第78話 全く見覚えのない人

「よぅ」

「うん?」


 いきなり部屋に現われた男を見て、クリスは首を傾げた。

 全身が薄汚れていて、顔がこけている。

 その目元には大きなクマが浮かんでいた。


 ――全く見覚えのない人だ。


「……誰?」

「いまさら忘れたふりしてお茶を濁そうったって、そうはいかないぜ」

「いや、本当に誰?」


 男からはクリスを知っていそうな雰囲気を感じるが、本当に記憶にない。

 ほんの少し考えて、クリスはぽんと手を打った。


「ああ、フォードの町で会った人? ごめんね、顔を忘れちゃって。名前は――」

「チゲェ!!」

「チゲェさんっていうんだね」

「…………ッッッ!!」


 ブチブチ。太い繊維が引きちぎられたかのような音が響き渡った。

 チゲェの顔がみるみる赤らんでいく。


 周囲の雰囲気も、ピリピリと張り詰めていく。

 どうやら彼は、激怒しているようだ。

 だがクリスには、彼が怒る理由がわからない。


「テメェはうちの商会を破壊し、商品を逃がしやがった。そのせいで、オレがどれほどの恥を掻かされたか。テメェの体に刻んでやるよ!」

「おおう?」


 気がつくと、チゲェが目と鼻の先にいた。

 運動音痴のクリスには、相手の動きを捉えることさえ出来なかった。


 次の瞬間だった。

 ――ドッ!!


 クリスは激しい衝撃を受け、自室から庭に放り出された。

 体は、無事だ。一切傷は負っていない。

 防御系の魔術を幾重にも展開していたおかげだ。


 チゲェは、短剣を突き出した状態で静止している。

 どうやらクリスは彼に攻撃されたらしい。

 その衝撃に突き飛ばされたため、今、こうして宙を舞っているのだ。


 チゲェの攻撃は防御魔術を一枚たりとも貫かなかった。

 その反面、突き飛ばされたクリスは、勢いそのままに家の壁をぶち抜いた。


(あとで父さんに怒られる!)


 ずいぶんと風通しのよくなった部屋を眺めながら、クリスは頭を抱えた。


 しかし壊れたものは、いくら後悔したって元には戻らない。

 壁の修理費は、チゲェに請求することにする。


「〈フライ〉」


 魔術を用いて空中で体勢を立て直す。

 そのクリス目がけて、チゲェが飛翔。

 魔術も使っていないのに、ぐんぐん近づいてくる。


 攻撃は、防御魔術で十分防ぎきれる。

 だがこのままでは埒があかない。


(ひとまず無力化してみるかな)


 クリスは魔術を詠唱するため、スキルボードを展開した。

 その時だった。


「死ねぇぇぇぇ!!」


 チゲェの短剣が防御魔術に接触。


 ――パリン!


 先ほどは無事だったシールドが、ガラスのように砕け散った。

 チゲェの短剣の勢いは止まらない。

 ぐんぐんクリスに迫り、その手元――スキルボードを貫いた。

 次の瞬間。


『宝具との接触を確認』

『......防衛機能を即時起動』

『............対悪魔用決戦兵器...悪魔の黄昏(ラグナロク)...充填開始』


 クリスを中心に、白い空間が展開された。

 同時に手元で光が小爆発を起こした。


 ダメージがまったくないそれが、クリスとチゲェをそれぞれ逆方向に吹き飛ばした。




「……いてて。これは、なんだろう?」


 クリスの目の前には、真っ白な空間が広がっていた。

 白とはいっても、光が溢れているわけではない。

 自身も修得した亜空間魔術と同じで、空間を隔てる壁が白いのだ。


 しかし、タイプはまるで違うように感じられる。


「うーん、どういう性質なんだろう?」


 クリスが空間の壁をマジマジと眺めている時だった。

 背後から、黒い人型が近づいてきた。


「コロ……ス……クリ……ス」

「うわぁ」


 その姿を見て、クリスはドン引きした。

 先ほどまで、チゲェは確かに人の姿をしていた。

 しかしその面影は完全に失われ、今ではその内面から、ドロドロとした影があふれ出してきているのだ。


 その影が、徐々に別の姿を形作る。


「あれっ、どこかで見たことがあるような、ないような……あっ!」


 しばし考えて、気がついた。

 この元チゲェの雰囲気が、アリンコに似ているのだ。


「アリンコさんの親戚なのかな?」

「コロススススス!!」

「わっ」


 チゲェが勢いよく短剣を突き出した。

 自らの鼻先で切っ先が停止して、やっとクリスは彼が自分を攻撃したことに気がついた。


「あっ、そういえば一枚目のシールドが壊れたんだっけ」


 鼻先のシールドは、最終防衛ラインだ。

 ここを貫かれれば、次は肉体に直接ダメージが伝わってしまう。

 慌ててクリスは〈シールド〉を再展開。

 ついでに、〈ポイントシールド〉も複数枚設置する。


 今回展開したものは、以前とはひと味違う。

 というのも前回、クリスはシモンの攻撃に反応出来なかったからだ。


 その時はたまたま、シモンの攻撃を防ぐ形でセット出来ていたから良いが、次回もそうなるとは限らない。


 ポイントシールドは非常に優秀な魔術だが、相手の攻撃を防ぐよう設置出来なければ意味がない。

 なので自動で反応して、攻撃を防ぐよう特殊能力を追加した。


■魔術コスト:825/9999

■属性【結界:一点空壁】

■強化度

 威力:MAX 飛距離:5 範囲:10 抵抗性:MAX 数:10

■特殊能力【追尾】


 これならば、相手の攻撃に反応出来なくても、魔術が勝手に反応してくれるはずだ。


「ヌワッ!!」


 ポイントシールドを発動すると同時に、突如としてチゲェが一瞬で後方に吹き飛んだ。


「……あれぇ?」

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