第44話 吐露
上梨が怪物化した日の夜。
俺が二人の事をちゃんと見ているから大丈夫だと、明日香は俺に言った。
「…………もう俺には、お前らをちゃんと見れる自信が無い。気持ちを分かってやれる自信が無い。期待に応えられる自信が、無いんだよ……」
明日香は俺の絞り出すような掠れた声を聞き終わると、ゆっくりと口を開く。
「ね、たかし。私も上梨さんも、たかしが間違えても嫌いになんてならないよ?」
本当に、優しい声音だ。
……でも、違う。
「嫌いになるとか、そういうのじゃない。見当違いの行動で、お前の為にとか何とか言って俺のエゴを押し付けるのが怖いんだ」
ずっと俺は、自分と母が重なるのが怖い。明日香や上梨が過去の自分と重なるのが怖い。
「たかしは、そんな事しないよ?」
「いいや、する。俺は、お前達に過去の俺と同じような思いをさせたくない……信頼を、裏切りたくない。お前達の為になんて言いながら、嫌がる事を強いたくない。そんな状況で続く人間関係なんて、絶対に最悪の形で瓦解する」
俺が母の家から逃げ出したように。
家族の繋がりですら満足に保てない俺に、いったいどんな関係性なら維持できるというんだ?
自嘲気味に嗤う俺を、明日香はどう見ているのだろう?
そう思って明日香の顔に意識を向ける。
「……言うもん」
明日香は小さく震えながら、何事かを呟いた。
「え?」
「いやって言うもん! たかしが、いやなことしてきたら! いやっていうもん! たかしは、私がいやって言ったら止めるもん! だから! たかしは! 私のいやなことしない!」
明日香は涙に頬を濡らしながら、ハッキリとそう言い切る。
「っ……だったら! なんで、お前の母親に会った後! あんなに残念そうにしてたのに、何も言わなかったんだよ! お前の望むように父親を演じられない俺に、なんで何も言わなかったんだよ!」
俺がそう叫ぶと、涙が場違いにキラキラと日の光を反射しながら飛び散る。
これは……俺の涙か。
くそ、俺に泣く権利なんか無いぞ……。
どうにも自分がもどかしくて、何も分からない事が情けない。
俺は涙の浮かぶ目を擦り、地面を睨みつけた。
俺の頭に何かが触れた。
「あ…………」
明日香の手だ……。そのまま、明日香はゆっくりと俺の頭を撫でる。
「ねえ、たかし。お母さんも、お父さんも、私に興味ないの。だから、たかしと、かみなしさんが、お父さんとお母さんみたいで、すごい、うれしかった」
「俺には……無理だ」
父親なんて、そんな大役勤まらない。
「……でもね、それって親になってほしいってことじゃないの」
「………………」
黙っている俺を撫で、明日香は柔らかく言葉を続ける。
「ずっといっしょにいて、おっきくなったら恩返しするみたいな。私はたかしと、親子じゃなくてね、そんな家族みたいになりたいの」
明日香のその言葉が、撫でられている手から伝わってくるようだった。
俺はそんな優しさに絆されそうになる。しかし、こころに引っかかる疑問が、俺に明日香の言葉を信じさせない。
「……お前が母親に無視された後、俺がお前に友達だって言った時、俺が父親の代わりになれなかった時、なんで残念そうな顔をしてたんだ?」
もし明日香の言う通り俺に嫌だと言えるのなら、その嫌を聞いて俺が正しく在れるのと言うのなら、あの時の表情はなんだったんだ?
その疑問が引っかかり、今までの優しい言葉が全て俺を気遣った虚言なのではないかと不安になる。
俺は濡れた地面を見つめながら、明日香の返答を待った。
明日香の、俺を撫でる手が止まる。
そのちょっとした変化にさえ、俺は酷く緊張した。
「えっとね……かみなしさん、たかしに告白して、友達以上のやつになったでしょ? だから、私だけ友達のままで、ちょっと、ざんねんだった。でもそれは、いやとは、ちがうの」
そのまま、明日香はゆっくりと俺の頭を抱き寄せ、優しく囁く。
「ね、たかし? お母さんが私に興味なかったのは、やっぱりさみしいよ? でもね、もう、だいじょうぶなの。海に行ったとき、一人で寝るの、辛いって言ったの覚えてる?」
「……ああ」
覚えている。
俺の返事を聞き、明日香は優しく言葉を続ける。
「たかしとか、かみなしさんのこと思い出したら、一人で寝るの、ちょっとだけ、だいじょうぶだったって言ったのは、覚えてる?」
「……ああ、覚えてる」
あの時の夕日に照らされた笑顔を見て、こいつとなら時々遊んでも良いとすら思えた事まで、鮮明に。
「あのね、もう、だいじょうぶだよ。たかしと、かみなしさんに、いっぱいもらったから。これからもずっと、いっしょにいられるから、だいじょうぶなの!」
明日香は抱いていた俺の頭を離し、代わりに俺の頬に手を添えた。
そして、明日香は真正面から俺の目を見つめてくる。
「私、一人で寝るの……もう、辛くないよ? 死にたく、ならないんだよ?」
あの日と同じように、明日香の目じりは少し濡れていた。
だが、そんな事は関係ないくらいにその笑顔は幸せそうだった。
その笑顔に、随分と心が軽くなる。
「……は、はは、そうか。そうか、うん。良かった」
「えへぇ、良かったでしょ? たかしはさ、たぶんいっぱい考えたの。私や、かみなしさんの為に。それで、良いの。違ってたら今日みたいに教えてあげるから、私も、かみなしさんも、たかしに自分のこと考えてもらうのが、一番うれしい」
明日香がパッと俺の頬から手を放し、甘えるように上目遣いで俺を見る。
「……だから、気持ちなんて、答えなんて分かんなくていいから、いっぱい私を考えて?」
明日香は悪戯っぽくニコッ笑う。
「……はは」
敵わねえな。
俺はどうにも気恥ずかしくなって、顔を背けるように天を仰ぐ。
果たして、無限に広がる青空は雲一つない快晴だった。
「……ふっ」
なんだか妙に楽しくなる。
今はなんとなく、どうでも良い話をしたい気分だ。
「なあ、明日香。お前今日、俺と上梨が結婚するとか、チューがどうのとか言ってなかったか?」
「えー、だって、かみなしさん、たかしに好きって言ったじゃん」
「お前、そんな事まであいつから聞いてたのかよ……」
そういえば上梨も、明日香にこの気持ちが恋だと言われたとか言ってたな。
仲良しさんかよ。
「かみなしさんと、チューしたの?」
随分と楽しそうに明日香が尋ねてくる。
「お前な、好きだから結婚とかキスとか、ちょっと短絡的すぎるだろ」
小学生かよ。
「え! じゃあ、たかし、かみなしさんと結婚しないの?」
「別に、上梨の好きが恋愛感情だとも限らんし、そもそも絶対に好きな相手と結婚する訳でも無いだろ」
感情というものは、結婚したから幸せになれるなんて単純な問題でも無ければ、想い合っている人間は皆キスをしたいというほど画一的でも無いのだ。
明日香は、イマイチ良く分からないといった風に唸っている。
「まあ、あれだ。好きだから結婚するしキスするって考え方の方が生きやすいだろうし、お前が将来好きになった相手と恋愛観が違ったら、改めて考えれば良いんじゃないか?」
「うーん、私にそんな人、できるかな?」
余りピンときていないようだ。
「別に、できなかったらできなかったで良いんだよ」
俺はそのまま、地面に寝転がる。
すると、明日香も俺の隣に寝転んできた。
そのまま真っ青な空を眺めていると、気づけば柚子やカサネも近くで寝転んで空を見上げている。
なんだかその様子がおかしくて、自然と口角が上がった。
あー、本当に天気が良すぎて嫌になるな、全く。
でもまあ、もう少しこの眩しい空を眺めているのも悪くない。
たまには、のんびり寝転がって風を感じるような、そんな日があっても良いだろう?
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