第18話 瓦解

 俺は痛む日焼けを気遣いながら、よろよろとガキと上梨の少し後ろを歩く。

 明日には筋肉痛まで加わるのかと思うと、少し憂鬱だ。

 しかし、それを差し引いても今日の海水浴は割と楽しかったと言って良い。

 少し気だるいが、今はそれも心地良かった。


「そういえば上梨、ガキからどんな貝を貰ったんだ?」


 上梨はカバンをゴソゴソして、白い貝を取り出す。

 ……俺に渡してきた貝より、明らかに上位な奴じゃん。


 上梨は俺の持っている小さい貝にチラリと目をやった。

 くそっ得意げな顔しやがって!


「おいガキ、なんか俺より上梨の方が特別扱いされてないか?」


「二人に、あいそうなやつ、とってきただけだよ」


 そう言って、ガキは悪戯っぽく笑うのである。

 舐め腐りやがって。


「俺に似合うのは黄金の貝だ、覚えとけ」


「じゃあ、家にあるピカピカのビー玉、二つあるから一つあげる。おそろい!」


「いや、いらねえよ」


「なんでよ!」


 こいつすぐに大きい声出すよな、威嚇かよ。怖いから止めろ。


「大人はビー玉じゃ喜ばないの、分かれ」


「じゃあ、かっこいいネックレス見せて、おそろいのやつ作る」


「格好良いネックレスなんて持ってねえよ」

 存在しない物を要求するな。


「持ってたの! 見たもん!」


「そもそも、何でそんなに同じ物を欲しがるんだよ」


「友達っぽいの、欲しいから……」


 なるほどな、大体わかった。

 面倒だし適当に言いくるめるか。


「なあ、お前は要するに友達の証みたいな物が欲しいんだな?」


「……うん」


「じゃあ、お揃いのネックレスを友達の証拠に持ったとする」


 ガキは、俺の目を不安そうに見つめながら話しを黙って聞いている。

 安心しろよ、それっぽいこと言って安心させてやるから。


「もし、お前がそのネックレスをなくしたら俺達は友達じゃなくなるのか?」


「……ならない」


「だろ? つまり友人関係の物的証拠に、意味なんかないんだよ。存在ばっかり無駄に意識させられる関係なんて、呪縛と変わらん」


 最後の言葉に、親子という関係性への文句をこっそり混ぜて、俺はニッコリと微笑んだ。


「そんなもの無くても、俺達は友達であり続けられるだろ?」


「うん!」


 ぱあっと、ガキも笑顔を浮かべる。ちょろいな。

 所詮は子供! 俺の話術にかかればこんなもんよ!

 気分が良い。

 実に良い。

 実に良いのだが、何故だか寒気が収まらない。


 酷い違和感を覚え、上梨の方を振り返る。

 何だ、この違和感?

 上梨に、特に変わった様子は無い。


 じゃあ、この違和感の正体は何だ?

 もっとよく見る。何故か、冷汗が際限なくにじみ出る。

 もっとよく見る。何故か、喉が渇いて仕方がない。

 もっとよく見る。何故か、手と足の震えが止まらない。

 もっとよく見る…………あ。


 上梨の瞳孔が、あり得ないくらい開いているのか。


 そう気づいた瞬間、上梨の上半身は花弁のようにバックリと割れる。

 そして、肉の花弁の内側から、無数の肉紐が姿を現した。

 肉紐はてらてらと生々しく夕日を反射する。

 ズラリ、整然として並ぶ白い棘が、肉紐を実にグロテスクに演出していた。


 唐突にグロい物を見せられて、吐きそうになる。

 それと同時に、俺は本能で理解した。


「……なるほど、な」

 これが、せんゆう様の落とし子か。


 ソレは、上梨と呼称するには余りに人の形から外れている。

 攻撃のタイミングを伺うかのようにゆらゆら揺れる肉紐からは、怪物らしく理性の色がまるで伺えない。


 これは、グロいの無理~! とか言ってられないな。


 果たして、こいつの狙いは俺とガキのどちらだろうか?

 さっきの会話に、俺かガキを好きになる要素あったか?

 そもそも、上梨はこの化け物みたいな姿から元に戻るのか?

 会話、通じるのか?

 現実逃避的疑問に俺の脳は支配され、体が硬直する。


 次の瞬間、上梨の上半身から生える無数の肉紐が俺を目掛けて殺到した。


 死の直前だからだろうか?

 肉紐の速度が随分と遅く感じる。

 あれが俺に到達したら死ぬのか?

 それとも、アレに絡め獲られて噛み砕かれて死ぬのか?

 体が全く動かねえ。


 いよいよ眼前まで肉紐が迫る。


 あー、死ぬ。


 …………。


 予想していた衝撃は……来なかった。


 俺の周囲に、良く分からん光の膜が纏わりついている。

 この膜が守ってくれたのか?


 全てが訳分からん。

 しかし、俺の身体は考えるよりも早く、初撃を防いだ瞬間に走り出していた。

 後ろからは、上梨が靴で地を駆ける音が聞こえてくる。


 少しだけ後ろを確認する。

 ……ヤバい。

 そこには、花の様に割れた上半身の内側から、大量の肉紐を生やした女が全力でダッシュしているという、おぞましくシュールな光景が広がっていた。

 変に人間の要素を残しているせいで、怖さが倍増している。


 思考がブレて隙を見出されたのか、俺の顔へと肉紐がすごい勢いで迫った。


 俺は転ぶようにして必死で避る。

 少し顔を掠ったが、致命傷は免れた。

 九死に一生を得た事に安堵した瞬間、さっき出た血が右目に侵入する。

 その時初めて、どこか現実離れしていた死の概念が、俺の中で明確に現実のものとなった。


 死ぬかと思った死ぬかと思った死ぬかと思った!


 うおぉっ。

 俺は先ほどよりも更に速度を上げて走る。

 上梨が陸上部だったら、インドア派の俺は今頃死んでいただろう。

 本当に、あいつがオカルトオタク女で助かった。


 その後は徐々に上梨を引き離し、比較的安全な命懸けの追いかけっこが続いた。

 ……そして、終わりは唐突に訪れる。


 上梨が、ぶっ倒れたのだ。

 いい加減俺も限界だった為、上梨が起き上がらなさそうな事を確認してから立ち止まる。

 マジで、疲労で、死ぬ。

 俺が肩で息をしていると、ガキが俺たちの元へ辿り着いた。


「たかし、その光ってるの何?」


「あ?」


 何やら紫の光がバッグから漏れ出している。

 まだ何か有るのか?

 恐る恐るバッグのファスナーを下げると、叔父さんから貰ったネックレスが出てきた。


 ネックレス、紫に光ってんじゃん。

 しかもスマホの画面みたいな割れ方してるし。

 ……絶対これが俺の身代わりになって助かったパターンだ。


 チラリと上梨を見る。

 もう、元の人間の姿に戻っていた。


「おい、大丈夫か?」


 恐る恐る声をかけると、上梨はむくりと立ち上がり、呆けたように口を開けてこちらを見つめた。


「おーい、しっかりしろー」


 徐々に、上梨の目の焦点が定まってくる。

 上梨が光るネックレスを注視した。

 次に、俺の額から流れる血に目を向ける。


「もしかして……私、今……食べようと……」


 上梨は信じたくないといった様子で、震えながら自分の手を見つめている。


「な、何で? ちっ違う! だって……私、嫌いなのに……嫌いだって! ちゃんと思って……思ってたのに……」


 上梨は頭を掻きむしり、糸が切れた人形の様にへたり込んだ。


「何でよ……何でよ……何で、私、ちゃんと…………!」


 恐る恐るといった様子で、上梨が再びこちらを見る。

 上梨の瞳が、俺を捉えた。

 上梨の瞳が、涙で濡れる。


「うう、あ、あああ、あ、ああああああああああ」


 上梨は言葉の体を成さない音を口から漏らしながら、ふらふらと逃げるように駆け出す。


 俺は、ただただ茫然と立ち尽くしていた。

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