第58話 空論

「……あのさ」


 夕日が沈み切ったのを見て、俺はカサネに話を切り出した。


「上梨の捕食衝動というか、怪物性ってどうにかならないのかな?」


「わざわざ私を探しに来たのは、それが理由ですか」

 カサネが目を細めて、拗ねたような声を出す。


「いや、まあ、三割くらいは」


「お前は、変なところで正直ですね。大切な所で嘘を吐く癖に」

 半ば呆れた様に、カサネは俺を見る。


「まあ、それはすまん」


 カサネは数秒間俺を無言で見つめ、顔を自分の膝にうずめた。


「……いいですよ。お前は明日香ちゃんではなくて、私の父ですから」

 ボソボソ呟いたカサネの声は、少し上ずっていた。


 カサネが、スッと立ち上がる。


「もう暗いですから、帰りながら話しましょう」


 そう言って、さっさと先に歩き出したカサネは、意図的に俺から顔を隠しているように感じた。追い越して顔を見てやっても良かったが、俺は結局カサネの後ろをただ歩く事にした。


「お前が知りたいのは、神の蛹を蛹のままにする方法でしたね?」


「まあ、そうだな。上梨を人間と変わらない状態のままにする方法を知りたい。というかそもそも、蛹の状態なら捕食は行わない筈なのに、なんで俺は食われたんだ?」


「あそこが精神世界だったからです。蛹の中では今、幼体時に捕食した肉体と魂を再構成して神を形作っているのですが、お前はその再構成に巻き込まれた訳です」


「なるほど。で、その後にカサネが上梨を封印して、今の小康状態になってる訳だ。じゃあ、例えばカサネが何度も封印しなおす事はできないのか?」


「無理ですね。あの封印は、お前の取り込んだ大蜘蛛様の魂や、黒崎様の願いの力を借りて、ようやく蛹の状態を安定化させただけですから。羽化を先延ばしにしているだけで、本当の所あれは封印ですらありません」


 まあ、そう簡単には行かないか。

 一応、叔父さんも頑張って色々調べているみたいだが、時間が数カ月と短い以上、あまり叔父さんだけに頼り切りになるのは避けたい。


「……どうにかなんないもんかね」


「どうでしょうね? 私は、神と人の恋路なんて碌なものにならないと思っていますけど。でも、お前は妙な奴ですから、案外妙な方法で解決するんじゃないですか?」


「そんなに妙かな?」


「普通は、自我を崩壊させようとした相手を探しに来た上に、父親の振りなんてしませんよ。なんなんだ、お前は? 私に都合が良すぎますよ」


 バス停の標識に背を向けて立ち止まり、カサネは憐れむように俺を見る。


「神の蛹にも都合が良いし、大蜘蛛様にだって都合が良かった。あんまり誰に対しても都合の良い人になっていたら、仇で返されますよ?」


「別に、そうでもないだろ」


 俺はカサネに言われるまで父性を期待されてると気が付かなかったし、俺は柚子を振って殺した。それに、俺が中途半端だったせいで、上梨は自分の感情と向き合う前に俺との関係に決着をつけたがった。


 俺が本当に誰にでも都合の良い奴になれるのなら、今も柚子は笑っている筈で、カサネは俺と柚子の魂を混ぜる必要なんて無かった筈で、上梨はもっとゆっくり自分の感情と向き合えた筈なのだ。


 カサネが、俺の目を覗き込む。


「お前は、良くやっていますよ……お父さん」


「はは、ぞっとしねえな」


 はにかんだような表情のカサネを見て、俺はそう小さく呟いた。

 ちょうどバス停に到着したせいで、その呟きがカサネに届いたのかは分からない。


 +++++


 石階段から帰ってきた俺は、ベッドの上でだらだらスマホを弄っていた。

 通知が鳴る、明日香からだ。


 メッセージアプリを開くと、写真が送られてきていた。

 もこもことしたパジャマを着た明日香と、ゆるい服を着た上梨が、お菓子に囲まれている。


 こういう写真って、俺が見て良いのか?

 いや、俺に送られてきたから別に見て良いんだけどさ。

 なんか悪い気がする。


 俺はしばし逡巡し、結局は見る事にした。

 変に意識する方が気持ち悪いと思ったのだ。


 上梨の表情硬いな、露骨に慣れていない感じが出ている。

 逆に、明日香はいつも通りの満面の笑みだ。


 自然と、俺も笑みがこぼれる。


「急にニヤニヤして、気持ち悪いですね」


「うお! 急に出てくんなよ」


 唐突にベッドの横に立たれ、俺は思わず声を上げた。


「私はお前に憑いていますから、急に出てきた訳ではありません。ずっと居たけれど、お前が気付いていないだけです」


「いや、屁理屈だろ」


「お前が、それを言うのですか……」


 微妙な顔で、カサネが俺を見る。


「カサネ、俺は誰が言ったかではなく、何を言ったかが大切だと思うんだ。つまりさ、ここは俺が発した言葉ではなく、屁理屈だろという指摘を真摯に噛み締めるべきなんじゃないのか?」


「屁理屈ですね」


 俺はカサネの言葉を、真摯に噛み締めた……。

 畜生。


 あ、電話きてる。


「もしもし」


「たかし! こんばんは!」


「おう、こんばんは」

 相変わらず、明日香は声がデカい。


「急にどうした、今は上梨の家にいるんだろ?」


「たかしに、明日と明後日の予定、聞こうと思って!」


「え、まあ、普通に暇だけど」

 課題もそこそこのペースで進んでいるから、特にやる事は無い。


「やった! じゃあ、明日と明後日、お買い物ね!」


「いや、一日にまとめろよ。面倒くさいだろうが」


「明日は、私とじゅんびの日で、明後日はデートだから!」


 ……デート?

「上梨と?」


「そう!」


 電話越しからは、まるで悪びれた様子もなく元気な返事が聞こえてくる。


「上梨は許可してるのか?」


「えっとね! かみなしさんがデートしたいって言ったの」


 明日香がそう言った瞬間、電話越しに上梨の慌てたような声が聞こえる。

 そのまま電話の向こうで、明日香と上梨がなにやら相談を開始した。

 割と丸聞こえだ。


「あ、かみなしさん、ごめんなさい……うん、うん…………分かった! えっと、たかし!」


「……なんだよ」


「さっきの! ウソ!」


 元気よく、明日香は上梨がデートをしたがっていたという事実を無かった事にした。


「そ、そうか」

 雑にも程があるだろ。

 もう少し、こう、嘘であると言う気概を見せてくれ。


「じゃあ! バイバイ! 明日ね!」


「あ、ちょっと待ってくれ」


 電話を切ろうとした明日香を止め、俺はカサネに目配せする。

 カサネはしばらく考えた後、真剣な顔で頷き返す。


「明日香、カサネが今ここにいるんだが、話すか?」


「…………うん」


「分かった」

 俺はカサネにスマホを差し出す。

 真剣な顔で俺からスマホを受け取ったカサネは、すっと部屋から出て行った。

 パタンと、俺の部屋の戸が閉まる。

 これで、廊下でカサネと明日香が何を話しているのかは聞こえない。


 俺は少し緊張しながら、ベッドに寝転んだ。

 カサネも明日香も、頑固な所あるからな。

 いや、でも明日香はなんだかんだ大人な所もあるし……はあ。


 ベッドについた糸くずをゴミ箱に放りながら、時間を潰す。


 くそ、この俺が友人の関係を憂いて緊張するなんて、信じられないな。

 だいたい、これは明日香とカサネの問題だぞ?

 俺がどうこうできる問題でも無い。


 ベッドの上の糸くずが無くなってしまった。


 手持ち無沙汰になった俺は忙しなくベッドの上をゴロゴロする。

 どれだけ自分に言い訳しても、嫌な緊張は消えなかった。


 ようやく、扉が開く。


 スマホを持って帰ってきたカサネは、予想外に嬉しそうな表情をしていた。

 嬉しそうとは言っても、うっすらと口角が上がっている程度だが。


 どうだった? と聞こうとして思いとどまる。

 だって、興味津々みたいで嫌じゃないか。


「これ、おかえしします」


「ああ、おう」


 カサネからスマホを受け取り、机に置く。


 俺のそわそわとした雰囲気を察したのだろう。

 カサネは何でもない風に口を開く。


「明日香ちゃんと、喧嘩をしました」


「……その割には、嬉しそうだな」


「そうですか? そう言われると、嬉しいかもしれません」

 スッと表情を消したカサネの声音は、決して悪いものでは無かった。


「あと、明日の明日香ちゃんとの買い物、私もついて行くことになりました」


「ああ、そうか」


 なんだか良く分からないが、良かった。

 ……良かったのか?


 俺はその困惑を消化できないまま、布団に入った。

 そういえば明日の予定とか全然聞いてないな、等と考えながら。

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