第19話 憂悶

 上梨が走り去ってから、どれくらいの時間が経ったのだろうか?

 気づけば日は落ち、辺りは薄暗くなっていた。


「たかしぃ……どうしよう」

 ガキが泣きそうな声で、俺を縋るように見つめてくる。


「とりあえず、帰るか」


「……うん」


 不安を紛らわすように、俺達は手を繋ぎ無言で帰路を進んだ。


 空気が鉛のように重く感じる。

 夜道に俺たちの足音だけが響いているせいで、余計に静寂を意識させられた。


 この沈黙は、耐えがたい。

 考えないようにしても、記憶にこびりついた上梨の瞳が脳裏を過るのだ。


 ガキが握る手に力を込める。


「私の……せいだぁ……」


「別に、お前のせいじゃないだろ」


「私が、たかしに……怪物さがし手伝ってって言わなかったらぁ……」 


 こんなことには、ならなかった。そう言いたいのだろう。

「その理論だと、依頼を受けた俺のせいでもあるだろ」


「ちがう!」


「そうだ、違う。そもそも原因なんか、何処にだって置けるんだ。だから自分に責任を置く必要なんて無い」


「……でもぉ」

 今にも泣き出しそうな顔で、ガキは唇を尖らせる。


「今はどうするべきかを考えろ」

 この言葉はガキに向けたものか、それとも自分に向けたものなのか、自分でもよく分からなかった。

 ただ少なくとも、ガキは俺の言葉を飲み込んだようだった。


 少し話した事で、冷静になる。

 俺は、俺が殺されそうになった時よりも、上梨の取り乱した様子を見た時の方がショックを受けていた。


 もう、認めるしかない。 

 俺は上梨の事を他人だなんて思っていない……。


 上梨を他人だと散々自分に言い聞かせていた癖に、俺は友達みたいな距離感で上梨に接して喰われかけたのだ。

 その結果、上梨を傷つけてショックを受けている。

 本当に、気持ち悪い奴だ。

 俺は何をしたいんだ……。


 上梨と友達になりたいのか?

 上梨にとって嫌な奴でいたいのか?

 結局、そのどちらにも決めていなかった。

 上梨と深く関わろうとするには、余りにも考えなしだ。


 俺は重い自己嫌悪の念をぶら下げたまま、答えを探すかのように歩みを進める。

 どこまでも広がる夜闇と静かにそびえ立つガキの家が、随分と黒々しく感じられた。


 随分とでかい家だ。

 しかし、明かりが全く点灯していていない為、その大きさは寒々しさの演出にしか役立っていない。


 この家に一人か……。


 思わずガキの方を横目で見る。

 至って普通にしている。


 これが、こいつにとっての日常なのだろう……。


 そういえば、一人で寝るのが怖いとか言ってたな。

 ちょっと大丈夫になった、なんて海では言ってたが、それは裏を返せば怖い気持ちがまだ残っているとも言える。

 それにガキは、上梨の様子が結構堪えているようだった……。


 そんな事を考えていたら、自然と口が開いていた。


「なあ、今日は…………いや。着信拒否、解除しとくから」


 もっと優しい事を言うつもりだったのに、口から出たのはそんな言葉だった。

 つくづく、嫌になる。


 言いたい事すらトラウマに邪魔されて、馬鹿じゃないのか?

 自己嫌悪に沈む俺を、ガキは呆けた様に見つめている。


 なんだ、こいつ。


 俺にだって自己肯定感を持てない時くらいある。

 なんなら、俺はいつだって心の底では自己否定の念に苛まれていると言っても良い。

 善い事をしたって、悪い事を言ったって、母の声が脳を反響するのだ。

 だから、ましな方の不快を選んで性格の悪い思考を繰り返している。 

 我ながら、本当に救いようがない。


 こちらを見つめ続けるガキのまん丸な目が気まずくなって、思わず目を逸らしてしまった。

 ……更に気まずくなった気がする。


「えへぇ、うれしい」


 俺が何とも言えない表情で虚空を見つめていると、そんな気の抜けた声が聞こえた。


 俺が着信拒否を解除しただけで、そんな声を出すのか。

 きっと今、ガキはニヤニヤとしまりの悪い笑みを浮かべているのだろう。

 気恥ずかしくなって目を逸らしたことを、俺は少し後悔した。


 これで少しは、ガキの寂しさが紛れるだろうか……?

 なんて、上梨からの逃避の為に、俺は善行に走るのかよ。




 もう、帰ろう。


「じゃあな」


「うん! またね!」


 ぶんぶんと手を振るガキに手を挙げて返事をし、俺は叔父さんの家へと歩きだした。

 もう随分暗い。

 今夜の月は、少しだけ欠けていた。


+++++


 上梨の事を考えないよう、コンビニで買ってきた晩飯に意識を集中させながら、俺は玄関のカギを開ける。


 あれ、電気ついてないな。

 叔父さん、もう寝たのか? 

 照明のスイッチを入れる。


 テーブルの真ん中には、ぽつんと見慣れない紙が鎮座していた。

 謎の紙を手に取る……置手紙だ。


 手紙は、せんゆう様の落とし子を捕まえる術が完成したから、今日は家を空ける、という内容の物だった。


 急だな。

 結局、せんゆう様の落とし子は捕まったらどうなるか分からないままだ。


 どうなるにしても、俺がこれからどうするかを決めない事には何も始まらないが。

 ああ、考えたくねえ……。


 だらだらと、晩飯を食べ始める。


 辛子明太子おにぎりを噛み潰し、緑茶で押し流す。

 二口めを食べようとして、ふと明太子が上梨の肉紐と重なる。


 そこから連鎖的に、額から血が垂れた事を思い出し、母から受けた暴力を思い出し、そして…………




 吐いた。




 おにぎりも、

 緑茶も、

 海で飲んでしまった海水も、

 焼きそばも、

 胃液も、

 全て吐瀉物となって、口から出た。


 なんだか、今日の思い出が全部体外に出てきたみたいだ。

 涙が滲んだ。


 吐瀉物を独り惨めに雑巾で拭いながら、考える。

 明日、上梨は学校に来るのだろうか? 

 もし来ていたとして、俺はどうする?

 もし上梨が話しかけてきたら? 

 ……なんだ、その仮定は。


 友達にでもなるつもりか? 

 変な期待をするな。

 お前なんかと友達になる奴が、いる訳ないだろ。


 お前は悪い子なんだ、ガキが友達になってくれたのだって、親のいない寂しさにお前が付け込んだからだ。

 ……違う、違うって。


 不安を誤魔化す様に、床を拳で殴りつける。

 まだ片付け終わっていなかった吐瀉物が飛散し、手が痛んだだけだった。


 くそ……。


 ぬるい覚悟で関わりに行って上梨を傷つけた俺が、やっぱり友達に……なんて、冗談じゃない。

 そんな自分は、許容できない。


 捕食行動をどうにもできない俺は、上梨と距離を置く事しか……。


 スマホが鳴る。

「……もしもし」


「あっ! たかし!」


 電話越しに聞こえてきたガキの声は、心底嬉しそうだった。

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