第12話 妥協

 鬼が出るが蛇が出るか。

 俺は覚悟を決めて人影に目を凝らす。


 ……おい! よく見たら受付のお姉さんじゃん、驚かせるな!


「すみません、このまま真っすぐ行って大丈夫なんですかね? へへっ」


 愛想笑いで、不満と不安を柔らかにぶちまける。

 怖いんだよ!


 お姉さんは、ただただ微笑を浮かべている。


 ……いや、返事してよ。

 こっちは怖がってんのよ?

 意味深な事するなよ、怖いんだよ。

 ねえ、マジで怖い。


 お姉さんは微笑を浮かべたまま、俺の左手をとる。


【るぇゑ、ぇるぇ、ゑぇる】


 急にウニョウニョ出てきちゃったよ!

 どうするんだよ! もう収集つかないよ?

 何なんだよ、知らないお姉さんにウニョウニョが出てる手をとられてる状況って、訳が分からなさ過ぎて怖い。


「マジで、何か言って下さいよ……お願いだからさ」


 お姉さんが少し困ったように笑みを深め、遂に口を開いた。


「明人さんは、悪くないの……」


 明人さんって、叔父さんのことか?

 なんでここで叔父さんの名前が出てくるんだ?


 混乱する俺を無視して、お姉さんは俺のウニョウニョに吸い込まれていった。

 ……えぇ?


 どういうこと?


 ぱっと目の前が明るくなる。


 何? 次は何?

 ちょっと休ませて、ねえ?

 本当に怖いんだけど……止めようよ、頭がいっぱいだよ。


 次第に明るさに目が慣れてくる。


「……いや、外じゃん」


 お化け屋敷の出口に、俺は立っていた。

 訳が分らない。

 俺は足早に、上梨とガキの待つベンチを目指した。


+++++


 ガキと上梨が何かを話している。

 近づく俺に気づく様子は無い。


「かみなしさんが、怪物だったんだね」


「……ええ」


 あいつ、俺と上梨の会話を聞いていたのか。


 ガキは少し俯き呟く。

「怪物って、人、食べたくないんだね……」


「ええ」


「……ごめんね、かみなしさん」


 そんなガキの言葉を聞き、ずっと能面のようだった上梨の表情が初めて歪む。


「彼じゃ、死にたい気持ちは消えないの? 親じゃなきゃ、駄目なの?」


「……ありがとね、かみなしさん」


 そう答えたガキは、どこまでもやるせない笑顔を浮かべていた。

 長い沈黙の中、大衆の雑然としたざわめきと、嫌に陽気な音楽が耳につく。


 無音と雑音が混ざり合うこの空気がいいかげん嫌になり、そろそろ声をかけようと俺が口を開きかけた瞬間、上梨が沈黙を破った。


「私が……貴方をっ、殺さない程度に、好きでいるから……」


 上梨は手を震わせながらも、涙を浮かべながらも、小さな声で続ける。


「だから貴方も、死なない程度に……生きていて?」


 上梨の言葉にガキは少し驚き、小さく笑った。


「……わかった、がんばる」


 それだけ言うと、ガキは上梨の肩に寄り掛かる。

 上梨はガキの背中をぎこちなく撫でながら、ヘタクソな笑顔を作っていた。


 案外、ガキはただ生きていることを肯定されたかったのかもしれない……なんて、俺の勝手な予想でしかないけれど。


 好きでいると言った時、上梨はどれ程葛藤したのだろう?

 上梨と違ってその重さの覚悟を持てなかった俺は、どうにもここに居てはいけない気がした。


 ……そして例の如く、俺は尻尾を巻いて逃げ帰ったのだ。


+++++


 やはり、家が至高。

 そう考えられる程度に、叔父さんの家は快適だ。

 本当に、ベッドの上でダラダラと一生を消費したい事この上ない。


 最近は色々あり過ぎた。

 だが、上梨がガキのお守りをするという形のハッピーエンドが見えた今、もはや俺がする事は無い。


 スマホさいこー!


 そんな俺の気持ちに水を差す様に、ポコンという通知音が鳴る。

 マジかよ、ガキからじゃん。


 内容を確認すると、来週は海に行くから来いという趣旨のメッセージが送られて来ていた。

 あ、写真も来た。


 遊園地の入り口で上梨とガキが珍妙なポーズをとっている。

 手に持った安っぽい謎のステッキが、なんとも小憎たらしい。


 距離縮み過ぎだろ、あいつら。


 メッセージには返信せずに、再びネットサーフィンに戻る。

 もうガキとの怪物探しの約束が果たされた以上、あいつらに付き合う義理は無い。


 電話がかかってくる。

 応答拒否。

 電話がかかってくる。

 応答拒否。

 電話がかかってくる。

 着信拒否。これでもう電話はかかってこない。


 俺の勝ちだ! ざまあ見やがれ!

 俺の安寧のネットタイムを邪魔しやがって!


 ポコン、ポコン、ポコン、と通知が鳴り始める。

 通知を切る。


「貴志君、ご飯ができましたよ~」


 一階から、叔父さんの呼ぶ声がする。飯の時間だ。


 俺がリビングに入ると、すぐに叔父さんは二枚の皿を手に微笑を浮かべながら現れた。


「今夜はペペロンチーノですよ」


「おお、ペペロンっすか。タバスコ取ってきますね」


 俺はキッチンからタバスコと、叔父さんの好物の粉チーズを取って戻った。

 俺達は向かい合って席に着き、挨拶も無しに調味料を振るう。


「あんまりかけ過ぎてはいけませんよ?」


「ういー」


 俺は生返事をしつつ、タバスコをペペロンチーノにぶちまける。

 逆に叔父さんのペペロンチーノは、いつも通り粉チーズに九割隠されていた。

 お互いの調味が終わり、お互いが無言でフォークをくるくるし始める。

 うまい!


 そのまま無言で食べ続けていると、ペペロンチーノの半分くらいが胃の中に消えたタイミングで叔父さんが口を開いた。


「貴志君は私が死者蘇生しようとしている事を、どう思っていますか?」


 唐突だな。わざわざ俺に聞くという事は、叔父さんの覚悟は固まっていないのか?


「正直、少し意外でした。叔父さんは死者蘇生とか嫌いだと思ってたんで」

 勝手に生き返らせるのは死者に失礼とか言いそう。


「そうですね、基本的にはそういうスタンスなのですが……」


 叔父さんが少し悩むような素振りを見せる。だが、結局口を開くことに決めたようだ。


「妻が、娘を産んですぐ後に亡くなったんです。その時に娘を幸せにしてくれと頼まれまして……だから、娘が十一歳で死んだなんて認める訳にはいかないんですよ」


 言葉を絞り出すように話す叔父さんは、とても苦しそうだ。


「……すみません。定期的に辛くなって、つい吐き出したくなってしまうんです」


「ああ、まあ、なんというか、頑張ってください」


「ありがとうございます……」


 そう言って笑う叔父さんが、どこか疲れて見えるのは気のせいではないのだろう。

 人生とか家族とかって、みんな大変なんだな。

 なんて、月並みな感想で叔父さんに同情してしまった。


 もう、せんゆう様の落とし子が何処にいるか教えてしまおうか?

 だが、死者蘇生の儀式に上梨がどういった形で関わるか分からない以上、どうにも不安が拭えない。


 結局、俺が上梨の事を話題に上げる事は無かった。


 罪悪感を忘れる為に、俺はひたすらタバスコをペペロンチーノに振りかける。

 ……辛い。


 その日は結局、眠りにつく直前まで辛さが残り続けた。

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