第68話 犠牲

「おや、おはようございます。お前、相変わらず朝が遅いですね」


「ああ、おはよう。カサネ、帰ってたのか……え、何やってんの?」


 ベッドから見上げると、カサネは何やら部屋中に石と蝋燭を置いて回っていた。

 足の踏み場もないという程では無いが、インテリアと呼ぶには明らかに過剰な配置だ。


「……嫌ですか?」

 カサネは無表情で、上から俺の瞳を覗き込む。


「嫌と言うか……困惑してるんだが」


「そうですか。まあ、嫌がっていても止めるつもりはありませんが」


 とんでもない女だ。

 何故人の部屋でこうも傍若無人に振舞えるのか? 甚だ疑問である。


「因みに、当日はベッドの上に生肉を配置しようと思っています」


「それは普通に嫌だ。更に言えば、その生肉についての情報を開示した上で、嫌かどうか聞いて欲しかったんだが!」


 カサネは俺を見下ろし、フンと鼻を鳴らす。

「嫌でも止めるつもりは無いと言ったはずです」


 もう傍若無人と言うか、邪知暴虐である。

「というか、ベッドの上の生肉って俺の事じゃないだろうな? 昼まで寝ているから生肉と変わらないなんて、ウィットに富んだ皮肉を言ったんじゃないんだろうな?」


 部屋を悪趣味に飾り付けられた上に、そんな暴言を吐かれていたのだとしたら、流石の俺もキレるぞ。心の中で。


 カサネは、ひとしきり俺の瞳を覗き込んだ後、たっぷりと間をおいて語りだした。


「……大丈夫ですよ。ベッドの上に配置する生肉は、畜生の肉にするつもりですから。まあ、畜生の肉を配置した上で、お前にはベッドに寝てもらいますが」


 ええ……皮肉でも何でもなく、直接的に嫌がらせだった。


「あの……俺のこと嫌いなら一緒に住むのもアレだし、明日香の家にカサネが居られるよう頼もうか?」


「ああ、誤解させてしまったみたいですね。別に、お前の事は嫌いではありませんよ? 生肉のベッドには私も一緒に入るつもりですし。アレ、実は憧れだったんですよね、川の字になって眠るの。ほら、家族っぽいでしょう?」


「畜生の肉を川の字メンバーに加えるの、未だかつて無さ過ぎるだろ……」

 独創性を無条件で褒められるのは、小学生の図工の時間までだぞ。


 そこで会話は終わりだと言わんばかりに、カサネは蝋燭と石の配置作業に戻った。


 俺は困惑に首を傾げながら、昼食を食べる為に一階へ降りるのだった。


 叔父さんの書斎の前を通り過ぎる。

 うんうんという唸り声が、ここの所いつも響いているから心配だ。

 かと言って、オカルトの知識がほぼゼロの俺ができる事も無い。

 俺、上梨の彼氏なのにな……。


 少々気落ちしながら、リビングに入る。

 笹原さんが、ちょうど昼食を作っている所だった。


「あ、おはようございまーす! 朝は結構のんびりさんなんですね」


「おはようございます。まあ、なんか、せっかくの長期休みなんで」


 俺の言葉を聞き、笹原さんは思わずといった風に笑いだす。


「えぇ……何で笑うんですか?」


「いえ、ふふ。ごめんなさい! 君はまだ若いのに、妙におじさんみたいなこと言うから」


 随分と可笑しそうにしながら、しかし笹原さんの手先は器用にフライパンを操っていた。

 料理慣れしているのだろう、エプロン姿がとても様になっている。


「さ、できましたよ。今日のお昼はエビピラフです! 私は配膳を済ませますから、君は先生を呼んできて下さい」


「あ、分かりました」


 ここに来て数日しか経っていないというのに、笹原さんはテキパキと迷いなく配膳を進めている。

 俺も叔父さんを呼んでこなくては。


 書斎の扉を叩く。


 …………。


 返事は無い。

 俺は、ゆっくりと扉を開けて書斎に入った。


「うわ……」


 部屋中に散らばる本や書類の山と、三つ横並びになったモニタ。

 そして何より印象的なのは、缶コーヒーの群れだった。


 数日見ない間に、小綺麗だった書斎が完全に荒れ切っている。


 本の山を崩さないよう、慎重に書斎の奥へ進む。

 魔窟の最奥。硬そうな椅子の上で、叔父さんは眼鏡をかけたまま眠っていた。

 随分と難しい顔をしている。

 きっと何か考え事をしながら眠りについたのだろう。


 俺はそっと叔父さんの眼鏡を外し、クーラーの温度を少し調整してから書斎を出た。

 コーヒーの空き缶は、後で片付けておこう。


「叔父さん、寝ちゃってました」


「む、そうでしたか。まあ、昨日も遅かったみたいですし、仕方がありません。先に食べちゃいましょう」


 笹原さんは叔父さんの分にラップをかけ、席に着く。


「いただきます」


「あ、いただきます」


 笹原さんの作ったエビピラフを口に含む。

 お、美味い。


「笹原さん、料理上手ですね」


「料理は小さい頃から母と一緒にしていましたから! 自信ありますよー」

 笹原さんは上機嫌でそう返事をする。


「ああ、そうなんですか」


 母か……。

 思えば、他人の母という存在には、今まであまり触れてこなかった事を思い出す。

 強いて言えば、柚子か?

 いや、柚子も世の母の中では異端の部類だろう。


「……笹原さんの母親は、どんな人だったんです?」

 少しだけ、興味が湧いた。


「んー、そうですね。まあ、普通の人ですよ。たまに、お野菜を送ってくれたり、結婚の心配をしてきたり、普通の優しい母です」


 本当に何気なく、笹原さんはそう言った。

 その事が、どうにも辛くなる。

 もう自分では母の事を乗り越えたつもりでいたが、そういう訳でも無かったらしい。


「あの、叔父さんのやってる事で、俺に手伝える事ってありませんかね?」

 大した事はできないと知りながら、話題を変えたくてそんな事を言ってみる。


「うーん……あ。そうだ、ミイラ展に行きませんか? ほら、夏休みのラストシーズンに合わせて、明後日から近くの博物館で開催されるんです」


「ミイラ展……ですか? あんまり手伝いになるとは思えませんけど」


 俺の疑問に、笹原さんはフフフと笑う。


「実はですね、警察の上層部に資料提供をかけ合ったんですよ。そしたらミイラ展の展示品という形で、せんゆう様のミイラと、千雄町の呪いの関連資料の閲覧許可が出たんです! きっと、先生驚きますよー」


「え? せんゆう様って、神様なのにミイラとかあるんですか?」


「まあ、より正確に言えば、せんゆう様と同一視されている平安貴族のミイラですね。私も詳しくはありませんが、神というのは結構曖昧な存在らしいので、複数の神が同一視されたり、すごい人が死後神として祀られたりする事って多いそうですよ?」


 そんな適当な感じなんだ……。


「でも、やっぱり叔父さん一人で行った方が良いんじゃ? 笹原さんは俺を叔父さんの弟子みたいに考えてるかもしれませんけど、本当に何も分からないんですよ」

 自分で言っていて、どんどん自分が情けなくなってくる。


「大丈夫ですよ?」

 笹原さんは優しく微笑む。


「いや、何を根拠に……」


「助けっていうのは、なにも技術的なものだけじゃあ無いですから。あんまり実感無いかも知れませんけど、先生は本当に君を大切に思っているんですよ?」


「……叔父さんは、誰にでも優しい人ですよ」

 自分の娘を喰った上梨を本気で助けようとするし、ほぼ赤の他人だった小学生の俺を助けてくれた。

 叔父さんは大切だから助けるなんて論理で動いていないというのが、そこそこの年月一緒に住んでいた俺の所感だ。


 笹原さんは、俺を見て困ったように優しく微笑む。


 ……まあ、分かってはいた事だ。

 俺と笹原さんの間には、大きな家族観の差が有るのだから。


「君は、何で先生の助けになりたいんです?」


「何でって……そりゃあ上梨の件は本来、上梨と俺と明日香の問題ですから。叔父さんの助けになるどころか、出来る事なら俺達が解決するべきなんですよ」


 俺は俯き、スプーンに映る自分と見つめ合う。


「……それに、俺は上梨の彼氏ですから」


 それだけ言って、俺は無言でエビピラフを食べ進めた。

 こんな事を言っていても、俺には何もできない。それが、ただただ情けなかった。


 そのまま五分ほど、俺は無言で食事をしていた。

 その間、ずっと笹原さんも無言だった事が気になり、チラリと笹原さんに目をやる。


 笹原さんは、何か悩むように眉間にしわを寄せていた。


「どうしたんすか?」


 笹原さんは俺の質問に更に数回唸り、パッと目を開く。


「本当の本当に、君は彼女を助けたいですか?」


「……方法が、あるなら」

 笹原さんのただならぬ雰囲気に、俺は恐る恐る返事をする。


「実は、毒酒があるんです」


「毒酒?」


「はい、今回の初期作戦の為に支給された神をも眠らせる酒です。それを羽化の瞬間に落とし子に呑ませれば、落とし子の神格と人格を分離できるんです」


「え、それなら……」

 俺の言葉を遮るように、笹原さんは口を開く。


「羽化の瞬間、これを忘れないで下さい。落とし子の羽化には二種類の方法がありますが、今回は蛹が贄を食べる事で羽化する性質を利用します」


「その贄に毒酒を混ぜるんですね?」


「ええ、そしてその贄は落とし子の最愛の人間……つまり君です」


「……なるほど」

 毒酒と共に俺が喰われれば、上梨は人間になれる。

 俺の命と引き換えに、上梨が助かる。


「どうしますか?」

 笹原さんは真っ直ぐに俺の目を見る。


「……下さい」


「分かりました、使う時は魔力パスに振りかけて下さい」

 そう言って、小瓶を渡される。


 無言で受け取り、ポケットにしまう。

 使う勇気は、まだ無い。

 それでも、上梨を助ける手段があるという事実に俺は確かに安心していた。

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