第78話 頼まれたことと世界との関わり

「えっ、もしかして獣人……?やっぱりいたんだな、獣人って」



 なんでここにもふもふ以外が?いや獣人ももふ耳あるし、ここから見えないが尻尾もあるかもしれないし、だったらもふもふ枠か?いやいやいや、いくらシンクさんだって無断でここに人を連れて来れないから、それとももしかして人化する神獣か幻獣だったり!?えええええーーーーーーっ!


 っていや、今はそんなこと考えている場合じゃないよな!神獣や幻獣だったらこんなボロボロの服着ているわけないし。



「って、どうしたんですか?もしかして怪我しているんですかっ!!」


 慌ててケット・シー達が支える小さな、人間だったら六、七歳くらいに見える子供に駆け寄り、やせ細り見るからに栄養の足りていない細い体や服にあちこちにある血の跡などを確認していく。


『すみませんなぁ、イツキさん。この子は今、絶望して心神喪失状態でしてなぁ。怪我自体は少しの切り傷と、脚をくじいたくらいだと思うのですがなぁ……。ここに入る許可は、きちんと私たちの守護地の神獣を通していただいておりますので、世界樹の泉の水をいただいてもよろしいですかなぁ?』

「あっ、そうだった、世界樹の泉の水があったっけ!ちょっと待って下さい、すぐ用意しますので!」


 絶望して心神喪失状態、という言葉に、以前世界の管理官さんに再会した時に聞いたことを思い出したが、とりあえず今は目の前の子供の状態の方が先だ、と慌ててマジックバッグへ駆け寄り、泉の水が入った瓶を取り出した。

 ここの井戸の水でも少しは効能はあるが、汲んでおいた物でも泉の水の方が、たちどころに切り傷は治るし疲れもとれるのだ。


 コップに注ぎながらも、シンクさん達は聖地経由ではなく直接この場所に繋いで来たことに気づき、やはり神獣たちにしても今回は特例の何かがあるのだろう、と推測する。


「はい、ほら、これを飲んで。痛いのが無くなるよ」


 子供達が遠巻きに見守る中、広場の入り口に座り込んだ獣人の子供にしゃがんでコップを差し出す。


「……」

「え、ええと。これは聖地のお水なんだ。怪しい水じゃないよ?」

「……」


 しゃがんで俯き差し出された目の前のコップに何の反応も返してこない獣人の子供に、膝をついて更に姿勢を低くして顔を覗き込んでみると。


 ……ひえっ!?な、なんて目をしているんだ。久しぶりに会ったブラック企業に入ってしまった友人が、ひと月以上毎日残業休日出勤でほぼ家にも帰れなくて、今日が半年ぶりの休日だ、と言っていた時よりも更に昏い目の光が全くないよどんだ目じゃないかっ!!


 明るい茶色の髪に、恐らく濃いめの茶色の瞳をしているだろうに、希望どころか生きる意志も、恐れも苦しみも通り越して、正に絶望を映したような全く光のない淀んだ昏い瞳をしていた。

 目は開かれているが、景色が映ってはいないだろう。もしかしたら今、自分がケット・シー達に連れられて移動して来たことさえも理解していない。正しく無、心神喪失状態を体現しているような瞳に思えた。


 ああ……。管理官が言っていたのは、こういうことだったのか。輪廻の転生さえも拒否するまでの絶望、いや、絶望を通り越した全てを拒絶する虚無。この世界はずっと戦乱が続いている、とはアーシュから説明されていたし、改めて管理官にも言われていたのに、聖地で子供達と遊んでいた俺には全く実感なんてなかったけど、世界の要の世界樹が枯れてしまう危機に瀕している、そんな世界だったんだよな……。


 自分の目で見たことで、正しく点と点が繋がり、やっとこの世界の実情を垣間見えた気がした。

 それでもまだあまり実感が伴わないのは、認識がこの獣人の子供だけでは不十分ということと、やはり日本は平和だったから平和ボケを未だにしているからだろう。


『……すみませんなぁ。この子は、我らの里の一番近い集落の隣の集落へ命からがら逃げて来た子でしてなぁ。その時も父親を逃避行の間に亡くしておりまして、最近きな臭い、とは聞いていたのですが、いきなり隣の集落が襲撃にあったらしくて全壊したらしいのですなぁ。母親が命からがらこの子を連れて集落にたどり着いてそのことを聞いて、慌てて全員が逃げ出す、という時に私が顔をだしましてなぁ。この子を託されてしまったのですよ』


 ああ、この子の母親はもう……。この子の服についている血の跡は、母親の物なのかもしれないな。戦争なんて、大抵一部の権力を求める者たちだけの問題で、ただ暮らしているだけの民には戦争なんて得るものは全くないというのにな……。


『本来は我ら精霊は人の世界には干渉はしないのですがなぁ……。この子の絶望があまりに深すぎて、このままこの子が死んでしまったら、世界の闇が増してしまいますのでなぁ。それを目の前にしては、無視もすることは出来ませんで、守護者に頼んでみた、という訳でしてなぁ』


 

 世界の闇が増す……。もしかして戦乱で乱れると世界樹が力を落とすのは、人の絶望が闇を呼び込むからなのか?闇も世界には必要だが、光と闇のバランスが大きく崩れ、闇に傾いてしまっているのかもしれないな。


 でも、今はそんなことよりもこの子のことだ。体もガリガリに痩せてほとんど骨と皮状態だし、早く泉の水を飲ませて何か食べさせないとな。


 自発的にこのままじゃ飲まないだろう、と判断し、力なく座り込んだままの背に手を回し、口にコップをそっと当てる。


「ほら、飲んで。君はまだ、生きているんだよ。こうやって出会ったんだから、俺は君のことを知りたいな。なあ、もう少しだけ、生きていよう?」


 全く口を開こうとしない子供の背を、ゆっくりと何度も何度も撫でる。


 俺の温かさが、少しはこの子の冷え切った心に伝わればいいんだけど……。


 俺はこの世界に来て、最初はアーシュに捕まってどうなるんだと驚いたが、最初は食べ物で少しだけあたふただけでそれ以外は心から嫌なことも苦しいことも感じたことはなかった。それどころかアインス達や子供達と一緒に触れ合ってこうして楽しく毎日暮らしている。

 でも、この世界においてそれは守護地の中だけの閉ざされた世界においてのことで、その外の世界ではこんな昏い絶望を宿した瞳をしている人が多く暮らしているのだろう。


 この世界を救う、なんて大それたことは俺に出来るとは全く思わないし、救う、なんて思うこともおこがましいだろう。元々の魂はこの世界で誕生した物でも、俺の大部分は今でも地球の日本でのことで占められている。そんな何も知らない俺が世界をどうこう言う資格もない。

 でも、世界を救おうと今も神獣や幻獣たちが動いていることを俺は知っている。なら、ほんの少しでもその助けになるなら……。


 子供達と一緒にいるのは今ではもう俺の生きがいみたいになっているし、ほんの少しでも俺の自分では実感もない『魂のゆりかご』の効果がこの子の心に届くのならーーーー。


「君は流されるまま、このまま死んでしまっていいのか?もう少し、生きることをあがいてみないか?」


 俺は死んでいまいたい、と思う程つらい経験をしたことはない。だからまだ小さな子供なのに、それだけつらいと心を閉じ込める程のことを体験したこの子に「生きろ」と声を掛けることが正しいことだとは思わない。

 生きることは戦いだ、その言葉に日本で暮らしていた時はぼんやりと「そうだなー、食べて行くには働かないとならないしなー」くらいにしか感じなかったが、本当に日々体も心も戦場に居た子供に、今日初めてあった何も知らない自分が本来なら「生きて」という権利はないだろう。


 でも、それでも……。


 小さな子供は、やっぱり未来だと思うから。神獣や幻獣たちが頑張って存続させようとしている、この世界の未来を司るのは、俺には世界樹とか守り手とかの大きな存在よりも、小さな子供の方が身近で実感として感じられるから。


「なあ、ほんの少しでも、今、温かいと感じられているのなら、これを飲んでくれないか?」


 ずっと背を撫で続けている手に、僅かに虚ろに開かれ、何も映していなかった瞳がぼんやりとした意識がちらついているのを感じられ、口元に寄せるコップに少しだけ力を入れる。

 それでも泉の水を飲める程ゆるまない唇に、どうしたらいいか、と悩んだ時。



「う?うーーーーーーー?」


 いつの間にか近づいていたのか、ユーラが俺と獣人の子供の間で、下から見上げていた。

 俯いていた獣人の子供の視線と見上げるユーラの視線と合い、ぼんやりとした瞳が少しだけ見開かれる。


 あ、少しだけ感情が動いた……。


「う、う!ううう!」

「うん、ほら、これを飲んで?そしてゆっくりと休もう。ここでは君を攻撃する人は誰もいないから」


 ユーラが伸ばした手に、そっと、そっと動かされた手。そして口元に添えたコップから、泉の水が一口、口の中へと注がれたのだった。









*****


今回はシリアスです。しばらく少しだけシリアス風味ですが、基本のんびりまったり行く予定です。


大きな地震が来ると不安になりますね。現地の方、不安かと思いますが避難場所をしっかりと確認して、どうぞ皆様お気をつけて下さい。


今週はお盆休みがあるので(真ん中三連休のみですが)少しだけ早めに更新して3回更新できるかも?です。

次回は火曜日か水曜日更新予定です。どうぞよろしくお願いします。

 

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