第45話 節目

「あ! そうだ!」

 もう日も傾きだした頃、寝転がっていた明日香が突然ガバッと上半身を起こす。


「ねえ、この神社って死んだ人が生き返るのにかんけいあるって聞いたの、何か知ってる?」


 ……こいつ、主目的を忘れていた事を隠そうともしねえな。

 まあ、俺も忘れてたけどさ。


「む? 確かに妾は一度死んだ身じゃが、生き返った訳ではないぞ? 妾は……そうじゃなあ、少々特異ではあるが一応は幽霊と言ったところかの?」

 柚子は、そう言いながら明日香を見て微笑む。


 正直、柚子が明日香に返事をするとは思っていなかった。

 この行動は、カサネから聞いていた一方的に旦那様の話をするという人間像からは、大きく外れる。

 これは、カサネの言う事を鵜呑みにするのは不味そうだな。


 俺は考えを改めつつ、柚子に少し気になった事を質問する。


「なあ、幽霊って人間とどう違うんだ?」


 柚子は嬉しそうに顔をほころばせ、自慢気に解説を始める。


「幽霊というのは、簡単に言うと魔力の塊じゃ! 魔力とは、魂や、人格、精神力とも言い換えられるの。普通はその魂を器に収めて現世に留まり、魔力が尽きたら死ぬ」


 柚子が地面に棒人間を描き、その頭の中に魂と書き込む。


「その器が無いから、代わりに想いの力……まあ、魔力の亜種じゃな。その想いの力で魂を現世に留めておるのが幽霊じゃ」


 柚子は棒人間の隣に火の玉のような絵を描き、その内側に魂と書き込む。


「ん? じゃあ、幽霊と人間は肉体の有無しか違わないのか?」


「それが大きな違いとも言えるのじゃ。幽霊は肉体ではなく未練やら、願いやらで存在を成しておるから、基本的に想いを成就させる為の行動しかできん。というか、する気になれんのじゃ」


 柚子は俺を見て、酷く蠱惑的に笑む。


「要するに、妾が話すのも、考えるのも、歩くのも、見るのも、泣くのも、笑うのも、黙るのも、作るのも、壊すのも、怒るのも、聞くのも、触るのも、捧げるのも、奪うのも、契約するのも、謀るのも、抱きしめるのも、寄り添うのも、生きるのも、死ぬのも、殺すのも……食べるのも、全てはもう一度、旦那様との幸せな日々をおくる為という事じゃ」


 柚子の瞳が、黒く揺らめく。


「……ああ、分かってる」

 やはりこいつは、狂っている。

 だが、それでも好意には違いない……ちゃんと、振らないとな。


 俺は、改めて柚子の目を見る。

 狂気に満ちたその目は、しかし確かに優しい色を湛えていた。

 茜色に照らされた柚子を見て、俺は妙な納得を覚える。


 ……もっと、ちゃんと知ってからだな。


 小さく笑む俺を見て、柚子は不思議そうに笑い返す。

 なんとも言えない、むず痒い沈黙が流れる。


 その沈黙に耐え切れなくなったのか、明日香がおずおずと口を開く。


「……じゃあ、生き返らすのは無理ってこと?」


「うむ、死んだ人間は生き返らん。散った魂も、土に還った肉体も、元に戻る事は無いからの」


「でも! 私、生き返らそうとした人、知ってるよ。あれも嘘の奴なの?」


 ……叔父さんの事か。

 確かに、あの儀式が成功していたらどうなるのかは気になるな。


 柚子は明日香の質問について少し考えた後、割とあっさり答えを出した。


「まあ、大抵の死者蘇生術は嘘っぱちじゃ。じゃが、もし蘇生したい者が、生前の妾……つまり、せんゆう様の落とし子や、神の贄となった人間なら別じゃな。アレらは肉も魂も取り込むからの、正当な手順で殺せば、喰われた者は生き返る。後は……そうじゃ! 幽霊として現世に留まっとる魂を適当な器に入れれば、不完全じゃが死者蘇生の真似事ができるぞ」

 柚子は、どうじゃ! とばかりに胸を張る。


 数百年を生きた存在というのは、やはり知識量の桁が違うのだろう。


 しかし……どう足掻いても、上梨の命と引き換えなければ叔父さんの娘は生き返らないという事か。


 明日香も予想はついていたのだろう。

 少しシュンとしてはいるが、納得しているみたいだ。


 さて、一応ここに来た当初の目的は果たした。


「もう遅い時間だし、そろそろ帰るわ」


「帰さんよ?」

 不気味に単調な調子で柚子は告げる。


 まあ、そうだろうな。

「あー、明日また来るつもりなんだが、それでも駄目か?」


「ふふふ、明日か。明日とは、随分と遠いのお……」


「いや……せいぜい十数時間だ。それに、時間の体感速度は生きた年数が長い程、速くなるらしいぜ」

 もう一瞬だよ、一瞬。

 俺はできる限り不穏な空気にならないよう、早口で軽いジョークを飛ばす。


「なあ、旦那様? 旦那様は夕刻になったから帰ろうと言うのじゃろ?」


「え、まあ、そうだが」


「夕刻には、なっておらんよ。まだ、正午を回った頃じゃ」


「いや……流石に無理があるだろ」

 思いっきり空の色変わってるし。なんでその嘘が通ると思った。

 数百年生きてるから、ボケたのか? 

 ……本当にありえそうで嫌だ。


 俺がげんなりと柚子を見つめていると、ずっと黙っていたカサネが話しかけてくる。


「大蜘蛛様の言う事は正しいです。お前を初めてここに招いた時、外では時間が進んでいなかったでしょう?」


 ……なるほど。たしかに、初めてこいつに会った時、つまり俺がかき氷を買いに外に出た時、数分はカサネと話した筈だが明日香は一切俺が消えた事に気が付いていなかった。


「え、じゃあ時間止まってんの?」


「少し違うのじゃ。ほら、長い夢を見ても数刻しか時が経っていない事ってあるじゃろう? あれの規模が大きくなったと考えてもらえば良い」


「つまり、ここは多人数接続型の夢って事か」


「夢は魂で見るものじゃが、これは肉体と魂で見るものじゃから、神隠しじゃな」


 ……俺、さっきから間違えすぎだろ。

 ちょっと落ち込む。


「あわわ! 実質時間が止まっておるようなものじゃし! もう、ほぼ夢じゃから! あれじゃ、大正解じゃ! 流石! 旦那様じゃのう! 感服したのじゃ!」

 柚子が慌てて俺をフォローする。


 ……ロリババアに慰められてしまった。

 何故だろう? 酷く自分が幼くなったように感じる。

 いや、実際数百年生きた奴と比べたら赤子か。


 赤子なのに、実質大正解出しちまったなあ!

 自尊心が無限に満たされるぜ!

 ……虚無。


「まあ、あれだ。そこまで言うなら休暇だと思って、もう少しここに居ようかな」

 時間が止まっているのなら、そこまで焦る必要は無い。


「私も! もうちょっといる!」

 すかさず明日香もここに残ると宣言する。


「うむ、少しと言わず永遠におってくれ」


 柚子は俺達の言葉に、満足そうに頷く。


 ……なんか、明日香への態度が急に柔らかくなったな。

 最初は認識すらしていなさそうだったのに。


 俺の心に少しの違和感を残しつつも、なんだかんだ円滑に謎の休暇が始まった。

 この時間は、柚子と向き合ってちゃんと振る為の時間だ。


 全部知って、考えて、終わらせる。その結果を納得してもらえるように……。


 ところで、夏休み中に発生した別の休暇って、なんと呼べば良いのだろうか?

 ……夏休み休み? ふっ。


 俺達は、ゆっくりと沈む夕日を見送る。

 まあ、こういうのも悪くない。そういう気分だ。

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