第23話 集積

 ……殺したく、ねえな。

 だが、これは俺のエゴだ。


 上梨が自分で、自らを犠牲に叔父さんの娘を生き返らせると決めたのだ。

 忘れるな、上梨の幸せは、上梨の物だ……。

 俺は、諦めにも似た自戒で、そう結論づけた。


 『上梨の為』という文言を掲げて俺がここに立っている以上、殺すしか無いのだ。


「なんでよ!」


 明日香が叫ぶ


「かみなしさん! 私に死んじゃダメって! 言った! かなしむ人がいるからって!」


 上梨は、酷く苦しそうに明日香を見つめる。

「……ごめんなさい。でも、私……生きていては……いけないの」


「私、かみなしさん好きなのに……なんで、なんでよ!」


 目に涙を溜めながら叫ぶ明日香から、上梨は目を逸らす。

 そして、声を震わせながら言葉を紡いだ。


「私、その人の娘さんを食べたの。その娘さんね、私の友達だったの……でも、私が死ねば生き返る。私、ずっと願ってた……食べちゃった人達が、生き返ったらって」


 上梨は瞳に涙を浮かべ、笑顔で明日香を見る。


「だから……ごめんなさい」


 明日香は涙と鼻水で顔をグチャグチャにしながらも、なお叫んだ。


「やだ! やだ! やだよぉ……私、死ぬとか言わないからぁ……ねえ……死なないでよぉ……かみなしさん…………」


 果たして上梨は、悲しく笑みを返すだけだった。


———慟哭———


 明日香は声にならない感情を、只々叫んでいる。


 ああ……本当に、やるせない。

 茜色に染まる交差点の真ん中で、明日香の泣き声だけが空しく反響する。

 その姿を見つめる叔父さんは逃げるように目を瞑り、ポツリと呟いた。


「……すみません。これしか……ないんです」


 その言葉は、血色を湛えた空にジワリジワリと滲みていく。


 どうするのが正解なのか?

 上梨と叔父さんの命を犠牲にしてまで、蘇生する価値は有るのか?

 いや……その価値を決めるのは俺では無い。

 身の程を知れ。


 どうするのが正解なのか?


 本当に『上梨の為』と謳うのなら、その答えは儀式の実行以外にあり得ない。

 ……だから、そんな目で見るな。


「……たかしぃ」


 やめろ。


「ねえ……かみなしさんを、殺さないで……」


 やめろ。


「かみなしさんが死んじゃ、やだよ」


 明日香は、俺から目を逸らさない。


「……たかしぃ」


 俺を、見ないでくれ。

「上梨が……納得してんだよ。上梨の為に、俺はこの場に来たんだ。」


 明日香は糸が切れたかのように地に伏し、黒く淀んだアスファルトを力なく掻いた。


 上梨の為に動いた結果、明日香を傷つけている。

 ……こんな事が、俺はやりたかったのか?


 いや、覚悟を決めろ。

「叔父さん、儀式を始めましょう」


 最後にチラリと見た明日香の瞳には、死んだような顔をした俺が映り込んでいた。


+++++


 叔父さんは黒装束を纏い、さっきからずっと呪文を唱えている。

 その非現実的な光景が、逆にこれから行う儀式の現実性を裏付けていた。


 ああ、緊張で手汗がヤバい。

 叔父さんは、呪文を唱え続けている。

 骨製のナイフを握りなおす。

 叔父さんは、呪文を唱え続けている。

 この呪文が終わったら、殺すのか……。

 叔父さんの呪文が、激しさを増す。

 口が渇く。その癖、手は異様なほど湿っている。

 呪文を唱える声が小さくなり始める。

 ああ、手が震えてきた。

 呪文を唱える声が徐々に小さくなる。

 骨製のナイフを握りなおす。


 ――――呪文が、終わった。


 落ち着け、俺。

 魔法陣まで続く布の通り道が、やけに長く感じる。

 手が震える。

 もう、引き返せないんだ。

 一歩、純白の布を踏みしめた。

 踏み出してからは、もう歩みが止まる事は無い。

 気づけは、上梨は目の前だ。


 上梨の心臓にナイフを突き立てても、まだ叔父さんが残っている。

 ……躊躇している暇は、無い。


 手が震える。

 真っすぐと心臓の位置に狙いを定める。

 こんな、こんなに、人の身体って脆そうだったのか。

 ああ、くそ。手汗が鬱陶しい。

 手が震える。

 ナイフを振りかぶり………


「まって!」


 明日香は、焦ったように声を上げる。


「かみなしさんを! ちゃんと見て!」


 ……言われて、気づく。

 俺は、さっきまで上梨の事を全然見ていなかった。

 最後の瞬間くらいは、上梨の顔を見ていよう。


 上梨の顔を見る。

 上梨は俺を見て、安心したように微笑んでいた。


 落ち着いて、ナイフを構えなおす。

 ふと、頭に違和感がよぎる。

 違和感を無視してナイフを振りかぶる。

 しかし、手が急に震え、またもナイフを取り落としてしまった。


 ナイフを拾おうと屈んだ時、より克明に、俺の頭を違和感が過る。


 改めて、上梨の顔を見る。

 上梨は、

 俺が殺すと、

 そう信じ切った目で、

 安心した様な笑みを浮かべながら俺の事を見つめていた。


 ……あ。


 上梨はいつも、俺が性格の悪い事を言った時に、安心したような笑みを浮かべていた。それはつまり、俺の事を好きになれないと、喰ってしまう事は無いだろうと、そう確信して安心していたという事だ。


 自分が死ぬ事で、俺を喰う可能性は無くなる。

 故に、上梨は安心したような笑みを浮かべているのだ……という風に考えると、特に違和感は無いように思える。


 しかし、上梨がこの表情を今浮かべているのは、やはりおかしい。


 上梨は、友達を生き返らせたいから死にたいと俺達に言った。

 俺達との未来では無く、過去の贖罪を願うと言ったんだ。

 だが、死の直前に俺を殺さずに済む事を安堵している。


 であれば、上梨が本当に死にたかった理由は……!

 俺を殺したくなかったから、という事になるのではないか?


 その疑念を抱えたままでは、俺は上梨を殺せない。


「なあ、上梨。お前、本当に友達を生き返らせたいから死にたいのか?」


 その質問をした瞬間、上梨はビクリと体を震わせる。


「……早く、私を殺して」

 焦ったように、上梨はそう言う。


「先に、質問に答えてくれ」


「…………なんで、そんな事を聞くの?」


 不安そうに、しかし、どこか期待するように上梨は俺を見つめてくる。


 なるほどな。

 俺は、実に性格が悪そうにニヤリと唇を吊り上げた。


「俺は、お前の事を結構ちゃんと見てんだよ」


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