第46話 霧消

「……釣れねえな」

 俺は餌だけが綺麗に盗られた釣り針を見て、次に空っぽのバケツを見る。


「お、惜しかったのう! 次、次はいけるのじゃ! きっとじゃ!」

 柚子が、本日八度目のフォローをすかさず入れてくる。


 神社に来てから三日、俺と明日香は柚子の作った川で釣りに興じていた。

 ここでの生活自体は田舎の別荘に来たみたいでそこそこ楽しめているのだが……。


 おかしいだろ。

 本当に、全く、完膚無きまでに釣れないのだ。

 いや、俺も自分の実力不足に不満を言うほど子供では無い。

 ただ、やはりおかしいのだ。


 隣で楽し気に釣り糸を垂らしている明日香を見る。

 明日香のバケツの中には、三匹の魚が悠々と泳ぎまわっていた。


 ……あ、また釣り上げやがった。


 そう、俺が八連敗している間に、明日香は既に四匹もの魚を得ているのだ。

 どうやったら釣れるんだよ。

 俺は釣り餌がいつ盗られているのかすら良く分かっていないというのに。


「おい、明日香。お前って釣り経験者だったりする?」


「リュウグウノツカイも、つったことある!」

 明日香が小慣れた様子で釣り針を川に放りながら、意気揚々と返事をする。


「えぇ、アレって釣り竿で釣れんの?」

 確か深海の魚だろ? めちゃくちゃ長い釣り糸とか、電動のリールとか使うのか?


「ジンベイザメも、つったことある!」

 明日香は、自信満々で言い切った。


 ……マジか。

「お前、俺が釣りについて何も知らないと思って適当言ってるだろ」


「あー、だまされなかった……」


 意外そうに目を丸くするな。

「魚釣りが魚の餌やりになってる俺でも、二手目でジンベイザメが出てきたら騙されねえよ」


「リュウグウノツカイまでは、だまされてた……?」


「…………」


 無言の俺を、明日香は同情の目で見つめる。

「お魚、半分あげよっか?」


 やめろ、余計に惨めになる。

 俺は惨めさを誤魔化す様にスッと立ち上がり、明日香を睥睨しながら不敵に笑う。

「…………釣ってきてやるよ、リュウグウノツカイ」


 対する明日香は、満点の笑顔で俺を見ていた。


「がんばって!」


 ……いや、なんでだよ。

 そこは馬鹿にした感じにニヤニヤする所だろうが。


 真っ直ぐな応援を受けてしまった俺は、腑に落ちない気分でその場を後にした。


「だ、旦那様ぁ―!」

 すぐ後ろで、柚子の心配そうな声が響く。


「すぐ戻る」

 尚も後ろから柚子の声が聞こえたが、俺は振り返る事無くそのまま歩き続けた。


 ……さて、格好よく立ち去ったのは良いが、これからどうしようか?

 俺は今から、リュウグウノツカイを釣り上げなければならない。


 無理だな。


 こういう時は、誰かを頼ろう。

 まあ、誰かって言っても、もう境内に残っているのはカサネしかいないのだが。


 カサネは、どこに居るのだろうか?

 初日こそ明日香にべったりだったが、二日目の朝から境内をずっとウロウロしていて居場所が全く分からない。

 とはいえ、境内はそこまで広くないし適当に回ってたら見つかるか。


 適当に神社を囲んでいる森を散策していると、五分ほどでカサネは見つかった。

 何やら木に縄を結び付けている。


「よう、何してんの?」


「お前ですか……私に何の用です?」

 カサネは俺の声に、振り返らずに返事をする。


「リュウグウノツカイを魔法で出してもらえないかな、と思って」

 我ながら、訳の分からない要望だ。


「召喚魔法をご所望ですか。りゅうぐうのつかい? というのは知りませんが、蛇の妖なら出せますよ」

 縄を結び終わったのか、カサネはようやくこちらを向く。

 いつも通りのポーカーフェイスだ。


 さて、こっちを向いてくれたのは良いが、リュウグウノツカイってどう説明すれば良いんだ?

 そもそも、俺が持っているリュウグウノツカイ像が既にあやふやだし。


 あいつ、どんな姿だっけ?

 なんか細長かった気がする。

 あと、銀色だったかな? あれ、赤だっけ?

 ……分からん。


 俺の脳内では、妙に胴の長い金魚が泳ぎ回っていた。


 違う、胴長金魚は絶対に違う。

 リュウグウノツカイはこんな、死ぬほど長い糞を尻にくっつけて泳いでそうな魚じゃない。


「アレだ、なんか、細長い魚なんだけど……」


「ウツボですか?」


「あー、うん。そんな感じ」

 ……ウツボの方が、胴長金魚より百倍マシだ。


「では、ウツボを召喚してあげます。その代わり、お前の血をこの瓶いっぱいに入れて下さい」

 そう言って、カサネは懐からとても小さな瓶を取り出す。


「え、何に使うの?」


「お前の、広がった孔を小さくする為に使います」


 ……孔? ああ、ウニョウニョのことか。

「そういえば柚子が広がってるって言ってたな。孔って、やっぱ広がったままだと不味いの?」


 俺の質問に、カサネの眉は小さく動く。

「まあ、良くはありませんね。ですが、私がお前の孔を小さくするのは別の目的の為です」


 言外に感謝は不要だと言いたいのだろう。


「……それで、孔を小さくするには血がいるんだな。痛くないように出す方法ってある?」


 カサネが、どこからかナイフを取り出し、無言で俺の指先を切る。


「お、ちょ、おい!」


 訳も分からないまま左手を摑まれ、指先を瓶の口に押し当てられる。

 指先からジワジワと血が染み出し、みるみる内に小瓶が紅に色付いていく。


「ほら、痛くなかったでしょう?」


「いや、普通に痛いよ。なんなら今もジンジンしてるよ?」

 平然とした顔で、俺の痛覚を抹消しようとするな。


「生きている証ですね」

 カサネは、相も変わらず無表情を貫いている。


 そういえば、こいつも死んでるんだったな……柚子に、殺されて。

「……カサネは、痛みを感じないのか」


「いえ、普通に痛みは感じます」


 ふざけんな! ちょっとシリアスな気分になっただろうが!

「お前……マジで、意味深な事言うなよ」


「あ、もう瓶がいっぱいになりましたね。では、ウツボっぽい妖を召喚します」


 ……スルーされた。


 何食わぬ顔で小瓶の蓋を閉めているカサネを、俺はゲンナリとした気分で見つめる。

 こいつ、最初の頃よりちょっと失礼になってないか?


「ほら、お前、ウツボを出すから手を構えて下さい」


「お、おう!」

 俺は慌てて両手を上に向けて構える。


「……あ、血がまだ出ていますね」

 カサネは印を組んでいた両手を崩し、俺の手をとった。


「うお!」


 カサネが、俺の指を咥えている。


「なんれすか? お前は怪物に喰われかけて興奮する変態れしょう? 覚えていまふよ?」


 上梨が俺の指を急に舐めだした時の事を言っているのか。


「別に興奮してねえよ。それより……お前、最近なんか妙に距離感近くないか?」

 あと、指を口に含んだまま話すな。


「……血、止まりましたよ」

 カサネが俺の指を吐き出して言う。


「ああ、うん。ありがとう」

 カサネの言う通り、確かに傷口は塞がっていた。

 このやりとりがずっと無表情で交わされているのが、なんともシュールだ。


「じゃあ、そろそろウツボを……」

 俺はカサネの表情を見て、思わず口を噤む。

 表情の変化は乏しいながらも、カサネは妙に思いつめたような顔をしていたのだ。


「お前は、親と友達、どちらの関係の方が深いと思いますか?」


 ……なんだ、その質問は?

「友達だろ。親とは格差が生まれるが、友達とは対等だ。ほら、偉そうな奴ってまともに話しを聞かない癖に分かったような顔をするだろ? そんな奴とは、深い関係になれない。もうアレだ、他人以下だ」


「即答ですか……お前は、本当に妙な奴ですね。流石は黒崎様の甥っ子です」

 カサネは、わずかに目を細めて笑っている。


「なんでそこで叔父さんが出てくるんだよ……」


「おや、知らないのですか? お前の叔父は、過去に母に願いを叶えてもらいに来たのです。娘を生き返らせて欲しいとかで……」


「へえ、それってそんなに妙な願いなのか? 割とありがちな神頼みだと思うんだが」


「いや、そこではなく。お前の叔父は、母からその願いは叶えられないと聞くと、代わりに願いを好きなだけ叶えられるようにしろと言ってきたのです」


「えぇ、無茶だろ」

 なにやってんだよ、叔父さん……。


「はい、無茶です。ですがあの人は、願いを叶えるほど封印が解ける時が早まるのだから、母にも利点はあるだとか言い出して、最終的に三つまでなら願いを叶えて貰えるよう説得したのです。しかも、願いの対価の取り立てを、三つ目の願いが叶った時にまとめて行うという条件までつけて」


 ……対価とかあったんだ。

 俺は旦那様と同じ魂だから免除されてるんだろうな。

「もう、叔父さんの対価の取り立ては済んでるのか?」


「いえ、二つだけ叶えて逃げられました。ですが、一定期間が過ぎると居場所が分かる様に細工された道具を与えているので居場所は分かります。そして先日、黒崎様に願いの催促に行ったらお前がいたという訳です」


「叔父さん、逃げきれてないじゃん……」


「しかも、もうすぐ強制転移の術が発動する筈ですよ。尤も、ここは時間の流れは遅いので何日後か何年後かは分かりませんが」


 ……急に叔父さんが飛ばされてくるかもしれないのか、なんか嫌だな。


「というか、俺はそこまで妙では無いだろ」


「……妙ですよ。少なくとも、私にとっては」

 そう言うカサネは相変わらず無表情だったが、どこか晴れやかにも見えた。

 しみじみと俯いていたカサネは顔を上げ、唐突に両手で印を組む。


「ほら、お前が望んでいたウツボですよ」


 べしゃっ、とウツボが地面に落ちる。

 ……妖って言ってたけど、まんまウツボだな。


 俺はしゃがんでウツボを拾い上げる。

「これ、死んでんの?」


「生きてる方が良かったですか?」


「いや、噛まれても嫌だし。これで大丈夫だ」

 俺は肩にウツボを背負い、カサネに別れを告げて歩き出した。

 ……ぬめっとする。


 +++++


 俺は高らかにウツボを掲げ、明日香と柚子の待つ川を目指して駆けている。

 こういうのは勢いが大切だ。

 どれだけウツボに見えようが、俺がリュウグウノツカイであるという態度で挑めば、それは最早リュウグウノツカイと化すのである。

 実際、世の詐欺師は時に警察を、時に息子を騙り、カモを騙す。

 どれだけ怪しくとも、相手が自信満々だと騙されるものなのだ。

 どうせ明日香も、リュウグウノツカイなんて図鑑かゲームでしか見た事が無い。

 自分を無知であると思っている人間ほど詐欺師に騙され易いものなのだ。

 更に、俺は明日香からの厚い信頼も得ている。

 最早、俺はリュウグウノツカイを釣ってきた男に他ならないのだ!


 俺はできるだけハキハキと、通る声を出すよう意識する。


「おい! リュウグウノツカイを釣ってきたぞ!」

 どうだ! とばかりにウツボを見せつける。


 明日香は不思議そうに首を傾げている。

「……それ、ウツボだよ?」


「まあ……うん、はい、そうですね」


 明日香のバケツは、釣った魚でいっぱいになっていた……。

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