虚構と未来と「 」

第57話 日暮

 何故、俺はこんな暑い中で石階段を上っているのだろうか?

 明日香と上梨がお泊り会をしていて一日暇だからといって、わざわざこんなところにくるんじゃなかった。


 カサネに会えたら良いな、なんて考えながら石階段を踏みしめていた数分前の俺を殴りたい。


 昨晩は随分と涼しかったから、油断した。

 蝉も相変わらず煩い。

 昨晩の、夏の終わりを感じさせる鈴虫やコオロギの風情はなんだったのか。


 疲労から意識を逸らそうと試みる。

 蝉煩いじゃなくて、階段キツイでもなくて、暑い! でもなくて!


 なんか、考える事、考える事……あ、告白。


 上梨は、ほぼ告白みたいな事をずっと言っているのに、恋愛感情かどうかは分からないと言っていた。

 好きという感情を遠ざけて生きてきたから、それが本当に好意かどうか自信を持てないのだろう。だから、俺にさっさと区切りをつけて欲しくてあんな露骨で回りくどい方法をとった、俺はそう予測している。


 ……では、上梨の感情に区切りをつける為に告白した俺は、本当に上梨が好きなのか?

 上梨が自分の感情について悩んでいたのもあって、俺は上梨を友達として好きだというスタンスでいた。

 だが実際の所、俺の上梨に対する感情は一般的な友達の域を超えていたと思う。


 だからといって、それが恋愛感情だと言う気は無いが。

 俺が告白する事で上梨の不安を拭えるなら、告白しても良いと思えた。

 その程度には、俺は上梨が好きだったのだ。


 上梨はあの時、間接キスを引き合いに出して自分の独占欲を示した。

 きっと上梨にとって、独占欲だけが唯一自信をもって俺に対して抱いていると言える感情だったのだろう。


 まあ、要は目的と手段の問題だ。

 上梨の感情が恋だろうが、独占欲だろうが、どちらも付き合う事で解決するならそれで良い。俺はそう思っている。


 ……後、何か、考える事、えー、あー、あー、ネタ切れだ。


 俺は石階段の途中でしゃがみ込み、後ろを振り返る。


 え? こんだけしか上ってないの?

 予想以上に自分のいる高さが低い事に驚く。

 予想の半分も進んでいなかった。


 最悪だ。

 昨日の告白の事まで思い出して疲労感から意識を逸らしていたのに。


 俺はカバンからコーラを取りだして、一気に飲む。


「がっは、ごほ、ぐ、ごほ」


 むせた。

 炭酸強すぎ。


 喉がヒリヒリする。

 カサネを探しに来ただけで、なんで俺がこんな目に遭わなければならないんだ。


 ……もう、帰ろうかな。


「あー、もう、カサネから来いよ」

 俺はそうぼやいて、ションボリと石階段の隙間に生えた苔をむしった。

 あ、蟻いる。


「うお!」


 気が付くと、何匹かの蟻が俺の足を伝って上ってきていた。

 俺は慌てて立ち上がり、地団駄を踏みながら必死でズボンの内に入った蟻を手で払う。


「っ! っ! ……はあ」


 払い終えた。

 なんか、小さい虫に過剰反応したみたいで恥ずかしい。


「……あ」

 俺がヤケクソ気味に苔を蹴り飛ばして顔を上げると、そこにはカサネが立っていた。

 行方不明って聞いてたが、案外あっさり見つかったな。


「久しぶり」

 そんな、ありきたりな挨拶をする。

 探しに来たのは俺だが、いざ対面するとなんとなく気まずくなって妙な愛想笑いが出てしまった。


「お前が思っている程、久しぶりでもありませんよ」


「どういう意味だ?」


「……私、ずっとお前に憑いていましたから」


「まじか」

 特に肩が凝る事は無かったが、俺に霊感が無いせいなのか?


「え、じゃあ、やっぱり上梨に謎の封印したのってカサネなの?」

 気になっていた事を聞く。


 カサネは、小さく目を見開く。


「おや、気が付いていたのですか?」


「まあ、状況的にお前しかいないだろ。とりあえず、ありがとうな。助けてくれて」


 俺の言葉に、明確にカサネは顔を顰める。


「別に礼なんていりません……黒崎様が家族の健康を願って封印を解除したからできたというか、やらざるを得なかった事ですし。そもそも、あんな状況になったのは私が原因ですよ?」


「まあ、それそうだが。お前があそこで封印を乗っ取らなかったら、柚子が明日香とお前の魂を混ぜようとしていた訳だし」

 たまたまあの状況では事の原因がカサネにあっただけで、カサネが俺を助けたのなら、それがマッチポンプじみていたとしても礼は言うべきだろう。


「てっきり、愛想を尽かされたと思っていました」


「いや、お前が喧嘩したのは明日香だろ」

 なんで俺までお前に愛想を尽かさなきゃならんのだ。

 そもそも、明日香も別に愛想を尽かせていないし。


「ば、馬鹿ですか、お前は? 私は魂を混ぜてお前の自我を崩壊させようとしたのですよ」

 カサネは目を細め、心底理解不能だといった風に俺を見てくる。


「あー、なんか最近気付いたんだが、俺ってあんまり自分の事が好きでもなかったみたいなんだ」


「はあ」

 訳が分からないといった風に、カサネが首を傾げる。


 初めて上梨に喰われかけた時も、俺は上梨の取り乱した様子の方が気になった。他にも、柚子と混ざって自分が消える感覚はあったのに、俺は柚子をどうにかしてやる事ばかり考えていた。


「俺さ、小さい頃から自分より人を優先しろ、みたいなバカバカしい善性を求められてきたんだ。そのせいか、どうにも根本的な部分で俺は善良なんだよ、凄いだろ? 幼少期の記憶なんか全部が全部最悪なのに、呪いみたいに俺の心に善の価値観が巣食ってるんだ」

 だから、自分の命より人の事を優先するような性質になったのだろう。尤も、この性質に気が付いたのは結構最近だが。


 そう言ってニヤリと笑って見せると、カサネはどこか憐れむように俺を見た。


「……そういう性格だからお前は私を恨まない、とでも言うつもりですか?」


「というか、最悪の過去とは散々向き合ったから、そろそろ今の自分で人と向き合うのも良いかなって思えてきたんだ。まあ、まだ悩む事もあるけど」


 そんな俺を見るカサネの目は、随分と淀んでいる。


「自分から逃げているだけじゃないですか」

 とび出てきたのは、辛辣な言葉。


「そうかな?」


「そうです。お前も、明日香ちゃんも、親への憎悪や理想を忘れて、現実を受け入れて……ずるいですよ」


 無表情を取り繕って言葉を紡ぐカサネの姿は、何故か拗ねた子供の様にも見えた。


「そうやって、受け入れていくものなんじゃないのか?」

 お前が柚子に見切りをつけたように、俺も自分の善性を飲み込んだだけだ。


 カサネは、縋るように俺の瞳を覗き込む。

「お前や、明日香ちゃんは凄いのですから、もっと、もっと、もっとできた筈です」


 期待が重い。

「俺はともかく明日香は頑張ったし、凄いだろ」


 俺がそう返すと、カサネは抑えきれない感情を爆発させるように口を開いた。


「……だって、お前を諦めたじゃないですか。明日香ちゃんは、お前が嫌だって言うから父としてのお前を諦めたんですよ? 自分の理想を、諦めたんですよ? お前に憑いていたから見ました、明日香ちゃんの父親。しょうもない、普通の人間でした。お前の方が、よっぽど子供とか、父とか、家族とか、色々考えていました! なんで! なんで諦めるんですか! お前は、明日香ちゃんの話を聞いていたし、明日香ちゃんだって、お前の事が好きだったのに!」


 こいつは明日香の理想を達成する為だけに封印を乗っ取って、俺と柚子の魂を混ぜて、上梨まで巻き込もうとしたのだから、家族と楽しそうにする明日香を見て裏切られた様に感じたのだろう。


「寧ろ、明日香が諦めてたのは本当の家族の方だろ。あくまで俺は父親代わりにか思っていなかった。一度諦めた明日香は、最終的に理想を諦めずに向き合ったんだよ」


 カサネは唇を噛む。


「っ…………なら、私のお父さん、盗らないでよ」


 カサネの呟くようなその言葉に、俺は愕然とした。

 完全に予想外だったのだ。

 カサネは俺と同じように、家族という概念を冷めた目で見ていると思っていた。


 呆けた俺を見て、カサネは言い訳するように言葉を紡ぐ。


「何か、文句でもありますか!? わ、私は、子供の頃からずっと、ずうっと、母から父について聞かされ続けていたんです! 期待だって、するでしょう? お前が本当に父と同じ魂を持っていると知った時は、どうしようかと思いました。全部解決してくれるんじゃないかって思いました。でも、やっぱり明日香ちゃんは友達だから、私じゃなくて明日香ちゃんのお父さんなのかなって、思って……分からなくて。今まで生きていて、ずっと流されてきたのに、急に感情も思考も暴走するようになって! 訳が、分からなくて!」


 タカが外れたかの様に、カサネはまとまらない言葉を吐き出す。


 泣きそうになりながら肩で息をするカサネを見て、俺はどこか既視感を覚えていた。

 この既視感は、俺が幼少期に抱いていた大人への失望だ。


 綺麗事を吐く癖に何もしない大人への憤り。

 それを今、俺がぶつけられている。


「……カサネは、俺に父親になって欲しいのか?」


 カサネは、黙ったまま小さく頷く。


 ……誰が何と言おうと、カサネにとっての理想の父は俺なのだろう。

 柚子にとっての理想の夫が俺であったように。


 このまま拒絶したら、柚子の時と同じになる気がする。

 俺は何とか、次の言葉を捻りだした。

「なあ、カサネ。お前は俺に、何をして欲しいんだ?」


「話、聞いて欲しい」


「……分かった」

 必死で、脳内で理想の父親像を組み立てる。

 大人になるって、きっとそういう事だから。


 不安そうに俺を見上げるカサネに、最大限優し気に微笑んで見せる。


「なんでも話せよ。ちゃんと見て、ちゃんと聞いてるから」


 そうしてカサネはおずおずと、自分の事を話し始めた。

 感じた事、考えた事、楽しかった事、悲しかった事、やりたかった事、やれなかった事、空が赤くなるまで、ずっと話を聞き続けた。

 そうやって話し続けるカサネはとても楽しそうで、きっと父とか、友達とか、本当はそういう事では無いのだろう。


 無邪気に笑うカサネを見て、神社で止まっていた時間がようやく動き出した気がした。


 もうすぐ、日が沈む。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る