第80話 未知

 家のリビングには、俺、明日香、カサネ、叔父さん、笹原さんの五人が、一堂に会していた。

 上梨が殺されるのは二日後、時間的に考えても今回の話し合いで実現性の高い作戦がまとまらなければ、上梨を人に戻すのは難しい。


「じゃあ、叔父さん。上梨を人に戻す方法の概要を説明して下さい」


 叔父さんは頷き、資料を広げて話し始める。


「最初に、せんゆう様の落とし子について簡単に説明します。せんゆう様の落とし子とは、せんゆう様がこの千雄町に掛けた呪いによって誕生する怪物の総称です。そして、私は貸し出された資料から、千雄町の呪いについての詳細な記録を見つけたんです!」


 叔父さんは興奮しているのか、次第に早口になっていく。


「それで分かったのですが、大昔に掛けられた千雄町の呪いが今も効力を発揮し続けているのは、せんゆう様が妻に不貞を働かれた時の記憶の残滓……せんゆう様の怨念のような物によって呪いが保たれているからなんです!」


「じゃあ、その怨念をどうにかすれば良いんですか?」


 俺の質問に、叔父さんは嬉しそうに笑う。


「ええ、そうです! 千雄町の呪いとは、言ってみれば怨念による精神の怪物化ですから。では、貴志君はどうやってその怨念を鎮めれば良いと思いますか?」


 叔父さんの、いつもの癖が出た。

 話をさっさと進めたいので、俺は適当にそれらしい回答をする。


「せんゆう様を宥めるとかですか?」


「惜しいですね、少し違います。せんゆう様が死んでいる今、せんゆう様の怒りを鎮める事はできません。感情は、記憶の残滓として切り取られた時点で、ただの現象になりますから。何をしようが怨みは怨み、怒りは怒りとして、その在りようが変わる事はありません」


「……じゃあ、どうするんですか」


「千雄町に、新しく神話を創ります」


 叔父さんは、まるで楽しい遊びを見つけた子供のように笑みを深める。

 

「千雄町近辺は今、大蜘蛛様が死んだばかりで氏神がおらず、酷く不安定な状態にあるんです。そこで、新たに氏神を立てる必要があります。その際、せんゆう様が怨みを鎮め、名を変えて新たな神として顕現したというシナリオを創るんです。そうすれば、神の存在を保障として怨念は鎮まった事になりますから」


 俺達に都合の良い神話を捏造して、その神話が事実だと言っている神に千雄町を統治させる、みたいな感じか……。

 神の影響力は凄まじいな。

 それとも、いいかげんなだけだろうか?


「さて、私の見つけた美沙さんを人に戻す方法の概要は以上です。そして、肝心の新しく立てる神が見つかっていません。これについては、貴志君から提案があると聞いていますが?」


 事前の根回し通り、そのまま俺の話すターンが回ってくる。

 今回の話し合いは、実質的に笹原さんを納得させる為の集まりだと考えて良い。

 であれば、話のペースはこっちで握っておきたい。


「……俺は以前、大蜘蛛様に会って色々な事を話しました。その時、俺は死者蘇生の方法を聞いたんです」


 叔父さんの目が、露骨に見開かれる。

 もしかして、まだ娘さんの蘇生をあきらめていないのだろうか?


「大蜘蛛様は大抵の死者蘇生は嘘だと言っていましたが、叔父さんが以前に行った儀式と、もう一つ……現世に留まっている魂を適当な器に入れれば、不完全ながら死者蘇生を実現できると言っていました。ここにいるカサネも、その方法で生き返っています」


 皆の視線が、カサネに集中する。

 実際に生き返った奴がいるんだ、説得力としては十分だろう?


 俺は笹原さんの反応を窺いつつ、更に言葉を続ける。


「資料にもある通り、俺は大蜘蛛様の魂を取り込んでいます。その魂をなんらかの器に収めれば、大蜘蛛様は生き返る……これで、叔父さんの作戦は実行できる筈です」


 笹原さんは俺の話を聞き終わると、難しい顔をして叔父さんを見る。


「先生、私はあまり魔術に詳しくないのですが、神の魂に耐えうる器なんてそう簡単んに見つかるのですか?」


「ええ、せんゆう様のミイラを使います。同じ土地の神同士、親和性も高いので問題無いでしょう」


 ……なるほど、と呟き、笹原さんはノートパソコンの画面と資料を見比べる。


「恐らく、ミイラの使用許可申請は通るでしょう、というか通します。後は、奉納演舞の予定地……亜神の徘徊場所と重なっていますよね? 今のままだと、奉納演舞の準備中に人的被害が出る可能性があります。奉納演舞の場所は変更できますか?」


 笹原さんは真剣な表情で、叔父さんにそう問いかける。

 対する叔父さんは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。


「今回の演舞は、せんゆう様と大蜘蛛様の神格をまとめるという性質上、どうしても位置は動かせません。美沙さんのをどこかに誘導する方向で考えられませんか?」


「……安全が確保できる程の誘導は難しいです。亜神が眠りにつく二日後までは、山から出られないよう結界を張っていますから」


「結界を一時的に解く事は?」


「民間人に危険が及びます。上も、私も、許可しません」


 笹原さんは、毅然とした態度で返答する。

 上梨を眠らせて殺す作戦と、同等かそれ以上に安全な作戦を提案しない限り、笹原さんが折れる事は無いのだろう。


 その後も話し合いは続き、奉納演舞の準備場所に結界を張る案や、上梨に追加の睡眠薬を撃つ案などが出たが、どれも実現性が低いとして流れて行った。


「……じゃあ、俺が囮になります。上梨は、俺がいる限り俺に執着する筈だ。奉納演舞の準備中に俺が———」

 

「絶対! ダメ!」

 ずっと黙っていた明日香が声を上げる。


「それだと、貴志が死んじゃうから、ダメだよ……」


 明日香は今にも泣き出しそうな顔で、俺に訴えかける。


「……分かった」


 俺は、明日香に死なないと約束した。

 それが無くとも、あんな顔をされたら分かったと言う他ない。


「うーむ、なかなか良い案が浮かびませんねえ」


 叔父さんは顎を触りながら唸る。

 どうにも手詰まり感が強い。


 場に緊張の漂い出した時、明日香が口を開いた。


「だったら、ゆずちゃんに聞くのは?」


 その提案を聞き、叔父さんは感心したように声を上げる。


「なるほど……確かに大蜘蛛様ならば、我々の知らない事を知っているかもしれません。明日香さんは考え方が柔軟ですね、私では怪物や神に頼るなんて発想出てきませんでしたよ」


 明日香は両頬に手を当てて、照れ臭そうに笑う。

「えへぇ……おじさん、ありがと! たかしも、ほめて!」


「ん、おう……凄いな、11歳にして天才の頭角を現している。フォン・ノイマンの再来かもしれん」


「ふふ……」

 俺の適当な言葉に、明日香は小さな声で、しかし本当に嬉しそうに笑った。


 なんだ、その反応は……。

 いよいよ、失敗する訳には行かなくなったではないか。



+++++



 あれ以降、明日香以上の案が出なかったので、俺達は博物館に来ていた。

 閉館間近の博物館に人は少なく、スムーズに通路を進んで行く。


 あった、あのカーテンだ。


 俺は他の客に気取られないよう辺りの様子を窺いながら、慎重にカーテンの奥へ進む。


「ふふっ、そんなにこっそり行かなくても、人払いの結界があるから大丈夫ですよ?」


 笹原さんは可笑しそうに笑いながら、普通にカーテンの中へ入って来る。

 ……クソッ、なんか恥ずかしいな。


 羞恥心を頭から追い払い、俺は改めて神のミイラに目をやる。

 何度見ても、とんでもない威圧感だ。


 俺は小さく身震いし、蘇生の準備を始めた二人を見る。


 明日香は不均一ながらも何処か整然とした魔法陣を描き進め、叔父さんは肉で祭壇を組み立てている。

 そんな仰々しい準備の様子に期待が高まる中、着々と作業は進んでいった。


 最後に、叔父さんがミイラにネックレスをかける。

 妙に細長い指が鎖のように繋がった、何とも不気味なネックレスだ。


「……なんすか、それ」


「ああ、これは大蜘蛛様の御神体です。今回の儀式は初めてですが、降霊術と同系統の術式ですから基本理論に則って……まあ、お守りの様なものです」


 途中で、詳細な説明を俺が理解できないだろうと思いなおしたのか、叔父さんは雑にまとめて曖昧に笑った。

 俺も曖昧に笑い返す、なんとも微妙な空気が流れた。


 まあ、叔父さんの予想通り理解できない俺としては、ありがたい配慮だ。

 ……ともかく、準備は整った。


「それでは、貴志君。魔法陣に入ってミイラと向き合って下さい」


「……はい」

 促されるまま、俺は白い布の上を通って魔法陣に入る。


 そして、ミイラと向かい合う。

 叔父さんと明日香の唱える呪文が共鳴し、ビリビリと空気を揺らした。

 魔力が渦巻いているのを肌で感じる。

 暑くも無いのに汗が吹き出し、寒くも無いのに鳥肌が立つ。


 車酔いにも似た気分の悪さに耐えること数分。


 魔法陣の外周から、純白の炎が立ち上った。


 瞬間……ズルリ、と俺の手から蜘蛛の肢が伸びる。

 一本、また一本、次々に伸び出た八本の肢は、探るように俺の腕を撫でた。

 そして遂に、俺の腕から蜘蛛が蠢き這い上がる。

 

 精神世界で呑んだ、白い小蜘蛛。

 柚子が流した、最後の一滴。


 それは一度だけ俺の顔を見た。


 蜘蛛は俺の腕から飛び降り、ミイラから逃れるように移動する。

 しかし、蜘蛛の体は三歩も行かない内に溶け落ちた。

 解けた液体は、吸い込まれるようにミイラの口へと呑まれていく。


 空気が、澄んだ。


 気が付くと目の前にあった筈のミイラは、神社の中で旦那様だけを想い続けた幼女に、その姿を変えていた。


 幼女が、ゆっくりと目を開く。


「嗚呼……やっと逢えたのだな、愛しい人」


 幼女の瞳は、俺の記憶にこびり付いて離れない漆黒ではなく、目も覚めるような空色だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る