第69話 繋結

 風呂に入った後、俺はベッドに寝転がり小瓶を見つめていた。

 笹原さんから貰った毒酒。

 これを、ウニョウニョに垂らして上梨に喰われれば、上梨は人になる。


 ……これは言わば、最終手段だ。

 上梨が俺を喰いたくないと思っている事は、叔父さんの儀式の日によく理解した。

 つまり毒酒を用いるという事は、上梨を救いたいという俺のエゴを、上梨の意に反して通すに他ならない。


 やっている事は、母と同じ。


 以前の俺ならば、絶対に使わない代物だ。

 だが俺は、柚子の死を経験した。

 柚子を振れば彼女が死ぬことを知りながら、振ってくれと言われた俺は彼女を振ったのだ。

 それを俺は、今も後悔している。


 上梨が俺を喰って人になる事よりも、警察に殺される事を選んだら? 神に成る事を望んだら?

 俺は上梨と言う人格が死ぬ事を、上梨の為に選べるか?

 柚子の時と同じように……正しい方を選べるか?


 どちらが正しいのか分かっていて、それでも俺は悩んでいる。

 だからこそ、結論は出なかった。


 俺は思考を止め、何となく部屋を見渡す。

 そして、今朝カサネが部屋中に配置していた石の一つを、なにげなく摘まみ上げた。


 随分と丁寧に装飾された石だ。


 ……あ。

 何で今朝気が付かなかった。蝋燭と石、明らかに何らかの儀式の準備だろ!

 以前カサネが神降ろしの儀式をしようとした時も、今と同じように場の準備を整えていた。


 数カ月後に上梨の羽化が控えているという現状、カサネが何らかの儀式を行おうとしているという事実は無視できない。


 俺はベッドから飛び降り、カサネを探そうとドアを開ける。


「うお!」


 眼前に、カサネがいた。


「どうしたんです? そんなに慌てて」


「カサネ、この石と蝋燭で何の儀式をしようとしている?」


 俺の質問に、カサネは鉄仮面を崩さず返答する。


「死者蘇生と、時間遡行です」


 死者蘇生と聞き、じっとりと背中が汗ばむ。

 あの儀式には死者を喰った怪物と、死者の血族、その二つの命が必要だ。

 そんな儀式を、カサネが?


「……何の為にその儀式をするか、聞いても良いか?」


「良いですよ。その代わり、儀式の準備を手伝って下さい」


「分かった、何をすればいい?」


「とりあえず、ベッドに入って下さい」


 俺が言われた通りベッドに寝転がった事を確認すると、カサネは電気を消す。

 急に暗くなった事で、何も見えなくなる。

 ギシ、とベッドが歪む。

 目が闇に慣れる前に、耳元で声がした。


「時間遡行には、強烈な思い出が必要なんです」


「うお! おい、驚かすなよ。それで、強烈な思い出ってのはどうやって作るんだ?」


「隣、失礼しますね」

 俺の言葉を無視して、カサネがベッドに潜り込んでくる。


「カサネ、ちょっと待て。俺には上梨がいるから添い寝は困る」


「何故です? 明日香ちゃんはよくお前と添い寝しているじゃないですか」


「あいつはまだ小学生だろ」


「私は、お前の娘です」


「いや……まあ、でも……」


 言葉に詰まる俺を見て、カサネはあくまで無感情に言葉を続ける。


「この儀式は、お前と明日香ちゃんと神の蛹の……命と未来に関わります」


「……分かった」


「ご理解いただけたようで何よりです」


 そう言うとカサネは、ゆっくりと俺の胴に手を回す。


「生肉はベッドの上に置いとかなくて良いのかよ?」


「それは、もう少し先です」

 カサネは俺の胸に顔を埋めながら、モゴモゴと呟く。


「……なあ、俺達の命と未来に関わるってどういう事だ?」


「まだ、言えません。ただ、死者蘇生と時間遡行を行う目的は、お前達の幸せな未来です」


「幸せな未来、か」

 詳しい事は何も分からなかったが、これもきっとセンユウマートでカサネや明日香の様子がおかしかった事に関係するのだろう。

 俺は蚊帳の外にいる事を望まれている。

 少し疎外感を覚えたが、それ以上に安心している自分がいた。


「この説明では、お前に要求している事に対して報酬が少なすぎますね。代わりと言ってはなんですが、私の秘密を教えてあげましょうか?」

 カサネは顔を上げ、俺の目を覗き込みながらそんな事を言った。


「……秘密なんだろ、教えて良いのか?」


「良いんです。母も知らない私の秘密を、お父さんに教えてあげます。尤も、母は私の事など何も知りませんが」


 そう自虐的に呟き小さく笑った後、カサネは再び口を開いた。


「今から話すのは、私の正体についてです。ご存じの通り、私は母の死体と子供の魂から作られた人形です。ですがそれだけでは、神の娘として格が足りない。そこを補うように、私にはいつの間にか怪物としての格を有していたのです」


「気が付いたら怪物に成ってる事なんて、普通あるのか?」

 そんなほいほい怪物が増えていたら、今頃人類なんて絶滅危惧種だろ。


「まあ、きっかけさえあれば。物に獣に人間も、怪物化する昔話なんていくらでもありますし。何より私は、ずっと神の遣いをやっていましたから」


「へえ、そんなもんか」

 案外俺も、もう既に怪物だったりしてな。


「部分的に正解です」

 カサネは、俺の瞳を覗き込みながらそう言った。


「……え?」

 今俺、口に出したか?


「出していません。そして今、お前が考えているとおり、私は心を読む怪物。覚りの妖怪です」


「マジか……」


「尤も、相手の目を見ている時しか読めませんが。あと、母の心も読めませんでした」

 そう言って、カサネはふっと目を逸らす。


「お前は、どう思います? 私の事」


「え? うーん……」

 どう思う? か。これは恐らく、心を読む能力を含めての質問だろう。

 わざわざ目を逸らして聞いてきたという事は、答えを聞く事を恐れているのか?


「カサネは、どう思われたいんだ?」


「……分かりません。ただ、嫌われたくないです。私にとっての他人はずっと母だけでしたから、他人に興味何て無かったのに……急に友達もお父さんもできて。ズルしてる事、ずっと秘密にしておこうと思ってたんです」


 カサネは眼を合わせようとしないまま言葉を続ける。


「でも! 私が儀式の事とか何も説明しないのに、お父さんが何も言わないで、私に合わせてくれるから! ……なんだか心を読める事まで秘密にしたままなのが、急に辛くなって。でも、言ったら言ったで、やっぱり不安で……どう思ってる? なんて聞いて、また困らせました」


 どうやら無表情の下で、カサネは色々と考えていたらしい。

 神社でカサネの父の真似事をすると決めた時に、カサネが感情豊かなのは分かっていたつもりだったが、いざ表情が読めないとどうにも実感を持てないな。


「カサネ、俺の目を見てくれないか?」


 俺の言葉に、おずおずとカサネは顔を上げる。

 しっかり、カサネと目を合わせる。


「俺は、カサネの事を大切に思っている」


「……あっ」

 カサネは目を大きく見開き、そしてゆっくりと細めた。

 カサネの両手が、俺の頬を優しく覆う。

 じんわりとした温かさを頬に感じていると、カサネは小さく何事かを呟いた。


 そしてカサネは目を瞑り、俺の唇を奪った。


「……っ!?」


 咄嗟に離れようとするが、頭が抑えられており逃げられない。

 気が付くと、俺の体はカサネの胴から生える無数の腕に抱きすくめられていた。


 カサネは目を瞑り、唇をまだ離さない。

 俺が息を吸うと、カサネが息を吐く。

 カサネが息を吐くと、俺が息を吸う。

 だんだんと、意識が朦朧としてくる。

 生暖かい空気が口内に広がり、肺に満ちる。

 まるでゆっくりと首を絞められていくかのような苦しさは、しかしどこか心地良かった。

 脳が、侵されていくみたいだ。


 いよいよ思考すらも手放しそうになったとき、ふっと体にかかっていた重さと熱が消え、周囲が急に明るくなった。


「それでは、私にはまだやる事があるので」


 まだ俺の目が光に慣れないうちに、カサネはそう言って部屋から出て行った。


 軽く、自分の唇に触る。

 まだ口内には、カサネの味が残っていた。


 きっと時間遡行をする為に必要な思い出は、添い寝程度では足りないのだろう。

 少し考えれば分かる。


 しかし俺は、冷静になれないまま夜を過ごした。

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