一人ぼっちのお姫様



 美しき晴天の夜空を、2つの光が駆け巡る。追うように、追われるように。

 後方の光。黒き翼の”八咫烏”が手をかざし、無数のビームを放射する。けれども、前を行く機体、ブラックカロンには命中しない。


『綾羽、今回の収穫は?』

 その操縦席の中。操縦者パイロットである綾羽のもとに、セシリアからの通信が届く。

「ほぼ無駄足よ。関係の無い資料ばっか。手つかずの”ラピス”を見つけたから、カロンを呼んだだけ。」


 飛翔するブラックカロンの右手には、光沢を放つ金属の塊のようなものが握られていた。

 それを決して落とさないように、後方からの射撃を完璧にかわし切る。


「そろそろ、格納庫に転移するわ。」

『了解、ご苦労さま。』


 ブースターを全開にして。八咫烏が近接戦闘を仕掛けてくる。

 けれども、そのビームの輝きが放たれる前に、ブラックカロンはテレポートにより転移してしまう。


「クッソ。またかよ。」

 八咫烏の操縦者。エレナは一人、悪態をついた。




『こちらは、一昨日の映像です。カメラからは確認できませんが、G-Forceの発表によると、東邦刑務所の事件と同一の機体であるということです。』

 テレビの画面から、夜空を飛翔する黒いギガントレイスのニュースが流れてくる。

 ごく普通の一般家庭であるその家でも、話の話題は必然とそのニュースのものとなる。

「最近このニュースばっかね。G-Forceも、さっさと倒してくれればいいのに。」

「日本最強のパイロットがいるんだろ? すぐに片付くだろう。」

 父親と母親が、そんなありきたりな感想を口にする。

「霧子、どうしたの? ぼーっとして。」

 そう、声をかけられて。


「え?」

 軽く放心状態であった”狭間霧子”は、少し驚いた顔をする。


「……ううん、何でもない。」

 両親に悟られぬように、霧子は自然な形で微笑む。

 けれども、再びテレビに向けられたその表情は、複雑な感情に満ちていた。





「部活を作るわよ!」

 学校の教室にて。机をバシンと叩きながら、綾羽が宣言する。


「ど、どうしたんですか? 綾羽さん。」

「頭でも打ったの?」

 知沙と霧子が、綾羽の突然の行動に驚く。


 すると、その宣言を聞いていた横嶋海莉が、どこからかひょっこりと現れる。

「おやおや? これはこれは綾羽さん。もしかして、昨日わたしがお勧めしたアニメ、見ましたね?」

 どす黒い海莉の瞳が、綾羽の顔をじっと見つめる。

「確かにあれは傑作でしたが、まさかここまで影響を受けるとは。もしかして綾羽さん、ア――」


 それ以上話すなと言わんばかりに、

 悪魔あやはの右手が、海莉の顔面を掴む。


「口が過ぎるわよ、横嶋海莉。」

 恐ろしい微笑みを浮かべながら、その豪腕を振るい。

「あ〜れ〜」

 横嶋海莉は教室の彼方へと吹き飛ばされた。


「とにかく、わたしは部活が作りたいのよ。既存の部活じゃ、わたしの欲望を満たせないから。」

 何事もなかったかのように、綾羽は先程の話へと戻る。

「いやいや、欲望って。」

「綾羽さん、なんの部活を作るつもりなんですか?」

「何って。」

 二人に質問され、綾羽は悩む。一体何の部活がやりたいのか。

『■■■■部』がやりたいだなんて、口が裂けても言えなかった。

「……何にしようかしら。」

 回答に詰まってしまう。

「アンタたちて、何か得意なこととかあるの? 」

 霧子が問いかける。

「何でしょう。」

「戦闘は得意よ? ギガントレイスの操縦とか。」

 綾羽はすぐに答えた。

「はぁ? ギガントレイス?」

「ゲ、ゲーム、ゲームです。綾羽さんはゲームがお得意なんですよ。」

 知沙が必死にフォローする。

「そうね。まぁ、そこそこだけど。」

 本当は物凄く得意だが、綾羽はそこそこと謙遜する。

「ふぅん。Vコンとか?」

「霧子、貴女Vコン持ってるの?」

 Vコンというワードに、綾羽が食いつく。

「何をやっているの? TTO? ドラスカ?」

「えっと、一応ドラスカとかかな。TTOは、ちょっと趣味じゃなくて。」

「……そう。それは残念ね。」

 TTOは趣味じゃないと言われ、綾羽は若干落ち込んだ。


「ギガントレイスが好きなら、”Gスポーツ部”なんていいんじゃない?」

「Gスポーツ?」

「初耳です。」

 霧子の発したGスポーツという単語。綾羽たちには馴染みのないものだった。

「ギガントレイスを使って行う、一種のスポーツ競技だよ。世界中でプロの大会が開かれてるし、最近じゃ日本でも競技人口が増えてる。」

「ふぅん。面白そうね。」

「でも、ギガントレイスですよね? ど、どうやって練習するんですか? 学校に買ってもらうんですか?」

 知沙の脳裏に、校舎裏に体育座りで鎮座するギガントレイスの姿が思い浮かぶ。

「そんなわけ無いじゃん。ギガントレイスって、一機で何十億もするんだよ?」

 それほど貴重な代物を、学校側が用意できるはずもなかった。

「専用のシミュレーターがあるんだけどさ。結局、それを買おうにも一台300万円くらいするから、普通の学校じゃやれなかったんだけど。ちょっと前に、”Vコン”が発売したじゃん? あれを利用することで、今じゃ手軽にGRの操縦が体験できるようになったわけ。」

「そういえば。公式なんちゃらシミュレーターって、ゲームストアで見たことあるわね。」

「ゲーム部じゃあれだけど。Gスポーツ部なら、学校から許可も下りるんじゃないかな。」

「なるほど。色々と都合がいいわね。」

 綾羽の脳みそは、すでにGスポーツ部設立へとシフトしていた。

「たしかギガントレイスの操縦って、運動ができなくても出来るんですよね。」

「去年の高校日本一は、足が不自由な人がとったらしいよ。」

「引きこもりのニートでも、GRの操縦は可能だから。」

 綾羽は知り合いのゲーム仲間を思い出す。

「部活の申請って、どうすればいいのかしら。」

「生徒会とか、でしょうか。」

「アレにそんな権限ないでしょ。」

「それもそうね。」

 霧子も綾羽も、生徒会への評価は低かった。

「でも確か、部活の申請って5人以上必要とか言ってなかった?」

 その一言に、綾羽の時が止まる。

「霧子。貴女、帰宅部よね。」




 夕暮れ時。学校からの帰り道。

 不機嫌そうな綾羽と、苦笑いの知沙が二人揃って帰路を行く。


「何なのよアイツ。帰宅部なのに。」

「仕方ないですよ。部活は楽しむものなので、強要は流石に。」

「それもそうね。」

 霧子は諦めるしかない、と。綾羽は納得せざるを得ない。

「暁美は生徒会に入ったし。他の帰宅部連中も、そもそも興味がないって。……持ちなさいよ。」

「あと誘ってないのは、休みだった紗那さんだけですね。」

「たとえ彼女が了承したとしても、あと2人。部活の申請には足りないわね。」

 先は長いと。綾羽は溜息をつく。


 ほんの少し、二人の間に沈黙が降り。


「綾羽さん。」

「なに?」

「最近、ギガントレイス絡みのニュースが多いですね。」

「多いわね。」

「今日以降も、また起こりますかね。」

「そうかも、知れないわね。」

 綾羽の言葉には、覇気が感じられなかった。


 二人は同じ道を歩んでいる。けれども、必ずどこかで分かれ道は訪れる。


 犬神知沙は、それでも微笑みを崩さない。

「また今度、ウルスラさんと料理教室をやるので、楽しみにしてください。」

 別れた道の先で、再び交わることを信じているから。





 その日の夜。森の中、唯一整備された一本道を、一台の黒い車が疾走する。車の行く先にある建物はただ一つ。白銀綾羽の住む住宅である。

 車が綾羽の家にたどり着くと。綾羽が玄関先に立っており、その到来を待ちわびていた。

 車へと近づく綾羽。運転席には、頭部に制御装置を付けたメイドロボット、”H2-21”に似た存在が座っていたが。綾羽は気にした素振りをせず、黙って後部座席へと乗り込む。

 綾羽の搭乗を確認すると、車は発進した。



 静かな夜の道を行く、その車内。

「車変えた?」

「はい。今回の対象となる施設は、比較的近い場所にございますので。一応、用心として。」

 何気なくつぶやいた綾羽に、メイドロボットが生真面目に回答する。

「そう。」

 綾羽もそれ以上は会話を広げない。

「そちらの端末に、施設の詳細データが入っているので、ご覧ください。」

「わかったわ。」

 綾羽は隣の座席に置いてあった端末を手に取り。めんどくさそうに中身を吟味する。

「めんどくさいわね。あといくつあるの? ライオネルの”研究施設”は。」

「申し訳ございません、その情報は与えられていません。」

「セシリアも気が利かないわね。」

 溜息をつくと。綾羽は端末を隣に放り投げた。


 窓の外を眺める綾羽と、車を運転するメイドロボット。二人の間に、しばしの沈黙が訪れる。


「貴女、エイチツーとは違うのね。」

 視線を動かさないまま。綾羽がつぶやく。

「エイチツーとは、綾羽様に使えていた同型機、H2-21のことでしょうか?」

 メイドロボットに感情の色はない。

「そうよ。同じクローンとはいえ、やっぱり性格とかに違いが出るのね。」

「お言葉ですが。わたしや他の同型機に、性能や仕様の違いはないはずです。」

 綾羽の言葉を、メイドロボットは否定する。

「もしかして、気づいてないの? エイチツーは、また別格だったけど。貴女たちも個体ごとにかなり変わってるわよ?」

 ドアミラー越しに、綾羽とメイドロボットの視線が交差する。

 真っ直ぐな綾羽の瞳に対し、メイドロボットの瞳は僅かに揺れていた。

「……申し訳ありません。どうやら、わたしには理解できない話のようです。」

「ふふ。そのうち分かるわ。」

 再び、綾羽は視線を外に移す。

 その表情は、こころなしか明るくなっていた。




「ほんとに近いわね。」

 車から降りた綾羽が、率直に感想を口にする。


 二人が行き着いた先は、それほど遠くない市内の住宅地の一角。

 土の中に埋もれていた扉を、メイドロボットが掘り起こしていた。


「地下施設への入り口は、完璧に隠されていました。恐らくは他の施設同様、20年ほど放置されていたと思われます。」

「つまりはホコリまみれってことね。りょーかい。」

 すでに綾羽には、慣れた状況であった。

「じゃあ、何かあったら連絡するわ。」

「無事をお祈りします。」

 メイドロボットは深くお辞儀をし、綾羽を見送った。




 古くてボロボロの階段を、スマホのライトを頼りに下っていく。足を動かすたびに舞うホコリや、風化しきったクモの巣。それら全てが綾羽のストレスを刺激していたが、必死に我慢して突き進む。

 しばらく階段を下っていくと、巨大な鋼鉄の扉の前にたどり着く。

 綾羽はヘッドホンを軽く外すと。鋼鉄の扉を優しくノックし、その耳で音の反響を感じ取る。

(活動音は無し。)

 扉の奥に人が居ないことを確認し。錆びついた鋼鉄の扉を力強くでこじ開けると、中へと入っていった。


 スマホのライトで、周囲を照らしながら。綾羽は施設内を探索する。

(随分と綺麗ね。他よりも整頓されてる。)

 足元は綺麗で、歩いてもホコリが立たない。棚に置かれたファイル類も、全てがちゃんとした場所に収納されていた。

 綾羽は少し不審に思い。机上に置かれた、いつの物かも不明なコンビニおにぎりを手に取る。

「……ホコリが、かぶってない?」

 驚く綾羽は、後ろの成分表へと目を通す。

「賞味期限が明日。」

 机の上に置かれていた、まだ食べられるおにぎり。その事実に、綾羽は危機感を募らせる。

 ヘッドホンの側面に軽く触れる。

「セシリア、聞こえるかしら? 人のいる痕跡がある。」

 これまでにはなかった異常事態に、セシリアへの連絡を行う。


 だが、その直後。

 真っ暗闇だった施設内に、突如明かりが灯される。


 とっさに、振り返る綾羽。

 するとそこには、


「――びっくりした。アンタ、ここで何やってんの?」


 同じく驚いた様子の、狭間霧子が立っていた。





「なるほどねぇ。あのライオネル・ヴァーニーが、ここ使ってたんだ。」


 コンビニおにぎりの封を開けながら。非常にリラックスした様子で、椅子にくつろぐ霧子。

 対する綾羽は、未だに少し警戒した様子で、霧子と対面していた。


「霧子。なら貴女は、どうしてここにいるの?」

 自分がここに来た理由を、適当に説明し。今度は綾羽が、霧子がここに居た理由を問いかける。

「え? いやだって、ここわたしんちの真下だよ?」

 単純明快な理由だった。

「ひいお祖父ちゃんがさ、結構有名な科学者でね。蔵の中とかに、古い機械とかいっぱいあってさ。昔っから、それを弄るのが趣味だったんだよね。」

 おにぎりを口に含みながら説明する。

「それである時、蔵の地下に秘密の部屋があることに気づいてさ。かなり高度なセキュリティだったけど、なんとか入って。……まぁ、そんな感じかな。」

 それが霧子がここにいる経緯だった。

「じゃあ、なに? ここって、ライオネルの研究所じゃないってこと?」

「いや、多分それで合ってると思う。ひいお祖父ちゃんは、50年以上前に亡くなってるから。」

「えっと、それじゃあ。ライオネルは勝手に貴女の家の地下を使ってて。今度は、貴女が勝手にライオネルの研究室を使ってるってこと?」

「多分、そうじゃないかな。うちの家族も、わたし以外ここの存在知らないし。」


 色々と複雑な状況に、綾羽の頭は混乱していた。


「そういえば、ライオネル博士ってレプリカントの生みの親よね? 彼と会ったりって出来るの?」

 霧子が目を輝かせながら尋ねてくる。

「あー、それは難しいわね。ライオネルは塀の中。東邦刑務所の地下深くに収監されてるわ。」

 そんな霧子につられて。綾羽は”軽いノリ”で、ついうっかり口を滑らせてしまう。

「うへぇ。それは確かに、無理な話…………ん?」

 霧子が、その言葉の違和感に気づく。

「東邦刑務所の、地下? 何でアンタ、そんなこと知ってんの?」

 ライオネル・ヴァーニー。その偉大なる科学者の所在について、霧子も調べなかったわけではない。

「えっと、それは。」

 綾羽は唐突な質問に言葉を失う。

「何で、かしらね。」

 冷や汗をかきながら、わざとらしく目をそらす。

 そんな綾羽の様子を見ながら、霧子の脳裏に昼間の記憶がフラッシュバックする。


 ”戦闘は得意よ? ギガントレイスの操縦とか”。

 ”ゲ、ゲーム、ゲームです。綾羽さんはゲームがお得意なんですよ”。


「ねぇ、綾羽。アンタもしかして、最近話題になってる謎のギガントレイスの操縦者、とかじゃないよね?」

 絶対に有り得ない。そんなはずがない。そう思いつつも、霧子は問いかける。

 けれども、そんな期待とは裏腹に。綾羽は何とも言えない表情で、黙り込んでいた。

「……どうして、黙ってるの? もしかして本当に?」

 信じられない。その可能性に、霧子の顔がひきつる。

「そう、ね。急に言われたから。言い訳が、思い浮かばないわね。」

 小さく、消え入りそうな声で、綾羽はつぶやいた。


 その、告白に。霧子の顔が”怒り”に歪む。

「アンタ、自分が何をしてるのか、本当に分かってるの?」

「もちろん、分かってるわ。分かってるから、わたしはブラックカロンに乗った。」

 綾羽も霧子に睨み返す。

「ブラックカロン? それが、あの黒いギガントレイスの名前ってこと?」

 その具体的な内容に、霧子の疑念が確信に変わってしまう。

「目的は何なの? わざわざこんな所まで忍び込んで、あんなふうに刑務所まで襲って。」

「それを、貴女が知る必要はないわ。」

 ”住む世界”が違うと。綾羽は問いを突っぱねる。

 だとしても、そこで食い下がる霧子ではなかった。

「必要はないけど。教えないと、困るのはアンタの方だよ。」


 霧子はそう言うと。スマートフォンを手にとって、綾羽に向けてかざした。

 ”通報する”、という意思表示であろう。


 その、強い意志のこもった瞳に。思わず綾羽は気後れしてしまう。

「……助けたい、子がいるのよ。頭に厄介な傷を負ってて、”電子頭脳”の詳細な資料が必要なの。」

 身の内の感情をさらけ出す

「そんなの、専門家か誰かに頼めば。」

「その専門家が、無理だって判断したのよ。おそらく治せるのは、開発者であるライオネルの知識だけ。」

「だ、だったとしても、他に方法があったんじゃないの? 刑務所を襲撃するなんて、”正気”じゃない。」

 そう、非難する霧子の瞳を見て。

 綾羽の脳裏に過去の記憶が蘇る。


――やめて!

 ”何なんだこいつは!?”


――かわいそうじゃない!

 ”まるで悪魔だ”。


「フフッ。貴女、わたしがまともな人間にでも見えてるの?」

 忘れた過去の存在に、乾いた笑いがこぼれ落ちる。

「いつだってそう。そうよ。わたしは正気じゃない。」

 無理な感情に、声が震える。

「そうやってわたしを”異常者扱い”して、なおかつ社会には配慮しろって!? 冗談じゃない!!」

 感情を爆発させる。

 その息は荒く、途絶え途絶え。


 急に溢れ出た気迫に、霧子は圧倒される。

「……だからといって、人を傷つけて良いわけないじゃん。」

 それでも、譲れないものはあった。

「ニュースでも言ってたよ。あの事件で死人が出なかったのは、単なる”奇跡”だって。セキュリティの早期回復や、ライフルの故障みたいな偶然が重ならなかったら、確実に大勢の人が死んでたって。」

 どんな理由があったとしても。それが許される行為とは思えない。

「……それは。」

 綾羽としても、その事実には思うことがある様子で。

 表情に陰りが見える。


 そんな、譲れない主張が繰り広げられる中。


「――奇跡なんて、ある訳ないじゃない。」


 ”異端なる者”は、突如として現れた。




◆◇




 あの日。東邦刑務所襲撃、及びライオネルの脱獄が企てられた。しかし、その計画の全貌を知っていたのは、司令塔であるセシリアのみ。襲撃に際する”被害予想”を知っていたのも、セシリアただ一人であった。

 綾羽に与えられた情報は、指示を受けたら刑務所に向かい、ライオネルとルイズを回収するという指令のみ。全てのセキュリティを強制解除するどころか、戦闘行為が行われる可能性すら知らされていなかった。

 本来ならば。この計画が成功しようが失敗しようが、多大な犠牲者が出ていたはず。

 今回の事件で被害が最小限に抑えられたのは、”何者かの介入”によって、本来の計画が破綻したからに他ならない。



「始めまして。わたしは”キキ”。由緒正しき魔女の末裔にして、偉大なる大魔女様の教えを受けし者。」


 キキと名乗るその金髪の女は、魔女と言うには無理のある格好をしていた。ピッチピチのライダースーツに身を包み、胸は開けっぴろげ。指にはキラキラと光る指輪がはめられている。

 年齢は綾羽達と同年代であろうか。

 けれども綾羽は、”見た目通りとは限らない”と、警戒心を顕にする。


「刑務所でウルスラ達と戦った、聖女とやらの仲間かしら?」

「その通り、ご明察ね。」

 魔女キキは、不敵に笑う。


「何なのあの子、急に現れて。」

「霧子、アレを見た目で判断しないほうが良いわ。普通の人間とはオーラが違う。」

 そう言いながら。綾羽は立ち位置をズラし、霧子を背に庇う。


「それで? 今回はここになんの用かしら。」

「別に、貴女たちに危害を加えるつもりはないわ。」

 魔女は戦いに来たわけではなく。

「ただまぁ、ライオネルの技術は危険だから、全部燃やさせてもらうだけよ。」

 微笑みを浮かべながら、その指先に”炎”を灯す。


「何あれ、手品?」

 よく分からない現象に、霧子は戸惑う。

「聖女も使ってたっていう、”謎の力”ね。」

「あの人とは”格が違う”んだけど、まぁそんなところね。」

 細かい問答は不要であった。


「じゃあ、手っ取り早く燃やしちゃうから、アンタたちはさっさと逃げなさい。」

「何言ってんのよ、アイツ。」

 突然の展開に、霧子の思考は追いつかない。

 けれども魔女も、わざわざ説明してあげるほど優しくはなかった。

「わたしとしても、アンタたちみたいな小娘を殺したくないし。怪我したくなかったら、さっさと――」


「――やらせるわけないじゃない。」

 綾羽は、考えるよりも遥かに速く。

 その全力の蹴りを、魔女の頭に目掛けて放っていた。


 その蹴りを、もろに頭部に食らい。魔女キキは凄まじい勢いで吹き飛ばされ、壁へと激突する。


「ちょっと綾羽、今のすごい勢いで蹴ってなかった!?」

「そうね。普通の人間なら、頭が潰れてたでしょうね。」

 蹴りの威力に、衝撃を受ける霧子であったが。

 綾羽はその警戒を一切緩めない。


「ッ、痛たたた。なんちゅう威力の蹴りよ。」

 綾羽の読み通り。魔女は再び、自力で立ち上がってきた。

 より一層、綾羽は警戒を強める。


 だが、真に動揺をしていたのは魔女の方であった。

(……普通に意識が飛んでた。)

 クラクラする頭を抑えながら、魔女は綾羽の蹴りの威力に戦慄する。

(他の仲間と違って、普通の人間だって言ってたじゃない!)

 足の震えが止まらない。

(見えなかった。耐えれなかった。)

 恐ろしいほど真っ直ぐな瞳で、こっちを見てくる。


「何なのよこいつッ!」

 恐怖に飲まれまいと。その右手、その指輪に業火を宿し。

 思いっきり振り下ろした。


 それを爆心地とするように。研究所全体へと向かって、炎が駆け巡る。


「ヤバっ」

 迫りくる炎と、背に控える霧子の存在を認識し。

 右腕を振るうと、力任せに炎を掻き斬った。


「流石に炎は消せないわ。逃げるわよ!」

 撤退するしかないと判断し。綾羽は霧子の腕を掴むと、出口へと向かって走り出す。


「手帳、ひいお祖父ちゃんの手帳が!」

 綾羽に引っ張られながらも、霧子が振り向き叫ぶ。

「そんなのッ」

 ”放っておけばいい”。そう思ってしまう綾羽であったが。

 前回の刑務所と、今回の研究所。明らかに”洩れて”いる。その思考が脳裏によぎり。

(わたしのせいじゃないッ)

 綾羽の足は止まる。


「手帳、どこに置いてあるの?」

「右の方の、小さな部屋。仮眠用ベッドの上に。」

 綾羽に問われ、霧子はとっさに答える。


 その真意を問う前に。

 綾羽は、駆けていた。


「ちょっ、アンタ。」

 手をのばすも、それは何もつかめず。

「死んじゃうって!」

 炎へと飛び込んでいく少女の背中を、眺めることしかできなかった。




 熱く、強く。燃え盛る研究室。綺麗に整頓されていた書類や電子機器は焦げ上がり、高熱により何かが溶け落ちる。

 そんな惨状のさなか。ライダースーツの魔女、キキは自ら産み出した地獄に佇んでいた。


「暑い。流石に、火力が高すぎたわね。」

 右手の指輪に光を灯し。その加護によって守られてはいるものの、やはり暑いものは暑かった。

「まぁ、これで仕事は完了、……って!?」

 そろそろ帰還しようか。そう考えていたキキであったが。


 目の前を颯爽と駆け抜けた綾羽の姿に、思わず目を奪われる。

 綾羽は惨状の元凶であるキキには目もくれず。特に火の勢いが強い、隅の一室へと入っていく。

 唖然とするキキであったが。


『――それと、少女だけは絶対に殺すなよ。』

 自分に下された指令の”最重要事項”を思い出し、顔面蒼白になる。


「何やってるのよ!? あの子ッ」

 助けようと、部屋へと駆ける。

 だが、とても生身で入っていけるような火の勢いではなく、キキの足は止まる。

「勢いが強すぎる。」

 右手の指輪を用い、魔法を使おうと考えるも。並大抵の力では焼け石に水と、その発動を躊躇した。


「……背に腹は代えられない、か。」

 目の前の業火を見つめながら。キキは右手ではなく、”左手”の指輪に光を灯す。

 光る指輪、左手を顔の前にかざし。


「我が魔力の結晶よ。”希望”を。」


 そう、唱えた瞬間。

 キキの中心として、強烈な衝撃波のようなものが発生し。

 研究所内の、全ての炎を掻き消した。


 恐る恐る、綾羽の入っていった一室へと、キキが足を運ぶ。

「い、生きてるわよね。」

 その、願いの通り。


 部屋の中心部に、綾羽は居た。何かを大事そうに抱えたまま。

 綾羽はゆっくりと顔を上げると。その強く鋭い視線で、キキを睨みつけた。


「……無傷?」

 キキは驚いた。なぜなら綾羽の姿は先ほどと何ら変わらぬほどに綺麗で、服の一片すら燃えていなかったから。

「一体、何なのよ。この子。」

 左手の指輪の魔力を開放し、強大な力をその身に宿してなお。キキの体の震えは収まるどころか、より一層強まっていた。


 これ以上、対峙するのはマズい。そう判断し。

 懐から御札を取り出すと、それに輝きを宿らせ。

 強烈な光と共に、キキはその場より姿を消した。


 目の前の敵が消え。綾羽は警戒を緩めると、疲れた様子で溜息をつく。

 その手に抱えられた真っ赤な手帳は、一片とも欠けていなかった。





 バシーンッ、と。きれいな音が鳴り響く。

 頭を叩かれた綾羽は、苦悶の表情で頭を抱えている。

「馬鹿なの? 死にたいの?」

 叩いて痛めた右手を抑えながら。霧子が涙混じりに怒鳴りつける。

 魔女が去り。炎も消え。二人は再び、言い争いへと舞い戻っていた。

「フフッ。」

 叩かれた頭を抑えながら。何がおかしいのか、綾羽が笑う。

 その様子に、霧子は呆れていた。

「アンタ、やっぱりイかれてる。」

 色々な面を見て。結局それが、霧子の抱いた感想だった。

 そんな言葉を突きつけられても、綾羽の表情は変わらない。


「……知ってるわ、そんなこと。ずっと前から。」


 ”貴女は普通の女の子よ”。そんな嘘が、聞きたかったわけじゃない。

 わたしは普通の人間とは違う。見えている世界も、聞こえている声すらも違う。

 限界だった。耐えられなかった。だからわたしは人間社会を忌諱して、自然に囲まれた家でひとり暮らし始めた。人間とは違い、嘘なんて付かないから。だから、”あの子”も側に置いていた。

 でも、機械仕掛けのあの子は、


――エイチツー。先に家に帰って、夕飯の支度をしてなさい。

――了解しました。


 わたしにとって、最も残酷な嘘を付いた。



「はい。これ。」

 綾羽は真っ赤な手帳を霧子に手渡した。

「大事なものを失うのは悲しいって。わたしも、最近知ったから。」

 綾羽は笑っていた。

 しかし霧子は、その上っ面の表情なんかは読み取らない。

(……あぁ。この子、なんにも知らないんだ。)

 ヘッドホンを付けた、ミステリアスな少女。最初はそう思った。

(力や感情、その加減も。人との距離感も。)

 少し頭のおかしな、傲慢お嬢様。さっきまでそう思ってた。

(今まで全部、避けてきてたんだ。)

 でも今は、ぜんぜん違う。


「アンタ、友達少ないでしょ。」

「は、はぁ?」

 突然のブッコミに、綾羽は顔を真っ赤にする。

「わたしもさ、昔っから人付き合いとか苦手でね。この手帳を眺めながら、ひいお祖父ちゃんの”思想”に没頭してた。」

 赤い手帳を開く。

「思想?」

「ひいお祖父ちゃんはね、太平洋戦争中にギガントレイスの開発を行っていた、科学者の一人だったんだ。でも、ひいお祖父ちゃんは兵器を作りたかったんじゃない。人のように動き、人のように考え。そして、人に”寄り添う”。そんな存在を、作りたかったんだと思う。」

 そしてそれは、今となっては霧子の思想でもあった。

「綾羽。アンタの助けたい子って、レプリカントなの?」

「……正確には、そのクローンかしら。」

「なにそれ。めちゃくちゃじゃん。」

 予想以上に込み入った状況に、思わず笑ってしまう。

「資料は、全部燃えちゃったけどさ。それでも、ここで研究されていた内容は、全てわたしの知識として残ってる。」

 霧子は意を決した様子で、深く溜息をつく。


「だから、さ。レプリカントの電子頭脳なら、わたしも手を貸せるかもしれない。」

 霧子は真っ直ぐな瞳で綾羽を見つめる。

「それって。」

「――あぁもう、アンタの仲間になってあげるってこと。」

 顔を赤くしながら、改めて説明する。

「ギガントレイスを兵器として使うのは反対だし、犯罪なんてもってのほか。」

 霧子の思想は変わらない。

「それでもわたしは、”友達”としてアンタを信じてみたい。」


 心が訴えている。

 この子を、放っておけないって。


「あとついでに、部活にも入ったげる。Gスポーツ部、部員募集中でしょ?」





 それは、いつだったか。誰の記憶であったか。


 ”わたしは悪魔を産み出してしまった。”

 それが、赤い手帳に書かれた最後の言葉。


 手帳の側には、息絶えた壮年の科学者。


 そして、それを見つめる異形の機械人形。


「どうして、こんなことをしたんだ!」

 少年が叫んだ。巨人を連れた、正義の味方が。


 対する異形の機械人形は、笑っていた。

 まるで、悪魔のように。


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