H2-21奪還作戦
戦いから、一夜明けて。
天ノ梅の街並みにも、いつもと変わらない朝が来た。所々、巨大な足跡が道路に残され。とある公園にいたっては、見るも無惨に破壊されている。それでも、人々は多少の物珍しさに目を光らせて、野次馬となる程度。
平和な街並みは、今日も変わらずに続いていた。
G-Force天ノ梅本部。司令所にて。
一人の若い女性職員が、司令所内にやって来る。派手な金髪に、きらびやかなアクセサリー。着ている服は他の職員と同じデザインだが。所々、露出多めに改造されていた。
「おはよーです。」
少々、気の抜けた挨拶をしながら。彼女は自分の持ち場へと足を運んだ。
するとそこへ、同僚である光葉が飲み物片手にやって来る。
「おはよう、
「光葉さん。今日は珍しく早いですね。」
デスク周りを片付けながら、可蓮は返事をした。
「あ、そうだ。外見ました? あそこの公園、完全にぶっ壊れてたじゃないですか。」
可蓮は、今朝の通勤時に見た風景を光葉に尋ねる。
「いいや。見てはいないけど、公園が壊れてるのは知ってるよ。」
光葉は飲み物を口にする。
「あとそれからね。僕は出勤が早いんじゃなくて、単純に昨日から帰ってないだけだよ。」
「えっ、なにそれ激ヤバ。」
可蓮は、光葉の就労状況にドン引きした。
「昨日。わたしが帰った後、何かあったんですか?」
「……まぁ、色々とね。メインシステムの修理が深夜に終わり。ようやく帰れるって所で、正体不明のMR信号が検出された。」
光葉は、昨晩の出来事を振り返る。
「そこで、エレナちゃんが出撃したのはいいものの。まさかまさかの、”撃墜”という結果に終わった。」
「……え?」
エレナの撃墜。その言葉に、可蓮は言葉を失う。
「それで、怒り狂った身依子ちゃんが、御神楽で無断発進してね。あろうことか、街中でレールガンをぶっ放した。あそこの記念公園が吹き飛んだのも、それが原因だよ。」
光葉は、事の顛末を話した。
けれども、可蓮にとってはそれどころではなかった。
「……エレナが撃たれたって。そんなの、嘘でしょ。」
うつむき、肩を震わせて。可蓮は現実の無情さを嘆いた。
「いやいや、エレナちゃん普通に元気だよ?」
光葉は、半笑いで真実を告げた。
顔を上げる可蓮。
「確かに、エレナちゃんの八咫烏は敵に撃墜された。けれども奇跡的に、操縦席は無傷でね。ちゃんと救助されたよ。」
「よ、良かったぁ。」
エレナが生きている。その事実に、可蓮は喜びをあらわにした。
「あ、そうだ。さっき、ラボに運ばれた機体を見に行ったんだけど、なかなか凄かったよ。」
光葉は愉快そうに話を切り換える。
「あの八咫烏が、綺麗に真っ二つ。おまけに顔も吹っ飛んでた。一体どんな攻撃を受ければ、あんな無様な姿になるのか。」
若干、小馬鹿にしたような様子の光葉。
「ビームソードだよ。ビームソード。」
その、声が聞こえて。反射的に振り返る光葉。
そんな彼の顔面に向けて、空のペットボトルが投げつけられる。
しかし、それは見当違いな軌道を描き。ただ地面に落下した。
「ちっ。」
舌打ちしながら近づいてくる、オレンジ髪の女性。
話題の人物、般若エレナであった。
「あ、ホントに生きてた。」
「生きてるよ。気分は最悪だけどな。」
そう言いながら、エレナは自分の投げたペットボトルを回収する。
「なぁ、ユリアさん見なかったか? 帰る前に話があったんだが。」
「いいや、しばらく戻ってきてないね。」
何も気にした様子のない光葉。
「わたしが伝えとこっか?」
「いや、んな大した用事じゃねぇから、いいよ。」
可蓮の提案を断るエレナ。
「しっかし、疲れたぜ。」
そう言いながら、エレナはデスクにもたれ掛かる。
「あのクソ女め。どうやって機体が壊されたのか、詳しく教えなさいって。さっきまでずっと質問攻めだよ。」
「仕方がない。
星梨という女性を批判するエレナに、それをなだめる光葉。
「しかし、ビームソードとは。……確かなのかい?」
「ああ、間違いねぇ。この目で見た。」
エレナが思い返すのは、自らが戦った黒いギガントレイスの姿。
「あの機体、最初はヒートレイなんて撃ってくるもんだから、時代遅れのポンコツかと思ったんだよ。んでもって、なるべく壊さねぇように止めてやるか、ってなって。」
思い返される、昨夜の死闘。
「音速状態で蹴りを入れて、その衝撃で無力化しようと思ったんだよ。そうしたらかわされて、気づいたら真っ二つにされてた。」
「……ビームソード。未だ、”実現不可能”とされている、あの技術をね。」
「ホントなんだって。でなきゃ、あの綺麗な切断面にも説明付かねぇだろ? って、クソ女にも言ってやったよ。」
「ハハッ、それもそうだね。」
納得した様子の光葉。
「……エレナ、もう帰るの?」
「ああ。流石に疲れたしな。」
可蓮の質問に、そう答えるエレナ。
「しばらくは、自宅でゆっくり。というより、身依子とダラダラ過ごすよ。」
「身依子ちゃんも、謹慎程度で済んで良かったね。」
「ああ、まったくだ。」
「身依子、謹慎なの?」
「そりゃあね。無断発進に加え、市街地でのレールガン使用ときた。いくら人的被害が無かったとはいえ、下手しらG-Force自体の信用に関わる問題だ。」
光葉は冷静に、昨夜の結論を口にする。
「むしろ、司令もユリアさんも、判断が甘すぎるくらいだよ。」
「……まっ、結局誰も死なずに、被害も無かったんだ。なら、それでいいだろ?」
そう、エレナは結論付ける。
「まぁ、確かにね。」
光葉にとっても、それは同感だった。
「明確に壊れたのは公園だけで、それ以外には一切被害は無し。」
そして、何よりも重要な”事実”を口にする。
「なにせ、敵の破片一つ、見つかってないんだからね。」
◆
時は少し、遡り。天ノ梅市、地下研究所。
無惨にも崩れ去った、瓦礫の山。ついに、居住地として致命的なダメージを受けてしまったその場所に、彼女達はいた。
瓦礫の山に、仰向けで倒れているブラックカロン。
その頭部にて。修復作業に取り組むウルスラと、隣で見守る綾羽。
「どう? 直りそうなの?」
「そうですね。頭部アンテナ、空間センサーだけなら、あと少しで完了します。」
「そう。なら、ひとまずは安心ね。」
表情の和らぐ綾羽。
「そう、なんですけど。」
ウルスラには、他にも心配なことがあった。
「よく調べてみないと、何とも言えませんが。この機体の見えない部分、表面ではなく内部のほうが、より深刻な状態かもしれません。」
「まぁ、やっぱり、と言った所ね。」
綾羽も、ウルスラの考えには同意見だった。
「チラッと見た程度ですが、リアクターの数値も異常です。よく止まらず、ここまでこれたと感心しています。」
「多分、SNT回路もズタズタよね。動かしてて、レスポンスが悪いなんてレベルじゃなかったわ。」
操縦した際に、綾羽も機体の挙動に違和感を覚えていた。
「16年近くも放置されたら、こうも駄目になるものなの?」
「いいえ、流石にそれは。」
時間が原因だとは、ウルスラは考えていなかった。
「どちらかと言うとこの機体。まるで”内側”から強い衝撃を受けたような、そんな不思議な壊れ方をしています。」
ウルスラから見ても、その損傷の仕方は異常だった。
「制御用AI。いえ、ピノさんでしたか。彼女の言う通り、メモリーに異常が生じたのも、それが原因でしょう。」
「……そういうものかしら。」
どこか、腑に落ちない様子の綾羽であった。
「それにしても、なかなか詳しいですね、綾羽さん。」
「そう? これくらい常識じゃない?」
「いえ、おそらく普通の若い女性は、SNT回路なんていう単語、知らないと思います。」
「まぁ、ゲームとかで結構、動かしたりしてるから。」
綾羽のギガントレイスに対する知識は、主にゲームから来ていた。
「今のゲームって、そんなにリアルなんですか?」
「ふふっ、最近のゲームって、結構すごいのよ。」
ゲームの話題となり、綾羽の気分が良くなる。
「流石に、揺れとかは再現できないけど。ギガントレイスを操縦する感覚なんて、現実と大差ないわよ。」
「それは凄いです。」
ウルスラからしてみても、衝撃的な進歩であった。
「16年も経ったら、すっかり浦島さんですね。」
「……そうね。」
16年。その数字の重さは、ほぼ同い年とも言える綾羽には、到底分かりようもない感覚であった。
地下研究所は、終わりを迎えようとしていた。とっさの判断とはいえ、不完全な形で転移してきたブラックカロン。その際に生じた衝撃は、あまりにも大きく。施設内のいたる所に、亀裂や綻びを生み、今なお広がり続けていた。
そうして、また一箇所。とある区画の天井が限界を迎え。激しい音と衝撃と共に、崩落した。
「また少し、崩れたわね。」
綾羽達のもとにも、その揺れは伝わっていた。
「向こうの方の一角が、完全に潰れたような気がするわ。」
綾羽の耳は、とても正確に音を判断する。
「……あっちは食料保管庫なので、問題はないです。」
ウルスラにとって、食料保管庫はすでに過去の存在だった。
「流石にもう、ここも限界でしょうか。」
周囲を眺めるウルスラ。この場所はブラックカロンが転移してきた場所のため、他よりも崩壊の具合が酷かった。ただ他の場所も、それほど無事とも考えられない。
「まぁ、しばらくの間は、わたしの家で過ごせばいいわ。」
綾羽も、ここはもう、人の住める環境ではないという考えだった。
「わたし以外に誰も居ないし。部屋も空いてるわ。」
「すみません、綾羽さん。何から何まで。」
ウルスラにとっても、綾羽の提案はありがたかった。
「いいのよ、気にしないで頂戴。」
もはや綾羽にとって、ウルスラは”内側”に入れても良い存在だった。
「この機体も、家の近くの森に上手く隠せれば。」
「だったら、博士の作った光学迷彩シートを使えば、十分カモフラージュ可能だと思います。確か、この近くに埋まっているはずです。」
「色々と便利ね。」
感心する綾羽。
ウルスラは、付近にシートが埋まっているはずだと考え。超能力を駆使して、周囲の瓦礫をどかし始める。
「その超能力も、だけど。」
物を自在に動かすことのできるウルスラの超能力は、綾羽にとっても魅力的だった。
「……そんなに、良いものではありませんよ。」
ウルスラは、その力をあまり自慢には思っていない様子。
「わたしの場合、この力は改造手術によって手に入れたものですから。」
「改造手術、ですって?」
その単語は、綾羽にとっても予想外だった。
「ええ。”ビースト27号”、なんて言ったりして。」
ウルスラにとってその記憶は、もう遠い過去の話。
「手術の影響で歳を取らなくなり、16の時から見た目も変わってないんです。」
「……なるほどね。」
なぜ、16年もの間、地下に閉じ込められていたはずのウルスラが、自身と同い年くらいの見た目をしているのか。綾羽は、ようやく腑に落ちた。
「それにしても、改造手術とはね。ライオネル博士って、やっぱりマジもんのヤバい奴じゃない。」
綾羽の中で、ライオネル博士の人物像が固まりつつあった。
「確かに、この技術を生み出したのは、ライオネル博士ですけど。」
誤解が、一つ。
「わたしに手術を施したのは、他ならぬ、わたし自身なんです。」
それこそ、ウルスラが自分の力を誇れない理由の一つ。
「昔、とある事件が起きたんです。歴史の闇に葬られた大事件が。」
ウルスラにとって、決して忘れることのできない思い出。
「わたしは少しでも役に立ちたい、戦える存在になりたいと考え、手術を無断で行いました。」
当時のことを思い出し、震える腕を押さえつける。
「まぁ結局、わたし一人の力なんて微々たるものでして。」
渇いた笑いが溢れる。
「最悪の結果こそ防げましたが。その代わりに、わたしは大切な友人たちを失ってしまいました。」
それはもはや、遠い昔の思い出。どうしようもならない、後悔と叫びの記憶だった。
「……かつて、この基地にはわたしを含めて、3人の人間が暮らしていました。」
それはもう一つの、決して忘れられない思い出たち。
「わたしと博士と、そしてもう一人。とても大切な、かけがえのない家族が居ました。」
全てはもう、瓦礫に埋もれた思い出たち。
「もう二度と、わたしは大切な人を失いたくありません。だからエイチツーさんを、絶対に救い出しましょう。」
ウルスラはもう、決して諦めないと誓っていた。
「そんな、大切な人って。」
綾羽はそんな言葉を、容易く口には出来なかった。
「所詮は、単なる召使いロボットよ。」
「フフッ、またまたそんなこと言って。」
ウルスラには、綾羽の考えがお見通しだった。
「そうでもなければ、こんな所まで来たり出来ませんよ。」
見通すような視線で、綾羽を見つめるウルスラ。
綾羽はそれに、少しムカついて。
「うるさいわね。この”おばさん”。」
その単語を、口にした。
「あっ、綾羽さん。確かにそれは、事実なんですが。」
「”ロリ超能力おばさん”。」
さらなる追い打ちをかけた。
「なっ、それは酷すぎます。訂正してください。」
「え? 事実なんだから、仕方ないんじゃない?」
「意地悪過ぎます! 綾羽さん。」
「わたしは元々こういう性格よ。」
そうして、くだらない口論をはさみつつ。
二人の夜は明けていった。
◆
燦々と降り注ぐ陽の光に、溢れるような自然の匂い。人の計算の立ち入らない真の
そんな、広大な森の中に建つ、一軒の小さな家。たった一人の少女のために建てられた、その住宅の前に。
訪問者が居た。
「き、昨日はありがとうございました。お、お礼に、」
ひどく緊張したような声。
「お、お礼に。……じゃなくて。」
悩みに悩むも、まとまらず。
「……これじゃあ、固すぎるかなぁ。」
犬神知沙は、白銀綾羽の家の前で試行錯誤を続けていた。
本日は学校が休みなため、服装は私服。少し暑くなりそうということで、上下ともに涼し気な格好をしている。
「けど、あんまりフランク過ぎるのもあれだし。」
知沙は、若干気難しい性格の少女を思い出し、どう挨拶するものかと考える。
今日この家に来たのは、昨日のお礼をするため。大切な愛犬を救って貰ったことに対する、感謝を伝えるためだった。
けれども知沙は、未だに呼び鈴すら鳴らせず、家の目の前で踏みとどまっている。迷惑ではないか、嫌な顔をされるかもしれない、わたしなんかが来ても、と。不安症の知沙は、一度立ち止まるとなかなか踏み出せない性分だった。
そんな知沙の耳に、チリンと、鈴の音が聞こえる。
反射的に振り返る知沙。
その衝撃に、目を見開いた。
可愛らしい猫耳に、ゆらゆらと揺れる長い尻尾。猫っ”ぽい”瞳に、スレンダーなボディライン。所々にほつれは見られるものの、素敵なデザインの洋服に身を包んでいる。
猫のコスプレをした見知らぬ少女が、そこに立っていた。
そのあまりの衝撃に、ただ立ち尽くすことしか出来ない知沙。
目の前のコスプレ少女も、知沙が居ることは予想外だったのか、その動きを止めている。
沈黙を破ったのは、コスプレ少女の方だった。
「な、何者だニャン。この変質者め!」
警戒心をあらわに、知沙を威嚇する。
けれども知沙は、冷静に状況を俯瞰していた。
「……いえ。どう考えても、それは貴女の方では?」
その手には、挨拶のための菓子折りが抱えられ。
前途多難な知沙であった。
「お、お邪魔しまーす。」
小さな声で挨拶しながら、知沙はその家の中へ足を踏み入れた。
緊張しつつも、チラリと家の様子を目に収める。第一印象は、落ち着き。足を踏み入れた瞬間から、まるで空間そのものから守られているような、不思議な空気を感じる。見たところ、家の清掃は行き届いており。僅かながら接した、あのメイドロボットの性能を実感した。
そんな知沙の前を行くのは、先程出会った、猫のコスプレをした少女。本物の猫を思わせる軽い足取りで、家の中へと入ってく。
「綾羽の友達なら、もっと早く行って欲しいニャン。」
先程のファーストコンタクトを思い出し、そう呟く少女。
「いいえ、すみません。わたしの方こそ。」
すでに気軽な感じで接してくる少女に、知沙は未だに少し緊張した様子。
「まさか、綾羽さんの”ペット”をしている方とは知らず。」
自分でも何を言っているのか。知沙には分からなかった。
「まぁ、ほとんど野良猫だけどニャ。」
猫耳少女的には、何も問題ない事柄だった。
(……果たして、正確には猫ですらないような。)
冷静に、知沙はそう思う。
「綾羽は多分、自分の部屋に居るニャン。」
猫耳少女は、慣れた足取りで進んでいく。
「わたしにお任せニャン。」
少々動揺しつつ、少々不安を感じつつ。
それでも知沙は、これから訪れる綾羽との再開を楽しみにしていた。
その部屋では、熱い議論が交わされていた。
「そうだわ! いっそのこと、付近で”カロン”を自動運転で暴れさせて、避難を余儀なくさせれば。」
「いえ、それは流石に。無茶が過ぎるような。」
綾羽の提案を、ウルスラは冷静に却下する。
「それから、下手したら綾羽さんの関与が疑われかねないので、カロンの使用は控えるべきかと。」
「そういうものかしら。」
大きく紙に描かれた、”H2-21奪還作戦”の文字。それだけでなく、どこかの建造物の正確な地図や、様々な詳細データなど。議論の中心となる資料が、壁一面に貼られていた。
ふわふわと、一枚の紙が宙を舞い。そのまま壁にピッタリと張り付いた。その紙には、手書きで書かれた”ブラックカロンは禁止”という文字が。壁に貼り付けられた無数の紙は、全てウルスラの超能力によるものだった。
なかなかに良い案が浮かばず、実りのない議論を続ける綾羽とウルスラ。
そんな中、突然派手な音を立て、部屋のドアが開かれる。
反射的に振り返る綾羽とウルスラ。
そこには二人と同様に、びっくりした表情の知沙が立っていた。
沈黙と。視線が交差する、3人の少女たち。
ひらひらと宙を舞う、無数の紙。
デカデカと貼り付けられた”H2-21奪還作戦”という文字が、知沙の目に止まる。
「……フリージア社?」
壁に貼り付けられた文字を、口にする知沙。
その声が、綾羽たちを現実に戻した。
「――確保ッ!」
綾羽が指示を出すと。
大量の白紙の紙が宙に浮かび、知沙めがけて襲いかかった。
そうして、為す術なく捕まってしまった知沙と、それを見つめる二人の犯罪計画者。
ヘッドホンを装着し、ラフな格好をした綾羽に。綾羽に服を借りたのか、綺麗な身なりになったウルスラ。
彼女たち二人は、目の前の目撃者をどう処分するべきか考える。
「……悪く思わないで頂戴。呼び鈴も鳴らさず、ここまで入ってくる貴女がイケないのよ。」
まるで、悪の女幹部のような口調で話す綾羽。
「現実とは、時に残酷なものですから。」
綾羽に合わせ、ウルスラも声色を変える。
「ん”〜」
紙で口をふさがれ、何とも反応できない知沙。
そんな彼女らのもとに、もう一人の訪問者が現れる。
「にゃはは、楽しそうだニャン。」
猫耳コスプレ少女が、部屋に襲来する。
その襲来に、各々言葉を失くす少女たち。
「……”ヨハネ”。貴女、どうして人前に。」
綾羽は、普段人前に姿を見せないはずの”猫”が現れたことに、動揺を隠せない。
しかしそれ以上に、驚きをあらわにする人物が一人。
「……よ、ヨハネさん!?」
ウルスラは、ひどく驚いた様子でその名前を口にした。
「にゃーはっは! 久しぶりだニャン、ウルスラ。」
まるで旧知の仲のように。ヨハネも、ウルスラの名を口にする。
その遭遇、その再開は、彼女たち全員にとって、”予想外”の結果をもたらし。
不思議な運命の始まりを、予感せずにはいられなかった。
◆
その部屋は、あまり少女らしい部屋ではなかった。
目を引くのは、大きなパソコンとディスプレイが置かれた机。その目の前には、綾羽が愛用しているゲーミングチェアがあり、上にはVRヘッドセット”ヴァーチャルコンソール”が置かれていた。
他には、本棚が一つ。すべて、綾羽の好きな漫画で埋め尽くされていた。
以上が、綾羽の部屋にある物の”全て”である。他には、睡眠のためのベッドが置かれているだけ。現在、部屋には無数の犯罪計画書が貼られているものの、部屋そのものの印象はどこか淋しげであった。
「エクリプスの一件以来、本当に落ち込んでたんですよ?」
「いやぁ、申し訳ないニャン。」
綾羽のベッド。そのすぐ隣に腰掛けながら、ウルスラとヨハネは”昔話”に花を咲かせていた。
「無事なら、連絡の一つくらいしてください。」
「にゃにゃ、こっちも色々大変だったんだニャン。」
ヨハネはこれまでにあった出来事を思い出す。
「よく分からん変な奴らに捕まって、空飛ぶ要塞に閉じ込められたりもしたニャン。」
想像し難い、不思議な出来事。
「そこで出会った仲間と、命からがら逃げ出したは良いものの。方向性の違いから喧嘩になり、わたしは野生に還ったニャン。」
「還る野生なんて、あったんですね。」
旧友たるウルスラからしても、ヨハネの話は少しよく分からなかった。
「……わたしはてっきり、大気圏で燃え尽き、亡くなったものと思っていました。」
当時の記憶は、今でもウルスラの脳裏に鮮明に焼き付いていた。
「どうやって、脱出したんですか?」
「……それは、」
ヨハネは当時の記憶、”約束”を思い出す。
「――――に、助けられたんだニャン。」
ヨハネの口から出た、その”名前”に。
ウルスラは言葉を失う。
「……そう、ですか。あの人が。」
昔を懐かしむよう、慈しむように。ウルスラは過去を咀嚼した。
「なにはともあれ、また会えて嬉しいです。」
ウルスラの胸は、温かい気持ちでいっぱいだった。
「でもヨハネさん、昔はそんな喋り方じゃなかったですよね?」
「ニャン?」
猫耳コスプレ少女ヨハネは、よく分からないといった様子。
「猫みたいな耳に、尻尾まで。どうしてそんな格好をしてるんですか?」
「あー」
ヨハネは、とても懐かしい、彼女との出会いの記憶を思い出す。
「キャラが弱いって。”綾羽”にそう言われて、渡されたんだニャン。」
「……そう、でしたか。」
ウルスラは、それ以上聞くのを止めた。
昔話で盛り上がる、ウルスラとヨハネ。
少し離れたところで、綾羽は一人黙々と(若干不機嫌そうに)、H2-21奪還作戦を煮詰めていた。
そのすぐ近くには、未だ縛られた状態の知沙が居り。もがいたりと抵抗を続けていた。
ウルスラの力が弱まったのか。知沙の口を塞いでいた紙が剥がれる。
ようやく、言葉を発せられる知沙。
少し考えて。でも決心したように、綾羽に話しかける。
「あ、綾羽さん。もしかして、あのメイドさんに何かあったんですか?」
質問する知沙。けれども綾羽は、ヘッドホンに心を閉ざしたまま、黙々と作業に打ち込む。
「もしかして、わたしのせいですか?」
その言葉に、流石の綾羽も反応する。
「……いいえ、気にしないで。貴女には関係のない事よ。」
距離を突き放す綾羽。
けれども知沙は、言葉を諦めない。
「わたしに出来る事とか、何か無いですか?」
「無いわ。強いて言うなら、黙ってそのまま捕まっていて。」
「……わたし、綾羽さんに恩返しがしたいんです。」
その意志は、とても固く。
「綾羽さんのおかげで、わたしは大切な家族を救うことが出来ました。」
「……そんな、大層なことはしてないわ。」
なおも拒絶する綾羽。
けれども知沙も、引くつもりはなかった。
「け、決して口外とかはしません! 文句も、何も言いません。だ、駄目な事だって頑張ります。」
強い想いと視線が、綾羽にぶつけられる。
「だからわたしを、仲間に加えてください!」
大きく、そう叫んだ。
不思議そうな顔をして、ウルスラたちもこちらの様子を見守っている。
そんな空気に、思わず目をそらす綾羽。
すると地面に置かれていた、一つの物体に目が止まる。
それを、手に取る綾羽。
「……このチョコレート、どうして?」
それは、知沙の持ってきた菓子折りだった。
「わたしの好きなお菓子なんですけど。綾羽さんも、こういうの好きかなって。」
思わぬ”偶然”と、フラッシュバックする”過去”に、綾羽は言葉を失う。
『はい、これ。』
『わたしに、ですか?』
――それは、遠い日の思い出。
『わたしに食事は不要です。』
『でも、味はわかるんでしょう?」
『はい、そうですが。』
『なら食べなさい。』
――わたしと趣味が合うのか、ただ知りたくて。
『どうかしら、感想は?』
『そう、ですね――』
――思えば、わたしは。彼女を単なるメイドロボットとは、初めから考えていなかったのかもしれない。
「……此処から先は、修羅の道よ。」
目の前の小さな少女が、嘘をつかない人物であると。綾羽は最初から分かっていた。
「貴女、その覚悟はある?」
それ故に、問いかける。
◆◇
走行メーターが、ようやく100kmを越えた。
車好きの祖父に触発され、購入した初めての愛車。黒のカラーに、スタイリッシュなボディデザイン。買うときは興味津々だった。けれどいざ運転してみると、自分に行き先なんて無いのだと知り。次第に興味を失い、乗らなくなった。
夜の道を走る、一台の黒い車。運転手はわずか15歳の少女である、白銀綾羽。助手席には犬神知沙が座り、後部座席にはウルスラとヨハネの姿があった。
「こんな高級車に乗るのは初めてなので、ちょっと緊張しちゃいますね。」
シートの座り心地から始まり。インテリアもエクステリアも、知沙にとっては全てが新鮮で、刺激的だった。
「貴女ねぇ。そんなくだらない事よりも、これからの事に緊張しなさいよ。」
そう言いつつ、車を運転する綾羽の表情は、緊張を微塵も感じさせなかった。
「も、もちろんそっちも気にしてます。ただ未だに、現実味がわかなくて。」
大きすぎる不安は、平凡な女子高生とは無縁のものであり。ただ漠然とした感覚と、違和感に溺れそうになってしまう。
「心配する必要はないニャン。」
のんきにマイペースを貫くウルスラ。
「ええ、その通りです。わたし達が任務を完璧に遂行するので。」
ウルスラも、落ち着いた様子で車に揺られている。
「ですので知沙さんは、大船に乗ったつもりで安心してください!」
体を乗り出して。猛烈なやる気と共に、ウルスラは知沙を励ました。
その様子に、運転手の綾羽は呆れ顔をする。
「貴女たち、完全に餌付けされてるわね。」
そう言いながら綾羽は、昼間のことを思い出す。
白銀家、ダイニングにて。
綾羽、ウルスラ、ヨハネの三人は、目の前の光景に目を光らせていた。
「おおー!」
テーブルの上に並べられているのは、食欲をそそる豪華な料理の数々。素人目から見れば、どれも完璧であり。レストランの料理をそのまま持ってきたと言われても、信じられるほどの出来前であった。
「これ、全部、食べていいのかニャン?」
「ええ、もちろんです。お腹いっぱい食べてください。」
自信満々な表情で、知沙は料理を振る舞った。
「いただくニャーン!」
料理に飛びつくヨハネ。
「ちょっと貴女、テーブルの上では食器を使いなさい。」
野生が染み付いた飼い猫に、綾羽が注意する。
「あはは。」
その様子に、知沙も笑みをこぼす。
そんな、楽しい雰囲気の中。
唯一ウルスラだけが、料理の前でただ呆然と立ち尽くしていた。
それに気づく知沙。
「えーっと、ウルスラさん? どうかしましたか?」
そう声をかけられ、ようやくウルスラは我に返る。
「あっ、すみません。ちょっとぼーっとしちゃって。」
そう言いながら、ウルスラはテーブルに付く。
「い、いただきます。」
緊張した様子で、食事を口に運ぶウルスラ。
それを食した瞬間。思わず、手が止まってしまう。
「あれ? 美味しくなかったですか? 結構自信作なんですけど。」
料理の出来は、悪くないはずだった。
けれど、ウルスラはそれどころではなく。
手に持っていたスプーンが、重力に負けるよう、地面に落下し。
それを落としたウルスラの瞳からは、大粒の涙が溢れ出していた。
「へぇ!? だ、大丈夫ですかウルスラさん。」
心配そうに声をかける知沙。
「ちょっと、大号泣じゃない。」
綾羽も流石に気づき、ウルスラに目を向けた。
ヨハネだけは、気にせずに食事を続けていたが。
「……すみません、皆さん。楽しい食事を邪魔してしまって。」
鼻声になりながら、涙を拭うウルスラ。
「いえ、それはまぁいいんだけど。」
綾羽が気にするのはそんなことではなく。
「あの、お口に会いませんでしたか?」
心配する知沙。
それに対し、ウルスラは首を横に振り、否定する。
「いいえ、いいえ。とても、とっても美味しいです。」
拭いても拭いても、溢れてくる。
「美味しすぎて、涙が止まりません。」
「そ、そんな、泣くほどですか?」
「地下での生活が、よっぽど悲惨だったのね。」
綾羽は、初めてウルスラと声で繋がった時の事を思い出す。
「……はい。非常食は、基本的に全部同じ味で。途中からは、まるで空気をかじっているような味がしてました。」
それはウルスラにとって、耐え難い地獄の日々であった。
「実は地下には、一人だけなら、20年は余裕で持つほどの食料があったんです。」
思い出すだけで、体が震えてくる。
「でも、いつからか。食べては吐いて、食べては吐いてを繰り返すようになってしまって。」
「……だから、予定よりも遥かに早く、食料が尽きたのね。」
ウルスラの告白に、綾羽は優しい声で応えた。
「はい。」
精神的な苦しさがあったとはいえ。ウルスラにとってそれは、恥ずべき記憶であった。
「ウルスラさん。」
その悲惨な過去に、知沙は言葉を失う。
けれども綾羽は、ウルスラを悲惨だと、哀れみはしなかった。
「まったく、仕方がないわね。」
そうつぶやきながら。綾羽は新しいスプーンを、ウルスラの手に握らせた。強く、それでいて優しく。
「ほら、さっさと食べなさい。でないと、全部ヨハネに食べられるわよ。」
他人の話など、全く関係なく。ヨハネは料理に夢中だった。
その様子を見て、ウルスラもクスリと笑う。
「そうですね。しっかり食べないと、です。」
これまでの自分と、決別する気持ちを胸に抱き。ウルスラは再び食事を口に運んでいく。
「おかわりもありますから。遠慮せず、今までの分まで食べてください。」
優しい知沙の言葉に。ウルスラは再び涙を流しながらも、今度は心から味わって食べた。
そうして、四人全員がテーブルに付き、共に食卓を囲んだ。
「それにしても、本当に美味しいわね、貴女の料理。」
綾羽は素直に感想を口にした。
「えへへ。これでもわたし、実家が旅館をやってまして。」
料理の味を褒められ、喜びを隠せない知沙。
「あら、そうなの?」
綾羽は知沙の実家が旅館であることに驚いた。
「はい。それでわたし、小さい頃から料理に興味があって。よく勝手に、厨房を覗いたりとかしてたんです。」
「なるほどね。」
「まぁ、一番得意なのは、お菓子作りなんですけど。」
「それは、興味があるわね。」
一体、どれくらいぶりだろうか。楽しい会話をしながら、誰かと食事を共にするのは。
綾羽は記憶をたどっても、思い出すことが出来なかった。
もしかしたら、そんな楽しい過去など、存在しないのかもしれない。
「さぁ、着いたわよ。」
楽しい記憶に浸りつつ。四人を乗せた車は、目的地へと到着する。
揃って外を覗く少女たち。
少し離れた場所に、その巨大な工業施設はあった。無数の大きな建物が立ち並び。夜遅くだというのに、多くの照明に照らされ、昼間にも近い明るさを維持している。目に見える屋外にも、複数の警備員の姿があり。そのセキュリティの高さを物語っていた。
「実際目にすると、すごい迫力ですね。」
緊張の色を隠せない知沙。
「おっきいニャン。」
マイペースなヨハネ。
「名目上は整備工場ということですが。実際は、かなり重要な拠点と思われます。」
ウルスラは真面目に情報を整理する。
「まぁ、何でもいいわ。」
めんどくさそうにつぶやく綾羽。彼女にとって、もはや考える時間は遠に過ぎていた。
「手はず通り、問題は無いわね。」
最終確認をする綾羽に。
ほか三人は、各々了承と返事をする。
「じゃあ、行くわよ。」
そう言って、綾羽は車を降りた。
大きなシートを、車に被せ。
すると車は姿を消し、周囲の風景に溶け込む。
「知沙さん。これで外からは見えなくなるので、安心してください。」
「はい。ありがとうございます。」
ちらりとシートをめくり、一人中に残る知沙に声をかける。
「まぁ最悪、もし誰かに見つかったらだけど。わたし達への指示なんて止めて、車を動かして逃げなさい。」
綾羽なりに、知沙に対する気遣いを見せる。
「わたし、車の免許なんて持ってません。」
知沙の辞書に、運転という文字は無かった。
「……ふつう、10歳程度になったら、車と飛行機、あとヘリの免許とか取るんじゃないの?」
「……ふつう、日本の法律では無理なんですよ?」
綾羽の普通と知沙の普通は、全くの別物であった。
「そうなの?」
「まぁ、綾羽さんの家系は、かなり特殊ですから。」
ウルスラなりのフォローが入る。
「……何事も無いことを、祈ってます。」
知沙は自分一人で逃げようとは考えていなかった。
「祈るんだったら、わたし達の成功を祈りなさい。」
目を瞑る綾羽。
「エイチツーを取り戻す。もし失敗するようなことがあれば、どのみちここには帰ってこれないわ。」
綾羽はもう、前しか見ていなかった。
「ご、ご武運を。」
「お任せください。」
「余裕だニャン。」
ウルスラとヨハネ。
「じゃあ、また後で。」
最後に綾羽も、一言声を残して。
3人の”超人”が、動き出す。
◆
音もなく、高いフェンスの上を飛び越えて。
照明の隙間をかいくぐり、建物の屋根から屋根へと飛び移る。
長い髪の少女は、超常的な力で宙に浮かび。猫耳ともう一人の少女は、人間離れした脚力で宙を跳ぶ。
三人の侵入に、誰も何も気付くことはなかった。
「ヨハネさんはともかく。綾羽さんも、付いて来られるなんて凄いですね。」
先へと進みながらも。ウルスラは綾羽の身体能力に舌を巻いていた。
「そう? これくらい普通じゃないかしら。」
綾羽は特に意見なく。余裕な様子で、二人に追従していた。
「にゃはは! 綾羽は森で逃げ回るわたしを、簡単に捕まえられるほど強いニャン。」
「そうね。それと比べたら、軽い準備運動だわ。」
綾羽もヨハネも、特に気にした様子はなく。
けれどもウルスラは、その事実に内心驚愕していた。
(ヨハネさんを捕まえる? あの最強の、”ビースト3号”を?)
多くの異常者を知る、ウルスラにとって。ヨハネという人物の身体能力は、”地上最強”と言っても過言ではなく。
(綾羽さん。貴女は、いったい。)
そのヨハネをも超えるという、綾羽の存在は。ウルスラにとって、軽々と無視できる問題では無かった。
施設内、建物の外を突き進み。複数の重要拠点の交差点とも言える地点にたどり着くと、三人はひとまず足を止めた。
「ここで別れましょう。」
「ニャン!」
「皆さん、お気をつけて。」
各々、信頼とともに顔を合わせると。
それぞれ三手に分かれ、施設内の探索を開始した。
綾羽は、力強く建物を見つめ。
「待ってなさい、エイチツー。」
大切な存在のために、覚悟を握りしめた。
足取りは軽やかに。一切の物音すら立てず、綾羽は建物内を進んでいく。
『綾羽さん。その先は特に警備が厚そうです。迂回ルートを案内しましょうか?』
左耳に装着されたイヤホンから、知沙の声が聞こえてくる。
「結構よ。」
けれども綾羽は、止まることなく先を急ぐ。
「世の中に不可能はない。簡単に無理と判断するのは、愚かな凡人のすることよ。」
綾羽は、幸いにも”凡人”ではなかった。
たとえ片方だけでも、自由な綾羽の耳は、感じられる範囲のすべてを把握する。監視カメラの位置に、警備員の数。それらすべてを正確に判断し、行動パターンを予測。
「――道はある。」
その足取りは、潜入任務とは思えないほど、優雅で堂々としており。
誰にも気づかれず、何にも存在を悟られず。
さらに、施設の奥へと進んでいく。
『す、凄いです、綾羽さん。』
「あまり、大きい声を出さないようにね。」
余裕は消えず、綾羽は先を行く。
「ステルスゲーだと、小さな音も命取りなのよ。」
潜入捜査は、綾羽の得意分野の一つだった。
場所は変わり、施設内のとある廊下。
警備員が、油断なく巡回するその場所。その天井部分を、ウルスラは逆さまに歩いていた。
ふわりと浮かび上がり、音もなく宙を舞い。
扉をくぐり、警備員の真横をも通り過ぎる。
(これぞ、潜入の極意です。)
大胆不敵に着実に、ウルスラは進んでいく。
「臭うニャン。」
ヨハネは、自らの野生の勘を頼りに、施設内を散策していた。
普段から、決して人間に見つからないように生活しているヨハネにとって、この程度の潜入任務はお茶の子さいさいであった。
「にゃにゃん!? この臭いは、間違いないニャン。」
ヨハネの鼻は、着実に目標の臭いを捉えていた。
一度たりとも振り返らず。まるで、決められたルートが有るかのように、綾羽は施設内を進んでいた。
『綾羽さん。そちらの区画は事前の情報から、無関係と判断されてるんですけど。』
「いいえ、わたしの感覚が告げてるのよ、こっちだって。」
知沙の言葉に耳を傾けず、我が道を行く綾羽。
『でも綾羽さん、そっちは――』
静止も何も、綾羽の足を止めること叶わず。
初めから、”そこ”だと知っていたような足取りで。一つの部屋の前へと到達する。
その扉の前で立ち止まり。真っ白な扉を見つめ、綾羽は確信する。”ここ”に、彼女が居ると。
意を決した綾羽は、ゆっくりと音を立てないよう、扉を開いた。
その部屋には、一人の女性が立っていた。後ろ姿ながら、綾羽は冷静に判断する。
けれども、綾羽の目当てはその女性ではなく。その向こう、手術台のような場所に横たわっている、メイド服を着た”誰か”。
(見つけた。)
部屋へと足を踏み入れる。
「――誰!?」
その女性。かつて綾羽に、フリージア社のメンテナンス部と名乗った女性は、何者かの気配を感じて振り返った。その手には、咄嗟ながらも銃が握られ。表情は緊迫そのものだった。
けれども、振り返った先、部屋には誰の姿も無く。扉も閉じたままだった。
「気の所為?」
そう、判断する女性であったが。
音もなく、死角から飛び出す綾羽。
相手に認識されるよりも前に接近し、高速の蹴りを繰り出し。
女性の手に握られた銃を、上に向かって弾き飛ばす。
そのまま、綾羽の動きは止まらず。女性を軽々と転倒させると、少し離れた距離へと投げ飛ばす。
勢い良く回転する銃を、視界に入れること無くキャッチすると。
迷うこと無く女性へ向け、引き金を引いた。
それは、命を奪う銃弾、ではなく。
幸いにも、意識を奪う”電流”であった。
その一連の動作を、綾羽は息一つ乱さず、遂行した。
「これで、終わり。」
気絶した女性を、最後に一瞥し。
ようやく綾羽は、H2-21との再開を果たす。
けれども、台の上で横たわる、メイド服を着た”その存在”へと目を向けると。
綾羽は驚愕をあらわにする。
「――エイチツー。本当に、貴女なの?」
記憶が確かならば。それは確かに、H2-21のはずだった。髪の色も、顔の輪郭も。慣れ親しんだ、その雰囲気も。
けれど初めた見た、ヘッドギア抜きのその”素顔”。
それは、先ほど綾羽が倒した、フリージア社の女と”瓜二つ”であった。
衝撃のその姿に、言葉を失う綾羽。
「――誰かと思えば、まさか貴女とはね。」
そんな綾羽に対して、声をかける者が居た。
ハッと振り返る綾羽。
するとそこには、先ほど綾羽が倒したはずの、フリージア社の女が立っていた。
「……どうして、動けるの?」
そう言いつつ、目の前の女の顔を見つめる綾羽。髪の色、髪型こそ違えど、その顔は横たわるH2-21とそっくりだった。
「まぁ、動ける理由は、多数あるのだけれど。」
フリージア社の女性は、落ち着いた様子で綾羽と対話する。
「強いて言うなら。人間用に調節されたスタンガンが、わたしに効くわけ無いでしょう?」
人間用。わたしには効かない。そのワードに、綾羽は一つの答えを導き出す。
「貴女、もしかして”レプリカント”?」
「ご名答。会うのは初めて?」
「そう、なるわね。」
綾羽は目の前の女性の危険度を、自分の中で上方修正する。
「なるほど。流石は、白銀家の娘ね。」
女性は、綾羽の姿に”懐かしい”面影を見る。
「たかがメイドロボット一機のために、ここまでするだなんて。」
「うるさいわね。どうだっていいでしょう?」
「そうかしらね。」
フリージアの女性にも、思うことは多々あった。
「それで? これからどうするつもりなの?」
「決まってるわ。この子を家に連れて帰る。解体なんて、絶対にさせないわ。」
綾羽は目の前の女性に対し、自らの目的を言い切った。
「それは、……別に構わないけど。」
「あら、そうなの?」
「ええ。けどその場合、その個体は二度と目を覚まさないわよ?」
「……どういう、意味よ。」
綾羽は、その言葉を理解できなかった。
一方その頃、施設内の別の場所にて。
「そんな。こんなことって。」
とある一室へと足を踏み入れたウルスラは、目の前の光景に言葉を失っていた。
するとそこへ音もなく、一匹の猫も合流する。
「ウルスラも、ここを嗅ぎつけたのかニャン。」
「そう、なりますね。」
二人の妙齢の少女は、並んで横たわる”人のような何か”を見つめ、考える。
「……フリージア社。この会社は、いったい。」
不気味としか言いようのない、”同じ顔をした何か”たち。
それは予想だにしない、深い闇の一端としか思えなかった。
「言葉通りの意味よ。今その個体、H2-21は、生と死の淵をさまよっている。適切な治療を施さない限り、目を覚ますことはないわ。」
「だったら、さっさとこの子を直しなさい!」
手に持った銃を、綾羽は女性に向けて構えた。
女性はため息をつく。
「まったく。それは効かないから、とりあえず下ろして頂戴。」
そう、諭され。
冷静になった綾羽は、銃を下ろした。
「聞いてた話と、随分違うのね、貴女。」
「……聞いてたって、誰に?」
「貴女のお母さん、駿河よ。彼女とはまぁ、たまに旅行に行く程度の仲なの。」
「それって。友達、ってこと?」
「まぁ、そうなるわね。」
母駿河と、友人だという眼の前の女。
(面倒なことになったわね。)
綾羽は、最悪のケースを覚悟した。
「まぁ、安心して? このことは、駿河に言うつもりは無いから。」
綾羽の懸念を、女性は否定する。
「もちろん、正継にもね。どこにも通報する気は無いわ。」
綾羽のことを、誰にも漏らさないという女性。
(嘘は、言っていないみたいね。)
それを判断するのは、綾羽の最も得意とすることだった。
「……さっきの話に戻るけど。この子の治療、だったわね。」
「ええ、そうよ。」
「まぁ、なんと言えば良いのかしら。治療自体は、もうあらかた完了しているわ。全身の傷も塞ぎ、諸々の身体機能も、ほぼ取り戻しつつある。」
横たわる、H2-21の体を指し示す。
「けれども、頭部に取り付けられていた制御装置の一部が溶けて、電子頭脳と癒着してしまっている。正直これだけは、今の技術じゃどうしようもないのよ。」
「そんな。……直せない、ってこと?」
「方法は、存在するはずよ。……けれど、そのために必要な知識を持っている人物は、恐らく世界に二人ほどしかいない。」
「だったら、そいつらに聞けばいいじゃない。」
「それが出来たら、苦労しないわ。」
それは、女性の力を持ってしても、難しいことだった。
「一人は、もうこの世に存在しないわ。確実に、”破壊”されてしまった。」
物悲しそうに、それを語る。
「もう一人は、おそらくまだ生きている。けれど面倒な場所に”収監”されていて、接触することが出来ないのよ。」
「何よ、それ。」
綾羽には、意味不明であった。
「誰なのよ、そいつは。教えなさい! 是が非でも会ってみせるわ。」
その、強い意志のこもった瞳に。
女性は、自分は抗えないと悟った。
「その人物の名前は――」
「ライオネル博士、ですね。」
女性の言葉を遮ったのは、いつの間にかそこに居たウルスラであった。そのすぐ後ろのは、ヨハネの姿もある。
「ウルスラ。それにヨハネも。」
綾羽に名前を呼ばれ、陽気にウインクをするヨハネ。
すぐ側に立つウルスラの表情は、真剣そのものだった。
「やはり、貴女でしたか。”セシリア”さん。」
「これはまた、……懐かしい顔ぶれが揃ってるわね。」
セシリアと呼ばれた女性は、ウルスラやヨハネと旧知の間柄のようだった。
「セシリア・フレイ・”フリージア”。そうですね、名前で気付くべきでした。」
「ええ。今は社長をやっているのよ。」
「貴女、ここの社長なの?」
「そうよ。黙っていて、ごめんなさい。」
素直に謝罪を口にするセシリア。
けれど、ウルスラの表情はなおも変わらなかった。
「そんなことはどうだって良いんです。セシリアさん、なぜこんな事を?」
「……こんな事って、どんな事?」
「とぼけないでください!」
ウルスラは、強く感情をあらわにした。
「貴女は、自分の”クローン”を製造して、それを制御装置に繋げ、商品として販売していますね?」
「……そんな。クローン、ですって?」
綾羽は、驚いた表情で横たわるH2-21を見つめる。
問いただされたセシリアは、観念したとばかりに、深いため息をつく。
「話せば、長くなるのよ。」
◆
――
「何千年もの長い年月をかけて、培ってきた人類と違い。わたし達レプリカントの歴史は、せいぜい30年とそこらといったところ。」
「医療も、仕組みも、何もかも! 解らないことが多すぎるのよ、わたし達の身体は。」
「……レプリカントをゼロから生み出す方法は、あの方かライオネルしか知らない。故にわたしは、自らを複製する方法で、新しいレプリカントを生み出そうとした。」
「それがなぜ、こんな事になっているんですか?」
「わたしが生み出した複製体には、”魂”が宿らなかったのよ。」
少し、物悲しそうな顔で、セシリアはH2-21を見つめた。
「心を持たない人形、と言ったところかしら。レプリカント、”人の代替品”としては出来損ないだった。」
「だから、こんな商売道具みたいにして、お金儲けに利用してるんですか?」
「……お金が要るのよ、色々とね。あの”反乱”以降、多くのレプリカントが生きる場所を失ったわ。わたしには、彼らを助ける義務がある。」
「だからといって、これは余りにも過ぎた行為です。条約にだって違反しています。」
「もう、綺麗事ばかり言っていられる時代じゃないのよ。」
セシリアは、明確に”今の時代”に生きていた。
「ここ十年でも、世界は大きく変わったわ。多くの同胞たちが、犠牲になる様を見てきた。」
それでも世界を変えるために、手段を選ぶ余裕はなかった。
「わたしは彼らを守るためなら、たとえこの身を犠牲にしようと――」
「――どうでも、いい!」
その苛立ちとともに、綾羽は地面を力任せに踏み砕き。部屋全体が揺れるほどの、異常なまでの衝撃が発生する。
「聞き飽きたわ。レプリカントがどうだとか、クローンがどうだとか。そんな議論をするために、わたしはここに来たんじゃない。」
驚く目の前の”大人たち”を尻目に、綾羽は自分の感情をさらけ出す。
「わたしはエイチツーを助けるために来た。そのためだけに、今ここに立っている。」
綾羽には、H2-21の存在しか、初めから眼中に無かった。
「……結局、どうすればエイチツーを治せるのよ。」
何も出来ない、ただわがままなだけの自分に。
嫌気が差し、綾羽は涙すら流していた。
「先程、彼女が言っていたとおり。現状、レプリカントの仕組みを詳しく知るのは、ライオネル博士だけだと思われます。」
「でもその博士は、天ノ梅の一件以来、どこに居るのかすら分かっていないのよね。」
「……難しい話だニャン。」
そんな話をする、彼女たちの様子を見ながら。セシリアは一人、覚悟を決めていた。
「ライオネルは今、東邦刑務所に収監されているわ。」
彼女たちの求める情報を、セシリアは口にする。
「それって、確かなの?」
「ええ。信頼できる情報よ。」
この情報が漏洩したとなれば、セシリア本人が危うくなる程度には、信憑性のある情報だった。
「東邦刑務所、ねぇ。」
綾羽には聞き馴染みのない名前だった。
「日本一。いいえ、おそらくは世界一、セキュリティの厳重な刑務所よ。」
セシリアは、その刑務所の”レベル”をよく知っていた。
「ここへ忍び込むなんてわけないわ。あの場所はもはや、異次元といっても過言じゃない。」
そしてセシリアには、他にも懸念が会った。
「おまけに、何かあれば、すぐにでもG-Forceが駆けつけるわ。昨晩、貴女たちがやり合って無事に済んだのは、ただ単に運が良かっただけ。」
セシリアは昨晩の事件を、目の前の少女たちが起こしたものと”予想”していた。
「正継が出てきたら、誰も敵わないはずよ。」
「それは、確かに。」
「だニャ〜ン。」
ウルスラとヨハネは、セシリアの意見に同意する。
綾羽だけは、不服そうな顔をしていたが。
「少なくとも、もし東邦刑務所を攻めるのであれば、もっと人手が必要よ。」
セシリアは、現実的な案を考える。
「犯罪に手を染める気があって、なおかつ腕も立つ。そんな知り合いとか、居ないの?」
難しい条件を提示する。
「あ~、一人はあてがあるニャン。」
ヨハネには、思い当たる節があった。
「わたしは、ちょっと。」
地下に長いこと閉じ込められていたウルスラには、難しい話であり。
「わたしも、知り合いそのものが居ないから。」
綾羽には、そもそも無縁な話であった。
「はぁ。色々と、考える時間が必要なようね。」
目の前の残念すぎる人たちに、セシリアは頭を抱えたくなった。
「今日はもう帰りなさい。どうやって、東邦刑務所を攻めるのか。また後日、わたしの方から相談に行くわ。」
「……貴女、協力してくれるの?」
「ええ。ライオネルの知識が欲しいのは、わたしも同じだから。」
セシリアにも、叶えたい目標はあった。
「心配はご無用よ。白銀ではなくて、貴女の側につくから。”綾羽”さん。」
「エイチツーのこと、任せていいのよね。」
「当然でしょう? ここ以上に、設備の整った場所なんて無いわ。」
女子高生に破られる程度のセキュリティながら、この施設にはセシリア自慢の設備が揃っていた。
「……それに、わたし個人としても、この子とは話をしてみたいから。」
そう言って、H2-21を見つめるセシリア。
彼女にとっても、”この子”は特別だった。
◆
「やっと帰ってきてくれましたぁ〜」
車に戻ってきた三人を、知沙は泣きそうな顔で出迎えた。
「ごめんなさい。色々と立て込んでて。」
「あ、あはは。」
「ニャ~ン。」
なにはともあれ。全ては無事に終わったので、三人はこの場へ帰ってきた。
「お話なら、イヤホンを通して聞いていたので、大丈夫です。」
「そう。なら、説明は不要ね。」
すぐに発車せず。少女たちは少し車の中で休憩していた。
「これから、どうするんですか?」
「そうねぇ。とりあえず、すぐにどうこうってわけにもいかないのよね?」
「はい。ブラックカロンの修理も、まだまだ時間がかかりますし。」
「わたしの方も、仲間になりそうなやつ説得するのに、時間が要るニャン。」
「何だかもどかしいわね。やれることが無いとなると。」
綾羽は実質、暇を持て余していた。
「だったら、なんですけど。」
そんな綾羽に対し、知沙には”素敵な提案”があった。
「一緒に学校、行きませんか? 綾羽さん。」
「……へ?」
その不意をつく提案に、綾羽は思わず変な声を出してしまった。
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