第16話 呪縛

 照りつける日差し。

 泡立つさざ波。

 白く光を反射する砂浜。

 極めつけに、入道雲に彩られた青空。

 正しく、夏。


 こんな爽快な風景も、蠢く人に埋め尽くされているというだけで最悪な気持ちにさせてくれるのだから、最高だ。


「とりあえず飯にしようぜ」


「かき氷と、焼きそば! 食べたい!」


「どちらも売ってあるようね、私も焼きそばにするわ」


 そして、各々が無言で立ち止まる。


「…………」


 そのまま数秒が過ぎた。しかし、誰も動く気配が無い。

 視線の圧を感じる。

 俺に注文に行けと言うのか、こいつは?


 できれば俺、あのなれなれしい感じの禿げ店員と話したくないんだけど。

 よし、ガキに頼むか。


「おいガキ、俺の焼きそばの分の三百円だ。買ってきてくれ」


「いっしょに、こないの?」


「俺な、知らない大人と話してはいけませんって小さい頃に教わったんだ。お前しか頼れない……頼む」


「分かった! 待ってて!」


 とたた、とガキが元気に海の家へと走っていく。

 子供は大人から頼られるのが好きだからな。ちょろいぜ。


「貴方、本当に相変わらずね」


「へっ! お前も俺に買いに行かせようとしてただろうが」


「私が店員を食べても構わないのなら行くけど」


「あの禿げ親父に好感を覚えた事実を、お前に受け止めきれるのか?」


 俺だったら三日は寝込む。

 というか、好感云々とは関係なく、汗臭そうなおっさんを摂取したくない。


「失礼ね」


「俺は正直者なんだよ」


 上梨は小さく鼻を鳴らす。


「ああ言えばこう言うって、言われたことあるでしょ」


「物事を多くの視点から見ることが出来る人間だと自負している。それを解さねえ人間には、常々辟易とさせられているよ」


「ふふ、難儀な物ね」

 上梨は楽しそうに笑った。


「お前も相当難儀だけどな」


 俺の言葉に、上梨はハッとしたように顔を強張らせる。


「……ずっと私の事情に付き合わせて、ごめんなさいね」

 上梨は、すっと目を合わせてくる。


「私、貴方の事が嫌いだから」


 まるで自分に言い聞かせるようにそう言った上梨は、とても辛そうな表情をしていた。


 ああ、これは、何と答えようか?

 ……いや、迷う事なんて無い筈だ。


「俺とお前は他人だろ。だから、お前が俺を喰う事なんて無いさ」


 上梨は目を伏せ、何事かを呟く。

 だが、それは喧騒と波の音に紛れて、俺の耳には届か無かった。

 聞き返そうかとも思ったが、雑音にかき消されるほど小さな言葉だ。

 きっと、どうでも良い事なのだろう。


 俺は上梨から目を逸らし、海を見る。

 視界の端に、遠くから走ってくる小さい影が入り込む。


「焼きそばとか! 買ってきた!」


 どうやら、ちょうど良いところでガキが帰ってきたようだ。

 何はともあれ、腹ごしらえだ。


+++++


 あんまり美味しくなかったな……焼きそば。

 隣では、ガキと上梨がちんたら麺をすすっている。


 食うの遅いな。

 なんとなく二人の食事風景を眺めていると、ガキが焼きそばを差し出してくる。


「ねえ、たかし、残り食べて。お腹いっぱい」


「ええ、それ美味しくないじゃん」


「けっこう、おいしかった」


「じゃあ、まだ食えるな?」


「むり!」


 元気よく返事すんな。

 絶対かき氷を先に食ったせいだろ、小学生め。


「しょうがねえな、上梨が食うだろ」


「かみなしさんも、まだ半分しか食べてない」


 上梨は綺麗な姿勢と箸使いで、もそもそとキャベツっぽい葉を噛み潰していた。

 小食な奴らだ。

 いまどき、カタツムリだってもっと元気よく葉っぱを食べるぞ。

 でもまあ、無理なものは無理だからしかたがない。食うか。


 ガキが残した焼きそばに箸をつける。

 ……粉っぽい。


 既に腹八分まで詰まっている胃に焼きそばを流し込む。

 十分ほどモグモグやって、ようやく俺も上梨も焼きそばを食べ終わった。

 あと、上梨は最後にちょっと咽ていた。


 そのままゴミを捨てると、ガキは元気よく海に走って行く。


「競争! しよ!」


 手をぶんぶんと振って、元気の良い事だ。

 というか、あいつ浮輪の事忘れてるな。


「おーい! 少し待て、まだ浮輪を膨らませてないだろうが」


 海に向かって全力疾走するガキを呼び止める。


「無くても! だいじょうぶ!」


「俺が大丈夫じゃねえんだよ」

 溺れたらどうするんだ?


「だいじょうぶ!」


 俺の生命の安全を無根拠に保障するな。


「おいガキ、焼きそばを食ってやった恩を忘れたとは言わせねえぞ」


「……分かった」


 ガキは、とぼとぼと歩いて戻ってくる。

 実に不満そうだ。まあ、知ったこっちゃないが。


 俺は浮輪を使うのだ。


 浮輪に息を吹き込む、特に膨らんだ様子は無い。

 だが、根気が一番大切なのだと俺は知っている。

 俺はそのまま数分ほど、ふーふー息を吹き込み続けた。

 しかし、浮輪は遅々として膨らまない。疲れた。


 ガキも飽きてきたのか、足を延ばして、だらーっとしている。


「たかし、遅い」


「じゃあ、お前が代わりにやってくれ」


「やだ」


 でしょうね。

 そういえば、上梨も浮輪買ってたよな。

 あの体力が案山子と同レベルの女に、浮輪とやりあえるだけの肺活量が備わっているとは思えない。

 どうやって浮輪を膨らませるつもりなんだ?


 俺は浮輪から目を離し、上梨を探す。

 ……上梨は、ちっちゃいポンプを踏んでいた。


 そういうの持ってるなら言えよ。

 そして貸してくれよ、感情が虚無感一色に染まっちゃったじゃん。


「へへっ! 上梨さぁん! 使い終わったらそれ貸してもらえませんかね?」


 俺は揉み手をしつつ、低姿勢で頼み込む。

 自分が利を得るには、時に自分を捨てることも必要なのだ。


「じゃあ、貸す代わりに私の分も膨らませてくれる?」


 人が低姿勢で来たからって調子こきやがって!

 とんでもない女だ。


 俺は無言で、上梨の代わりにポンプを踏んだ。

 シュコ―、シュコ―、と浮輪が徐々に膨らんでいく。

 口で空気を吹き込むより、だいぶ楽だ。


 そのままポンプを無心で踏み続け、ようやく三つの浮輪がパンパンになる。

 やっと終わった……休みてえ。

 結局ガキの分も膨らますことになったし、俺は何をやっているんだ?


「たかし! おつかれ! 泳ご!」


 ……嫌にフランクだな、こいつ。

 本気で一回上下関係教えないといかん。


「俺はね、今非常に大きな疲労に苛まれてんの。休むの」


「泳ご!」


 人の話を聞かねえガキだ。

 まあ、海上で浮輪に乗って休めば良いか。


「よし、しょうがねえから海までは付いて行ってやる。後は適当に周りでちゃぷちゃぷしてろ、良いな?」


「わかった!」


 俺達は、ジャブジャブと海に入る。

 俺の最初の感想は、冷たいでも気持ちいいでも無く、いつも通り人が多いの一言に尽きた。

 ……本当に、人、多いよ。


 蛆みたく隙間なく敷き詰まりやがって!

 殺虫剤を散布してやる。

 しかし、殺虫剤を本当に撒き散らしてお縄に着くには、まだ俺は若すぎる。

 故に、俺は大人しく有象無象の一員に収まった。


 悲しいかな、日本はマジョリティが支配する国なのだ。


 俺は浮輪にもたれ、天を仰ぐ。

 昨日と同じ晴れ空だ。

 周囲の音こそシャットアウトできないが、空を見ていれば人は視界に入らない。

 まあ、妥協点としてはこんなものだろう。

 前向きに行こうぜ。


 頭を水面に近づけると喧騒が遠のき、ちゃぷちゃぷという波音が耳に心地良い。

 最近は色々忙しすぎた。

 こういう緩い時間が無いとやってられん。

 あー、だらーとした時間さいこー。


「っぶへっえ」


 唐突に鼻と目に痛みが走る。

 なんだ?

 なんだ!

 しょっぱ!

 海水か?

 誰だ?


 咄嗟に手で水を拭い周囲を見渡すと、けらけらと笑うガキの姿が目に入る。

 クソガキが!


 ガキが二発目の流水を放つ。


 甘い。

 すぐさま浮輪で攻撃を防ぎ、反撃の構えをとる。

 次の瞬間、俺はビュウッと両手から水鉄砲を発射する。


 決着は一瞬。


「びゃあっ」


 水の弾丸は真っすぐにガキの顔面へと吸い込まれ、奴の目は塩水に侵された。

 愚かなり! 所詮は子供よ!


「馬鹿め! 俺を敵に回すからそうなるんべあっつ!」


 喋っている途中で、再び俺の顔面に海水が炸裂した。


「馬鹿は貴方も同じようね」


 そこには、悠然と微笑む上梨がいた。

 そして始まる、三つ巴。


 俺達はキャッキャと水をかけあった。楽しい。

 そのままひとしきり遊んだ後、俺達は陸地へ引き上げた。

 あとは砂遊びだけだし、ガキのお守りは上梨に任せて俺は休むとしよう。


 レジャーシートを敷き、浮輪を枕に寝転がる。

 適度に日が傾いてきて、実に良い気温である。

 平和主義者の俺にふさわしい時間だ。ビバ平穏!


 上梨とガキの方に目をやると、ぺたぺたと砂を盛っていた。

 何作ってんだ?


 ……いや、今は奴らの砂遊びなど、どうでも良い。

 俺は休むぞ。

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