第2話

「私の声が聞こえていますか?」


 不安そうに問いかけるレティアが俺の顔を覗き込んできた。


 しかし俺には何が起こっているのか全く理解できない。


 レティアの首は先程俺が俺自身の手ではねた筈だ。


 いや、そもそもなぜレティアはこんなにも幼い?


 死後の世界の夢なのだろうか。



「……姫様」


「私を知っているのですか?」


 思わず呟いた言葉に姫様が反応した。


 どうやら会話が可能なようだ。


「レティア・ニルタリア。皇位継承権一位の第一皇女様」


「……なぜ私を知っているのですか?」


「それは――」


 そうして言葉を交わしているうちにだんだん周りの様子が見えてきた俺は言葉を失った。


 俺と姫様を囲む檻、くらい小屋の中、そして饐えた臭い。


 ここは間違いなく、十二年前に俺と姫様が出会った人攫いのアジトの小屋だった。


 記憶が正しければそろそろ――。


「で、身代金はどんだけ請求出来そうなんだ?」


 いかにもな会話をしながら小汚い二人の男が小屋へと入って来た。


 いかにもスラムの住人らしい格好の二人だ。


「それが金貨千枚即金で出してきやがってよ」


「せ、千枚!?」


「あぁ、しかも無事が確認でき次第追加でもう千枚だそうだ」


「マジかよ!?こいつはとんだ拾い物だったぜ!!」


 金貨千枚は大金だ。


 それだけあれば一つの家庭が一生遊んで暮らせるし、帝都の一等地にお屋敷だって建てられる。


 その倍となれば一般市民じゃ使い切れない金はだろう。


 まあ隣の少女の身分を考えればそれ位が妥当なのだろうが。

 

 たしかこの姫様は帝都の見学中に付き添い人とはぐれスラム街に足を踏み入れたところで捕まった筈だ。


 姫様との逃亡生活中に色々と話を聞いたから宮廷のあれやこれやも頭に入っている。


 この金貨は姫様の母親である第二皇妃が私財を使って払ったお金だ。


 皇妃とはいえ金貨2千枚は大金だったらしく、これで大きく力を落としたと言っていた。


 宮廷の人間も金払いが悪くなれば離れていく。


 自分が捕まったのも第ニ皇妃を陥れるための策略だったと姫様は言っていたが。


「おい、お前は出ろ。買い手が決まった」


 俺はこの時点で檻から出され、闘技場で戦う剣闘士として主催者に買われる。


 およそ八年間闘技場で戦い続け、黒い髪と獣のような戦い方から黒獅子という異名までつけられた。


 その後この姫様によって救われるわけだが――。


「おら、さっさと出ろ!!」


 首につけられた首輪を鎖で引かれ、俺は檻から出された。


「……夢でもいいや」


 俺は檻から出た瞬間に横にいた男の剣を腰から引き抜いてそのまま隙だらけの胸に突き刺した。


 あの地獄のような闘技場に送り込んでくれたこいつ等に復讐できる機会が来るなんて本当に夢のようだとすら思えた。


「あばっ」

「て、てめぇ!!」


 もう一人の男が剣を抜こうとしたが、それよりも圧倒的に俺の方が速かった。


 俺は手枷をつけられていたし体も子供の物で、しかも痩せ細っていた。


 それでも傷つけば魔法で癒やされ毎日のように殺し合いをしてきた八年間の経験はそのハンデを軽く覆す。


 振っていては振り遅れるのが分かっていてため刃先は真っ直ぐに首筋へと向けた。


 喉から首を貫かれた男が血を吹き出して痙攣しながら床に転がる。


 それを蹴り飛ばしてもう一度心臓に剣を突き立てた。


 可能性は極めて低いが、もしこの男が高位の回復系統魔法を使えたら面倒なことになるからだ。


 とどめを刺した事を確認して俺は剣を投げ捨てた。


 栄養と水が足りずくらくらする頭を振って壁にかかっていた手枷の鍵を手に入れ、檻の中の姫様の手枷を外した。


「あ、ありがとうございます」


「いいよ、俺のも外してくれ」


 そう言うと少女は大人しく俺の手枷を外した。


 その視線がチラチラと俺の背後へ向かっているのを見るとかなり俺に対して怯えているらしい。


 温室育ちでぬくぬく育ってきた姫様にこの光景はかなり衝撃的だったようだ。


「出るぞ」


「は、はい」


 ガクガクと仔鹿のように震える姫様をなんとか立ち上がらせ、俺は二番目に切った男から剣を剣帯ごと剥ぎ取り小屋の外に出た。

 

「来い」


 姫様にそう言葉をかけて俺は歩き出す。


 先程の闘いで随分とこの夢に現実味が出てきた。


 むしろこれが本当に現実であると理解できてきたと言ったほうが正しいだろう。


 血の温もりも肉を断つ感覚も夢にしては出来すぎているし、あまりにも鮮明だ。


 古典的だが試しに抓った頬は今でも痛い。


 これが現実だとしたら一体何が起こったと言うのだろうか。


 あの未来が夢だとも思えない。


 宮廷には死人を蘇らせる魔法があるという眉唾ものの噂を聞いたことがあるがまさかその類だろうか。


 もしくは信者から金を集って私腹を肥やす教会の豚共がしきりに言っていた神とかいうやつの仕業か?


 だとしたら今まで微塵も信じていなかったがこの復讐の機会を与えてくれたことに感謝したい。


 それに復讐もだが、もしかしたら今回は姫様を――。


「――あ、あのっ」


「……ん?」


 俺はそれを引かれてようやく姫様の声に気がついた。


 どうやら先導する俺に怯えながらも何度か声をかけていたらしい。


 考え事に集中しすぎて完全に耳に入っていなかった。


「わ、私はどこに連れて行かれるのですか?」


「……とりあえずは大通りに向かっている。大通りに出れば姫様の付き人が見つかるかもしれないからな」


 姫様の質問に答えつつ、時折すれ違うスラムの住人を睨みながら足早に歩く。


 後ろの姫様の格好がここでは目立ちすぎて面倒な連中に絡まれないようにするためだ。


 今は俺が持っている剣と返り血が目立つおかげで絡まれていないが立ち止まればろくな事にはならないだろう。


「助けてくれるのですか?」


「……今度こそ、な」


 時間が惜しいので手短に答えて大通りを目指す。


 人攫いのアジトは少し遠くにあったため時間は

かかったが、道を覚えていたおかげで迷わずに大通りに出ることができた。


 姫様が疲れているようだったので近くにあった出店の隣の石階段に腰を下ろした。


 出店の店主が明らかにスラムの人間である俺を見て嫌そうに顔を顰めたが、隣りにいる姫様を見て不思議そうに首を傾げた。


 確かに隣りにいるにはさぞかし不思議な組み合わせに見えるだろう。


 しかもスラムのガキの方は血まみれときた。


 店主は関わらないことが吉と見たらしく何も言わずにまた店番を始めた。


「……あの、ありがとうございます」 


「まだ安心するには早い。護衛と合流できてから聞かせてくれ」


「はい」


 無いとは思うが人攫いの追跡が無いかを警戒しながら人混みに視線を向けていると、キョロキョロと何かを探している若い騎士風の男を見つけた。


 よく見ると胸のところに皇室護衛騎士団の紋章がある。


 どうやらこちらの探し人は見つかったようだ。


 それと同時に向こうもこちらを見つけたらしく、すぐさま男は首から下げていた笛を拭いた。


 ピーッという、鋭い音が鳴り響き、それと同時に腰から下げていた剣を抜いてこちらへと向かってきた。


「貴様、姫様から離れろ!!」


 そう言いながら振り下ろされた剣を避けつつ、顔を裸足の足で蹴り飛ばした。


 男は剣こそ離さなかったが後ろに尻餅をつく形で倒れる。


 人攫いよりは強そうだったが隣に姫様がいたことと相手が全力ではなかったこと、俺が相手よりも高い位置にいたことが有利に働いてうまく倒すことができた。


「貴様っ!!」


 笛の音を聞いた騎士達がぞろぞろと集まり始め、倒された騎士が激高していたため俺も剣を抜いて構えた。


 しかし争いの火蓋が切って落とされる前に俺と騎士との間に人影が割り込む。


「なりません!!」


 姫様だった。


 俺に背を向けて庇うように立った姫様が両手を広げて騎士を静止する。


 正直なところ今の体調では勝てるかどうか怪しかったためかなり助かった。


「この者は私の恩人です!無礼は決して許しません!!」


 姫様の一喝でその場にいた騎士達全員が跪き、剣を抜いていた騎士も刃を納めた。


「ご無事で何よりです、姫様。お探しいたしました。まさか御自分でお逃げになられるとは」


 その中にいた初老の騎士が代表で言葉を口にする。


 どうやらあの騎士達の長のようだ。


「ハノン卿、まずは私の救出任務ご苦労様でした。しかし私がここにいるのは全てはこの少年のお陰です。彼が人攫いを倒し私を檻から逃してくれました。さらにはここまでの案内も。以降どのような理由があろうと、私の恩人への無礼は第一皇女たる私の名に置いて厳罰に処します」


「はっ、しかと承りました」


 まだ八歳か九歳だろうに随分な威厳だ。


 俺みたいなスラムの人間とは大違いである。


「申し訳ありません、先程の彼の勇み足は私を思っての事。どうか寛大なお心でお許しください」


 そう言いながら姫様が俺に頭を下げた。


「高貴な身分で無闇矢鱈と頭を下げれば軽んじられる。礼節を重んじ善人であってもお人好しであってはいけない。たとえ辛くてもその生き方が姫様の力になる。……たぶん」


 俺はそう言って姫様に頭を上げさせた。


 その言葉を聞いて姫様や騎士達が驚いたように俺を見たが、この言葉はそもそも姫様の受け売りだ。


 姫様自身が俺に言った言葉をそのまま返したに過ぎない。


「早く姫様を安全な場所に。それと数人はついてくるといい。人攫いのアジトに案内する」


 このあと何を言われるかは分かっていたので姫様に背を向けて俺はまた裏路地へと足を向けた。


「まっ、待ってください!せめて最後にお名前をっ!」


 そうか。


 そういえばまだ名乗っていなかった。


 当然知っているものと思い込んでいた。

 

「レオン。ただのレオンだ」


 この名前は、姫様に貰ったものだから。




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