第73話 謎のメイド

 何者かのかすかな気配を捉えたネークスは、腰に手を伸ばした。

 月夜に反射せぬよう、黒く塗りつぶされた短剣を、音も無く抜き放つ。


「姿を現わせ!」


 声をかけるが、反応がない。


 じ、と重苦しい時間が流れる。

 その間、どこから攻撃を受けても良いように警戒を続けた。


 すぅ、と音も無く屋根の向こう側から光が舞い降りた。

 雲から満月が顔を出したのだ。


 その光が、屋根の中央部にさしかかった時だった。


「……ッ!?」


 ネークスは息を飲んだ。


 そこには、見目麗しい女性がいた。

 この屋敷のメイドなのだろう女性は、ネークスが知るどの女性よりも美しかった。


 その女性は、両手を下腹部に当てた姿勢で軽く頭を垂れていた。

 客人を屋敷に向かい入れる時の礼だ。


(これほどまで美しい女性が、こんなにも辺鄙な土地にいるとは……)


 しかしその美は、とても鋭利である。

 触れれば間違いなく、こちらが切り裂かれるだろう気迫を感じる。


「いらっしゃいませ、お客人。本日はどのようなご用件でしょうか?」

「……お前は、何者だ?」

「この屋敷の、ただのメイドにございます」


 嘘だ。

 ただのメイドが、ネークスの肝を凍り付かせられるはずがない。


 また彼女の姿には、月光が降りる寸前まで気がつけなかった。

 一瞬のうちに、屋根に現われたわけではない。(むしろそれが出来る人物など化物だ)


 彼女は闇に紛れて活動出来る人種なのだ。

 それも、ネークスでさえ感知出来ぬほどの、隠密スキルを持っている。


 もし彼女が宵闇の翼にいれば、幹部の側近になれるであろう。

 それほどの実力者だとネークスは見定める。


(しかし何故、これほどの女がここに……)


 じと、と冷たい汗がこめかみから流れ落ちる。


 そこで、ネークスは意識的に息を深く吸い込んだ。

 屋根上にメイドというおかしな状況に吞まれそうになっていた。


(相手はただのメイドだ)


 たとえ隠密力が高くとも、こちらには戦闘力がある。

 宵闇の翼幹部ザガンが右腕と認める程の力だ。


(メイドなど一撃だ)


 深く息を吸い込んで、停止。

 ネークスは俊足を用い、相手の背後に回り込む。


 その綺麗なうなじへと、黒塗りの短剣を突き立てた。


「お客様――」


 女が何事かを呟いた、次の瞬間。


 ――ィィイイイン!!


 ネークスの短剣が、薄いメイド服により止められたのだった。


「――なっ!? 馬鹿なッ!!」

「当屋敷では、戦闘行為が禁止されております。直ちにその短剣をお引き下さい」

「……」


 こちらが殺すつもりで攻撃したというのに、相手はまったく意に介さず、淡々と禁止事項を口にした。


(なんて不気味な奴なんだ!)


 ネークスはバックステップ。相手から距離を取った。


 自分の攻撃が、薄いメイド服に遮られるとは想像もしていなかった。

 オマケに服に当たった瞬間、まるで鉄に当たったかのような感触もあった。


(あの服は鉄製なのか!?)


 素早く観察するが、メイド服は布製にしか見えない。


「お客様。本日は、どのようなご用件でしょうか?」

「ヘッ。テメェんとこのクリスだかって男女をぶっ殺しに来てやったんだよ!」

「それはそれは……」


 ふっ、と女性が笑った。

 その笑みに、ネークスはぞくぞくっと背筋を振るわせた。


「我が主クリス様の命を狙うとは、万死に値します」


 そう口にした女性が、スカートを軽くつまみ上げた。


「百万遍、死になさい」


 はらり、スカートの中から何かが落ちた。

 ――短剣だ。


 ネークスと同じ、黒塗りの短剣である。

 それも投擲に特化した、より短いタイプのものだ。


(それを何故落とした?)


 あれは、投げねば使えない武器だ。

 そもそも、武器を地面に落とすなど、意味がわからない。


 首を傾げた、つぎの瞬間だった。

 突如、落下したはずの短剣が方向を変え、尋常ならざる速度でネークスに襲いかかった


「――なッ!?」


 僅かに反応が遅れた。

 それでも、鍛え抜いた体が短剣を回避する。


「まさか、魔導具か!」


 想定外だった。

 そもそも、投げずに飛ぶ短剣型の魔導具が、この世にあるなど知らなかった。


 だが、あるのだろう。

 実際に目の前で、メイドの女が使っている。


「外しましたか。残念です」

「今のが切り札か? 残念だったな。そんなへなちょこ、当たらねぇよ」

「どうでしょう?」

「……舐めやがって」


 自信ありげな微笑に、ネークスはごくりと唾を飲む。


(た……ただハッタリだ。あんな攻撃じゃオレは倒せん!)


 ネークスの戦闘力は、ザガンファミリーの中で群を抜いている。

 鉄のようなメイド服の攻略法は、まだ見つかっていないが、ネークスにはこれまでの経験がある。戦っているうちになんとでもなるはずだ。


「笑ってられるのも今のうち――」

「お客様、後ろにご注意くださいませ」

「はっ!」


 そんな手に乗るか。

 ネークスが笑った次の瞬間だった。

 背後から迫った短剣が、頬を薄く切り裂いた。


「――ッ!!」

「だから、ご注意くださいと申しましたのに」


 あの魔導具風の短剣は、前に飛ぶだけでなく、戻って来るのだ!

 それを、まったく考慮していなかった。


 無理もない。

 戦闘中は相手に集中するため、意識の裏を掻かれやすい。

 それは、わかっていてもなかなか防げるものではない。


 防ぐためには、戦闘経験でカバーする他ないのだが、生憎ネークスには、そのような魔導具を持った者との実戦経験がない。

 ――つまり、完全に劣勢に立たされているのだ。


「――しまった!」

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