第77話 停滞
スマホの画面に映し出されたのは、あの日と同じ光景。
散らかった部屋、大きなベッド、その中心で佇むロリータファッションの幼女。
「……やっぱり、見つけてくれるんだね」
画面越しに、明日香が緩く微笑む。
この配信の閲覧人数は一人。
その言葉は、確かに俺へと向けられたものだった。
呼吸が浅くなるのを感じながら、祈るようにコメントを打ち込む。
『何の配信なんですか?』
「分かってるでしょ……?」
明日香はゆっくりと、机の下からカラフルな紙を取り出す。
その紙には予想通り『じさつはいしん!』と書かれていた。
その文字を見た瞬間、俺は転がるように部屋を飛び出した。
部屋着のまま、サンダルをつっかけて外へ飛び出す。
明日香の家はすぐ近くだ、きっとまだ間に合う。まだ自殺していない、大丈夫だ。そう自分に言い聞かせ、俺は転びそうになりながらも、なんとか明日香の家へと辿り着いた。
インターホンなんて鳴らしている暇はない。
幸いな事に、玄関は施錠されていなかった。
俺は真っ直ぐ明日香の部屋へ向かい、半ば扉を壊すような勢いで部屋に押し入る。
「明日香!」
「あ、貴志……早かったね」
随分と気の抜けた表情で、明日香は振り向く。
まだ死んでいなかったと、一瞬安堵する。
しかし、明日香の手にはしっかりと包丁が握られていた。
「自殺の時間まで、もうちょっとあるから話そっか?」
「どういう意味だ、なんで自殺なんてする必要がある?」
「うん……最後だからね、全部話すよ」
明日香の口調は酷く落ち着いていて、平坦で、まるで俺の知っている明日香では無いようだった。
明日香がゆらりと立ち上がる。
「私、未来から来たの。それで、何度も何度もこの夏を繰り返してる」
驚いたでしょ? と、悪戯っぽく明日香は微笑んだ。
「……カサネの言っていた、時間遡行の儀式というやつか?」
「そう! 貴志、聞いてたんだ。まあ、カサネちゃんにそっちの方は口止めしてなかったもんね」
明日香は一人納得したように頷き、言葉を続ける。
「私の一番最初の時……えっと、まだ時間遡行をしてなかった一回目の夏の話ね? 上梨さんが、毒酒を浴びた貴志を食べて人間に戻ったの。それで、上梨さんは発狂して自殺しちゃった」
「…………嘘だろ」
思わず声が漏れる。
だってそれは、何かが少しでも違えば俺が通っていたかもしれない未来だから。
明日香は困ったように、俺を見つめる。
「……それでね、上梨さんも貴志も死んじゃったから、ずっと魔法の勉強してたの。おじさんにも、カサネちゃんにも手伝ってもらった。それで、高校生の時、時間遡行の魔法を完成させた」
明日香の言葉に、一つの結論が頭を過る。
「つまり明日香は、時間を繰り返すのが辛くなって自殺しようとしているのか?」
もしそうだとしたら、俺は明日香を止める事ができない。
だから俺は、違っていてくれと祈るようにその質問を口にした。
明日香は優しく微笑む。
「……違うよ」
その言葉に俺は安堵し、次の言葉で愕然とした。
「時間遡行をする為に自殺するの。大切な記憶を思い出しながら自殺したら、記憶だけその時間に戻れるんだ」
「明日香は今まで……何度自殺した?」
「分かんない」
明日香はぬいぐるみを抱きしめ、寂しそうに微笑む。
「でも、最後はいっつも同じなんだ……上梨さんも、貴志も、死んじゃうの。何回も、何回も、助けようとしたけど死んじゃうの。だって、警察も、せんゆう様の呪いも上梨さんを殺そうとしてるんだよ?」
明日香は包丁を弄びながら小さくため息をついた。
憂いに満ちた目で、明日香は俺を見る。
「それで、そんな風に時間を繰り返してたら、どんどん大切な思い出も忘れちゃって……最初は初めて貴志に見て貰えた日まで戻れたのに、今はぜんぜん戻れなくなっちゃった。ねえ、今回の私は、いつから未来人だったと思う?」
明日香の行動に違和感があったのは……。
「……神社から帰ってきた後か?」
「えへへ、正解! さすが、貴志だねぇ」
その嬉しそうな笑顔すら、俺には痛々しく見えて仕方が無い。
ぬいぐるみも、ロリータ服も、全部が全部、明日香の止まってしまった時間を示しているようだ。
明日香はやるせない笑みを浮かべながら、言葉を続ける。
「それでね、何回も何回も繰り返して……もう、諦めちゃった。そこから、できるだけ貴志と上梨さんが仲良く楽しくできるようにしようって思ったの。貴志達が苦しむ前に過去に戻って、幸せな日々を送ってもらったら、また戻る。それの繰り返し。まあ、今回はカサネちゃんにも手伝ってもらったのが変に拗れちゃったみたいだけど……」
「……最近、俺の家に来てなかったのも、本当は両親と連絡を取り合っていた事が理由じゃなかったのか」
質問とも、独り言ともつかない俺の言葉は、曖昧な笑みで返される。
その表情で、さとってしまった。
普通に考えて、娘が自殺未遂をしても干渉してこないような親が、少し話した程度で娘に構うようになるはずが無い。
「だったら、今まで寂しかったんじゃないのか?」
「私の事は良いの。上梨さんとも、貴志とも、私は二人の何倍も一緒にいたんだよ? だから、上梨さんが素直に甘えられるようになったら、二人でデートしてた方が良いよ」
……変に明るいその声音が、ただ辛かった。
俺や上梨の為に、延々と自殺を繰り返すだなんて正気の沙汰じゃない。
そんなのエゴだ。
自分を犠牲に上梨を人間にしようとした、俺と同じで。
「……俺は、もっと三人で一緒にいたいよ」
明日香はゆっくりと俺に近づき、背伸びをして優しく俺の頭を撫でた。
「そうだね……」
明日香は微笑み、俺の頭から手を離す。
彼女の手には、包丁が握られている。
「貴志も上梨さんも、大好きだよ」
明日香はニッコリと笑い、包丁を自らの首に向けて振りかぶった。
俺の脳裏に、銃口を向けられた上梨の姿が過る。
「……っ、待ってくれ!」
俺は咄嗟に手を伸ばす。
勢いよく喉に迫る包丁。
俺は手を大きく開く。
———そして、明日香の手を掴んだ。
「……待ってくれよ」
止める為の言葉を必死で考える。
でも、何も思いつかなかった。
手を握って離さない俺を、明日香は困ったように見つめる。
「貴志、これが私のやりたい事だから」
もともと何も言えていなかったのに、その言葉で本当にどうしようもなくなる。
きっと、繰り返すループの中で俺を黙らせる方法を学んだのだろう。
それでも俺は、絞り出すように声を発した。
「あと、三日だけ待ってくれ……」
明日香は、困ったように首を傾げる。
「……辛いだけだよ?」
「もう、十分辛いよ」
「そっか……」
明日香はそう小さく呟いて、包丁を降ろした。
+++++
独りで海に沈む夕日を眺める。
以前、三人で一緒に来た時は、あれだけ混みあっていたというのに、今では人など一人も見当たらない。
紅く照らされた砂浜には、明日香の作った奇怪な泥塊も、上梨の作った砂城も残っていなかった。
あんなに楽しかった思い出も、全て消えてしまったみたいだ。
長く、長く、息を吐き出す。
なんだか憂鬱で、やるせなくて、どうしようもなかった。
日が完全に沈む。
夜の海辺というのは、ここまで暗いものなのか。
ふと思い立ち、俺はジャブジャブと海に入る。
靴が濡れて重くなった。
さらに進むと、ズボンが濡れて体に張り付いた。
なんだか水を掻き分けて進むのが億劫になり、その場に座り込む。
ただなんとなく、海に入りたくなったのだ。
月光を反射する海面は、こんな時でなければ美しく思えたのだろう。
だが、今の俺では大した感想も浮かばない。
徐々に体温が奪われ、手足が冷たくなってくる。
このまま海に浸かっていたら、凍えて死ぬのだろうか?
そんな考えに思い至っても、俺は一向に動く気になれなかった。
ボンヤリと、波打つ海面を眺める。
「……お前、そのままだと風邪をひきますよ」
顔を上げる。
いつの間にか俺の隣にはカサネが立っていた。
「ほら、帰りましょう?」
「……分かった」
カサネに手を引かれて立ち上がる。
夜風は冷たく、濡れた服は酷く不快だった。
水を滴らせながら、カサネと二人で夜道を歩く。
鈴虫の声は、蝉と同じくらい煩かった。
そのまま無言で歩いていると、カサネが急に立ち止まる。
「……どうした?」
「私は、お前の困り事を全て解決できます」
「え……?」
突然の情報に理解が追いつかない。
俺はそのまま、三秒ほどカサネと見つめ合った。
改めて良く見てみると、彼女の表情は酷くこわばっている。
とても緊張しているようだ。
カサネが目を瞑った。
そして、静かに息を吸い込む。
「お前の問題を全部解決する代わりに……私の旦那様になって下さい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます