第85話 高雅

「……おき……おーい! 起きるのだ、愛おしい人よ!」


 肩を揺すられる。

 俺は、無言でゆっくりと布団に潜り込んだ。


「あぁ……起きておくれよ、祭りが始まってしまう」


「……眠い」


「そうだろうとも、昨日はあんな水底まで来てはしゃいでいたのだからね……」

 せんゆう様は、呆れた様にそう言った。


 だが、それは誤解だ。

 誤解は正さなければ。


「はしゃいでいた訳ではない。溺れていたんだ」


「それでは、はしゃいでいた方がまだマシではないか……」


 せんゆう様はため息を吐き、俺を布団から引っ張り出そうと手を伸ばす。

 俺は布団を守るべく格闘していたが、割とあっさり敗北した。


 ……しかし、眠いものは眠いんだ。

 俺は諦めて掛布団なしで眠る事にした。


「ほら、もう寝ていて良いから、背負わせておくれ?」


「あぁ……分かった」


 俺はノロノロと立ち上がり、せんゆう様の小さい体にもたれかかる。

 潰れやしないかと少し心配になったが、存外せんゆう様の背は安定していた。

 まあ、今は見かけこそ幼女でも、昨日は大蛇だったんだ。

 俺の重さ程度では潰れないのも当然か。


 背負われたまま、せんゆう様が一歩進むたびに体が揺れる。

 なんだか、子供の頃に戻ったみたいだ。

 尤も、俺の幼少期には背負われて移動した記憶など無いが。


 ボンヤリと薄目を開けて、前方を眺める。

 どうやら、せんゆう様は社の前にある鳥居を目指しているようだった。

 鳥居を通れば、神域から出られるのだろうか?


 せんゆう様に背負われたまま、俺はゆっくりと鳥居を通り抜ける。

 どうやら、俺の予測は正しかったらしい。


 まるで水面が波打つように視界が揺らぐ。

 そして波紋が収まると、俺は知らない山中に居た。


 目の前には、真っ直ぐに伸びる石の道。

 道の両側に整然と並ぶ、和服を纏い楽器を構える大人達。

 真正面には、幕で囲われた荘厳な広場。


 石の道に、せんゆう様が一歩踏み出した。


 瞬間、ずらりと並んだ和服の大人達が楽器を奏で始める。

 雅楽というやつだろうか? 随分と壮大で、派手な演出だ。


 俺は今更ながら、幼女に背負われている事が恥ずかしくなってきた。


 というか、幼女に背負われてる男子高校生って、普通にヤバいだろ。

 これで、せんゆう様が大蛇の姿なら格好もつくのだが……いや、違うな。

 俺は何も間違っていない。


 幼女だろうが、大蛇だろうが、せんゆう様はせんゆう様だ。

 神に背負われているという現状が、格好つかない訳がない。

 であれば、堂々としていよう。


 俺は、せんゆう様に背負われたままピンと背筋を伸ばし、真面目くさった顔で和服の大人達を睥睨した。

 随分と練習してきたみたいだな……俺を見ても微動だにしていない。


 俺が偉ぶって周囲を見渡していると、せんゆう様が小声で話しかけてくる。


「……愛しい人、ちょっと良いか?」


「なんだ?」


「起きたのなら、自分で歩いて欲しい……」


「あ……うん、それはそうだな、うん、ごめん」


 俺はそそくさと、幼女の背から降りた。


 和服の奴等の中に、何人か笑いを噛み殺したような顔の奴がいるな。

 ……真面目にやれ、神の御前だぞ?


 俺は憮然とした態度で、せんゆう様の隣を歩いた。

 そのまま、真っ直ぐに石の道を進んで行く。


 垂れ幕をくぐり、用意された座布団に座る。


 目の前の広場に、ずらりと並ぶ華やかな服を着た人々。

 背後から鳴り響く曲に合わせて舞い始める。


 ……遂に、祭りが始まった。



+++++



 私は、緊張しながら舞台を見守る。

 奉納演舞が始まって十分、鏡島貴志は眠そうにしている。

 まだ、せんゆう様も違和感に気が付いていないようだ。


 今すぐにでも彼の前へ飛び出したい気持ちを抑えて、私は警察のテント内で封印術式に魔力を送っていた。

 鳴り響く音楽の裏で、少しづつ術式が組みあがっていく。


 ああ……このまま行けば、全てがようやく解決する。

 そして私は、怪物じゃなくなった私は、彼に好きですと伝えるんだ。


 自分の怪物性を全て吐きだすように、魔力を術式に注ぎ込む。

 その瞬間、ひときわ大きく魔力がうねった。

 場を祓ったかのように、空気が静かなものへと変わる。


 術式が、完成したのだ。


 これで私の仕事は終わった。

 後は、警察がタイミングを見て術式を起動し、せんゆう様を封印する。

 奉納演舞も順調に進んでいるようだし、せんゆう様の力も想定通り弱っている、全てが順調だ。


 そして数分後、遂に笹原さんが合図を出した。


 次の瞬間、魔力の本流がほとばしる。

 空気が渦巻き、力の全てがせんゆう様の元へと向かう。


 せんゆう様は、驚いたように立ち上がって声を上げる。


「……っなあ! やはり謀ったか!」


 しかし、それ以上せんゆう様が何かを言う事は無かった。

 もはや、彼女は指一つ動かせない筈だ。


 笹原さんは迅速に指示を出し、縄による結界を張り巡らせる。

 じきに封印は完成するだろう。


 未だ困惑している鏡島貴志の元に、私は駆け寄る。


「……あ、上梨。今、どういう状況?」


 そんな気の抜けた声に、私は思わず泣きそうになる。

「貴方は……本当に、緊張感が無いわね」


 そのまま私が封印作戦について説明しようとした瞬間、爆音が耳をつんざいた。


「何度も、何度も……小賢しい! 大人しく祈り、実りを受け取っておればよいものを!」


 せんゆう様が吼える。

 すると、幼女の姿は肉の裂ける音と共に歪んで行った。


 それは、大きな八つ首の蛇だった。

 蛇は頭を振るい、木っ端のように警察の人達を蹴散らす。


 そんな状況でも笹原さんは落ち着いて指示を出すが、結界の完成にはあと一歩足りなかった。

 完全に、縄も術式も引きちぎられる。

 もはや、完全にせんゆう様の独壇場だ。


 そんな中、黒崎さんが大きな声で私達を呼んだ。

「貴志君! 美沙さん! 早くこっちへ!」


 その声に、私達は弾かれたように駆け出す。


「黒崎さん! せんゆう様の力が増大している理由は!?」


 私の質問に、黒崎さんは走りながら返答する。


「せんゆう様の怨念を利用されました。私達が祭りに乗じて事を起こすと予測して、山の地脈に怨念を集めていたみたいです」


「いつの間に……」


 まさか、あそこまで弱っている状態にも関わらず、祭りの前に神域から出て仕込みまで行うとは。

 完全に、してやられてという訳だ。

 チラリと横目で、辛そうに走っている鏡島貴志を見る。

 正直、私も結構キツイ。


「黒崎さん、これからどうするんですか? このままじゃ、追いつかれて終わりです」


「……山の外まで、なんとか逃げ切りましょう。亜神化していた美沙さんを止める為の結界が、まだ残っている筈です」


 ここから山の外まで……無茶なのは、黒崎さんも分かっているのだろう。

 険しい表情で、それでも走っている。


 ……ここで、諦める訳にもいくまい。


 背後で、轟音が鳴り響く。

 バキバキと木の折れる音、地面を抉り進む音。

 後ろを向いている暇など無いが、それ故に見えない事が恐怖を掻き立てる。

 まるで、怪獣映画のワンシーンだ。


 足の疲労が溜まる中、確実に轟音は大きくなっていく。

 私達は皆、運動が得意な方では無い。追いつかれるのも時間の問題だろう。


 ならば……やる事は一つだ。


「私が足止めします! 鏡島貴志と黒崎さんは、逃げて!」


 私の言葉に、すぐに鏡島貴志が反論する。


「っ! それなら俺が残る。せんゆう様の狙いは俺だ、俺が行けば全部解決する!」


 私が説得しようと口を開きかけた時、上から何かが降ってきた。


 それは……大きな、猿?

 新たな怪物の登場に、私達の間に緊張が走る。


 大猿は小さく鼻を鳴らし口を開いた。


「はあ、何を言っているんですか、上梨美沙も、お前も……」


「え? カサネ……なのか?」


 驚いたように目を見開き、恐る恐る鏡島貴志が確認する。


「ええ、そうです。私も怪物の端くれですから……尤も、あまり見せたい姿ではありませんが。それより、お前達はさっさと行って下さい。戦闘なんて、心が読めれば楽勝です」


 淡々とそう言い切ったカサネさんには、まるで気負った様子が無い。

 でも、事はカサネさんが言ったように楽ではない。


 せんゆう様は弱体化していると言っても、神様だ。

 怪物のカサネさんにとっても、決して楽な戦いではない。

 そしてそれは、きっとカサネさんも分かっている。


 そんな時、黒崎さんが口を開いた。


「……では、私もサポートしましょう。どうせもう年ですから、若い二人のペースには追い付けませんし」


 カサネさんはチラリと黒崎さんを見た後、せんゆう様の方に向き直る。

 そして、私達二人を追い払うように、無言で手を振るった。


*****


 あれから数十分、大蛇が蠢く轟音も、大猿の遠吠えも、今ではすっかり小さくなった。

 このまま山から出る事さえできれば、もう安全だ。


 ……そんな時、鏡島貴志が急に立ち止まる。


「どうしたの?」


「…………」


 私の問いに、鏡島貴志は答えない。

 原因は疲労か?

 いや、せんゆう様と離れてからは時々休憩もいれていた。

 まだ立ち止まる程の疲労は溜まってない筈だ。


 私が再び問いかけようとしたとき、彼はチラリと申し訳なさそうにこちらを見た。


「上梨……俺、ちょっと戻る」


「な、何を……」


「せんゆう様に、言い残した事があるんだ」


 そう言って、彼は駆け出した。

 私もすぐに追いかけるが、高校生の男女の体力差は大きい。

 次第に彼と私との距離は開いていく。


「なんで! なんでそこまでするの……!」


 私の叫びに、鏡島貴志は立ち止まって振り返る。

 彼は真っ直ぐに私を見た。


「柚子の時みたいな後悔は、したくないんだ」


 彼の言う後悔の意味……それが具体的に何なのか、私には分からない。

 けれど、それは確かに彼にとって大切な事なのだろう。


 それでも、私は考えてしまう。

 私と一緒に逃げて、明日香ちゃんもいて、それで終わりじゃあ駄目なのだろうか、と。

 ……きっと、駄目なんだろうな。

 私は、鏡島貴志の事をよく知っているのだ。


 だから、私は彼にゆっくりと近づく。


「ねえ、鏡島貴志……」


 彼の目を見る。

 なるほど、カサネさんの言う通りだ。

 こちらをよく見ている。


 この読み解こうとするような目は、母親の機嫌を窺っていた事が原因だ。

 だけど、ずっと逸らされていた目が人に向けられるようになったのは……あの儀式の日、私を見ようとしてくれたから。


 私は彼の目を見つめながら、囁くように言葉を紡いだ。


「……貴方の事が、好きです」


 そう言って私は、キスをした。

 恥ずかしかったから、軽く触れるように。

 でも、唇に。


 彼は小さく「ありがとう」と言った後、せんゆう様の所へ駆けて行った。

 彼の背を見送る私の胸に、不思議と不安は無かった。


 私は、鏡島貴志の事をよく知っているのだ。

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