第81話 愛執

「……お前は誰だ?」


「愛しい人、分かっているだろう? なにせ、この体に魔力を注いだのだから。私を求め、命すらも冒涜し、私を蘇らせてくれたのだろう?」


 目の前の幼女は蕩けたような笑みを浮かべ、そっと口を耳元に寄せる。


「私こそ、君の運命の相手……せんゆう様、その人だとも」


 その囁きに、ゾワリと総毛立つ。

 俺は、なんて存在を蘇らせてしまったんだ。


 そもそも何故、柚子ではなくせんゆう様が蘇った?

 何故、俺に執着する? 愛しい人って、どういう事だ?


 疑問が頭を埋め尽くし、思考が停止する。

 しかし、俺の事などお構いなしに状況は動いて行った。


「そこのお前達も、私の再臨に協力してくれたようだね」


 せんゆう様は、神威を前に硬直した叔父さん達を見る。


「お前達にも褒美をやろう。三日後に私達の婚姻を祝う祭りを行いなさい。そして、そこで豊穣でも怪物狩りでも好きに願うと良い……さすればそれは現実となる」


 せんゆう様はそう言って鷹揚に頷くと、再び俺を見た。


「さあ、参ろうか。愛しい人よ」


 パッと、視界が切り替わる。

 目の前には、森に囲まれた広大な湖が広がっていた。


 叔父さんの交差点しかり、柚子の神社しかり、いつものアレ。

 神隠しという奴だ。


「……あの、いまいち状況が掴めないんだが、色々教えてくれないか?」


 俺は少々気後れしながらも、ひとまず雑談を開始する。

 せんゆう様と相対している今の状況は、上梨を人に戻すという目的を考えると、決して悪くない。

 お願いのしようによっては、上梨を直接人に戻せる可能性すらある。

 

 何にせよ、今は情報を得る事が先決だ。


「ん? ああ、そういえば今の君は、神域に入るのは初めてだったね。ここはね、私の家のようなものなんだ。美しい所だろう? 森の獣さえ君に危害を加えない、だから安心して楽しんでくれ」


「あ、いや、ここの事じゃなくて……何故俺がここに招かれたのかを知りたいんだが」


 俺の言葉に、せんゆう様は酷く寂しげな顔をする。

「……全て、覚えていないのだものね。そうだな、では、私と愛しい人との馴れ初めは知っているか?」


「ああ、浮気されて、子供に妻を食わせて……みたいな?」


「そ、そんな身も蓋も無い! 記憶が失われているとはいえ、なんという事を言うのだ!」

 せんゆう様は、酷く傷ついたような顔で声を上げる。


「え、でも俺はそういう風に聞いたんだが」


「……これも、時の流れか。まあよい、私の長年の望みはいま叶ったのだ。改めて当時の話をするのも良いだろう」


 せんゆう様は一人で納得すると、静かに落とし子の真実を語りだした。


「私は数百年前、土地を守るかわりに毎年一人の娘を生贄として要求していた。愛しい人、君は八人目の生贄だったんだよ」


 ……これは恐らく、柚子の時と同じように俺の前世か、そのまた前世か、とにかく俺と同じ魂を持っていた人間の話なのだろう。

 というか、数百年前の俺は女だったのか。

 なんとも妙な気分だ。


「私は最初、今までの生贄と同じように君を喰おうとした。だが、君は変な女でね。荒神の私を前にして良く喋り、時に私の意見を求めた。生まれてこの方、化け物と変わらない扱いしか受けた事が無かったから、本当に驚いたよ」


 せんゆう様は、昔を懐かしむように目を細める。

 荒神とは思えない程に穏やかな表情だ。

 きっと、本当に大切な思い出なのだろう……。


「私は君と、色々な事を話した。幸せな日々だった、孤独を忘れられた……荒神と畏れられた私の心に平穏が芽生えたんだ……だが、彼女は優しすぎた」


 ふっと、せんゆう様が悲しげに笑う。


「私の山に来ていた男がね、偶然君に会ったんだ。君は奴にも優しかった。奴は君に惚れ、君を助け出す等とほざいた。そうして奴は人々を先導し、私を悪神として討ったのだ。卑怯にも私を酒で眠らせてね……だが、私は君を愛していた。ただでは死なない」


 せんゆう様は、その空色の目で俺を舐めるように見つめる。

 そして、蕩けるような笑みで言葉を並べ立てた。


「君を誰にも奪われたくなかった、絶対に! だから私は、自らの頭を切り落として、子を創った。そして、その子に君を喰うように命じたんだ。私が復活するその時まで愛しい人が誰のものにもならぬようにね」


 これが落とし子の誕生秘話という事か……狂ってるな。

 柚子にしろ、せんゆう様にしろ、神というのはこういう奴しかいないのか?


「なあ、俺が上梨……落とし子と出会ったのも、俺の前世が落とし子と出会ってたのも、全部仕組まれてたって事なのか?」


 果たして、せんゆう様は鷹揚に頷く。


「落とし子は何度討たれても、君が輪廻を繰り返す限りは世に生れ落ちるからね……結果、私は再び巡り逢えたんだ!」


 そして、せんゆう様はとても誇らしげに俺を見る。


「どうだい? 私の愛は、あんな男よりよほど深いだろう?」


 こんな事、自分にしかできないだろう、自分の愛こそ本物だろう、口には出さずとも、せんゆう様のそんな気持ちが伝わる様だった。


「……つまるところ、上梨が俺を好きなのも、柚子が旦那様と呼んで俺を求めたのも、全てが呪いのせいって事か」


「ふふ、子が母を愛する気持ちを、そんな風に言うものではないよ」


「呪いも、洗脳も、刷り込みも、全部同じようなもんだろ……」


 上梨の悲痛な声も、柚子の哀しい涙も、全部こいつに仕組まれていた。

 しかしそれでも、俺はこいつを嫌悪する事ができない。

 彼女達の心は、やはり彼女達のもので……せんゆう様の愛は、上梨や柚子のそれと酷く似通っているのだから。


 悲しいくらい不器用で重い愛を、落とし子達に愛された俺は否定する気になれなかった。


 何はともあれ、せんゆう様が、俺や皆に危害を加える事は無さそうだ。

 であれば俺は、今できる事を精一杯するとしよう。


「……なあ、せんゆう様。一つ頼み事をしても良いか?」


「なんだい? どんな願いでも叶えるとも!」


「じゃあ、落とし子の呪いを解いて欲しい。ほら、俺はもうここにいるんだから、必要は無いだろ?」


「ああ、あれはもう解けているよ。君の言う通り、あの術の目的は達されたからね」


「落とし子はもう人に戻ってるのか!?」

 はやる気持ちを抑えられず、俺は食い気味に質問する。


 せんゆう様は、優しく微笑み頷いた。


「……良かった」


 上梨が、人になった。

 俺は安堵感から足の力が抜け、思わずその場にへたり込む。


 予想外にあっさりと解決したな、やはり神は偉大だ!


 しかし、三人で秋を過ごすというのは難しくなってしまったな。

 明日香には申し訳ない。


 だがまあ、三人とも生きているのだ!

 これで、明日香が時間遡行をする事も無い。

 上梨には、会いたかったけど……仕方が無い。

 うん、仕方が無いという事は、往々にしてあるものだ。


 ……明日香が繰り返してきた時間を考えれば、これが最良の結果である事は間違いない。

 だからきっと、胸に渦巻くこの感情もすぐに消えて無くなる筈だ。


 俺はとても明るい気持ちで、美しい景色を眺めた。

 さざ波一つ立たない湖、青々と茂る森の木々、どこまでも広がる青空。

 別に、せんゆう様も悪い奴じゃない。いや、悪い奴か。

 でもまあ、ここはそんなに悪い場所でもないだろう。


 だから俺は、大丈夫。


 突然、せんゆう様が慌てた様子で俺を見る。

「い、愛しい人よ! 泣いておるのか? 何があった? 大丈夫か? どこか痛いか?」


 泣いている?

 俺は怪訝な顔で目元に触れる。

 指を確認すると、濡れている。


 ……確かに俺は、泣いているらしかった。



+++++



「さあ、参ろうか。愛しい人よ」

 そう言って、せんゆう様と一緒に貴志が消えた。


 突然の事態に、私達はただただ固まる。

 最初に正気を取り戻したのは、おじさんだった。


 おじさんは慌てている笹原さんを落ち着かせ、冷静な声で話しかける。


「笹原さん、狗で貴志君の居場所は探れますか?」


「は、はい! やってみます!」


 笹原さんが、懐から札を取り出して放る。

 札を燃やしながら現れた狗は、すぐさま周囲の臭いを嗅ぎ始めた。

 しかし、狗はフンフンと鼻を鳴らし続けるばかりで、一向に走り出す様子は無い。


「……駄目です、まるで痕跡がありません」


 笹原さんは項垂れ、小さな声で結果を伝えた。


 ……私のせいだ。

 今までループした時は、柚子ちゃんを生き返らせようなんて話にならなかったから、可能性があるかもしれないと思ったのに……完全に失敗だった。

 余計な事、言うんじゃなかった。

 やっぱり、どうしようもないんだ。


 今まで、何回も繰り返した失敗。

 今回も結局、その一つでしかなかったんだ。


 笹原さんが色々な所に電話をかけ、おじさんが必死に資料を漁るっている。

 そんな中、私は小さくその場に蹲った。


 何度も何度も泣いたのに、やっぱり貴志がいなくなったら泣きそうになる。

 私の涙がいよいよ零れ落ちそうになった時、肩に手が置かれた。


「明日香ちゃん、顔を上げて下さい」


「……カサネちゃん」

 そういえば、カサネちゃんはどこに行ってたんだろう?

 話し合いの時もずっと黙ってて、いつの間にかいなくなっていた。


 カサネちゃんは不器用に笑いかけると、すっと立ち上がる。


「黒崎様も笹原様も聞いて下さい。私は先ほどまで、せんゆう様の神域にいました。あいつは、せんゆう様と一緒に今もそこにいます」


「それは本当ですか……!」

 叔父さんが手に持っていた資料を捨て、掴みかかりそうな勢いでカサネちゃんに詰め寄る。


「ええ、私はずっとあいつに憑りついていたので、神域に侵入できました」


「侵入が、せんゆう様にバレた可能性は?」


「ありません。もともと大蜘蛛様の為の儀式だったせいか、今のアレは神と呼べない程に不完全です。尤も、仮にも神域ですから長居はできませんでしたが……」


 カサネちゃんが、なんでもない事のようにそう言った。

 その様子は、とても落ち着いている。

 

「ねえ! 貴志は無事だったんだよね!?」


「ええ、せんゆう様は、あいつに危害を加えるつもりは無さそうです。それと、せんゆう様の呪いも解けたと言っていました。既に、神の蛹は人に戻りつつある筈です」


 上梨さんが、人に戻る。


 ……信じられない。

 貴志も生きていて、上梨さんも人に戻った。

 あと少しで、幸せな日々に手が届く。


 未来なんて分からない、貴志が言った通りだ。

 でもまだ、三人で紅葉狩りをするには少し足りない。


 貴志は死なずに上梨さんを助けた。

 だったら、次は私が死なずに貴志を助ける番だ。


「待っててね……貴志」

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