第31話 変化
「あの、人違いっす」
「は?」
俺の言葉に、セーラー服の少女は真顔を崩さず聞き返してきた。
「黒崎明人は、俺の叔父さんっす」
「……そうですか。まあ、なんでも良いです」
本当に、心底どうでも良さそうにセーラ服の女は目を細めた。
こいつ! 自分のミスで赤の他人を神隠しした癖に、まるで悪びれる様子が無い。
というか、こいつの焦点をずらして俺を見ようともしない態度……俺も良くやるから分かる、こいつは悪びれるどころか、俺に興味すら持っていない。
不愉快な輩だ。
だが、お互い興味が無いのなら好都合。
ここは、さっさと帰る事が最優先だ。
「あの、間違いだったなら、もとの場所に返してもらって良いっすか?」
「いえ、母は願いを叶えられれば誰でも良いので、もうお前で良いです。今から大蜘蛛神社に連れて行くので、そこで何か願って下さい」
断られた。相も変わらず、無表情で。
なんか、最近は上梨や明日香と比較的まともなコミュニケーションをとってたから、壁打ちの様なこの会話が少し辛い。
くそ、だいたい大蜘蛛神社って明日香に誘われてた場所だし。
来週になったらこっちから行くんだ、来週まで待てよ。
いや本当に、俺にだって予定というものがあるんだ!
まあ、無いけど。
……ん? いや、今までの夏休みとは違って、俺には直近で勉強会という素敵な予定があるのか!
よっし、大義名分がある俺は強いぞ?
「えっと、次の日曜にその神社に行く予定なんで、なんか? 願い事? とかはその時まで待ってもらえませんかね?」
待ってもらえないか頼んでみた。
「分かりました」
待ってくれた。
かくして、俺の眼前に広がっていた無限の階段は跡形もなく消え去ったのだ。
「ただいま」
とりあえず、俺は明日香に声をかける。
「……おかえり?」
明日香は、呆けた様に俺の顔を見つめている。
この様子を見るに、俺が神隠しに遭っていた五分ばかりの時間は、こちらの時間では一瞬の出来事として処理されているようだ。
もしかして、あの空間にいる限り不老?
なんか、願いを叶える事が目的とか言ってたよな。
上梨の問題も、明日香の問題も、時間停止が可能な存在に願えばなんとかなるんじゃないか?
……全て解決したら、明日香は俺じゃなくて家族と一緒に過ごすようになるだろうし、上梨は俺よりも性格が良い奴と仲良くするだろうな。
それは、嫌だな。
それを嫌だと思っている俺も嫌だ。地獄。
だが、解決策があるのなら情報は共有するべきだろう。
問題解決を行える手段がある以上、選択権は本人たちが握るべきだし。
……勉強会の時に言おう。
なんとは無しに明日香を見る。
手をブンブンと振りながら歩いている様は、正しく小学生といった風体だ。
客観的に見て、こいつと俺が友人関係にあるなんて異常極まりない。
もし問題が解決して疎遠になっても、それが自然なのだろう。
俺は、いつの間にここまで入れ込んでいたんだ?
げんなりとした気分で明日香を見つめていると、パッとこちらを見てきた明日香と目が合う。
「あ! たかし! さっきね、時計見たら! のこりがピッタリ二、二……えっと……そう! 二分二十二秒だった!」
……しょうもねえ。
そもそも残りがピッタリって、何の残りだよ。
そういう偶然による特別感って、二時二十二分の時とかに覚える感情だろ。
「そういうのは叔父さんに言ったら無条件に褒めてくれるから、叔父さんに言え」
「おじさんには、もう言った! たかしも、ほめて!」
「ええ…………すげえ! 残りが二分二十二秒とか……秒単位で揃う事ってあるんだな!」
俺の渾身の褒めだ。感涙に咽び泣け!
「でしょ! しかもね! ピッタリだって暗算で気づいたの!」
「うおお! 手を使わずに? 暗算で? すごすぎる!」
「指は、ちょっと、使った……」
先ほどまでニコニコで話していた明日香は、打って変わってシュンとする。
適当に褒め過ぎたな。
「ほら、今日の勉強会で指使わなくても暗算できるようになろうぜ」
「うん! がんばる!」
「おう」
……こいつの感情の起伏、ジェットコースターかよ。
そのままだらだらと話しながら歩いていたら、存外すぐにかき氷屋に辿り着いた。
暑さも蝉も、話していたら気にならない物だな。
夏が嫌いだった理由がこうも簡単に潰されてしまったら、俺はどうやって夏を嫌えば良いのだろうか?
まあ、嫌な事なんていくらでも湧いてくるか。
「明日香、どのかき氷にするか決めたか?」
「うーん……いちごと、チョコ、どっちが良いかな?」
明日香は店の横のパネルを、うんうんと唸りながら熱心に見ている。
「どっちも同じ味だろ」
ネットで見た。
「いっしょの味なのは、お祭りのやつでしょ! あ! そうだ! みんなでお祭り行きたい!」
「祭りについては後で話すとして、とりあえず選べ」
「うーん、あ! そうだ! たかし! いちご、たのんで! 私、チョコにするから!」
「お前、かき氷代を俺に払わせる上に俺のかき氷を喰うつもりなのか?」
そんなんもう強盗だろ、警察呼ぶぞ。
「こうかん! だから!」
「しないぞ」
食べたかったかき氷を、何故お前に明け渡さねばならんのだ。
「えー! なんでよ! たかしもチョコ食べたいでしょ!」
人の欲求を勝手に決めるな。
「食べたくないぞ、チョコも、苺も」
俺の言葉に、明日香は唖然とした表情を浮かべる。
「なんにも……かけない?」
どういう思考回路を経由したら、その結論に行き着くんだ?
最早、紙一重で天才の域に達しているのか?
俺が天才的な発言に対してどう返してやろうかと思考を巡らせていると、ぬっと新たな人影が現れた。
「あの、私がチョコを頼むので、さっさと注文して日陰に行きませんか?」
セーラー服の女だ。
……いたんだ。
全く気が付かなかった。というか、なんでいるんだ?
まあ、日陰には俺も行きたいし良いか。
「よし、そういう事だ。明日香、注文するぞ」
「え? え? だれ?」
明日香は、困惑したように俺とセーラ服の女を交互に見つめている。
適応力の低い奴め。
まあいい、俺もこいつがいる理由は気になるし聞いてやるか。
「えっと、なんか俺に伝え忘れてた事とかありました?」
「いえ、お前が本当に神社に来るとは思っていないので、日曜になるまで監視しているんです」
セーラー服の女は目を細め、淡々と語った。
「ああ、なるほど」
相も変わらず、セーラー服の女は俺に焦点を合わせずに無表情を貫いている。
俺に対して興味も信頼も無いという事を、全く隠そうとしていない。
ちょっと良いな、こいつ。
人にまるで期待していない所が、実に良い。
「たかし、どういうこと? 神社の人?」
「まあ……あれだ、かき氷食べながら説明するから、とりあえず注文しようぜ」
「わかった!」
そうして俺は、ようやくかき氷の注文を開始した。
「すみません、『ちょこっとショコラのバナナみるくかき氷』と『苺だらけの赤ずきんかき氷』と『ミラクルミックス全部乗せマックス』をお願いします」
「かしこまりました、合計千八百円になります」
「あ、はい」
二千円を渡して、お釣りをもらう。
かき氷が完成するまで待たされるらしい。
……作り置きとか無いのか。
仕方が無いから、俺達はだらだらとテーブルに向かう。
屋外に三人で座っていると、なんとなく遊園地に行った時の事を思い出すな。
祭りも行きたいけど、遊園地もまた行きたい。
前は途中で帰っちゃったし。
あー、俺も変な安っぽいカチューシャつけて一緒に写真撮りてえ。
……ん?
あ、上梨だ。まあ、あいつも外に出る事くらいあるか。
声かけた方が良いかな?
あ、目が合った。
瞬間、妙に周囲の音が遠く感じる。
俺は上梨と見つめ合うこの状況に、謎の既視感を覚えていた。
暑いはずなのに、何故か寒い。
いつだ? いつの既視感だ?
……あ。
既視感の正体にようやく思い至る。
上梨の目が、怪物の姿になった時の目と、そっくりだったのだ。
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