第10話 濫觴

「三名様ですね? ごゆっくりどうぞ!」


 三人で手をつなぐ様を、微笑ましそうに観覧車スタッフが見つめる。屈辱!

 列で微妙に長く待たされた上に、この仕打ち!

 漫然と遊園地を楽しんでいる有象無象共め、脈絡なく氷獄で永久の責め苦に陥れ……。


 すいーっと観覧車のゴンドラが流れてくる。

 次の瞬間、ガキがゴンドラに向かって走り出した。

 俺の手を掴んだまま。


「ちょっ! おいガキ、引っ張るな」


「たかし、のろま!」


「お前が速いんだよ!」


「えへぇ」


 なにが楽しいのか、こんなちょっとしたやり取りで笑ってやがる。

 上梨も笑ってんじゃねえよ。


 なんとかゴンドラに乗り込み戸を閉める。

 密室は余り好きではないが、周囲を漂っていた遊園地特有の喧騒が遠のいた事で、感情的には差し引きゼロだ。


 上り始めるゴンドラの動きが下界との隔絶を思わせて、何とも気分が良い。


「おい、ゴンドラの中まで手を繋いどかなくても良いぞ」


 瞬間、上梨はパッと手を離した。

 しかし、ガキは一向に手を離す様子が無い。


「どうした?」


「たかし、つないどかなくても良いって言った。なら、つないどいても、良いはず?」


「まあ、確かに」

 道理を説かれてしまった、こざかしいガキだ。


 手を握ったままガキが窓をのぞき込むから、俺まで窓辺に寄らされる。

 別に良いけどさ。


 自殺配信者も、どんどん地面が遠くなる様に面白さを見出すのか……。

 じっくりと外を見つめるガキの姿が随分と子供じみていて、口角がニヤリと吊り上がった。

 だが、素直にガキの正常性を楽しむには少々視線が鬱陶しい。


「おい、上梨。お前も俺じゃなくて窓の外に少しは注視しろ」


「貴方は見てない。自意識の肥大化が著しいのね」


「へっ! 肥大化させた自意識で、大怪獣と戦うのが俺の夢なんだよ」

 我ながら、訳分からん。


「……大怪獣は無理でも、怪物くらいなら殺せそうね」


 珍しく肯定的な事を言ってきた上梨は、それっきり黙ってしまった。


 いずれ、こいつらと怪物とか、自殺とか、そういう事情抜きで遊びに行く事も出来る様になるのだろうか?

 一つ後ろのゴンドラに乗ったカップルを見て、そんなことを考えた。


 ……しかし観覧車って、すぐに見るものが無くなるな。

 最初は物珍しさもあって景色を楽しめたが、半分も登らないうちに飽きてしまった。


 相も変わらずガキは窓の外を見てはいるが、何をしているんだ?

 景色なんて、ずっと見ていてもアハ体験程度の変化しか無いだろ。


「なあ、何見てんの?」


「親といっしょに来てる、子ども数えてた」


 少しガキに寄って、一緒になって外を見る。


 なるほど、子供連れの家族は腐るほど居る。

 こいつらを数えることに興味を持てるのなら、時間はいくらあっても足りないだろう。


 観覧車が頂上に近づいても無言で子供を数え続ける俺らを見て、上梨は何を思ったのだろうか?


 観覧車が、遂に折り返し始める。

 あっけないな。

 頂上に着いた時に歓喜の歌とか、ヴァルキューレの騎行とか、そんな感じの曲が流れても良いと思うのだが。


「おい、上梨。なんか壮大な歌を歌ってくれ」


「加賀山君専用嫌なところノートに、無茶ぶりが多いところ、も追加しておくわね」


 期待通りの返しが来る。

 こいつのノート、今何ページ目まで埋まってんだろう?


「たかしの名前、かがやまじゃない。かがみじま」


 ガキが何の間違いも無い、真っ当で正しい指摘をした。

 しかし、恐らくそこは上梨の地雷だ。

 大丈夫だろうか?


「私は人の名前を覚えないようにしているの。だから加賀山君で良いの」


「よくない! 興味もたれないと! かなしいでしょ!」


 どうやらガキの地雷でもあったようだ。


「興味を持たないようにするのも、悲しいものなのよ」


 あくまで淡々と、上梨は答える。


「じゃあ! なんで覚えないの!」


「もっと……悲しいことになるから」


 上梨は感情を覆い隠すように俯いて、こちらから表情を隠す。

 しかし、俺とガキは上梨の寂しそうな表情を確かに目にしていた。


 端的に言うと、最悪の空気だ。


 いや、まあ、こいつら……まだ最初の遊具だぞ?

 自重しろ。


 ギギィと、ゴンドラが始点にたどり着く。


「おつかれさまでしたー!」


 スタッフの掛け声と共に、俺は上梨とガキの手をしっかりと握りしめ、夏の熱気に舞い戻った。

 ……人、多すぎ。


 人を避け、次の目標地点であるコーヒーカップを目指す。無言で。

 何か沈黙を破れる話題は無いのか?

 いつもはすぐに思いつく方便が、今はどうにもまとまらない。

 恐らく、夏と人の嫌な熱気のせいだろう。

 うん、きっとそうだ。


 結局、俺達は無言のままコーヒーカップにたどり着いてしまった。

 そしてそのまま、カップはグルグルと回り始める。


 ちゃかちゃかと、変に陽気な曲が流れ始める。

 カップは、ぐるぐると回っている。

 ちゃかちゃかと、変に陽気な曲が流れている。

 カップは、ぐるぐると回っている。

 ちゃかちゃかと、変に陽気な曲が流れている。

 カップは、ぐるぐると回っている。

 ちゃかちゃかと、変に陽気な曲が流れている。


 ……なんだ、これ? 虚無か?


「なあ、この遊具ってどういう感情で乗るのが正解なんだ?」


「スリルを感じていれば良いんじゃない?」


 スリル? コーヒーカップで?

 困惑した俺を乗せたまま、カップは相変わらず、グルグルグルグルと回っている。

 ……ん? なんか回転速くないか?


「おい、上梨。何故ハンドルを全力で回している」


「速くないと、楽しくないでしょう?」


「コーヒーカップに、その楽しさは求めてねえ」


 おい、ガキ。一緒になって回すな。楽しそうだなあ?

 遠心力が徐々に強くなっていく。


 これ、本当に大丈夫か?

 俺達を乗せたカップは、グルグルグルルと回っている。


 酔ってきた。


「俺は、この後、休憩させて、貰うぞ」


「私も! いっしょに休む!」


「おう」


 ガキは存外元気そうだ。上梨の方はどうだ?


「私のことなら気にしないで、貴方達が休憩している間にジェットコースターを巡っているから」


「……元気だな」

 化け物か?


「貴方の体力が異常に少ないだけよ」


 そうかよ……そうかも。


 その後も速度を上げ続けたコーヒーカップだったが、変にコミカルな曲の終焉と共に、遂には回転運動を停止した。

 若干グロッキーに、フラフラとベンチへ向かう。


 地面が揺れているようだ。

 軟弱な三半規管め、根こそぎ引きずり抜いてくれようか?

 俺はフラつく視界に悩まされながらも、なんとかベンチに座り込むことに成功した。


 ガキが膝の上にひょいと乗ってくる。

 衝撃で吐くぞ?

 お前の頭に遠慮なく吐くぞ?

 あらん限りの吐瀉物を撒き散らすぞ?


 ガキが俺の胸に猫のように頭をごしごしと擦り付けてくる。

 その様子に少しだけ癒された。

 しかし、そんな和やかな感情もすぐに死滅する。

 この体制は、重い、暑い、鬱陶しい、の三拍子が揃っているのだ……どけるか。


 俺が、どうやってどかしてやろうかと悩んでいると、ガキが上目遣いでこちらを見てくる。


「たかしって、やさしいよね」


 ……まあ、どけなくても良いか。


 嫌に暑くて、ゆっくりとした時間が流れる。

 蝉も雑踏も煩くて仕方無いが、いつもの様な不快感は何故だか感じない。

 だからという訳では無いが、今だなと、そう思った。


「なあ、お前さあ」


 ん……と身じろぎ、ガキが曖昧に相槌を打つ。


「誰かの興味を引きたくて、自殺配信したのか?」

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