第78話 連累

「旦那様って……どういうつもりだ?」


 俺の質問に、カサネは意外そうに俺の目を見つめる。


「そっちですか、てっきり問題解決の方に食いついてくると思っていたのですが」


「いや、まあ……そっちも気になるが」


 カサネは俺に父としての役割を求めていたはずだ。

 だというのに、カサネは俺にキスをした。

 そこから出てきた『旦那様』という言葉、嫌でも柚子を想起させられる。


 そんな状況で、一番最初に自分の問題を気にして見せるのは、父の真似事をしている者としてできる訳がなかった。


「お前は本当に妙な奴ですね……神の蛹や、明日香ちゃんの事も、あくまで他人の問題と考えているのですか」


「……ああ、繰り返す事を選んだのは明日香で、俺を喰ってまで人になりたくないと考えているのは上梨だ。結局、俺は二人の決定に我儘を言っているだけなんだよ。全部エゴだ」


 カサネは小さく笑う。


「だから私の問題も、他二人の問題と等価に扱うと?」


「そりゃあ、そうだろ。上梨には彼氏になりたいと言ったし、明日香には友達だと言ったし、カサネには父親をやってやると言ったんだ。皆、大切なんだよ」


「……ふん、浮気者ですね。まあ良いです、弱っている所に付け込めば御しやすいだろうと考えた私も浅はかでした。順を追って説明しましょう」


 再び歩き出したカサネの後を追って、夜道を歩きだす。

 偶然、二人の足音が重なった。

 ……まあ、だからどうという事も無いが。


「お前は、諸々の問題を解決するのに何が必要か分かりますか?」


 カサネの問いに、俺は数秒考える。


「上梨と俺が、人のまま生き残る事だ」

 そうすれば明日香が夏を繰り返す理由も無くなり、晴れて俺達は夏の終わりを満喫する事ができる。


「その通りです。そして主な課題になってくるのは、せんゆう様の落とし子の性質と、警察の特殊災害対策部の二つです。尤も、笹原様がこちら側なので、神の蛹を人間にする現実的な方法さえ見つけられれば、警察の協力も得られるので問題はほぼ解決と見て良いでしょう」


「……その方法を、カサネが見つけたのか?」


「見つけたのは、黒崎様です。我々に協力する神さえいれば、千雄町に掛けられたせんゆう様の呪いを解き、蛹を人間にする事ができるのです」


 叔父さんは、そんな壮大な事をやろうとしていたのか……。

「だが、そもそも神を見つけて協力させるという作戦が非現実的だから、今みたいな状況になってるんだろ」


「まあ、普通に考えたらそんな都合の良い神などいません」


 カサネは皮肉気に笑みを深める。


「でも、お前にはいるではないですか、酷く都合の良い神が」


 その表現は気に食わないが、カサネの言いたい事はハッキリと伝わった。

「……柚子の事か」


「そうです、母を生き返らせれば良いのです。死者蘇生に必要な生贄は、死者の血縁者と、死者を喰った怪物の二つです」


「死者の血縁者って……カサネ、お前が生贄になる気なのか? それに、そもそも柚子を喰った怪物なんていないだろ」


「……いますよ」


 カサネが小石を蹴る。

 そのまま小石は転がって、カツンと音を立てて側溝に落ちた。


「私が大蜘蛛様とお前の魂を混ぜようとした時、大蜘蛛様の一部を呑んだでしょう?」


 確かに、柚子を振った後、俺は溶けた小蜘蛛を呑んだ。

 最後に愛してると言った、柚子の気持ちを知りたかったのだ。


「あの時、少量ですが神の魂はお前の魂と混ざりました。存在というのは、魂の在り方で決まります。お前はもう、立派な怪物ですよ」


 お揃いですね、等と言ってカサネは馬鹿にしたように嗤う。

 気づかぬうちに怪物となっていたとは、なるほど中々に笑える話だ。

 尤も、己が当事者であれば、ただの笑えない話だが。


「怪物になると、人はどうなるんだ?」


「さあ、分かりません。ただまあ、自覚の有無はともかく精神の在りようは変わっている筈ですよ。原理的には、神の蛹がお前を喰うのに抵抗を覚えなくなるのと一緒です」


 カサネが話しながら、急に立ち止まった。


「さて、続きはお前の部屋で話しましょうか」


 暗くて良く分からなかったが、もう家に着いたらしい。

 俺は、自分が気づかぬうちに変わっていたという事実をどう捉えるべきか考えながら、カサネに続いて家に入った。


+++++


 俺は濡れた服のまま自室に戻り、ベッドに腰掛ける。

 グチャリと、尻に嫌な感触を覚えた。


「うわ……」


 確実に、濡れたズボンだけでは説明できない不快感だ。

 布団を捲ると、そこには血に濡れた生肉が配置されていた。

 生臭く、触るとヌメヌメしている。


 そういえば、叔父さんが儀式の時に上梨を生肉の祭壇に乗せていた。

 きっとそれと同じものだろう。


 最初こそ生肉に驚いたが、今は上梨や明日香の事もあり、すぐにどうでも良くなった。

 俺は改めてベッドに腰掛け、隣に座るカサネを見る。


「カサネ、先に言っておくが俺が死ぬ解決方法はとれない。上梨を人にする為に俺が死んだ場合、上梨は自殺すると明日香から聞いたんだ」


「ええ、私もそれは明日香ちゃんから聞いています。その為に、時間遡行の儀式も同時に行う予定です」


「同時に……?」


「はい、この部屋には死者蘇生と時間遡行の術式を重ねています。そこでお前には、蘇生の生贄と時間遡行を同時に行ってもらうのです。こうする事により、お前はこの世界で死に、過去の世界で生きたまま大蜘蛛様を手にする事ができるという寸法です」


「そんな都合の良い事、本当に可能なのか?」


 俺の言葉に、カサネは不満げな声を出す。


「神の娘が本気で準備して、命まで捧げて発動する魔法ですよ? あまり舐めないでいただきたい」


「……そうだな、すまん」


「分かれば良いです。それでは、本題に入る前に私の気持ちを全て伝えてしまいましょう」


 カサネは俺の頬に手を添え、じっくりと瞳を覗き込む。


「お前は、私の旦那様になるとはどういう意味かを気にしているようですね」


 俺の心を読んだのだろう、カサネを返事を待たず、更に言葉を続ける。


「旦那様になるとは、私を一番に考えて欲しいという意味です。明日香ちゃんでもなく、神の蛹でもなく、私を、です。と言っても、そんなに無茶を言うつもりはありませんよ、死ぬまで私を一番愛して欲しいだけです」


 それは、酷く欲張りな提案に思えた。

 だが、よく考えるとこれ以上なく譲歩された提案だ。


「……それはつまり、過去に戻ったら好きにして良いという意味か?」


「ええ、簡単でしょう? 儀式が終わるまでの数十分の間、愛してくれればそれで終わりです」


 なんだ、それは。

 カサネは本当にそれで良いのか?

 そもそも、なんで俺に旦那様である事を求める?

 訳が分からない……カサネは、俺に父性を求めていたはずだろう?


「お前はまた、ごちゃごちゃと考えているようですね。どうせ、逐一説明しないと納得しないでしょうから、説明してあげます」


 カサネは面倒くさそうにため息を吐き、ベッドに倒れ込む。


「まず、私はこれで良いのかという問ですが、良いんです。どうせ、今の私は儀式と共に死にますから。母の様に自分の死んだ後の事までどうこう言うつもりはありませんよ。十数年しか生きていないお前には分からないかもしれませんが、好きな人に愛されながら死ねる事は、とても贅沢な事なんです」


 カサネはベッドの上を転がり、俺の背にぶつかった。

 そのまま背後から肩を掴まれ、ベッドの中に引きずり込まれる。

 濡れた服も相まって、ジメジメとした温かさが変に気持ち悪い。


 生肉と血に塗れた布団の中で、カサネが俺の背に触れる。


「次に、何故お前を求めるのかという問ですが、お前が良いからです。お前は、恋が芽生えるには、明確な理由や出来事が必要であると考えているようですから教えてあげます。感情というのは、もっと曖昧で単純なものですよ?」


 カサネの腕が、ゆっくりと俺の体に回される。

 カサネに抱きしめられているのだ。


 鼓動は早まり、顔が熱くなる。


 カサネの腕に込められる力が、ことさら強くなった。


「お前が父親になると言ってくれて、それが嬉しかった。お前の心を読むたび、私の事を真剣に考えてくれているのが分かって、嬉しかった。お前が私の話を最後まで聞いてくれて……嬉しかった」


 カサネの言葉は、親の記憶と向き合った事を肯定されているようで心地いい。

 俺は間違っていなかったのだと、幼少の頃の自分が許されたかのようだった。


 カサネの体温が伝わり、じんわりと俺の体を温める。


「そんな嬉しかった事を積み重ねて、私はお前を好きになりました。きっと、この好きって感情には、母に聞かせれてきた旦那様への憧れや、私が人と関わってこなかったからこその惚れっぽさ、みたいな身も蓋も無い感情も混ざっています」


 カサネは、すっと俺の体から腕を離す。


「でも、それで良いんです。私がこれを、恋で、愛で、好意だと決めたから」


 こっちを向いて下さいと、カサネは俺に寝返りを打つよう促す。

 言われた通りに体の向きを変えると、思っていた以上にカサネとの距離が近い。

 しかし、暗くてカサネの顔は良く見えなかった。

 最初にカサネの表情が気になって、次に自分の表情が気になる。


 暗闇の中、カサネはモゾモゾと動いて俺から少し距離をとった。


「お前は、神の蛹が好きだから告白したんじゃありません。求められたから告白したんです。お前の中では、私も、明日香ちゃんも、神の蛹も、同等に愛されている……だから、お前が一番と決めたのなら、例え向けられた愛が他の女と同じ愛でも、それが一番の愛なんだと私は思います」


 カサネはゆっくりと動き、俺の体に覆いかぶさる。

 電気の消えた部屋で、月光と蝋燭の明かりだけが幽かにカサネの顔を照らしていた。

 その顔は初めて会った時と同じように無表情で、感情は全く読み取れない。

 でも、俺はカサネの手は小さく震えている事に気が付いた。


「お前が死ぬその瞬間まで……私を、一番にして下さい」

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