第72話 暗殺者、潜入ス

「付与を使うまでもない相手で残念」


 剣で吹き飛ばした相手が気絶したのを確認して、ヘンリーは剣を鞘に収めた。


 通常、名乗りを上げている最中の攻撃は礼儀に反する。

 だが相手は、勝手に街に侵入してきた不埒者だ。

 このような相手に、尽くす礼儀はない。


「それじゃあ皆、捕縛して。あっ、リーダーっぽい人は、魔術士捕縛用の縄を使ってね」


 テキパキと指示を出したあと、ヘンリーはふと昨日のことを思い出した。


『……これだけやれば大丈夫かな』


 あのクリスの言葉には、微妙な間が空いていた。


 はじめ、特に意味はないものと考えていた。

 だがいざ事件が起きた後に思い返すと、『弟はこのことを予測していたのではないか?』と思えてくる。


『これだけやれば大丈夫』


(まさかクリスは、どれくらいの規模の襲撃があるのか、わかっていた?)

(その上で、どれくらい武具を強化すれば、領兵でも対処出来るかを、見積もっていた?)


「いや、そんな、まさかね……」


 クリスは人間には決して倒せないと言われていた悪魔を倒した、世界で初めての魔術士だ。

 おまけに彼は、国王のひっかけにも悠々と対処し、二つ名を頂いた。

 自身には、いずれも到底到達不能な頂だ。


 そんなクリスの言葉なのだ。

 裏があったとしても不思議ではない。


 すべてを知った上で行動していたのだとしても、ヘンリーはちっとも驚かないだろう。


「……もしかして、ぼくは花を持たされたのかな?」


 最近、食事の時間になるとなにかとクリスの話題になる。

 兄として弟の功績は誇らしいのだが、あまりに手柄を上げすぎると――いくら肉親であっても、所詮は人間だ――嫉妬心を抱いてしまう。


 それを見越して、クリスはヘンリーに花を持たせようと考えたのだ。


「いや、それこそまさか……だよね。そんなに弟の出来が良すぎたら、うっかり父さんからクリスに寝返っちゃいそうだ」


 空に向かって軽口を叩く。

 それは、団長の口から決して出てはいけない謀反を匂わせる言葉だった。


 たとえ軽口を叩くヘンリーの言葉だとしても、周りは重く受け止めかねない。

 それに気づき、ヘンリーはぎょっとして辺りを見回した。


 しかし今の言葉に、反応している者はいなかった。

 それを確認して、ほっと胸をなで下ろす。


 謀反は禁忌だ。

 家族を愛しているのなら、決して手を染めてはいけない悪事である。


 しかし最近のクリスの行動を、とても魅力的に感じているのは事実だ。

 どこまでも見通していそうな態度に、底知れない力。ふらふらしているだけのように見えて、気がつくとすべての人間が彼の掌で転がされている。


「表だっては言えないけど」


 父と同じくらい、クリスを信奉するのも悪くない。

 彼ならば、きっとこれまで以上にワクワクする世界を、みんなに見せてくれるに違いない。


 そう、ヘンリーは空を見上げ、くすりと笑みを零すのだった。




          ○




「まさか、あそこまで士気が高いとは……一体どうなっているんだ?」


 闇に紛れてフォード家屋敷に向かうネークスは、何度も首を傾げる。


 通常、辺鄙な領地の兵士というものは士気が恐ろしく低い。

 他国と接している領地ならまだしも、ここはどこにも接していない。


 辛うじて北にアレクシア帝国があるが、その間は高い山脈が遮っている。

 人の交流は少なく、行商もあまり訪れない。


 まさしく辺境だ。

 景色はのどかで、住まう人の気性も穏やかだ。

 そんな場所で日々、士気高く働くなど無理な話である。


 なのに、狂気ともいえるほどの目の輝き。

 敵を発見した時の気迫。

 とても辺境の兵士とは思えない。


「よもや、これが領主ヴァンの力か?」


 ヴァンが若い頃は、ゼルブルグ王国一番と謳われる剣術の腕前であった。

 そのような男が治める領地だ。もしかしたら、兵士の訓練にだけは特別に力が入っていたのかもしれない。


 ネークスが驚いているのは、兵士の士気が高かったことだけではない。

 事前にかき集めた情報と、まるっきり異なっている点だ。


「まさか、オレは偽情報を掴まされたのか?」


 欺瞞情報だ。

 国と国との戦いの中では当たり前の作戦だが、まさかそれをフォード領が使ってくるとは夢にも思っていなかった。


「くそっ!」


 ネークスは幼い頃より、隠密として育てられてきた。

 情報戦だって、かなり叩き込まれている。

 にも拘わらず欺瞞を掴まされたことで、プライドが完全に傷付いてしまった。


「絶対に、この手でクリスとやらを殺してやる」


 傷付いたプライドを癒やすには、標的を叩き潰す他ない。

 ザガンには悪いが、自分が一番乗りしてクリスを殺してやる。


 そう決意し、ネークスは闇の中を音も無く走る。


 フォード家の屋敷に到着したネークスは、まず壁伝いに屋根に上った。


 少し遅れて、ザガンとルイゼが表から攻め込む予定だ。

 ネークスは相手を逃さぬよう、逃げ道を潰すルートで侵略する。


 屋根の上を静かに移動する。

 今日は満月だが、運が良いことに月は雲に隠れている。


 深い闇の中は、ネークスの得意分野である。

 こちらからはよく見えるが、相手からはこちらが見えない。

 そんな闇の中で、ネークスはふと足を止めた。


「…………」


 誰かの視線を感じる。


(……気のせいか?)


 再び足を進めようとした、その時だった。


「――ッ!? 誰か、見てるな!!」

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