、他の店にも刺客を送っていたのである。
「そういうわけだから。そっちは貴女に譲るわ。」
それが、白銀綾羽との出会いであった。
バーチャルコンソールの発売と共にリリースされたゲーム、”ドラゴンスカイ”。あの夜に連絡先を交換した2人は、当然のように一緒にゲームをやり始めた。まさにファンタジーの世界と、長い冒険の始まりであった。
剣と魔法、そしてドラゴンの存在する世界で。ちっぽけな冒険者の一人として生きる。そんな王道であり、なおかつ新鮮なバーチャル空間での生活。様々なクエストに挑んだり、意味もなく戦いに明け暮れたり。時には草原を駆け、移り変わる空の風景を眺めたり。由喜江と綾羽は、共に時間を過ごした。
相性というものもあるのだろう。何よりも2人は、”戦い”を好んで行っていた。異形のモンスターや、巨大なドラゴンを相手取ったり。時には、他のプレイヤーとも争ったり。どれも新鮮で刺激的な体験であったが。最終的に、二人の勝利で終わる事だけはお約束だった。それぞれのセンスの高さも然ることながら。妙に息の合う2人のコンビネーションは、もはや無敵といっても過言ではない。
その他にも、多くのゲームを共にプレイした。色々なゲームを、時間の許す限りに味わい尽くし。とにかく、”楽しい”という感情がいつも存在していた。今まで2人とも、一緒に遊んだりする友人は居なかったため。ずっとずっと、一緒に。そんな変わらない生活が、続くものと思っていた。
だがしかし。ある一つのゲームソフトが発売したことで、二人の関係は大きく変わることになる。
”ターミネートオンライン”。通称、TTO。架空の近未来世界を舞台にして、ギガントレイスを含めたリアリティある戦闘を体験できるゲームである。その圧倒的なクオリティとボリュームの多さから、発売から瞬く間に大ヒットとなった。
当然ながら、”根本的にFPSが好き”な綾羽は発売前から予約を行い、意気揚々という様子でゲームに臨んだ。けれども由喜江は、意図的にこのゲームの話題を避け、発売しようと目を背け続けた。これまでどんなゲームも一緒に遊んできた仲のため。綾羽は由喜江をTTOに誘った。しかし、由喜江が首を縦に振ることはなかった。
ただ嫌いだから、興味がないから。そんな取って付けたような理由で誤魔化し続けるのは胸が痛んだため。ある日、由喜江は綾羽を誘い、珍しく家の外に出た。
とある喫茶店のテラス席で、向かい合う2人。由喜江は神妙な顔をして、綾羽に事情を話す。自分がTTOをプレイできない理由。ニートになる前の経歴と、トラウマになった出来事のことを。
かつて由喜江は、とある研究所で働くGR操縦者で、新型GRのテストパイロットを行っていた。だが、その頃に勃発したレギュラルとの武力戦争に巻き込まれて、仲間を守るために多くの敵を葬った。
人を殺した事自体に、トラウマを抱いたわけではない。ただ、人殺したにもかかわらず、それを容易く受け入れてしまった自分自身。自分の心の”軽さ”に、由喜江は恐れを抱いた。人の命というのは、この世で最も尊ぶべきもののはずである。決して、紙くずのように容易く引き裂いていいものではない。けれども、余りにも簡単に、理不尽なほどに呆気なく。”自分は命を奪うことが出来る”。
――それがわたくしの罪であり、GRに触れてはならない理由です。
たとえゲームであったとしても。由喜江は、自らがGRに触れることを良しとしなかった。
その告白以来、二人の関係はほんの少しではあるがズレてしまった。唯一といっていいほどの友人関係であったため、関係に致命的なダメージを与えたわけではないが。どこか互いに気を使ってしまい、言いようのない居心地の悪さのような何かを感じていた。
由喜江は一人、悩む。所詮はゲーム。バーチャル世界で行われる遊戯に過ぎず、実際に人の生き死に関係することはない。それに綾羽と一緒なら、きっと楽しんでプレイすることだって出来るはず。わかってはいるつもりだった。けれどもやはり、恐怖が拭えなかった。
そうして一人、苦悩する中。由喜江はある一つの動画を目にする。TTOの中で記録されたという、あるプレイヤーの戦闘動画。TTOには外側から戦場を観戦する機能があるのか。ある一人のプレイヤーの動きを、カメラが追いかける。そのプレイヤーの駆ける機体は、他の何よりも”速かった”。予想不可能な動きに加え、とても人間とは思えない反応速度。戦場における条件はさほど違わないはずなのに。ただ圧倒的な技量を駆使して、敵機を圧倒する。その異次元の動きに、動画のコメント欄には、チートではないか、AIが動かしているのではという疑惑すら上がっている。けれども由喜江は、その動きが実在する一人の少女によるものだと確信する。
動画を見て。由喜江の中に芽生えた感情。それは――
まどろみの中で、想いながら。
一人の女性が、年中敷きっぱなしの布団の中で目を覚ます。
時間など気にもとめない。堕落し切ったニートな女性。
何か、懐かしい夢を見ていたような。そんな事を思いながらも、未だ半分寝たような状態でスマートフォンを手に取る。
その画面には、数少ない友人である歳の離れた少女からのメッセージが。
「……なんでしょう。」
それは、変化を告げるもの。
◆
メッセージ、送信完了。スマートフォンの画面に文字が浮かんでいる。
「こっちは準備完了です。綾羽さんはどうですか?」
そう声を掛けられて。綾羽はスマートフォンの画面を切り、顔を上げる。
「ええ。わたしも準備オーケーよ。」
綾羽が居るのは、ブラックカロンの操縦席の中。恐らくは”最後”になるであろう、機体の起動作業を行っていた。
「こいつも面倒な機体になったわね。たかが起動するために、わざわざわたしが必要だなんて。」
「仕方がありませんよ。ピノさんは、かなり特殊な人工知能なので。」
ウルスラは機体の側で、別の作業に取り組んでいる。
「博士がどんなプログラムをしたのかは分かりませんが。あらゆる領域が、今この瞬間にも進化し続けているんです。セキュリティ面もそれに伴って強化されているので、今や綾羽さんの生体認証抜きでは、操縦席に入ることすらままなりません。」
「このまま進化を続けたら、そのうち人類を滅ぼすとか言いそうよね。」
『ご心配は無用ですよ。今現在において、それを行うに足る理由はありませんから。』
「もはやホラー映画ね。」
高性能AIは、時にはジョークすら口にするのである。
綾羽の操縦により、ブラックカロンが動き出す。
「それじゃあ、そこに置いてあるドローンを地下に送ればいいのよね。」
格納庫の地面には無数の小型ドローンが置かれていた。
「はい。先程言った座標に、それぞれ転移させてください。そうしたら、機体を送り込めるだけの空間があるのかを調べられます。」
地下基地が、今現在どのような状況なのか不明なため。先にカメラを送る必要があった。
「了解。じゃあ、跳ばすわよ。」
ブラックカロンの手を、ドローンの側に近づけると。機体の転移システムが起動。ドローンを一つずつ、地下へとテレポートさせていく。
ほとんど、AIであるピノが作業を行っているため。操縦席内の綾羽は、退屈そうに体を伸ばす。
「はぁ。こうして動かせるのも、これで最後ね。」
短い付き合いではあったものの。激戦をくぐり抜けたこの機体に、綾羽はそれなりの愛着を持っていた。勿論、機体だけでなく、その内面にも。
「ねぇ、ピノ。貴女を一緒に封印するのも可哀想だし。何か別の、コンピュータにでも繋げましょうか?」
機体を封印すれば、その管理AIであるピノもともに眠ることになる。
『いいえ。わたしはブラックカロンと、QHシステムの管理のために生み出された存在です。それ以外には、何の存在理由も持ちません。故にこの機体が眠りにつくというのなら、わたしも運命を共にします。』
「……そう。」
ピノの言葉に、綾羽は何かを思う。
「あぁ、そうだったわね。ヘッドホンなしでここに入るのは、初めて起動した時以来だったわね。」
あの運命の夜にも、同じように声を聞いた。
「今なら貴女の声が、よく聞こえるわ。」
綾羽は見つめる。ピノと呼ばれる人工知能の、その内側を。
「ねぇ。改めて、貴女に聞いておきたいことがあるんだけど。」
あの夜から。綾羽には一つだけ、気がかりなことがあった。それをピノに問いただそうとするが。
「――あっ、綾羽さん。スキャン完了です。1箇所だけ、転移可能な区画を発見できました。」
ウルスラの声に、その思考を中断する。
「あらそう? じゃあ転移するから、貴女もコックピットに来なさい。」
「はい。わかりました。」
ふわりと、超能力で宙に浮かび。ウルスラが操縦席に入ってくる。かつて、地下から共に脱出したときのように。操縦者である綾羽の身体に寄りかかる。そんなに昔なことではないはずなのに。あの頃とは何もかも、変わったように思える。
運命の夜を越えて。
たとえその運命が、誰かの手によって仕組まれたものだったとしても。
「諜報部からの連絡です。例の信号を感知。ほぼ間違い無いかと。」
G-Forceの司令本部にて。オペレーターである光葉の声が響く。
「なるほど。やはり、”情報通り”ということか。」
白銀正継は、静かにモニターを見つめるのみ。
「はい。この一連の事件に、奴らが関与していることは明白です。」
モニターに映し出されているのは、綾羽たちが拠点にしているフリージア社の工場の写真。
「……セシリア。君を、疑いたくはなかったが。」
多くの事情が、複雑に絡み合ったまま。
事態は急速に、動き出す。
◆◇
『オペの前には戻ってこいよ〜』
どこか退屈そうな表情で。白銀綾羽はスマートフォンの画面を見つめている。彼女が居るのは、とある喫茶店のテラス席。ほんの一年前に、数少ない友人と席を共にした思い出の場所でもある。ここで綾羽は、その時と同じ相手を待つ。
その研ぎ澄まされた感覚故に気づき。綾羽は顔を上げ、目を向ける。
「すみません。お待たせしましたか?」
そこへやって来たのは、ゆったりとした服装に身を包んだ女性、多野由喜江。久々の外出のために、急いで洋服を引っ張り出した様子だった。
「いいえ。わたしも、今さっき来た所よ。」
友人との久々の再開に、柔らかな笑みを浮かべて。2人は向かい合って座る。お互いに、心に余裕があるのか。ただ黙って座っているだけでも、その空気は悪くないと感じられる。
「何だか懐かしい。去年を思い出しますね。」
「去年? 何かあったかしら。」
綾羽は記憶力が良い。とぼけてみせるのは、ただ会話が楽しいから。
「あらあら、お忘れですか? ほら、ここで話したじゃないですか。わたくしがどういった経歴なのか、とか。人殺しがトラウマになっている、とか。」
「あぁ。そういえば、そんな話もあったわね。」
「はい。まぁ今となっては、あまり関係のない話ですけどね。」
去年の出来事との違い。それはやはり、笑顔の滲む2人の表情であろう。
「貴女に一度殺されて。わたくしは過去を払拭できました。」
その言葉の内容とは裏腹に。由喜江の表情は満面に笑みに満ちている。
「殺されてって。ちょっと大げさじゃないかしら。」
「いいえ。ゲームの中とは言え、やはりGRに乗った状態で墜とされるのは。本当に死んだような感覚になりますから。」
2人は、”TTOでの初対面”の記憶を思い出す。
「あの時は流石に驚いたわね。滅茶苦茶な軌道から狙撃されたと思ったら。その相手から急にボイチャが来るものだから。フレンド以外拒否ってるから、来るわけがないのに。」
「ふふっ。本当に、悪かったとは思っていますよ? でもそうでもしないと、綾羽さん相手には攻撃を当てることすら難しいと思ったので。それに事実、完全な不意打ちであったにも関わらず、ほんの少し掠っただけでしたし。」
「まぁそれでも、誇りに思って良いんじゃない? あの時はまだ、アルフォートじゃなかったとはいえ。わたしにダメージを与えられたのは、後にも先にも貴女だけよ。」
現実世界でトップクラスのプロだった相手の、プライドを捨てた完全なる不意打ち。それを持ってしても、遠く及ばない。それが、白銀綾羽という少女の持つ力。
「本当に、敵いませんね。これでもわたくしは、いわゆる天才として生きてきたんですよ? 面倒だからと手を抜いても、GRの操縦では誰にも負けませんでしたし。本気で勝負をしたら、貴女のお父様、正継さんにだって勝てると思っていましたから。」
事実、多野由喜江という人間には、化け物と評されるほどの天賦の才があった。
「でも、あの動画を見て。わたくしが綾羽さんに勝てるビジョンは、まったくもって浮かびませんでした。正直、勝負になるとも思わなかったです。」
それほどまでに、その少女のいる領域は高みにあり。
「だから、確かめてみたかった。貴女が”どれほど”の存在なのか。わたくしが”どの程度”の存在なのか。」
そして思い知らされた。あれ程までに恐れていた自分の力が、どれほど”ちっぽけ”なのか。
「わたくしは、人でなしですね。あれほど大勢の人間を殺したのに。ゲームの中とは言え、未だにGRに乗っている。」
由喜江は悩む。自分を許しているのは、自分だけなのだと。誰の許しも得ずに。本当に、今の生活を続けて良いのか。
そんな心の歪みも。”今の綾羽”には、すべてお見通しである。
「別に良いんじゃない? 結局の所、すべてを決められるのは貴女だけ。悩んで苦しんで、そして何もしないなんて。それが何よりも愚かだわ。」
「……本当に、変わりましたね。綾羽さん。ほんの少し前までとは、まるで大違いです。」
去年のこの場所では、そんなに多くを話してはくれなかった。
「学校や、お友達と遊ぶのは、楽しいですか?」
「まぁ、ぼちぼちかしらね。結局の所、貴女と一緒にゲームをやるのが、一番気楽な気もするし。」
だがしかし。今の綾羽の心を満たすのは、”それだけ”ではない。
「でも、他にも色々な、”楽しい”があるって知れたのは、良かったわね。」
なんてことはない。どこにでもいる女子高生のように、綾羽は笑う。
「ふふ。」
そんな様子に、由喜江も微笑みが止まらない。
「あ、そういえば。今日は何か、頼み事があったのでしょう? どうぞお話してくださいな。」
「あー。そういえば、そうだったわね。」
思わず、会話が脱線してしまっていた。
今日、由紀恵を呼んだ理由。それを考えて。綾羽は思い悩むように、顔をしかめる。
「どうかしましたか? 何か不都合でもありました?」
「いいえ、そういうのじゃないの。ちょっと面倒な頼み事だから、貴女には悪いんじゃないかと思って。」
本当に由喜江に頼むべきなのかと。綾羽は自分の中で格闘する。
その、悩んだ様子を見て。由喜江はどこか、決心したような表情へと変わる。
「綾羽さん、大丈夫です。今のわたくしは、あの当時とは違います。TTOで綾羽さんに鍛えられて、かつてとは比べ物にならないほどの技量を手に入れました。殺さずに敵を無力化する事だって、十分に可能です。だからわたくしを、ぜひ頼ってください。」
綾羽やルイズが、大切なもののために戦っていることは知っている。その戦う相手が、由喜江のかつての戦友だということも知っている。だが、だとしても。それらすべてを敵に回しても、由喜江は彼女と共に戦いたいと願っていた。仮想の世界でも、現実の世界においても。変わらずに、そばにいたい。
「あ、いや。別にパイロットとして手伝って欲しいわけじゃないわよ?」
今の綾羽が求めているのは、そんな情熱ではない。
「前に話したでしょう。学校で、新しくGスポーツ部を作るって話。それ自体はもう問題ないんだけど。競技以前の問題で、GRの操縦をまともに教えられる人間が周りに居なくて。正直、わたしは指導には向いていないから。だから、ちゃんと正規の訓練を受けたパイロットで、なおかつ時間に余裕のある人間に部活の指導員になってもらおうと思ったの。」
手持ちの戦力で役に立ちそうなルイズは、立場的に無理があった。
「それで、貴女なら暇そうだし、頼もうかと思ったけど。まぁ、貴女は面倒事が嫌いだし、仕事したら負けって思ってそうだから。無理に頼むのはどうかと思って。」
そう。珍しいことに、綾羽は”遠慮”をしていたのである。
「だってほら。一応貴女は、わたしにとっては初めての友達でもあるし。」
迷惑ではないのか。その考えが、綾羽の脳にポツリと浮かんでいた。
その、友達という言葉を受けて。由喜江は思わず、綾羽の手を取って。ギュッと握りしめた。
「わ、わたくしも。歳は一回り近く離れてはいますけど。綾羽さんのことを、かけがえのない親友だと思っていますから。」
思いもよらない提案と、共通していた心の想いに。由喜江はときめきが止まらない。
「こんなわたくしでよろしければ。よろこんで、その仕事をお受けいたします。」
「本当に、良いの?」
「勿論です。」
由喜江に、否定の念は一つとしてない。
「実は最近、綾羽さんの話を聞く内に、自分でも何か新しいことに挑戦したいと思うようになりまして。」
それは願ってもいなかった、友人からのお誘い。
「どうかこちらこそ。よろしくおねがいします。」
「……ええ。お願い、するわね。」
正面から、そんなど直球の感情を浴びせられて。思わず綾羽は、恥ずかしさから目をそらす。
本当はもっと、面倒くさそうにする由喜江を説得したりする想定をしていたのだが。想定を遥かに超える展開に、綾羽は軽く混乱してしまう。
恥ずかしげもなく手を握られて。どうやって離そうかと考える綾羽であったが。ポケットのスマートフォンから着信音が鳴り。それを理由にして、由喜江の手を振りほどく。
「霧子から電話? まだ時間はあるはずだけど。」
少々疑問に思いながらも、電話に応答する。すると、
『――綾羽、ここが敵にバレたっぽい!』
聞こえてくるのは、明らかに焦った様子の霧子の声。
「待って、落ち着きなさい。敵ってどういう事。」
その声から、綾羽は緊急事態であることを察知する。
『敵は敵だよ。警察なのか、G-Forceなのか分からないけど。とにかく、もう上の工場区画は全部制圧されてる。』
「証拠が無きゃ問題ないでしょ? 全部転移させれば。」
『アンタが居ないと動かないでしょ! それに、もうオペの準備を始めちゃってるから、エイチツーを無理に動かすのは――』
その言葉の最中で、通話が途切れる。
「何だって言うのよ、もう。」
あまりにも急な展開に、綾羽は苛立ちを隠せない。
「綾羽さん。あれを見てください。」
そう言いながら、由喜江が指を指す先。巨大な街頭ビジョンに映し出されているのは、緊急のニュース速報であった。
『――天ノ梅市でのギガントレイス暴走に始まり、東邦刑務所襲撃事件等に関与した疑いで。牡丹町にあるフリージア社の整備工場に、警察とG-Forceの合同による大規模な強制捜査が執行されている模様です。』
画面に映し出されているのは、綾羽たちが拠点としているフリージアの工場拠点。現場には大勢の警察官を含め、何機かのギガントレイスの姿も映し出されていた。
『今現在、捜査は執り行われている最中であり、違法なギガントレイスが存在する可能性は極めて高いとのことです。』
そのニュース速報を目にして。綾羽は拳を強く握る。
「行かないと。」
その場を立ち去ろうとする綾羽であったが。
「待ってください。」
由喜江の手が、綾羽の手を掴み取る。
「離しなさい。時間がないのよ。」
急ぎたい綾羽であったが。由喜江の手を乱暴には引き離せない。
「走っていくつもりですか? それとも車で? どのみち、かなりの時間がかかると思いますが。」
「だとしても。わたしが行かないと、みんなが。」
「ええ。分かっています。ルイズさんから、色々と事情は聞いていますから。」
由喜江は、自分の持つあらゆる情報を冷静に整理し、この状況における最善を導き出す。
「もっと良い移動手段があるとしたら。どうしますか?」
由喜江の覚悟は、決まっていた。
◆
「ああもう、何で電話が繋がらないわけ!?」
フリージア社の地下。綾羽達の秘密基地にて。霧子はスマートフォンを握りしめる。
「Dジャマーね。向こうがギガントレイスを起動しているのよ。携帯の電波は、もう使い物にならないと思っていいわ。」
霧子とセシリア、だけでなく。
「警察に捕まっちゃうって事ですか?」
知沙とウルスラ、他にはルイズも。綾羽以外のほぼ全員が、この場へと集まっていた。
「地下の通路は封鎖してあるけど。敵がGRを使ってきたってことは、突破されるのも時間の問題ね。」
セシリアは冷静に、残された時間を計算する。
「安心しなさい。わたし達はともかく、貴女たち子供は何も悪いことなんてしてないんだから。何が何でも、わたしが守るわ。」
修羅場には慣れているため、ルイズの心は揺るがない。冷静な思考で、事態の状況を確認する。
「さっき映像を確認したけど。おそらく、G-Forceの主力が勢揃いしているわ。下手に抵抗しようものなら、一方的に潰される。」
「おそらくは、こちらのテレポート技術を警戒しているのでしょう。動きが非常に早いです。こちらが証拠隠滅を図る前に、全て制圧しようという腹積もりでしょう。」
ウルスラも共に、状況を打破する方法を探る。
しかし、事態は最悪に近く。セシリアの頭は、どれだけ被害を減らせるかにシフトチェンジしていた。
「絶体絶命ね。綾羽がここに居ない以上、カロンの転移装置で全員を逃がすっていう手段が取れない。急いで証拠隠滅を図ったとしても、3機もGRがある時点で無理がある。もはや大人しく、投降したほうが賢明かもしれないわね。」
「でも、そんなことしたら。」
あまり詳しくない知沙にでも、その先に待っている事は想像できる。
「ええ。これまでの苦労。綾羽が始めた”理想”は、全て無駄になってしまう。それだけは、阻止しなければならない。H2-21の治療だけは、絶対に完了させないと。」
セシリアは、何を優先すべきかを考える。
「地下通路を破壊して、物理的に侵入不可能にしてしまえば。わたし達も完全に閉じ込められちゃうけど、手術を終わらせることだけは可能なはず。」
「それが、最善かも知れないわね。何よりも避けなければいけないのは、H2-21を救えないこと。それが、わたし達全員の集まった理由であり、絶対にやり遂げなきゃ行けない任務でもあるわ。」
ルイズもセシリアに同意する。大人は思考が速く。諦めるのもまた、速かった。
「でもそれじゃあ、みんな捕まって、離れ離れになっちゃいます。」
しかし子供はそう簡単に、何かを諦める事はできない。
「たとえエイチツーさんが治ったとしても。今までと同じように暮らせないんじゃ、意味がないです。」
「わたしも、そうだと思う。本当に大事なのは、みんなでこの困難を乗り切ること。やった!って、笑い合えることだと思う。」
知沙も霧子も。信じたからこそ、ここまで来た。
「ええ。それは当然、みんな同じ気持ちよ。」
セシリアも、その思いを否定したりはしない。
「でも拠点が割れてしまった時点で、ほとんど詰んでいるの。敵はG-Forceの全勢力よ? 今までのような不意打ちとはわけが違う。向こうも正面から向かってきている。たとえ綾羽が戦力として加わったとしても、打ち勝てるような相手じゃないの。」
何が正しいのか。誰が正しいのか。きっとそれは、今議論しても無駄なことなのであろう。
「……確かにこれは、最悪の事態と言っても過言ではありません。」
けれどもウルスラは、困難から目を背けたくはなかった。
「でももし、今ここに綾羽さんが居たら? 確かに、敵は太刀打ちできるような相手じゃないかも知れません。それでも綾羽さんなら。わたしを地下から救い出してくれた綾羽さんなら、きっと。」
祈ることしか出来なかった、あの夜のように。
――ねぇ、聞こえてる?
ウルスラの頭に、声が届く。
――聞こえてるのかしら。
「あっ、綾羽さん?」
突然聞こえてきた声に。ウルスラは動揺する。
その様子を見て、他のメンバーは首を傾げた。
(あの夜と同じ。綾羽さんのテレパシー能力?)
思い返せば、これが初めてのコンタクト方法であった。
「聞こえます、綾羽さん! 聞こえています!」
遠くにいるであろう綾羽に向けて。ウルスラも言葉を返す。
「貴女、急にどうしたの?」
事態を呑み込めないルイズが問いかける。
「綾羽さんからのテレパシーです。そうですよ。綾羽さんにはこれが使えるんでした。」
「ええ? テレパシー? 何も聞こえないんだけど。」
「わたしも聞こえないわ。」
ルイズやセシリア、その他のメンバーにも綾羽の声は届いていない様子だった。
「貴女も超能力者だから、きっと聞こえるのでしょうね。」
セシリアはそう理由を推測する。
――あー、そっちの声は何も聞こえないから。聞こえている前提で話すわよ?
綾羽の声が、ウルスラの脳に響く。
――今そっちに向かってる。必ず助けに行くから、それまで持ちこたえて頂戴。
それは、何よりも力強い、綾羽の言葉だった。
――いい? 下手に通路を破壊しちゃ駄目よ。少なくとも、わたしがカロンに乗るまでは。もしも敵が通路を通ってきたら、Nixのトライデントで時間を稼ぎなさい。通路は狭いから、十分に妨害は可能なはずよ。出し惜しみは無しで、フルパワーで展開しなさい。
どこまでも、真っ直ぐに。
――わたしが、いいえ。”わたし達”が到着するまで、なんとしても時間を稼いで。わたしからは以上よ。
「――”絶対に助けるから、みんなも頑張って”。だ、そうです。」
ウルスラの口を通じて。綾羽の言葉が、皆に伝えられる。
たったそれだけで。皆の心は、一つになる。
「まったく。あの子は本当に、しょうがないわね。」
ルイズは微笑む。
「Nixを出すわ。敵の機体は、絶対に通路で食い止める。」
「……本気なのね。」
セシリアも、止めることなど出来はしない。
「たとえあの子がここにたどり着いても。ブラックカロンの性能じゃ、とてもじゃないけど。」
「性能なんか関係ないわ。ただあの子だから、賭けてみるってだけ。」
白銀綾羽に常識は通用しない。ルイズは文字通り、身を持ってそれを体験していた。
「はぁ。ならわたしも手を貸すわ。使える機体はもう一機あるし。」
「だったらウルスラと組んで、格納庫の近くで待機してて。もしも、わたしが突破されたら。その時は頼んだわよ。」
ルイズの提案に、セシリアとウルスラは頷く。
「あのっ、わたし達に出来ることは無いですか?」
「そうよ。なんか無いの? ほら、武器とかさ。」
知沙と霧子も、なにか役に立ちたいと声を上げる。
けれどもそんな無茶を、大人たちは許せない。
「まったく。貴女たちは本当に。」
ルイズは、どこか困ったような顔をしながら。知沙と霧子を、思いっ切り抱きしめる。
「ちょっ、急になに?」
動揺する2人。
ルイズは存分に抱きしめると。最後に、ただ微笑んで。2人から背を向けた。
今なら堂々と、胸を張れる。これだけの元気を貰えば、何が相手でも戦える。
「もう何も、怖くない。」
これまでの全てを込めた、最後の戦場へと。ルイズは歩み始める。
ルイズだけではない。セシリアもウルスラも。それぞれ譲れないもののために、命を賭して戦おうとしている。
始まりは、たった一人の願いだったのかも知れない。けれども今は、色々な想いが複雑に絡み合い、大きな歯車を動かそうとしている。
「――綾羽さん。」
知沙が見つめるのは、少女の想いが形となった”黒き悪魔”の機体。
沈黙を守り続け。
主の到着を、座して待つ。
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