第24話 披瀝

「貴方の言う通りよ」

 上梨は諦めたように息を吐く。


「私……私は、もう、本当は昔の友達なんてどうでも良かったの……最低でしょ」


 上梨はグシャリと顔を歪め、自嘲的な笑顔を俺に見せる。


「私、ずっと貴方の事が嫌いだって思おうとしていたし、嫌いだと思っていた。でも、海に行った帰りに貴方を食べちゃいそうになった。その後に、独りで考えたら……貴方の好きなところばかり思い浮かんで……貴方は、馬鹿みたいに優しかったのに、本気で嫌いなつもりでいた。そう、思い込んでいたかった」


 上梨はもう、自嘲的な笑顔すら崩し、ただただ縋りつくように俺を見つめている。


「私、馬鹿なのよ。何度も失敗したのに、懲りずに人と関わろうとして……貴方や、ファントムちゃんの優しさに甘えて…………怪物の癖に、楽しい日々に甘んじて……! それが続くんじゃないかって、本気で、そう思って!」


 上梨は、泣いていた。

 取り繕う事を止めたせいで、もう本心が溢れて止まらないのだろう。

 その様子が、明日香と電話越しに話して泣いた自分と重なった。


「優しい貴方を、友達になりたかった貴方を……嫌いになんて、なれないから……好きでいたいから……」


 上梨の涙が、アスファルトの黒をさらに黒く染める。


「……貴方を好きなまま、終わりたかったの」


 上梨は、涙を止めようと必死に目を瞬かせ、それでも零れ続ける涙を隠すように俯いた。


 ……なるほど。

「上梨、お前も俺と友達になりたい。だが、俺を食いたくない。だから自分を殺せと言っているんだな?」


「……ええ」


 俺の最終確認は、肯定で返された。

 ……勘弁してくれ。


「俺はな……上梨が、俺と友達になりたいんだと思ってここに来たんだ。本当の意味で、上梨の為に動きたいと思って、動けると思って、ここに来たんだ。だが、上梨は俺と友達になる未来じゃなくて、過去の友達への贖罪の為に死にたいと言う。俺は、上梨がそれを望むのなら、殺そうって、糞ほど嫌だけど、殺そうって……そう、思ったんだよ」


 本当に……あんな思い、もうしたくない。


「それを! 実は! 俺が原因で死にたいだと? 最初から言え!」


 俺は声を荒げ、更に続ける。


「俺は! 上梨と友達になりたいんだよ! お前もそうなんだろ? それなのに、俺を殺したくないから死にたいだと? 俺も絡んでる問題を、勝手に終わらせようとするな!」


 上梨は、掠れた声で返事をする。


「…………貴方に、迷惑をかけたくないよ」


 こいつ、マジで……俺の為みたいな顔をして、エゴを押し付けんなよ。


「俺を、甘く見るなよ……」


 正面から、ちゃんと上梨を見る。


「俺が、どうにかするから」


 上梨の表情は一瞬、期待の色を見せた。

 だが、それもすぐに諦めの色に塗りつぶされた。


「どうにかする方法なんて、無い。もう、良いの…………ごめんなさい」


 上梨はこの期に及んで、まだ迷惑を掛けたくないとでも言いたげに、ゆるく微笑んだ。


「そう、答えを急くなよ」

 俺は、自信ありげにそう言った。

 そう言いはしたが、上梨の言い分は尤もだ。

 恐らく、上梨は誇張でなく人生をかけてオカルトを学んできたのだろう。

 そして、その上で何も解決策が見つかっていないのだ。


 せんゆう様の落とし子に喰われないようにする方法なんて……ん? 

 冷静に考えると、落とし子をどうこうしなくても俺が喰われなければ良いのか。


 俺は一度、落とし子と対面して生き残っている。

 考えろ、ネックレスが無くても怪物に喰われずに済む方法を。

 なんか、あるだろ!


 オカルトが原因の問題を解決する方法は、なにもオカルトだけって訳じゃない筈だ。

 要するに、ネックレスが初撃を防いでくれたから俺は逃げ切れた訳だろ。

 何か、あの怪物の一撃を防ぐ方法があれば良いんだ。

 恐らく鉄板やヘルメットなんかは簡単にぶっ壊される。


 何か、何か、何か……思いつかん。


「明日香! 怪物に喰われない方法!」


 唐突に声をかけられた明日香は、わたわたと手を動かす。


「え? え! えっと! えっと! あ! がんばって、にげる!」


「逃げる前に喰われるから困ってんの!」


「じゃあ! はなれて、あそぶ! そしたら、にげれる!」


 ちょっと離れたくらいで避けられる速度じゃないんだよ。

 上梨の足は遅くても、肉紐の速度はとんでもなく速いんだ。

 初撃を避けるなら、上梨が見えないくらい離れなければいけない。


 大声でお話しでもするか?

 あれだ百メートルくらいの糸電話を作ったりしてな。

 ……はあ。


 ん? いや、待て、案外悪くないか?

 遠くで話す方法は、なにも大声や糸電話だけではあるまい。

 うん、アリだな。

 完璧とは言い難い。

 しかし、せんゆう様の落とし子に喰われない方法を、俺は確かに思いついた。




「なあ、上梨。知ってるか? せんゆう様の落とし子ってのは、呪いとか、幽霊とかでは無くて……怪物だ」

 無数の肉紐が迫ってくる様子は、本当に怖かった。


「……だから、何?」


 上梨は、怪訝そうに顔を顰める。当然だろう。


「上梨、電話って知ってるか?」


「知ってるけど……」


 俺は唇を吊り上げて、ニヤリと笑顔を作る。


「物質的にこの世に存在する怪物は、電話越しに話している相手を喰う事は出来ないんじゃないのか?」


 海の帰りに襲われた時、初撃を防げていなかったら恐らく俺は死んでいた。

 だが逆に言えば、初撃さえどうにか出来れば喰われる事は無いのだ。

 物理的に距離を置きつつ、上梨と仲良くやる。

 これが俺の思いついた、思いがけない抜け道だ。


 まあ、電話越しじゃあ一緒に海に行ったり、遊園地に行ったりする事は出来ないが、オンラインゲームくらいならできる。

 根本的な解決策を見つけるまでの繋ぎとしては、上々だと言えるだろう。


 これは、今までオカルト一筋で、親しい相手を作らなかった上梨には思いついても実行すら出来なかった作戦だ。

 でも今の上梨には、少なくとも俺と明日香がいる。


 上梨の諦めの表情が、ようやく崩れる。


「まさか……そんな事…………でも……」


「人を喰ってしまう問題の根本的な解決策は、一緒にゲームでもしながら考えようぜ?」


 上梨は、おずおずと俺を見てくる。


「本当に、良いの? 私、沢山迷惑をかけた、沢山酷い事を言った、沢山殺した、それなのに……貴方と友達になっても………良いの?」


 こいつ、まだ不安なのか。

 まあ、今日くらいは優しい事を言っても良いだろう。


 俺は一呼吸置き、何と言うかを考える。


 いつも悪態ばかり考えているからか、どうにも咄嗟に優しい言葉が出てこないな。

 ひとしきり考え、変に飾ろうとする事を諦めた。

 上梨の瞳を見つめ、心からの本心を伝えようと口を開く。


 瞬間、叔父さんが声を上げた。


「待って下さい! 私の娘は、妻との約束は! どうなるんですか!」


 叔父さんはそう叫ぶと、手で印を結ぶ。


【るょゑ、ぇるぁ、のぇみ、ぉるょ、くょふ】


 ウニョウニョを出す時に鳴っていた音が、大音量で鼓膜を揺さぶる。

 その瞬間、

 俺の手や明日香の手、

 周囲の影から、

 様々な色彩を放つ火が叔父さんの元へ集い始める。


「本当は、こんな手段は取りたくなかったのですが……貴志君、せんゆう様の落とし子を殺して下さい。せんゆう様の落とし子は、その場を動かないで下さい」


 叔父さんがそう言った瞬間、俺の腕が意思とは無関係に動き、上梨をナイフで攻撃しようとする。


「くっ」


 慌てて腕の動きに抵抗する。


「叔父さん! 何したんすか!」


「……傀儡化の術をかけさせてもらいました。予備の魔力を確保しておいて、本当に良かった」


 叔父さんは、そう言って力なく笑う。


 ヤバい。

 もう勘弁してほしい。

 帰りたい。

 マジで帰りたい。


 一仕事終えて帰る気でいた俺の脳は、そんな単純な文字列を弾き出す事しかできなかった。

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