第33話 過去

 セーラー少女の言葉に真っ赤になった上梨の様子を見て、向かい側に座っていた明日香が小さな声で話しかけてくる。

 テーブルから身を乗り出して。


「かみなしさんって、たかしのこと、好きなの?」


 俺が知りたい。


 俺も、明日香に倣って小さな声で返す。


「上梨はコミュニケーションに不慣れだから、ああいうのに慣れてないだけだろ」


 咄嗟に口から出た一番ありそうな結論に、自分で納得する。

 危ない危ない、高校生にもなってあんなに露骨に動揺するから、俺まで動揺してしまっていた。

 あいつは、幼少期から人と関わっていないせいで恋愛系の軽口に耐性が無いだけだ。

 そもそも、俺の性格をよく知っているあいつが、俺と友達以上の関係になろうとする筈が無い。


「でも、ずっとたかしの手、持ってるよ?」


 それはね、確かにね、なんでだろうね。 

「それは恐らく、怪物関連の異常が関係している」

 ……たぶん。


「分かった」

 明日香はそーっと席に座りなおす。

 上梨は、何とも言えない微妙な表情で明日香を見つめていた。

 まあ、いくら小声でも、身を乗り出していたら流石にバレるよな。


「というかお前ら、もっと願いが叶うとかそういう所に興味を示さなくて良いのか?」


「大蜘蛛神社って、もう廃れた神社でしょう? そんなところの神に何も期待なんてできないわ」

 そう言うと上梨は、ようやく俺の手を放し明日香に分けてもらったかき氷を食べ始めた。

 明日香も、あまり願いが叶うという情報には関心が無さそうだ。


 ……そういえばこいつら、自分の目的の為に自殺未遂をしたり、何年間も一人でオカルトについて調べたりするような奴らだった。

 きっと、他人が願いを叶えてくれるなんて都合の良いシステムに、根本的に期待していないのだろう。

 俺はノータイムで都合の良さに尻尾を振っちゃったよ。


 仲が良さそうに、一緒にかき氷を食べる明日香と上梨を見る。

 凄い奴らだよ、本当に。


 ……はあ。

 かき氷、溶けかけてるし。


 俺は何とも言えない怠さに苛まれ、空に視線を逃がす。

 上梨や明日香は自分の問題に向き合っているというのに、俺は未だに母の呪縛に捕らわれ続けている。


 本当は他人なんかどうでも良い癖に、幼少期に刷り込まれた良い子であれという言葉が脳にこびり付いて離れない。

 本当は他人なんかどうでも良い癖に、脳に巣食う母親をすり潰す為に必死で悪い子であろうとしている。

 人に価値観を押し付けたら母の様な人間になる気がして、儀式の場で死にたいと言った上梨に、遊園地で殺してと言った明日香に、死なないでなんていう誰でも言えそうな簡単な言葉を掛けられなかった。


 矛盾だらけの自分が本当に嫌……いや、止めよう。


 別に立ち向かうだけが困難に対応する唯一の方法という訳ではない。

 俺は困難から距離を置いて対応しているだけだ。まあ、逃れられていないが。

 ……ダメじゃん。


 テーブルに突っ伏し、半ば溶けたかき氷をスプーンでつつく。


「お前も、そんな顔をするのですね」

 セーラー少女が、俺の顔を覗き込んできた。


「あんたこそ、俺に必要な事以外で話しかけるんすね」


「っ、な、何故そう思ったんです?」

 ずっと無表情で何にも興味が無さそうだった顔が、初めて崩れた。

 なんだこいつ、自分が他人に興味無いの気づかれてないと思ってたのか?


「いや、あんたが誰にも関心無さそうにしてたんで……」


「は、初めてそんな事を言われました」


「えっと、その大蜘蛛様でしたっけ? その人とはあんまり話さない感じなんすか?」


「いえ、毎日話しています」

 少し崩れていた表情が、大蜘蛛様という単語を出した瞬間に一気に無表情に戻る。

 そしてその無表情は、今まで見てきた何にも興味無さそうな無表情と、どこか違っていた。


 ……ここが地雷か。


 こういう時は多少強引にでも話題を逸らすのに限る。

 少なくとも、これから一週間は一緒にいる予定なのだ。気まずくなるのは避けたい。


「今日はこの後勉強会する予定なんすけど、勉強って得意だったりします?」


「……学び舎には……その、行ったことが無いので分かりません」


 セーラー服着てるのに学校行った事無いのかよ。

 そういえば最初に会った時に大蜘蛛様の遣いとか、大蜘蛛様が母だとか言ってたし、もしかして人間じゃないのか?


「学校行ってないなら、普段は何してるんすか?」


「大蜘蛛様と、話をしています」

 大蜘蛛様の話題に戻ってきちゃったよ、話逸らせなかったよ。

 また話逸らしたら、流石に不自然だよな。


「さっきも大蜘蛛様と毎日話してるって言ってましたよね? 大蜘蛛様とは、どんな話をするんすか?」


「大蜘蛛様が、私の父の話をするのを聞いています」


 母から父の話を、ね。

 母が延々と自分を捨てた夫を引き合いに出して俺に文句を言っていた事を思い出す。


「……他には、大蜘蛛様と何を話してるんすか?」


「それだけです」


 なるほど、さっきから一問一答みたいなコミュニケーションが続いていたのは、こいつがいつも聞き役ばかりで話すことに慣れていなかったからか。


 誰に対しても興味無さそうにしていたセーラー少女の姿が、母が自分の話など聞く訳が無いと諦観していた小学生の頃の自分と重なる。


「……なんか、その、監視してる間、どうせ一緒にいるなら、話とか聞くんで」

 いつもは絶対に言わないような言葉が、口から零れる。


 大蜘蛛様がこいつの話を聞いていないだなんて俺の勝手な予想に過ぎないのに、俺は何を言っているんだ。


 俺の言葉を聞き、セーラー少女は胡乱な目で俺を見つめてくる。


「妙な奴ですね、お前は」


 妙ではないだろ。

「そうっすかね?」


「……敬語」


「え?」


「その妙な敬語、止めて下さい。妙です」


 妙だった。

「あ、ああ、うん、分かった」

 人を極力敬いたく無いという反抗心から、敢えて崩した敬語を使っていたんだが……妙なら止めよっかな。


 俺とセーラー少女の会話が終わったタイミングを見計らって、明日香が飛びつくような勢いで話しかけてくる。

「たかし! かみなしさんが、この後でおじさんに見てもらって怪物じゃ無くなってたら! 夏祭り! いっしょに行けるって!」


「おお、じゃあ上梨もこの後、家に来んの?」


「え? あ、ええそうね。あ……でも、用が済んだらすぐに帰るから、気にしないで」

 上梨が、何かを察したような顔で慌てて付け足す。


 お前は何を察した? 別にさっきの言葉に言外の意味は何も込めてねえよ。

「上梨は俺が何を気にすると思ったんだよ」


「……急な話だったから、迷惑かと思って」

 不安そうな顔で、上梨が俺の様子を伺う。


 ……今日ずっと上梨の反応が変だった理由が、なんとなく分かった。

 こいつ、俺達が友達になった事をようやく自覚して、嫌われない距離感を測りかねてるんだ。

 人から好かれたいという気持ちばかりが先行し、どうすれば好かれるのかは分からないからこそ、踏み込めないのだろう。


 上梨はずっと、人から嫌われようとして生きてきたから。


「俺は上梨と、ずっと会って話したいと思ってた」


「え……」


「だいたい、俺から友達になってくれなんて言った相手は上梨が初めてなんだ。たぶんお前が思ってるより、俺は上梨の事が好きだぞ」


「あ、あう、あ、ありが、とう」

 上梨の口角が、もにょもにょと動く。

 口角が上がるのを、必死で堪えているのだ。


 全く、こんなに初々しい反応をされたらこっちまで恥ずかしくなってくる。


 あー、なんか告白みたいで嫌だな。

 だが、恐らくこいつにはこれくらい言わないと、まともに友達であり続ける事すらできない。


 本当に面倒くさい奴だ。コミュニケーション弱者め。


 本当に……俺が俺じゃないみたいだ。

 はあ、知らん子供の群れを眺めて延々と毒づく事でバランスを取りたい。


 明日香め、満面の笑みでこっち見んな。

 セーラー少女も、昆虫を観察するような目で俺を見んな。

 最初の他者に無関心だったスタイルを貫け。まだ出会って数時間だろうが。


 なんとも言えない空気から逃げるように、俺は溶けかけたかき氷を一気に飲み干す。


 ……頭が、痛い。


 キーンと痛む頭では、現状の善し悪しはどうしたって結論付けられない。だから、という訳では無いが、今はもう少しの間だけ、色々な事から目を逸らす事にした。

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