第67話 束縛

 鏡島貴志が帰ってから、私は鏡山君ノートを開いた。

 高揚感の様な、羞恥心の様な、そんな今の感情をなんとかしたかったのだ。


 昨日書き足した、明日香ちゃんから聞いた情報の項をパラパラと見直す。


・優しい

・ねだったら、お菓子を少し分けてくれる

・ちゃんと話を聞いてくれる

・朝は弱い

・ゲームも弱い

・助けを求めたら絶対に助けてくれる

・自分の身を顧みない

・強がってるけど結構弱い所もある

・泣き虫


 ……まだまだある。

 本当に、本当に沢山の情報だ。


 明日香ちゃんは、本当に彼の事が好きなのだろう。

 でも、私の方が好きだ。

 ……馬鹿。


 今日は明日香ちゃんについて話す予定だったのに、帰る時間になるまでダラダラと彼に甘えてしまった。

 なんだか彼の事が好きだと自覚したとたん、自分の感情に歯止めが利かなくなっている気がする。

 このままでは、駄目だ。


 明日香ちゃんの違和感が何か探る為に、私はじっくりと鏡山君ノートと、明日香ちゃんノートを読み返す。


 ……なんか、明日香ちゃんの持つ鏡島貴志像ってすごく父親的だな。


 以前から確かにそういう傾向はあったけれど、今の明日香ちゃんは実の両親と交流を取り戻したばかりだ。

 今まで関われなかった分を取り戻したくて、両親一辺倒になるのが普通なのではないだろうか?

 昨日、明日香ちゃんから聞いたのも鏡島貴志の話ばかりで、両親の話は全然でてこなかったし……もしかして、理想の両親と実際の両親にギャップがあったのかな?


 ……いや、考えすぎだ。

 祭りの時、明日香ちゃんは実の両親と一緒であんなに楽しそうだったではないか。


 脳裏に過った不安を振り払い、別の思考に切り替える。


 そういえばカサネさんの事、鏡島貴志に聞けなかったな。

 昨日追い払ったモヤモヤが戻ってくる。

 自分では関わる事ができなかった彼の親の問題に、カサネさんは深く関わっている。

 その事がどうにも気になって仕方が無い。


 思えば、彼はあまり私に弱い所を見せてくれない気がする。

 前に遊園地で吐いていた時ですら、彼は私に気を遣わせないように振る舞っていた。


 机に顔を突っ伏す。

 私は彼と一緒にいると安心できるけれど、彼は違うのだろうか?

 ……違うんだろうな。


 目を瞑り、彼の腕の感触を思い出す。

 そのまま、いつの間にか私は眠りに落ちていた。


 +++++


「ただいまー。あー、今、帰りました」

 家に笹原さんがいる事を思い出し、ぎこちない挨拶になる。


 何か飲もうとリビングに入ると、笹原さんが難しい顔をしながらノートパソコンを見ていた。


「あ、たかし君。おかえりなさい!」

 こちらに気が付いた笹原さんはニッコリと微笑む。


「あ、どうも。えーと、叔父さんはいない感じっすか?」


「そうですねー、先生は知り合いに本を借りに行っているので、もう少し遅くなりそうです」


「あー、そうすか。ありがとうございます」

 そう言って俺は自分の部屋に戻ろうと振り返ると、笹原さんに呼び止められる。


「あ、待って。ちょっと話しません? ほら、これから一緒に暮らすわけですし」


 ……めんどくせ。

 かといって、断る程でもない。


 俺はリビングの椅子に腰かけた。


「で、笹原さんは何か話したい事でもあるんすか?」


「んー、そうですね。ありはしますけど、最初は君の話したい事を話しません?」


 笹原さんは、悪戯っぽく笑っている。

 いまいち読めない人だな。


「そっすね、じゃあ……センユウマートにいた時、何で神について聞き回ってたんすか?」


 鎌をかけてみる。

 叔父さんは今、上梨の神化をどうにかする為に奔走している筈だが、このタイミングで現れた警察というのは、正直信用ならない。

 上梨が人喰いの怪物である以上、警察が上梨をどうにかしようとする可能性は十分にありえるからだ。


「ああ、神について聞いた理由ですか。ほら、最近隣町で神が死んだでしょう? あの時はそれについて調査していたんですよ」


 もう、柚子が死んだことは把握しているのか……。


「その後にですね、先生から連絡をいただきまして。警察の情報網を貸す代わりに、今回の件と二次災害の対策に現地人として協力してもらっているんです」


「へえ、神が死ぬとどんな二次災害があるんすか?」


「まあ、封印や結界のバランスが崩れたり、宗教団体が自分の神を死んだ神と挿げ替えようとしたり、って感じですかね」


 なんか、随分と規模がデカい話だ。

 俺の反応を見つつ、笹原さんは更に言葉を続ける。


「後は、副次的に別の特別災害が目覚める事もあります。ほら、せんゆう様の落とし子とか?」


 笹原さんお瞳が、こちら窺うように細められる。


「……何すか、それ?」

 どこまでバレてる?

 上梨は、警察にどういう存在だと認識されている?


 必死にとぼけて見せる俺の反応を、笹原さんは面白そうに見つめていた。


「上梨美沙さんの事は、あらかた調べ終わっていますよ」


「っ! け、警察は、どうするつもりですか?」


「ふふ、そんなに警戒しないで下さい、先生から数カ月は安全だと聞いています。落とし子が人に危害を加えると判断されるまでは、警察が強硬手段に出る事はありませんよ」


 笹原さんの言葉に、一先ず安心する。


「でも、そんなに落とし子の事が大切なら、結構危なかったですね。先生が間に入らなければ、落とし子が見つかった瞬間駆除されていましたよ」


 さらっと恐ろしい事を言うな。


「け、警察って、そんなに強いんですか?」


「まあ、今回の場合は事前準備や誘導がしやすいので、そこまで苦戦しないでしょうね。尤も、落とし子が神に成ったら話は別ですが……」


 つまり、叔父さんが成果を上げられないままま数カ月が経ったら、上梨が神に成る前に警察は動くという事か……。


 ゾワリと、背筋が寒くなる。


「なんで、今まで上梨は放置されていたんです?」


「落とし子は基本的に人と見分けがつかないので見つけづらいんですよ。その上、策謀を巡らせたり、積極的に人を襲ったりするタイプの特別災害ではありませんから……」


「神化の危険性が出るまでは放置されていた、と」

 警察と言っても、片っ端から怪物を取り締まっている訳ではないのか。


「ええ、特別災害対策部も小さい部署ですし、通報が無い場合はどうしても動きが遅くなるんですよね」

 そう言って笑う笹原さんは、どこかやるせなさそうに見えた。


 …………。

 静かになった部屋に、冷蔵庫の低い振動音だけが響く。


 俺は、上梨が警察に捕まる可能性を考える。

 もし殺されなかったとしても、封印は免れないだろうな。


 黙りこくった俺を、笹原さんは真っ直ぐに見つめる。


「……私は人間の味方です。君は、誰の味方ですか?」


 どういう質問だよ。

 自分が誰の味方かなんて、考えた事も無い。


 俺hは、ゆっくりと思考を巡らせる。


 明日香の味方? 上梨の味方? カサネの味方? 叔父さんの味方?

 色々な顔が脳裏を過っては消える。


 俺は柚子の神社で、明日香の為にだとか、柚子の為にだとか、様々な自分の行動の理由を探し、自分が正しいのか考えた。

 今だって、カサネの為に家族ごっこをしているし、上梨の為に告白したし、明日香の為に違和感の正体を探っている。


 では、俺はだれの味方か?


 俺は、俺の味方だ。

 どこまで人の為に動こうが、根本的に自分の為であるという軸をブレさせるつもりは無い。


 俺はそこまで自分の事が好きではないが、それでも小学生の頃から俺は俺の味方だったのだ。


 味方だったから、俺は柚子を見殺しにした。


 明日香の父親代わりになる事を拒んだ。


 上梨が告白してくるまで待たなかった。


 カサネの神降ろしを放置した。


 叔父さんの儀式を邪魔した。


 叔父さんが上梨を人にできなかったとして、きっと俺は上梨との逃亡を選ぶだろう。

 上梨が俺を喰らうとしても……。


 それは本当に、俺の為か?


 俺はゆっくりと、笹原さんの顔を見た。

 笹原さんは何を思ったのか、俺の頭をポンポンと軽く叩く。


 その行為が、俺に母親という概念を想起させた。

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