第4話 悪人

 ……上梨と目が合った、合ってしまった。


 先ほどから何度も上梨の様子を伺ってたのだから、当然と言えば当然の結果だ。

 上梨が訝し気に眉を顰める。


「ちょっと」


 声かけられちゃった、どうしよう。


「え。あ、なんすか」


 俺は反射的に、間の抜けた返事をする事に成功した。


「それ、私の台詞。さっきからチラチラこっちを見ているけど、何なの」


 怖い。ちょっと見られたくらいで人はここまで怒りを露わに出来るのか?

 沸点絶対零度なのか?

 ビタミンが足りていないのか?


 だが、あちらから声をかけてきたのなら好都合だ。

 無視される可能性が消えたのはデカい。


「いや、何かこの町のオカルト情報知らないかな? と思いまして、はい」


「駅前の神隠し交差点、センユウマートの幽霊屋敷、魔法使いの描き込む地元掲示板、あと……いえ、そのくらいね」


「マジか。えっと……せんゆう様の落とし子って聞いたことない? ですか」


 上梨が目を見開く。


「っ……それを聞いて、どうするの」


「いや、知り合いの小学生が、そいつを自殺に利用したいらしくて……へへっ」

 焦って言わなくていい事を言った気がする。


 果たして、上梨は吐瀉物でも見るような目で俺を見ていた。


「貴方、最悪ね」


「どこが?」


「どこがって……貴方ね、人の命が失われようとしているのよ? 貴方は、それを見過ごすどころか手伝っているの。それを最悪と形容されて貴方は疑問を覚えるの?」


 気色悪い善人意識だ。

 本人がやりたがっているんだから別に良いだろ。

 まあ、そんな本音を口に出すつもりは無いけれど。


 であれば何を口に出すのか?

 無論、建前である。


「いやいや、俺だって一度はちゃんと通報しましたよ? 慈愛の心を両腕に抱えて! 聖母の精神で!」


「その時は通報したのに、何で今は止めようとしていないの」


「え? まあ、怪物に喰われるのなら、最悪近所で死なれても死臭はしないだろうし」


 適当な理由をでっちあげる。

 こういうどうでも良い所で性格の悪い事を言うのが、善良から遠のく第一歩だ。


「貴方、まさか死臭が嫌だから通報したの」


「いや、言い方が悪い。本来は自殺を止めるなんて事、何も知らない他人がやっちゃいけないんだよ。それをお前、自分の都合だけで生きてるみたいな身も蓋も無い言い方をされたら、俺はどうすりゃいいんだよ?」


 俺の言葉に、上梨は冷めた顔で口を開く。

「貴方が自分の都合だけで生きているから、仕方が無いんじゃない?」


「あーあ、そういうこと言っちゃうのね? 怒っちゃいましたよ。俺は帰らせてもらいます、さようなら!」


 俺はプンプンと肩を怒らせ帰路に就いた……とは、いかない。なんか既視感。


 結局、話し合いと問答の末に、俺は上梨をあのガキと会わせる事になった。

 いつもは他人に冷たく当たっている癖に、自殺しそうなガキ一匹に釣られて善人ぶるとは……気持ちの悪い女だ。


+++++


 上梨と共に、ガキと会う為に公園へ向かう。

 道中は気まずいものになるかと思ったが、なかなかどうして俺と上梨は饒舌であった。


「……つまりさ、真の悪とは、自らを善と信じてやまない量産式思考回路を妄信する有象無象の事なんだよ」


 価値観と洗脳の闇について語り終えた俺に対して、上梨は安心した様な笑みを浮かべて言葉のナイフを突き出してくる。


「貴方って本当に性格が悪いのね、絶対に好きにはなれないタイプ。十数分で嫌なところノートに書く項目が十三点を超えた人は初めてよ」


 ニコニコ笑顔で、最悪のノートの肥やしにすると報告されてしまった。

 最悪の気分だ。


「嫌なところノートって……お前、そんなもん書いてんのか? そういう奴が性格最悪コンクールの県特選に輝くんだよ。あーやだやだ、そんなノートに書かれる所なんて俺には一つも無いってのに」


 それを聞くと上梨は笑みを深め、口を開いた。


「目を合わせないところ、自己中心的なところ、下を見て安心するところ、面倒になると話を逸らすところ、すぐに嫌そうな顔をするところ、他人の不幸を喜ぶところ、道徳観念が未成熟なところ、他人を見下しているところ、すぐに慢心するところ、家族を軽視しているところ、いちいち理由を付けないと善行を積めないところ、過度に自分で選ぶ事を優先するところ、すぐに言い訳をするところ」


 つらつらと、十三個しっかり言い切りやがった。

 上梨さんときたら、どうだ! とでも言いたげな顔で俺を見つめてくる。


「おい、言っておくが、それらは全部俺の美点だ。捻くれた視点を正して、もう一度俺をよく見てみろ。お前もすぐに、俺が猫可愛がりしたくなるほどに善良な人間だと気が付く筈だ」


「嫌なところノートに、すぐに適当な事を言うところも追加して欲しいようね」


「ずいぶんと皮肉な言い回しだな」

 ちょっと上梨への好感度上がっちゃったぞ。


「それで、下を見て安心するところってどう美点になるの?」


 適当言っている訳では無いなら説明してみろと?

 しゃーねえなあ! 俺のお口マシンガン、フルバーストさせちゃいますか!


「そうだな……最初に幸福ってのは、人間の主観で決まる。で、物事の善悪は大抵の場合が幸福の最大化か、不幸の最小化を基準として決まる。さあ、ここでモデルを用意しよう。一万円を落とした人間と、百万円を落とした人間がいたとする。そんで、お金を落とした奴が二人いるだけだから、普通ならこの状況では不幸しか発生しない。しかし、一万円だけ落とした奴が下を見て安心するという思考をし……」


「話が長いところも、嫌なところノートに書き加えて欲しいのね?」


 小首をかしげるな! ちょっと可愛いから。

 しかし、きれいに俺のマシンガントークがスルーされたな。


 あと少しで結論まで話せたのに……。

 さすがの俺も怒髪天ですよ。


「お前、マジで……許さん。具体的に言うと、絶対に許さないノートの最初のページに上梨とだけ書いて、俺の本棚に収めてやる」


「そう。なら、私も加賀山君専用嫌なところノートを作ることにするわ」


「呪いじみた特別扱いをするな。あと、俺の名前は鏡島だ」


「私、人の名前は覚えないようにしてるから、ごめんなさいね。まあ、名前を覚えたとしても貴方の事は好きになれないから、貴方を名前で呼ぶことも無いとだけ覚えておいて」


 やはり、安心した様な笑顔で上梨はそう嘯くのだ。


「そうかい、俺はお前のことを名前で呼ぶけどな」


 そうして話の区切りはつき、俺達は待ち合わせ場所にも着いたのだった。

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