第3話 メタンフェタミン

放課後、僕は生物実験室にむかうのが日課になっている。

大麻を売ったお金を清算したり、品物を補充したり、先生は帳簿もつけている。

あとは、大麻を加工してハシシやハッシュとよばれる、クッキーみたいな製品にする作業とか。

僕は実験室にむかう廊下を歩きながら、さりげなく周囲をさぐる。というのは、最近になって妙な視線を感じるからだ――まさか、尾行か。僕は”円”の範囲を広げる。念能力というものがあって、そのなかで”円”という、隠れている相手をみつけだす技があるのだ。しかし、どうやら相手もプロのようだ。僕の”円”では、怪しい人物を特定することはできなかった。まぁ、きのせいだろう。僕は楽観的な人間ではないが、なんせガイジなので集中力が続かないのだ。


いつもどおり合言葉をいって準備室に入ると、朝倉先生はめずらしく深刻そうな顔をしていた。

僕が、どうしたんですかと声をかける前に、先生は「高橋君。まずいことになった」といって僕をビビらせた。

まさか、サツにばれたのか。背中に冷たい汗がにじむ。僕は偽造した身分証で、高跳びすることを考えた。


「化学の富樫先生がメタンフェタミンを作ってる」


僕はメタンフェタミンがなんのことかわからなかったので、先生に尋ねると、メタンフェタミンとはつまり覚せい剤のことだそうだ。”メス”というやつだ。なんだか思っていた問題とはまったく違ったので、僕はひとまず安心した。それにしても、化学の教師がヤクの密造をするなんて、まるでドラマの影響みたいでダサいなぁと思った。


「それのなにが問題なんです?」と僕が聞くと、先生は「大問題だ」と言った。

「我々の商売にライバルがあらわれたということだよ。コンビニで例えると、ファミリーマートの前にセブンイレブンが建ったようなものだ」


僕は考えてみた。たしかに、ファミマでセブンに勝つのは難しいだろう。なんたって、商品ラインナップやお弁当の質に差がありすぎる。僕はファミチキが好きで、ファミマが潰れたら嫌だなと思ったが、世の中は弱肉強食なのだ。


「それは確かにまずいですね」


僕と先生は、学校内で大麻の栽培と販売をやっている。

今まで商売敵はおらず、売れ行きはかなり好調だった。


「しかも、メタンフェタミンというのは非常に危険なドラッグで、かなりの依存症もある。そんなものを高校生に売るというのは、教師の風上にもおけないやつだよ。富樫というやつは」

「先生。それは大麻も同じじゃないですか?」

と言い終わる前に「まったく別物だよ、高橋君!」


――とんでもない、というように机に手のひらを叩きつけて、先生は大麻に関する安全性と植物としての愛を語りはじめる。ちなみに、先生は大麻のことをマリファナとよぶ。僕は何度も聞かされた話なので、うんざりして適当に聞き流す。「マリファナは美容にいい」とか「こんなに美しい植物なのに、栽培すら認められない嫌われもの」とか「この葉っぱの形状はもはや、生命が生んだ究極の曲線美だ」などと、大麻の葉っぱを頬にこすりつけている様は、風の谷の地下室で、こっそり腐海の植物を育てるナウシカみたいだなと思ったが、宮崎駿に怒られるかもしれないと思って、そのイメージに大きなバツ印をつけた。


「先生、もうじゅうぶん理解できました」「ほんとうに?」「はい」

「マリファナは最高か?」「最高です」

「メタンフェタミンは?」「最低です。今すぐ滅ぶべきです」


先生は僕の言葉に満足したようで、にっこりと笑って葉っぱをなでた。

先生は心の底から大麻を愛している。

それは、吸ったときに気持ちがいい、とかいう即物的な欲求ではない。たぶん、純粋に園芸好きが植物に愛情をそそいでいるだけだ。マツの木の盆栽とか、ラベンダーの鉢植えとか。


「それで、具体的にはどうするんですか?」

「今のところ、打つ手はない」


僕は大麻がメタンフェタミンに負けて、ぜんぜん売れなくなることを想像してしまった。マッチ売りの少女のようなみじめな姿で、廊下をさまよう僕。あー、考えただけで悲しくなる。僕はお金が稼げないと、ご飯も買えなくなってしまうのだ。


「先生。僕が聞きたいのは、『大丈夫だ、なにも心配するな、たかはしくん』って台詞ですよ」

「大丈夫だ、なにも心配するな、たかはしくん」


朝倉先生という人間は、すごく頭がきれるし、人を操るのがうまい。

例えば、先生はいちど女生徒を孕ませたことがあるんだけど、(わー、最低だ)先生は、その子の両親に妊娠を隠し通させたままで、もちろん学校にも隠しとおして、知り合いの中絶医(モグリだ)にコッソリと中絶させた。

僕はその修羅場にいあわせた。先生は、発狂して涙を流す女の子に、愛という名のゆりかごに乗せて泣き止ませて、なおかつ、「中絶?!むりよ」と怖がる少女を納得させ、すすんでその反倫理的行為におよばせたのだ。

その後、女生徒は先生を恨むことなく、今でもたまに会っているというのだから、驚きだ。


「いざとなれば、富樫を拉致して始末すればいいさ。だろ?」

「富士の樹海に永眠させてやりますか」へっへっへ。


もちろん、冗談だ。僕も先生も基本的にラブ&ピースな人間で、究極のヘタレだった。むしろ、逆に始末される可能性を考えるべきだったかもしれない。なんせ、化学の富樫というのは、背が高くてスキンヘッドで刃物みたいな顔面の鬼教師だったからだ。

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