第66話 刺客、潜伏す

 会話が一段落したところで、執務室にヘンリーが訪れた。

 領の防衛に兵を動かすのだろうと、スティーヴが気を利かせて招聘したのだろう。


 執務室に足を踏み入れたヘンリーが、部屋を見て目を丸くした。


「父上……と、クリスもいるんだね」


 彼は自領が攻められているかもしれないと聞かされたはず。

 それが、何故か司令塔たる執務室に、簀巻きにされたクリスがいるのだ。

 驚くのも無理はない。


「早かったな、ヘンリー」

「はっ。ところで父上、何故クリスがここに?」

「ちょっとあってな。逃げられんように簀巻きにした」

「そう、ですか」


 ヘンリーがきょとんとした表情を浮かべた。

 それでも今の会話で、『どうやら緊急事態ではなさそうだ』ということは伝わったようだ。

 表情が騎士団長のそれから、次男のものに変わった。


「クリス。昨日魔術を付与してくれた武具だけどさ。部下の兵士たちがすごく気に入ってくれたよ」

「うんうん。それはよかった」

「いつもはあんまりやる気が見えないんだけど、珍しく早く実践に出たいって息巻いてるよ」

「ん、ヘンリー。付与魔術とはなんだ?」

「ああ、それはね――」


 ヘンリーが先日あった、クリスとのやりとりを教えてくれた。

 話し方は、まるで面白おかしい出来事なのだが、ヴァンにとってはちっとも笑えない。


(剣で岩が斬れる、だとッ!?)

(その剣で斬っても、傷の付かない盾など考えられんッ!!)


 領兵を一定以上増強する場合、国に対して報告義務がある。

 それは戦力増強が、国への謀反の動きだと勘違いされないようにするためだ。

 報告を怠れば、謀反の疑いありと取られてしまう。


 今回の付与魔術の一件だが、武具の調達はしていない。

 人も増やしていないので、見かけ上は戦力増強にはならない。


 しかし実質的には、大幅に戦力が増強されている。


(これは……国になんと言えば良いのだ……!?)


 ヴァンは背中に冷たい汗を浮かべながら、国にどう言い訳をすべきか頭を悩ませるのだった。

 その横で、


「僕はいつになったら開放されるんだろう……?」


 簀巻きにされたクリスが、死んだ魚のような目をしてソファにコロンと横になるのだった。



          ○




 北方アレクシア帝国の暗部『宵闇の翼』幹部であるザガンはいま、フォード領の端っこに潜伏していた。


 山越えは相当体に堪えた。

 だがそれでもフォード領を訪れたのは、あの少年、クリスに落とし前をつけるためだ。


(はやく、くびり殺してやりてぇ……)


 思い返す度に、殺意がわき上がる。

 クリスは自分の店に侵入し、ザガンに悪夢の魔術を放ち無力化した。

 その手で店に巨大な風穴を開け、脱出した。


 店は滅茶苦茶。地下に捕らえていた者達も、皆逃げ出してしまった。

 奴隷の力で宵闇の翼幹部までのし上がったザガンにとって、店の破壊は致命的だった。


 力を失ったに等しいザガンは、幹部会でクリス暗殺の成功を誓わされた。

 その時に、〝美しき者〟から宝具を借り受けた。


 それは悪魔が落とす、神の如き力を宿した武器だ。


 実際、これを持つだけでザガンの戦闘力は数倍も上昇した。

 おかげで山を越えもまるで苦にならず、三日三晩歩きづめでも体は軽いままだ。


 今なら世界最強の剣士と戦っても遅れを取らない自信がある。


 しかしそのせいか、やけに衝動的になった気がする。

 特にここ数日、殺意がどうにも抑えられない。


 クリスを暗殺するために、ザガンは私兵(ファミリー)をすべて連れてきた。

 ファミリーは全部で四十名。

 ザガンが個人的に雇っている傭兵たちだ。


 憲兵に見つかればすぐに縄をかけられるだろう札付きばかりだが、腕は確かだ。

 全員でかかれば、人口数千の町程度ならば簡単に壊滅させられるだろう実力者揃いだ。


 しかしそんな凄腕のファミリーでさえ、山越えは相当堪えたようだ。

 山を下りてからは疲労困憊といった様子だ。


 それが、どうにも許せない。


「くそったれが! テメェ等もっとシャキっと出来ねぇのかよ!!」

「す、すんません……」


 普段のザガンならば、皆を一旦休ませたはずだ。

 だが今は、休ませる気には一切なれなかった。


 宝具がザガンの心を、蝕み始めているのだ。

 だからといって、これを手放そうとは思わない。


(任務成功の暁には、是非ともこの宝具が欲しいな)


 ザガンは宝具に、完全に魅了されていた。




 フォード領に入ってから四日目には、予定していた東の村に到着した。


 クリスを殺すのなら、フォード邸のある中心街に向かうべきだ。

 しかしザガンはあえて、この場を選んだ。


 その理由は、領兵の存在だ。

 いくらファミリーが手練れ揃いとはいえ、四十名しかいない。


 敵地のど真ん中で領兵を相手取るのは、たとえこちらが勝利出来るとしても、分が悪すぎる。

 正攻法が駄目ならば、裏手、奇襲、闇討ち、不意打ちを駆使するしかない。


 これは、そのための一手である。


「野郎ども、集まったか?」

「「「「へいっ!」」」」


 ファミリー員が手にしているのは、この辺に生息していた小動物だ。

 彼らはそれを川の近くで無惨に引き裂きばらまいた。


 これは裏手の一つ。飲み水の汚染だ。

 兵士の飲み水に毒を混ぜるのが一般的だが、ザガンはあえて領民の飲み水に対してこの作戦を用いた。


 動物の死骸で川を汚染して、村に疫病を発生させるのだ。


 先頭に立つ組頭のゴズが、不安げに首を傾げた。


「ザガン様、これで本当に、領主が来るんですかね?」

「来るに決まってんだろ。影によれば、フォード領の領主はお人好しだ。領民が疫病に苦しめば、必ず領主が視察に来る。ヴァンとはそういう奴だ」


 フォード領についての情報は、幹部の一人から教わった。

 なんと彼の手駒は六年間もの間、フォード領に潜入し諜報活動を行っていたのだ。


(なんでフォード領にこだわってんのか知らんが、いまはありがてぇ)


 情報の精度はかなり高い。

 そんな情報で出した予測は、かなりの確率で的中するはずだ。


「でも、これじゃあ誰かが意図的に疫病を発生させたって、ヴァンにも分かるんじゃないですか?」

「ゴズはなんもわかってねぇなあ。分からせるために、あえてこうやるんだよ」

「……と言いますと?」

「そうすりゃ警戒すんだろ? 疫病が誰かの仕業だってわかれば、奴ぁ領民を守るために領兵を動かす。少しでも中央から領兵を引き剥がせば、あとは攻めるだけよ!」

「なるほど」

「わかったら、気合い入れろよ」


 ぱしん、とザガンはゴズの肩を叩いた。


 疫病が発生すれば、あとは時間の問題だ。

 クリスの首を撥ねるその時を、ザガンは今か今かと待ちわびるのだった。

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