第9話 虚構

 今は、土曜の昼下がり。

 通常なら腹も満たされ適度に眠たい、そんな安寧に浸れる現代のオアシスとも言える時間だ。

 しかし、今の俺は昼飯を食べ終わってしまったという事実に、ただただ打ちひしがれていた。


 集合時間は、二時。

 集合場所は、遊園地の入り口。

 それらの事実は揺るがない。


 昼飯というイベントを超えたが最後、明確な輪郭を帯びた遊園地が俺のもとへ急激に迫って来るのだ……怖い。

 いや、怖くは無いか。


 俺は慣れない食器洗いをしてみる事にした。

 所謂、現実逃避である。


 上梨曰く、俺は約束を破ろうとする人間らしいし、マジでサボっちゃおうかな?

 あー、家出る時間まで暇だな。

 ウニョウニョもとい、魔力のパス……切除するか?


【るぇゑ、ぇるぇ、ゑぇる】


 ウニョウニョを出してみた。

 呑気に蠢くその姿を見ると、どうにもやる気が削がれる。


 まだ切らなくても良いか……痛かったら嫌だし。

 というか、昨日上梨にサボるつもりだって言っちゃたし、むしろサボった方が良いのではないか?

 そんな事を考えながらも外行きの服をバッチリ着ているのだから、俺は存外ひねくれているのかもしれない。


 うん、寝よ。


+++++


 俺は、リビングにいた。

 といっても、叔父さんの家のリビングではない。

 俺が小学生の頃に住んでいた家のリビングだ。


 ……またか。

 俺はゲンナリと項垂れる。

 俺が今見ているのは小学生時代の夢だ。

 何度見ても見慣れない、所謂トラウマというアレである。


 しばらくして、目の前に小学生の俺と母が現れた。

 二人で昼食を食べているようだ。


「ごちそうさまでした」


 過去の俺が食事を終えた。

 その瞬間、母が俺の目を凝視する。


「ちょっと、貴志君。まだママが食べているでしょ? 何で先に食べ終わったの? ママと一緒に、ご飯食べたくないってこと?」


「ち、違うよ」


「じゃあ何で先にごちそうさましたの? いつもママ、相手の事を気遣える人になりなさいって言ってるわよね?」


 母は過去の俺に顔を近づけ、ギョロリと瞳を覗き込む。


「ごめんなさい」


 過去の俺はシュンと俯いている。

 今にも泣きだしそうだ。


「貴志君、泣くの? ママはね、貴志君の為に言ってるの! 貴志君はあいつの血が混じっているから悪い子なの! ママの言う事を聞かないと善い子になれないの! 返事をしなさい!」


 母はヒステリックに怒鳴りちらし、過去の俺は泣いている。

 記憶通りの地獄絵図だ。


 泣いて返事を返さない過去の俺を見て、更に母がヒートアップする。


「返事もできないの? ママの言う事が聞きたくないってこと? あいつもそうやって話しを聞かないで私の事を捨てたの! 貴方はママがいないと善い子になれないのよ! ママは貴志君の為に頑張っているのに、そうやってないがしろにするのね!」


 過去の俺は顔をベチャベチャにしながら慌てて首を横に振る。


「じゃあ、ママの言う事聞けるわよね? 人に気遣いができなくて、ごめんなさいは?」


「ご、ごめんなさい……」


 ああ、俺が貶められている。不愉快だ。


「じゃあ、悪い子日記に今日の事書いておくから、ちゃんと音読するのよ」


「……はい」


 過去の俺は、とぼとぼと母について奥の部屋に消えて行く。

 俺の視界から消える最後の瞬間まで、母は俺の目を凝視し続けていた。


 扉の向こうからは貴志君の為とヒステリックに叫ぶ声と、俺の吐瀉物を撒き散らす音が聞こえる。


 何が、俺の為だ……俺の言葉も聞かないで。

 お前のエゴを押し付けるなよ。


+++++


「ピーンポーン」


 チャイムの音で目が覚める。

 最悪の気分だ、吐きそう。


 くそっ、なんで寝起きから不快にさせられなきゃいけないんだ。

 貴方の為だ、善い子だなんて、気持ち悪い。


 はあ……もう過去の事だ。

 夢で心を乱すなんて、馬鹿らしい。


 俺は頭を振って嫌な思考を追い払い、時計を見る。

 一時二十分……遊園地に行くには少しだけ早い時間だ。

 さっきのチャイムは恐らく上梨だろう。


 しかめた顔を作り、ぼさぼさの寝癖をそのままに玄関へ向かう。

 玄関の扉を開けると、ミンミンと騒々しい蝉の音に乗って、噎せ返るような熱気が家内を侵した。

 不快感に、俺はいっそう顔をしかめる。


 何とも言えない気持ちの行き場を探しながら、俺は予想通り立っていたその女に言葉を投げつけた。


「来やがったな」


 昨日一緒に帰った時に家がバレたか。

 引っ越そうかな? まあ、叔父さんの家だから無理だけど……。

 俺の取り留めない思考を他所に、上梨はやはり安心したような笑みを浮かべる。


「早く準備して、遊園地はサボらせないから」


「うぃ」

 ダラダラと部屋に戻る。


 五分くらいは、ごろごろしてても構わんだろ。

 ベッドにもぐりこみ、スマホを手にとる。

 今は一時二十二分か。

 二十五……いや、二十六分まで、ごろごろしていよう。


 ネット掲示板を開き、だらだらと画面をスクロールする。

 こういう時間の集大成が、きっと幸せという名のナニカに成るのだろう。


「ふっ」


 しょうもない書き込みで笑ってしまった、不覚。

 最悪の感情がボコボコに湧き上がって、こない。


 そんな事をしていたら、もう二十七分だ。

 とんでもない。

 急いでバッグを引っ掴む。その拍子に何かが落ちた。

 叔父さんが前にくれた趣味の悪いネックレスだ。


 ネックレスをそのままに階段を駆け下りようとし、ふと引っかかる。

 もしかしてこれ、なんかの魔法アイテムなんじゃないか?

 でも、ダサいから普通に着けたくないな……。


 数秒の葛藤の末、俺はネックレスをバッグに放り込んだ。

 玄関には、五分前から全く動いた気配の無い上梨が立っている。

 気持ち悪い女だ。


「遅い」


 上梨は少し不満そうに目を細める。


「……現代人が生き急ぎ過ぎなんだよ、もっと緩やかに生きろ。スマホと共に五分間ごろごろしていた俺のようにな!」


「ほら、早く靴を履いて」


 こいつ、俺の話をスルーしたのか?


 何はともあれ、俺達は予定よりも五分早く遊園地にたどり着いた。


 さて、ガキはどこだ? 

 軽く周囲を見渡すと、すぐにガキは見つかった。

 入場門の隅で小さく収まっている。


 あ、こっち見た。

 しかし、何故かガキは気づいてない体を装い始める。

 なんだ、あいつ。めちゃくちゃ浮足立ってるくせに隠そうとしてやがって。

 俺達に見つけて欲しいのか?


 複雑なお年頃かよ……。

 俺は、わざとらしく明後日の方向を見ているガキに近寄る。


「おーす、待ったか?」


「今来たとこ! たかし、今日も五分前なんだ」


「上梨が迎えに来たからな」


「そうなんだ……」


 ガキがチラリと上梨を見る。

 上梨がおずおずとガキを見つめ返す。


 ……めんどくさぁ。

 何なんだ、こいつらの距離感は。


「ほら、さっさと観覧車に行くぞ」


 入場料を支払い、遊園地に入る。

 瞬間、目が覚めたかのように非日常な光景が広がる。


 大小様々な遊具。

 聞こえてくる甲高い悲鳴。

 四方から流れてくる音楽。

 そして何よりも、無限にも思える人の群れだ。


 ……視覚情報が多すぎる。


 こんな数の人間、どこに潜んでやがったんだ?

 ゴキブリみたいにワサワサ湧きやがって!


 ふつふつと不満を沸き上がらせながら、ちゃんと同行者が付いて来ているかを確認する。

 物珍しそうに周囲を眺めているガキに対して、上梨はずっと地面を見つめていた。


 うわあ、性格出るな。

「おい、俺はガキの手を持つから、上梨も逆の手を持て。この人込みから迷子を捜し出す気力は無い」


「ほんと!?」


 ガキは目をまんまるに見開いて俺を見る。

 何をそんなに驚いているんだ?


「ほら」


 俺が右手を差し出すと、ガキはおずおずと俺の手を握った。


「離すなよ?」


「ぜったい! はなさない!」


 いい心がけだ……ん?

 左手にも、何か触れている。

 左手を見る。

 人の右手が重なっている。

 視線を上げる。

 薄く頬を染めた、上梨の顔があった。


 なるほど、上梨が俺の左手を握っているのか。

 ……いや、なんでだよ。

 もしかして、逆の手を持つように言ったのを、ガキの手じゃなくて俺の手だと勘違いしたのか? 

 とんでもない女だ。

 そんなに、しみじみと嬉しそうな顔をされたら指摘し辛いだろうが。


 俺はなんとも言えない感情を抱えたまま、最終的に二人の手を放さず観覧車を目指す事にした。

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