第1話 大麻と青春と僕
「…高橋君。ちょっとはなしがあるんだけど」
僕が「クラスでクミチョーと呼ばれている」女子に声をかけらたのは、人もまばらになった放課後の昇降口で、さぁ帰ろうかと靴を履き替えているそのときだった。
まるで、これから愛の告白でもしようか、なんてうつむいて恥ずかしそうに顔をふせる―――ということではまったくなかった。むしろ、僕の目をまっすぐに見つめて、というか睨んでいる。ようにもみえる。怖い。
「いいけど、なに?」
「…ここだと目立つから。別の場所で」
彼女が歩きだしたので、しかたなく、後ろをついていく。
少女の二つで結んだ髪が揺れるのを眺めながら、このクラスメイトの名前はなんだったかと思い出そうとして諦めた。横に並んで、聞いてみることにする。
「ごめん。名前、なんだっけ?」
「綾瀬組子だけど」
もしかして、わたしって影うすい系?ちょっとショック。
みたいな感じのリアクション。
僕はほとんどのクラスメイトの名前を憶えていない。この学校で、名前がすらっと出てくるのは、生物教師の朝倉先生ぐらいだ。あとは、思い出せたらラッキーぐらいで、隣の席の男子や、担任の名前すら出てこない。
僕はそういう病気なのだ。
「…クミチョーって呼ばれてるよね」
「組長じゃなくて、委員長なんだけど」
あぁ、思い出した――学級委員長の綾瀬さん。校則を全部守って、宿題もきちんとやってくるタイプ。道に迷った外人にがいたら、迷いなく手をさしのべる。財布をおとした人がいたら、落ちましたよと声をかける。たぶん、頭上には光輪、背中には翼がはえている。僕のような、邪悪な人間とは正反対だ。
「ここ、空き教室だよね」
綾瀬さんと僕は、使われていない教室を選んで、扉を開けようとしたが鍵がかかっていた。
彼女は「ちょっと待って」といって、なにかごそごそとやって、すぐに扉を開けた。空き教室のカギを持っていたのかもしれない。僕たちは誰もいない教室にこっそり入って、二人きりになった。
彼女はやっぱり怒っているような表情で、僕に”はなし”とやらをきりだした。
「…学校で大麻を売ってるのは高橋君だよね」
「ハンドル握ってアクセル踏んで」「それは車、じゃなくて大麻」
「子供のころママにぶたれたんだ」「それはトラウマ、じゃなくて大麻」
――などという、息の合った漫才ができるほど、僕は彼女と親しくない。
たしかに、彼女の言う通り、僕は学校で
「どうして僕だと?」
「友達が高橋君から買った、って言ってた」
友達というのは、彼女がナッツンと呼んでる女子だそうだ。
そういえば、そんな風に呼ばれている女生徒が、同じクラスにいたきがする。
「どうして大麻なんか売ったりするの?」
「…それは、お金のためだけど」
「悪いことだって、わかってるよね?」
――もちろん、理解してる。だけど、僕にも事情があるし、そのことを綾瀬さんに説明して、自らの行為を正当化しようとは思わなかった。彼女とはほとんど初めて会話をかわした、というような間柄なのだ。それに、女子と打ち解けて話をする、なんていう高度なコミュニケーション能力を僕はもちあわせていない。せいぜいが、「大麻とか興味ありますか?」というメッセージと連絡先を書いた紙を靴箱にいれて、チャットや通話で売買の商談をするというのが限界だ。
「……綾瀬さんには関係ないよ」
「関係ある。ナッツンはわたしの友達だもん!」
なるほど。どうやら彼女は、友達の非行を止めるため、その元凶である僕をなんとかしようという考えのようだ。ホラーゲームのせいで、人を殺す猟奇殺人犯が生まれる、だからホラーゲームを販売停止にしろ、というのと同じだ。ひどい。横暴だ。
「最近、いっしょにいても、ずっと笑いながらよくわからないことばっかりいってるし」「宇宙は広がり続けてるとか、人類はイルカから進化しただとか」「わたしが、お猿さんからだよって言ったら、頭をたたかれたし。わたしの話はぜんぶ無視するし――」
綾瀬さんは、まるで風船が割れたように、いっきにしゃべりはじめた。なんだか想像してたのと違うキャラだったので、僕はちょっとびびった。さらに、彼女は両手を広げて、感情を表現してみせた。
「目の前で、ケーキに変なもの混ぜて食べ始めて、それはなんなのって聞いたら大麻だって」「わたし、信じられないんだけど。どうして高校生が大麻なんて手に入れられるの。タバコなら、まだわかるよ。大麻だよ。日本はいったいどうなっちゃったのって」
いまどき、タバコを吸う高校生なんていない。中学生や、高校生、あるいは早熟な小学生はみんな大麻を吸って、大人の階段をのぼるのだ。どのみち、僕が売らなくても、きっと他の誰かが売っていただろう。
「それで、僕にどうしてほしいの?」「…大麻なんて、売るのやめて」
「断る、っていったら?」「先生にいいつけるもん!」
「そんなことしたら、大麻を吸ったお友達も処罰されるんじゃない?」
僕がそういうと、綾瀬さんは黙ってしまった。かわりに、眉間にしわをよせて僕を睨みつける。
ほんとうに、怖い。僕は悪者だけど、ヘタレだった。だけど、商売をやめるわけにはいかない。僕にはお金が必要だったから。
しかたないので、僕は彼女が納得してくれて、なおかつ商売にもあまり支障がない妥協案を提案してみる。
「女子には売らないってルールにする。それで、どう?」
もともと女子の客は数えるほどしかいなかったので、たいして影響はないだろう。
彼女は、怖い顔のまま、僕のいったことを吟味しているようだった。
放課後の空き教室で、暮れなずむ夕日と少年少女。これも青春とよべるだろうか。
「ナッツンには、もう売らないってこと?」「うん」
「…わかった」
綾瀬さんはしぶしぶ、という感じでなんとか引き下がった。「だけど、ぜんぜん納得はしてないから」とのことだった。
それから、彼女はポケットからなにかをとりだして、僕にさしだした。
僕はそれをうけとった。赤いサインペンで落書きされたイラストつきのカード。
「なにこれ?」「れっどどらごん」
カードから彼女へと視線を戻すと、指をピストルの形にして、僕のほうを指さす。
「悪は滅びる。いずれね」頭をパーン。
どっかのアニメでありそうな、幼稚な小道具とくさい台詞だった。
だけど、それはアニメの世界だけで、現実で滅びるのは弱者ばっかりだった。世界を支配しているのは、いつもどこでも悪者だ。政治家とか、企業のトップとか、アメリカとか、中国とか。綾瀬さんは、「ホグワーツ」や「千と千尋」を信じてる、無垢な少女だ。いずれ、世界に絶望する日がくるだろう。かわいそうに。
彼女は最後に、「高橋君みたいなおとなしい人にかぎって、ほんとの悪党なんだよ。世の中って怖いよね」という嫌味を言ってから立ち去った。僕は悪党と呼ばれて少し照れた。
綾瀬さんに手渡されたカードを、もういちど見てみる。
おそらく、彼女によって描かれたであろう「れっどどらん」は、かわいらしいトカゲにしかみえなかった。
彼女の絵心は小学生レベルだなぁ、と僕は思わず笑ってしまった。
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彼女が立ち去ったあと、僕は帰宅するのをやめて、生物実験室にむかう。
一応、このことを先生に報告しておこうと思ったからだ。
実験室の奥にある準備室のドアを叩いて、「先生」と呼びかけると「はい」という返事が返ってくる。
「さんじのおやつ」と答えると中から鍵をあけるカチッっという音が聞こえる。ちなみに、「ごごのこうちゃ」というと緊急事態発生という意味だ。秘密組織っぽくてかっこいい。
「失礼します」といって、ドアを開けて中にはいる。
準備室の天井にはたくさんの照明が輝いていて、壁は全面がアルミホイルで覆われている。横長の容器に水がはられており、たくさんの大麻が水耕栽培されている。
朝倉先生は背の高い植物に囲まれた机の上で、授業中に行われた小テストの採点をしていた。
先生は顔をあげずに、「帰ったんじゃなかったのかい?」と告げた。
となりのトトロに出てくるお父さんに似てるな、なんてことを思った。そういえば、先週からロードショーでジブリ特集をやっているからだ、と思い至る。まぁ、そんなことはどうでもいいか。僕はよく、思考があっちこっちへ飛びちってしまうのだ。
「ちょっと問題が発生したんで、報告にきました」「というと?」
僕は綾瀬組子との会談をすべて先生に伝えた。
先生は、黙って全部のはなしを聞いたあと、「それだけでは少し甘いかな」とコメントした。
それから、机のひきだしを開け、おもむろにダクトテープをとりだした。
「彼女を始末しよう」
「嫌です」
「冗談だよ」
というやりとりをした後、先生はダクトテープをしまって、かわりに水パイプの容器をとりだした。大麻の煙を吸うためのガラス器具である。だけど、先生の手元にはまだ、小テストの採点が残っていた。
「仕事はいいんですか?」
「”ハイ”になると仕事の効率がアップするんだ」
先生はそういいながら、ウィンクをしてみせた。僕もそれにならってウィンクを返してみたけど、片目がひきつったようになった。うーん、練習の要あり。
先生がパイプの片側をライターで炙って、煙を吸い込み、僕もそれを分けてもらった。二人で大麻を吸って、お空のかなたまでぶっ飛んだ。次の日、先生から返却された小テストにはおかしな記号や絵がいっぱい散りばめられていた。ほとんど、全員に満点が与えられて、みんな幸せだった。やっぱり、大麻は最高だ。
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