第59話 曖昧

 部屋の掃除が終わってしまった。

 時間は四時半。

 明日香ちゃんが来るまで、あと三十分もある。


 私は何度目かになるお菓子の配置換えを終えた後、先ほど見たばかりだと言うのに再び時計に目をやった。緊張する。


 今までも何度か明日香ちゃんが家に来たことはあった。だが、今日みたいにお泊りさせるのは初めてだ。

 私はソワソワと、意味も無く部屋の中を歩き回る。


 今日の目的は、私と鏡島貴志との進展報告会。

 遊園地やお祭りで二人きりにしてくれた明日香ちゃんには、私と彼が付き合う事になったと言うべきだろう。


 恥ずかしいな……。


 正直、私は未だに告白されたと言う事実を飲み込めていない。

 そもそも冷静に考えると、昨晩の鏡島貴志に告白させるような言い回しはズルかったのではないか? 

 自分の『好き』が恋愛感情かどうかすら分かっていない癖に、彼への独占欲ばかり肥大化させて……改めて考えると、本当にズルい。


 テーブルに並べた紙コップを、軽く握る。

 いつかは、鏡島貴志もこの家に呼ぶのかな?

 その時に私は、どんな感情で彼と相対するのだろう。


 ふと鏡島貴志がコップに口をつける姿を想像し、何故だか顔が熱くなる。

 きっと彼は、私の気持ちを察して告白してくれたんだろうな。


 鏡島貴志は優しすぎる。

 大蜘蛛様の一件があってから、彼は少し大人びた表情をするようになった。

 私の知らない所で彼が変わった事に嫉妬心を覚えるが、それ以上に嫉妬心を覚えても怪物化しない自分が嬉しい。


 もう、好きだと思っても良いんだ。

 鏡島貴志の事も、明日香ちゃんの事も……。


 出しておいたスプーンに映る私は、随分と柔らかく微笑んでいる。

 私って、こんな表情もできたのか。

 鏡を見る時はいつも死んだような目をしていたから、気が付かなかった。


 自分の表情を意識したとたん、私の口は真一文字に結ばれる。

 指先で、口角を無理やり上げてみる。


 歪な表情だ。


 明日香ちゃんが貸してくれた恋愛小説の主人公は、いつもヒロインの笑顔を褒めていた。

 私も上手く笑えるようになったら、いつでも鏡島貴志に褒めてもらえるようになるのだろうか?


 いや、彼はきっと一言褒めてと伝えれば、素知らぬ顔で長々と褒めてくれるだろう。

 そういう所は素直なのだ。鏡島貴志は。


「……ふふ」


 あ、自然な笑顔。


 その表情を保つ為に、スプーンに映る自分をまじまじと見つめる。

 瞬間、ピンポーンとチャイムが鳴った。


 時計を見る。

 まだ約束の時間には十分ほど早いが、きっと明日香ちゃんだろう。

 彼女は今日の事をとても楽しみにしていたから。


 パタパタと玄関に行き、ドアを開ける。

 予想通り、玄関には明日香ちゃんが立っていた。


「かみなしさん! こんにちは!」


「はい、こんにちは」


 ニコニコしている明日香ちゃんを見て、自然と笑みが浮かぶ。


「おじゃまします! あのね! 昨日のお祭りでね!」


 靴を並べるや否や、明日香ちゃんは待ちきれないとばかりに話し始める。


「明日香ちゃん、まずは手を洗って」


「はーい!」

 明日香ちゃんは元気よく返事をすると、トタトタと洗面所に向かった。


 手を洗う音を後目に、私は部屋に戻って冷やしていたジュースを取り出す。

 確か、明日香ちゃんはコーラが好きだった筈だ。


 紙コップにコーラを注ぎながら、昨晩の間接キスを思い出す。

 顔が熱い……。


「わあ! ケーキつくるの?」


 手を洗ってきた明日香ちゃんが、テーブルに乗ったケーキのスポンジを見て歓声を上げる。


「ええ、生クリームとか、果物もあるの。好きな物を使って良いから」

 一緒に作ろうと思ってスーパーで色々買ってきたのだが、喜んでくれたようで良かった。


 嬉しそうにテーブルの上のお菓子を眺める明日香ちゃんに、私はそれとなく声をかける。


「……それで、その、どうだったの?」

 ケーキについて言及すれば良いのか、お祭りについて言及すれば良いのか悩んだ結果、何とも言えない言葉が出た。


 私の曖昧な問いを気にせず、明日香ちゃんはニコニコとクッションに座って話し始める。


「えっとねー、お父さんとお母さんと、ちょっと話した!」


「ちょっと?」


「うん! お祭りとかいっしょに行ったの初めてだったから」


 缶詰やお菓子の袋を開けながら、私は次の問いを組み立てる。


「ご両親と、仲直りはできたのね?」


「うん、なんか、お父さんもお母さんも、子どもの時の話とか、ちゃんと聞いた」


 チョコレートの袋を開けようと引っ張りながら、明日香ちゃんは少し低いトーンで言葉を紡ぐ。


「でね、なんか、お仕事だから、いっつもは無理だけど、ひと月に一回はちゃんと親っぽいのするって」


「それは……」

 良かったと言おうとして、言葉に詰まる。

 まだ小学生の明日香ちゃんにとって、親に一カ月に一回しか構って貰えない状況を良いとは言えない。


「生クリーム! 混ぜたい!」

 言葉に詰まった私を見て、明日香ちゃんは話題を変えてくれた。


 私は明日香ちゃんの言葉に応じ、ボウルと氷水を用意する。


 明日香ちゃんは本当に良い子だ。

 私も、もっと上手くコミュニケーションをとれるようになりたいな……。


「はい、この泡だて器を使って。生クリームがある程度形を保つようになったら完成だから」


「分かった!」


 明日香ちゃんは意気揚々と泡だて器にスイッチを入れ、氷水で冷やされたボウルをしっかりと抱える。

 泡だて器を使う際に少々生クリームが飛び散ったが、この様子だと直ぐに出来上がりそうだ。


 私は飾り付け用の果物やお菓子を並べながら、明日香ちゃんに何を話しかけるか考える。

 もう少し、親の事を聞いた方が良いのだろうか?


 でも、私は幼少期に両親を食べてしまったから、ほとんど両親の事を覚えていない。

 明日香ちゃんにとって親は大切なものだから、やっぱり下手な事を言わない方が良いか。

 結局、私は無言のまま作業を続けた。


 鏡島貴志は、もっと自然に話すのにな……。


「できた!」


 明日香ちゃんがボウルを高らかに掲げる。

 生クリームには、しっかりと角が立っていた。


「うん、上手ね。じゃあ、次はスポンジに挟むものを選んで。ここにあるお菓子や果物を自由に使って良いから」


「かみなしさんも! いっしょにやろ!」


「え、あ、じゃあ、最初に生クリームをかけるから、その間にどれを乗せるか選んでくれる?」


「分かった!」

 そう言うと、明日香ちゃんは真剣な顔でお菓子や果物の乗った大皿を見つめる。


「……ふふ」

 お菓子をまじまじと眺める様子がなんだか可笑しくて、思わず笑ってしまった。


「どうしたの?」

 明日香ちゃんが不思議そうに私の顔を見つめる。


「ごめんなさい、なんだか可愛くて」


「ふふー! かみなしさんも、かわいいよ!」

 明日香ちゃんがニッコリと笑う。


「そ、そんなこと……」


 恥ずかしくなって顔を伏せる。

 でも、そこからは緊張がとれて少し上手に話せるようになった気がした。


 +++++


「できたー!」

 テーブルに並べられたケーキや様々な料理を見て、明日香ちゃんは嬉しそうに声を上げる。


 最初はケーキだけ一緒に作って、他は買ってきたものを食べようと思っていたのだが、こんなに喜んでくれるのなら料理も一緒に手作りして良かった。

 少し時間は遅くなってしまったが、今日はお泊りだからこういう予定変更も良いだろう。


「じゃあ、食べましょうか」


「うん!」


 席に着き、手を合わせる。


「いただきます」

 いつもは言わないから、食前の挨拶が少し恥ずかしい。


 明日香ちゃんも私と同じように挨拶を終えると、さっそくケーキを皿に取る。


「ねえねえ、かみなしさんは昨日どうだったの?」

 少し緊張した様子で、明日香ちゃんがそう問いかける。


 ……しまった。

 今日は進展報告会という名目だったのに、ずっと私が鏡島貴志の話をしないから不安がらせてしまったのだろう。


「昨日は、その……こ、告白されたわ。それで、その、お付き合いをさせていただく事になりました」


「ええ! すごい! すごい! おめでとう!」


 明日香ちゃんは私の報告に、自分の事のように嬉しそうに笑う。


「たかしから告白するって思わなかった! どんな感じだったの?」


「ええと、その……」

 昨晩の顛末を話そうとして、相手が明日香ちゃんだとしても彼との間接キスは許せないという、最低の吐露を思い出す。


「その、自分の感情の正体が分からなくて……考えるのに疲れてしまったから、その、彼に告白してもらった、という感じ、ね」


 私の曖昧な言葉に、明日香ちゃんは首を傾げる。


「かみなしさんは、たかしが好きなんじゃないの?」


「その、好きだけれど、それが、良く分からなくて。本当に告白して良いのかとか、私の感情は恋なんて呼べるほど高尚なものではないんじゃないかとか、そんな事を考えていたら……自分が分からなくなるの」


「ふーん」


 明日香ちゃんは微妙な表情で私を見ながら、ストローでジュースを飲む。


「ちゃんと、たかしも見てあげてね?」


「……ええ」

 私はそう頷き返したが、明日香ちゃんの言葉の意味は良く分からなかった。

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