第3話 まずはシミュレーションから
スーっと深く息を吸い込む音だけが静寂の回廊に響いた。
「ええぇぇえーー!!!! えっ? えぇー!?」
空気が揺れた。床も揺れたかもしれない。
リリアネットはビリビリと余韻が残る俺の肩を両手で掴みガタガタと前後に揺らす。
「話聞いてました!? どこまで聞いてました? 私リリアネットっていいます。
友達からはリリアって呼ばれてます。趣味は旅行、特技はスポーツで休みの日は――いやそうじゃなくて! 話聞いてましたか!?」
「あ、はい……聞いてたので一度落ち着いて頂いて……」
二度三度そんな問答をした後、ようやく宥めることに成功したので呼吸と脳震盪を鎮める。適当に誤魔化そうかとも思ったが彼女に向き合い正直な気持ちを伝えることにした。
「俺、元世界っていうんですか? その世界で生前は一杯保険とか掛けてきたんです。なるべく冒険しないように、安全に生きようと思ってきたんですけど結局この歳で死んじゃって。で、この壁の向こうの世界で生まれ変われると分かった時、今度は思いっきり冒険してやろう、それで死んじゃったっていいじゃないかって思ったんです。だからすみません。色々教えて貰ったけど俺には保険は要らないです」
リリアネットは黙って俺の話を聞いていた。
少しの間、小首を傾げ考え込み「うん」と小さく頷くと諭すような目でこちらを見据え、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「ユートさんは知らないかもしれませんが、あなたにどうしても加入して貰わないといけない理由があります」
真っすぐに俺の目を見つめるその瞳には、心を見透かすような、意識に直接語り掛けてくるような神秘性がある。
俺は思わず息をのみ、次の言葉を待った。
「私、就職してからまだ1件も契約が取れてなくて、そろそろ取れないとマジでヤバいです」
……営業が下手! あまりに下手……!
薄々感づいてはいたけど契約が取れないのはそういうところだと思います……!
「ほんとに大変なんですよ? 毎日毎日出社する度にクs――上司は『同期のみんなはもう何件も契約上げてるぞ』って圧をかけてくるし、ハg――部長は朝礼の時にノルマ表を見ながら『今月もみんな頑張ってるねぇ、1人を除いて』とか嫌味を言ってくるし。これってハラスメントですよね? 大体、私の担当世界域ってぜぇーんぜん新入転生者が来ないんですよ、分かりますよ? それだけ平和ってことですよね。素晴らしいです。でもそれだと私困っちゃう訳です。ええ。だからこの機会を逃す訳にはいかないのです!」
物凄い早口で9割9分私情と愚痴で構成された営業トークを繰り広げている……。
「お気持ちはお察ししますけど……一般的にこういう時は商材のアピールとかをした方が良いんじゃないかなと……」
きっぱりと断って旅立つつもりがなんか涙目になってるので思わずアドバイスをしてしまった。
リリアネットは俯いた顔を上げてハッとした表情を浮かべると目を真ん丸に見開きぱちくりとしている。
え、ご存知なかったのですか?
「な、なるほどそんなテクニックが……! ありがとうございます! 目から
微妙に意味は理解できる慣用句で感謝を述べると、いそいそと鞄から先ほどの半透明のタブレット上の端末を取り出した。
何回か画面をタッチするとパンフレットのような情報が浮かび上がる。
「それでは弊社イチオシの転生生涯補償プランを……」
参ったなあと思ったが、恩もあるし、時間もある訳だし話くらいは聞いてあげよう。
◇
「うーん、細かな説明より身近な例を出した方がイメージしやすいですよね」
成長してる、偉い。
「あなたは世界を再生する旅の果て、廃都に巣食う邪竜と対峙しました。その竜は一歩の歩みで教会を踏み潰すほど巨大で、その爪は城壁をバターのように容易く切り裂き、穴の開いた眼孔からは瘴気が漏れ出ています。この時どんなトラブルが考えられますか?」
――もう少し日本人に身近な例で紹介して欲しかったかな。
「……死闘の果てに邪竜を倒すものの、最後の一撃と引き換えに傷を負うとかでしょうか……」
「違います。正解は伝説の聖剣が強靭な鱗に弾かれて折れ、守護精霊の鎧ごとおへそから上をぱっくり食べられた後、残った下半身は劫火のブレスでウェルダンに焼かれ、ついでに瘴気で末代まで呪われる、です」
「ええ……」
最期が壮絶過ぎんか?
ダークファンタジーでもそこまではあんまりやらないと思います。
「そんな時、異世界保険に入ってたらどうなるでしょう?」
「いやその状況で死んだとして、お金を貰っても……遺す相手もいないですし……」
「お金? 何の話ですか?」
「え?」
「保険を使えば生き返ります。折れた聖剣も切り裂かれた守護精霊の鎧も直ります。
上手に焼けたこんがり下半身もピチピチに戻りますし、もちろん解呪もされます」
「は?」
彼女は「何かおかしい?」とでも言いたげなあっけらかんとした表情を浮かべている。
「……そんなことできるんですか?」
「はい。もちろん元世界に住んでる人に対してはそんなことできません。自然法則からも道理からも外れちゃってます。でも、あなたは理の外にいます。だからできます」
当然にわかには信じがたいのだが、先立って聞いていた説明と一応の整合も取れている気がするのであり得るかもしれない、と思う気持ちも湧いてきている。
現にこうして転生してる訳だし、また生き返ることすらもできるんじゃないか?
ということは……? やっぱり保険には入っておいた方が……?
――まずい、これ新卒の時に大手保険5社説明マラソンして5社とも契約したのと同じ思考じゃないか。
いや、騙されたら駄目だ。保険のお姉さんはいつだって俺たちに都合の良いことを言う。
サインをすればその時点で契約は成立してしまう、前もって慎重過ぎるくらい確認しておく必要がある。
例えば――
「……精霊様のお告げを受けた長老の命により旅に同行することとなった、男子禁制の里から来たエルフの弓手。ユニコーンの住まうという大森林への道すがらで野営の最中、俺は不可抗力で彼女が湖の畔で水浴びをするところを覗いてしまった。この時は……?」
「――激昂した彼女の放った毒矢に当たり死亡した場合、生命および解毒が補償されます。もしそれが原因で彼女がパーティから離脱する危機が発生した場合、彼女の記憶も抹消されます」
「……闇の王に支配された大陸。その大地を再び光で照らさんと魔の山脈を、赤き血で染まる大河を越えて、最果ての地に辿り着いた俺だったが、闇の眷属である夢魔サキュバスに夜毎夢に侵入されスッカラカンのシナッシナにされてしまう――そんな時は……?」
「――精が戻ります……!」
手厚い補償……! 万が一の時の備えも万全だ。
でも精が戻るって何? 何が戻るの……?
しかし、やはり最後に頼れるのは保険だ……。
見知らぬ世界で不安な新生活、笑顔溢れる将来設計と実りある人生、QoLの向上のためには保険という安心感が必要なのではないでしょうか。
……いえ、結論を急いでは駄目よ悠人。まだ一番大事なことを聞き忘れてるわ。
「でも、その補償内容だと……やっぱり保険料とか……高いですよね……。俺、転生先の通貨とか持ってないですし……」
「気になりますよね! 新入転生者向けの保険商品ですから当然織り込んでおります! なんと当面の保険料は無料! 一定期間後に転生先でのランクに応じて無理なくお支払い頂ける保険料が算出されるプランとなっております!!」
「――――!!」
「更に!!」
「更に……!?」
「なんと今だけ! 弊社の経験豊富なスタッフがあなたの異世界での再生の旅に同行サポート致します!!」
「――よろしくお願いします!!」
父さん、母さん、先に逝ってごめんなさい。
でも、転生先でいい保険を見つけたよ。
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