第11話
「元気な子たちだな。
それにしても、丸刈りとはめずらしいな。
僕の子供の頃なんか、みんなああだったけれどな。
ああしてしまうと、元々あるはげがよくめだったもんだよ」
床屋さんは自分や友達の頭にあった小さなはげを思い出しました。
(あの頃はそれをずい分気に病んだものだったなあ。
手鏡に映してとみこうみしてさ…。
みんなが自分のはげに注目しているように思えてさ。
自分のはげを気にしているのは、人でなく自分だったのに…)
その頃のことを思い出して、床屋さんはくすくすと笑いました。
すると、そこへまた、
「こんにちは。失礼します」
笛のような細い高い声が聞こえて、やせて背の高い三十半ばくらいの男がひとり、やはり透明な傘を畳みながら店の中へ入って来ました。
男は草色のコートを脱ぐと、
「明日、急に大事な用が入ることになりましてね、急ぎでひとつ、お願いします」
と言うではありませんか。
床屋さんは、来るお客来るお客、皆が同じことを言うので不思議に思いました。
明日は平日の月曜日で、特に何か大きな行事があるということは聞いていません。
偶然が重なるにしては、こんなひどい雨の日なのにお客が多すぎるのでした。
「そうおっしゃって来られるお客さんが、今日はたくさんいらっしゃいましてねえ。
一体、明日、何かあるんでしょうか」
熱いタオルを用意しながら尋ねると、端正な顔に銀縁の眼鏡をかけた男は、
「いや、何、わたしどもには、ということですよ」
うまく話をはぐらかしてしまいました。
「うちが明日、定休日なんで、駆け込みでということかな?
それなら、ほかの床屋も、今日のこんな日にこんなにお客が入っているのかしら…?」
ふと考え込んでいると、
「ご主人、申し訳ないが、急いでおりますので」
客は少し苛ついたように声をかけました。
「あ、申し訳ありません」
床屋さんは慌てて客の首筋に、切った毛が入らないように白いタオルを入れると、その上から白いカバーをかけました。
そして、
「今日はどうなさいますか」
と聞きました。
「長いこと手入れを怠っていたので、すっかり伸びて、その上、ところどころもつれてしまってねえ。
傷まないようによく梳きほぐしてから、短くしてほしいんです」
なるほど、その言葉どおり、お客の細い髪は、肩より長くかかっていました。
床屋さんは毛先から少しずつ櫛を入れていきました。
根気よく梳いていくと、髪は次第にサラサラになってエアコンの風に揺れました。
「ああ、いい塩梅だ…」
お客はうっとりと目を閉じてつぶやきました。
「髪が風に揺れるのは気持ちのいいものだ。
いつまでこれが続くかなあ…」
「こまめに手入れをなされば大丈夫ですよ」
床屋さんは言葉の意味がよくわからないながら、宥めるように言いました。
「なあに、大した手間じゃありません。
ちゃんと洗って乾かして、毛先からだんだんほどくように梳いていけばいいんです。
力任せに上からやっちゃ、いけません。
それから、濡れたままの髪に櫛を入れてもいけませんよ。
どちらも髪を傷めますからね」
「それが、もう難しくなるんですよ…」
男は悄然と言いました。
「何か事情がおありなんだな」
床屋さんは、あまり立ち入ったことを訊いては失礼になると思って、口には出しませんでしたが、心の中で考えました。
そして、お客を励ますように元気に言いました。
「そのときはまた、この店にいらしてください。
わたしがお手入れをいたしますよ。
お客様の髪は細いから、ほかの方より傷みやすいかもしれませんしね」
「そうだねえ…」
男は力なく笑って言いました。
「当分、切らなくていいように、今日は思い切って短めにしてください」
「かしこまりました」
床屋さんは、お客の髪を、とても短く刈りました。
「…結構です」
男は淋しそうに笑って去っていきました。
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