第52話 悔恨

「わあ! おじさん!」

 明日香さんが、元気そうに声を上げる。

 一先ず、間に合ったようで良かった。


 私は明日香さんから、大蜘蛛様の遣いへと視線を動かす。


「話すのは久しぶりですね。ですが、旧交を温めるつもりはありません。要求は一つです、神降ろしを止めていただきたい」


 能面の様な顔で、大蜘蛛様の遣いは言葉を返す。


「何故、黒崎様が止めるのですか?」


「大切な甥っ子を、殺させる訳にはいきませんから」


「……また、愛されてる」

 大蜘蛛様の遣いは俯いてそうつぶやいた後、真っ直ぐに私の目を見つめた。


「黒崎様、私はあの男を殺すつもりはありません。ただ、明日香ちゃんにとっての最良の結果を望んでいるだけです。そしてその結果は、あの男や神の蛹にとっても決して悪くない話の筈です」


「魂を汚すのも、殺すのも大差ありませんよ。それと、神の蛹とは誰の事です?」


「とぼけないで下さい、黒崎様と一緒に封印に侵入した存在の事ですよ」


「……っ! 美沙さんの現在の魔力量は人の枠を外れていません。それに、怪物を選別する術式も反応しなかった! 今の美沙さんは怪物や神のような、理外の存在ではありません」

 彼女が今も怪物だなんてありえない、文献も確認した。術式の反応だって完全に人のものだった筈だ。


 大蜘蛛様の遣いは、無表情のまま首を傾げる。


「蛹と、言ったでしょう?」


「まさか……」

 首筋に、嫌な汗が伝う。


 まるっきり人と変わらないあの姿が、体内で神を形成する為の肉の器にしか過ぎないのだとしたら……いや、そんな怪物など聞いた事が無い。


 しかし、大蜘蛛様の遣いは淡々と語りだした。


「人に擬態して生まれ人を喰い、肉の蛹を纏い喰った魂で神の躰を成し、羽化して神へと至る。多くの落とし子が幼体時に殺され、神へと至ればその一帯は無に帰す。どう転んでも真実は闇の中。せんゆう様の落とし子とは、そういう怪物です。黒崎様が真実を知らないのも無理はありません」


「……私は、まんまと甥っ子を神の贄に差し出したという事ですか」


「黒崎様、そんなに落ち込む事はありませんよ。最初に、あの男にも悪くない話だと言ったでしょう?」


 大蜘蛛様の遣いの言葉に、思わず私は期待の目を向ける。


「私の目的は、明日香ちゃんに理想の家族を実現させてあげる事です。しかし、悪食の神は余りに母に向いていない。ですから、混ぜる事にしたのです」


「……ただ食べさせるだけでは、消化されるだけで魂は混ざりませんよ」


「ええ、そうですね。ですから、あの男を神にして魂を大きくします。そうすれば、明日香ちゃんにとって理想の母性と父性を兼ね備えた魂ができあがります。その魂が神に成る前に明日香ちゃんを喰わせれば、完全無欠で理想の家族のできあがりです」


 魂を集めて混ぜて……まるで死体を継いで接いだモノを家族と呼ぶような、怪物らしく悍ましい作戦だ。

 私は全てをバカバカしいと切り捨てたくなる気持ちを抑え、冷静に作戦の穴を指摘する。


「……その作戦では明日香さんの魂の質量が足りず、消化されてしまうでしょう?」


「問題ありませんよ? 明日香ちゃんは、私の魂を使って存在を大きくしますから。二柱分の魂と比べると少し見劣りしますが、親子だと考えたら小さいくらいがちょうど良いでしょう?」


「自らを犠牲にする事も厭いませんか……」

 まるで、娘を蘇生しようとしていた自分を見ているようだ。


「友達、ですから」

 大蜘蛛様の遣いはそう言って、ニッコリと笑う。


 その笑顔は、今まで彼女が見せてきた無表情よりも圧倒的に人間らしい表情だというのに、私には一番人間離れした表情のように思えた。


 大蜘蛛様の遣いがやろうとしている事は、魂を弄ぶ怪物の所業だ。

 心も記憶も混ぜて、どこが家族だと言うのか?

 怪物の論理は、いつも理解できない。


「貴方の目論見は、止めさせていただきますよ」


 色々と御託を並べたが、結局のところ私は怪物が嫌いなのだ。


 いつの間にか、大蜘蛛様の遣いは無表情に戻っている。

「……私も、大蜘蛛様も、黒崎様も、そう大差はありませんよ」


 大蜘蛛様の遣いの呟きに呼応するように、存在の比重が精神に傾いた貴志君がボコボコと音を立てて泡立つ。その表面を執拗に掻く蜘蛛の肢は、残された時間の少なさを意識させた。


 ……大蜘蛛様と貴志君の魂が混ざり切るのも時間の問題か。

 それに、美沙さんが未だに怪物であるというのなら、このままだと大蜘蛛様の遣いの作戦通りに、落とし子が貴志君を捕食し神に成る可能性が非常に高い。

 そうなれば貴志君達の記憶や心はグチャグチャに混ざり、荒神という形で世に顕現するのだ。

 つまりは、最悪の事態である。


 なんとかして、混ざり始めた貴志君と大蜘蛛様の魂を分離し、落とし子の独占欲を刺激する前に隔離しなければならない。


 だが、どうやって?


 今この時も、貴志君の魂は侵され続けている。

 もう手遅れなのではないか?

 そもそも、一度混ざった魂を分離する事なんて技術的に不可能だ。


 諦めてしましそうになりながらも、必死で糸を手繰るように思考を巡らせる。


「……どうすればいいんだ」

 せんゆう様の落とし子、大蜘蛛様、大蜘蛛様の遣い、解決すべき問題が多すぎる。


 私は、また怪物に奪われるのか?


 最近になって、ようやく貴志君に他人行儀でなく接する事ができるようになってきた。

 ずっと冷めた目をしていた貴志君が、最近は楽しそうにしている。


 保護者として……家族として、なんとしてでも助けなければ。


 必死で、考える。


「ん?」

 服の裾を引っ張られる。


「ねぇ、おじさん?」


 私の服の裾を握る明日香さんは、随分と不安そうだった。


「ああ……すみません、大丈夫ですよ。私がなんとかしますから」

 私は安心させるように微笑んで見せる。


「あのね、ちがうの。封印といたら良いって、たかしが言ったから教えてあげようと思って」


「封印ですか?」


「うん、封印」


 私と明日香さんのやりとりを見て、大蜘蛛様の遣いが口を挟む。


「この封印は高名な陰陽師によるものです、黒崎様に解く事は不可能ですよ。それに、万一解けたとしても黒崎様に得があるとは思えません」


 大蜘蛛様の遣いを無視して、私は再び思考に没頭する。


 封印を解く、どういう事だ?

 封印を解いたとして、変わる事と言ったらこの空間が外と繋がる事くらいだ。

 もう、せんゆう様の落とし子と大蜘蛛様が貴志君の精神世界に入っている以上、外界と繋がる事に大して意味は無い。


 今でこそ封印内の時間の進みが歪んでいるおかげで、貴志君が落とし子に喰われるという最悪の事態には陥っていない。

 だが、貴志君の魂の一部は既に大蜘蛛様に侵されているのだ。封印内の時間と貴志君の精神世界の時間が噛み合った瞬間、落とし子が独占欲を拗らせて貴志君を喰うのは確実と言えるだろう。


 であれば、封印を解いたら時間の歪みが無くなる分、落とし子に貴志君が早く喰われるだけだ…………いや、待て?


 私は黒い粘液が泡立つ様を見て、自らの仮説が正しい可能性が高い事を理解する。


 大蜘蛛様は神だが、成り立ちを考えると幽霊の方が近い。

 幽霊とは、願いを叶えれば成仏するものだ。

 成仏とは、つまるところ目的を失った魔力の拡散である。つまり、今大蜘蛛様を成仏させれば自動的に貴志君の魂の侵食は収まるのだ。


 では、どうやって大蜘蛛様を成仏させるか?


 今から大蜘蛛様の願いを探って、それを叶える。これが通常の除霊だが、今回に限ってはその必要は無い。何故なら、もう成仏は始まっているからだ。

 時間の歪みのせいで余りにもゆっくりと成仏していたから気が付かなかったが、黒い粘液の泡立ち、アレは明らかに成仏と同質の現象だ。


 であれば、封印を解いて時間の流れを正常にし、大蜘蛛様の魔力を一瞬で散らす事ができる。

 これで、大蜘蛛様の遣いの策は破綻する。


「大蜘蛛様の遣い、貴女の負けです」


「……? 黒崎様は確かに優秀な術者ですが、この封印の解析はできても解除まではできない筈です。あの男では無いのですから、思い上がりは似合いませんよ?」


 大蜘蛛様の遣いは、無表情で私を諭す。


「解除なんて大それた事はしませんよ。私はただ、解くだけです」


「……それは、どういう意味ですか?」


 不審げに首を傾げる彼女に、私は小さく笑みを返す。


「契約により、私は後一つ願いを叶えてもらう権利があります」


「……願い事は、そもそも封印由来の恩恵です。願い事で封印解除なんて芸当はできませんよ?」


 大蜘蛛様の遣いは、まだ状況が理解できていないようだ。


「どうやら、貴女は今まで叶えた願いの数を知らないようですね? 先ほど封印を解析した際に確認したので、教えてさしあげます」


 大蜘蛛様の遣いの顔が強張る。


「七百九十九万九千九百九十九です。あと一足せば、八百万ですね?」


「……八百万の願いを叶えたら、この封印は解けるという訳ですか。数百年、人が願う様を見ていたので、すっかり失念していました」


 そう言って、大蜘蛛様の遣いは力なく座り込む。


「それで、黒崎様の最後の願いは何ですか?」


 その問いに私は一瞬だけ考え、すぐに良いものを思いついた。


「……そうですね、家族の幸せでも願いましょうか」


 次の瞬間、空間が揺らめく。

 八百万個目の願いが聞き届けられたのだ。


 周囲に在った狛犬も、鳥居も、本殿も、陽炎の様に全て消え失せた。

 残ったのは、竹の群れと石階段だけ。


 一陣の風が吹き抜ける。


 大蜘蛛様の遣いの後ろで蠢いていた黒い粘液が大きく泡立ち、肥大化する。


 内から内から肉塊と蜘蛛の足が溢れる。


 紅の神の断片は、溢れた傍から泡となって空に解けた。


 その様は花火の様で、グロテスクながらもどこか美しさを感じさせる。


 神の成仏か……。


 私は、ぼんやりと小さくなっていく粘液を見つめた。

 これで侵食されていた貴志君の魂は完全に大蜘蛛様から分離し、せんゆう様の落とし子の独占欲を刺激する要因も無くなった。


 安堵感から思わずその場にへたり込みそうになるが、明日香さんの前である事を思い出して踏みとどまる。


 今回は、守れた……。


 まだ、大蜘蛛様の遣いや落とし子をどうにかできた訳では無いが、差し迫る危機は去ったのだ。

 結果として貴志君も明日香さんも無事なのは僥倖である。


 私は大きく伸びをし、そろそろ神降ろしの効果も切れた頃かと思い貴志君に意識を向けた。


 まだ所々黒い粘液が残っているが、貴志君は概ね人の形に戻っている。


 その時、一匹の蜘蛛が目に付いた。


 直感で理解する。

 これは不味い。


 とっさに印を組もうと手を動かした次の瞬間、貴志君の体は肉色に染まっていた。


「……あ」


 蛇の様に這う肉紐、爬虫類の口を思わせる肉花、それらが貴志君の体を覆っているのだ。


 感情が追いつく前に、頭が理解する。


 せんゆう様の落とし子が、貴志君を捕食した。


 娘の時と、同じ光景。


「…………あ」


 私は、吐いた。


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