第11話 径庭

「…………」


 俺の質問に、ガキからの返事はなかった。

 まあ、承認欲を満たすために自殺未遂をしたのかと問われて、饒舌に返事をされても困るが。


 俺はガキの頭に手を乗せ、なんとなく景色を眺める。

 視界内で群れる人々が非常にウザったい。

 その結果、自然と視界は天を仰いだ。


 流れる雲を眺めていると、やけに現実が遠く感じる。

 悪くない時間だ。


「…………んう」

 ずっと静かにしていたガキが身じろぐ。


「たかしは、お父さんと、お母さん、好き?」


「母は嫌いだし、父はどんな人間か知らないから、たぶん嫌いだ」


「ふーん。私は、どっちも好き」


 ……意外だな。


「でもね、お父さんも、お母さんも、私のこと……興味ないんだ」


「へえ」

 まあ、そうだろうな。

 自殺配信をした子供を、これだけ自由にさせている訳だし。


「死のうとしたら、お父さんと、お母さんも、興味もってくれるって、思ったの……」

 ガキの声が、涙で掠れ始める。


 …………。


「ダメ、だったけど」


 そう言うと、ガキは俺の腹に顔を埋めた。


 ……勘弁してくれ。

 俺に、何も求めないでくれ。


 くぐもった声で、ガキは更に話しを続ける。


「お父さんも、お母さんも、私のことなんかね……いらないの」


 その言葉を、俺は否定した方が善いのだろう。

 だが、俺はガキの為に嘘を吐けるほど優しくはなかった。


 何も言えず、俺はガキの手を少しだけ撫でる。


「もう、ひとりで寝るの、やだ……」


 ぽつりと零れたその言葉が、結局のところ本音なのだろう。


「怪物も、私に興味なかったら、殺してくれなかったら、かがみじまさんが、私を殺してくれる?」

 ぐじゅぐじゅになった顔で、ガキは俺の顔を見上げる。


 ああ……嫌だなあ。

 この重さの言葉相手には、嘘を吐けない。


 俺は、こいつを殺せるか?

 親から見てもらえないと嘆く、そんな現実を抱えたこいつを、こいつの為に殺せるのか?


「なあ、ファントム」


 雨粒のようなファントムの目に、じっと見つめられる。


 ……やっぱり、目は嫌いだ。


「俺はお前を殺せるほど、お前を愛せない」


「…………そっか」


 ガキは目を細め、諦めたようにそう呟いた。


「ごめんね」


 ファントムはそれだけ言い残し、少し泣いて眠ってしまった。

 俺が普通の性格の奴で、普通の家庭環境に生まれた奴なら、こいつが望むように愛せると自信を持って言えたのだろうか?


 逃げるように天を仰ぐと、上梨の顔が目に入る。

 ……聞いてたのか。


「……なあ、上梨。このガキを、好きになっちゃあくれないか?」


 俺の言葉を聞き、上梨は疑うような目で俺を見た。


「貴方、分かって言っているの?」


 勿論、あれだけ違和感と情報があれば流石に分かる。

「上梨が、せんゆう様の落とし子なんだろ?」


 せんゆう様の落とし子、好きになった人を喰らう怪物。


 上梨の唇が、弧を描くように幽かに歪んだ。


「私は両親も友達も喰った怪物なの。その子も、食べろって?」


 睨まれる。

 まあ、当然だ。


 恐らくせんゆう様の落とし子は、自分の意志とは関係なく好きになった人を喰う。


 だから上梨は、人と関わらないように性格が悪い奴を演じた。

 だから上梨は、人を間違っても好きにならないよう意図的に人の名前を覚えなかった。

 だから上梨は、人を嫌いになる為に『嫌なところノート』なんて狂った代物を作った。

 本当は人と話したくて、関わりたくてしかたがないから、俺みたいなどう足掻いても好きになれそうにないクズと話すことにした。


 そんな上梨の努力を、人を食べたくないという感情を、無駄にしろと言っているのだ。赤の他人の、この俺が。

 睨まれるどころか、殴られたって文句は言えない。


 ……それでも俺は、食い下がった。


「なあ、頼むよ。およそ好きにはなれそうも無い、最悪の奴でいるからさ」


「……っ」

 上梨が目を見開き、苦しそうに、悩むように、目を閉じた。


 鼓膜を揺らす蝉の声と喧騒が、どこまでも遠くで鳴っているように感じる。

 ジワジワと蒸され続けるこの時間に耐えかねて、汗が一筋額を伝う。


 そして上梨は、ゆっくりと目を開いた。


「…………要らない。性格最悪の友達なんて、要らない」


「……そうか」

 上梨は凄い奴だな。


 結局、俺達の関係性は他人のままで変わることはなかった。

 まあ、そんなもんだ。


 俺はぐたーっと体の力を抜き、再び天を仰ぐ。

 嫌な晴れ空だな。

 そのまま上梨と一緒に空を眺めていると、いつの間にかガキも目を覚ましていた。


 三人で空を眺める。

 傍から見たら、実に滑稽な事だろう。

 どうすればガキも上梨も、遊園地ではしゃぐ有象無象のように幸せに呆けて生きられるのだろうか?


 分からん……トイレ行こ。


「ちょっとトイレ行ってくる」


「いってらっしゃい」


「おう」


 ガキがそっと膝から降りた。膝が軽い。

 ガキの涙と鼻水でべちゃべちゃのシャツを身に纏い、俺はその場をあとにした。


+++++


 トイレどこだ?

 くっそ、屋上の遊園地なのに無駄に広い。ダラダラ人込みを歩く気分じゃないってのに。


 結局、十分ほど彷徨ってようやくトイレを発見した。

 シャツ洗い終わった後、どうしよう? もうなんか、お化け屋敷行こうかな?

 あいつらの所にしばらく戻りたくないし。


 洗い終わって濡れたままのシャツをそのまま着る。

 気持ち悪い、気が重い、服が重い、過去が重い、イエァ……疲れてるな。

 とぼとぼと、お化け屋敷を目指す。


 炎天下だと濡れたシャツの冷たさが、存外心地良かった。

 あ、あったあった、お化け屋敷だ。


 おどろおどろしい入り口が、実にお化け屋敷らしくて非常によろしい。

 受付のお姉さんに、懐中電灯を渡される。

 これ一本で暗い通路を進むらしい、少々不安だ。


 ここが心霊スポットだと上梨は言っていたが、どういう心霊現象が起きるのだろうか?

 俺は恐る恐るお化け屋敷に足を踏み入れる。


 真っすぐな通路だ。

 暗いせいか、延々と通路が続いているように見えて違和感が半端じゃない、怖い。

 ……怯えていても埒が明かないし、進むか。


 戦々恐々としながらも、一歩一歩しっかりと進み続ける。

 そのまま五分ほど進んだが、一向にびっくりポイントが現れない。


 こういう場所って、普通は何かしら驚かすものが有るんじゃないのか?

 注意深く周囲を見渡す……何も、無さそうだ。

 ふっ余裕だな!

 暗いだけの道なんかじゃ俺は止まらないぜ?


 俺は先ほどとは打って変わって、ずんずんと奥へ進む。


 心霊スポットだなんて言っていたが、所詮噂か!

 まだ真っすぐ進める。

 しかし、上梨とガキの関係、なんとかならんかな?

 まだ真っすぐ進める。

 あ、上梨がせんゆう様の落とし子だって分かった以上、叔父さんにもこの事を教えた方が良いのだろうか?

 まだ真っすぐ進める。

 うーん、でも叔父さんが落とし子に娘を喰われているのなら、教えるのは危険か?

 まだ真っすぐ進める。

 叔父さんにも恩があるし死者蘇生を邪魔する気は無いが、わざわざ手伝う事もないだろう。


 ……まだ、真っすぐ進める。


 流石におかしい、外から見た限りそこまで横に長い建物では無かった筈だ。

 そして俺は、暗くて距離感が掴み辛いなんて言い訳が通らない程度に、長々と歩いてしまっている。


 もしかして心霊現象かな?

 嫌だな、帰りたい。


 入り口に戻ろうと後ろを振り返る。

 ……人がいた。

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