第64話 シモンの謀反

 シモンの剣の恐るべき威力を目の当たりにした後、クリスらは屋敷を目指して空を飛んでいた。


 朝のうちに、やりたいことはすべて完了した。

 次はお昼ご飯と、食後のおやつだ。


(今日はなにかなぁ)


 お昼ご飯のメニューと、おやつを想像しながら、クリスは鼻歌交じりに飛翔する。

 そのとき、ふと下の方からか細い悲鳴が聞こえた。


「――ん?」


 眼下に、全力疾走する少女を発見した。

 その後ろには、少女を追う狼の姿。


「クリス様、子どもが動物に襲われてます!」

「うん。助けよう」


 そうと決めると、クリスは地面に向かって急降下を開始。

 大地に接触する寸前で急停止。

 勢いを殺して、ふわり地面に降り立った。


「うわぁぁぁん!!」


 少女が泣きながら、こちらに向けて走ってくる。


 年齢はクリスと同じくらいだ。

 どれくらい追われ続けていたのか、息が完全に上がっている。


「ん、あ、あれ?」


 状況を観察している間に、少女と狼がずいぶん近くまで接近していた。

 想像していたよりも、かなり早い。

 このまま暢気に構えていては、すぐに少女か狼と衝突する。


(やばっ!)


 クリスは慌ててマナを活性化。

 非殺傷の魔術の中から、相手を無力化するものを探す。

 しかし、選んでいる時間がない。


 戦闘訓練を受け、判断力を培った兵士ならば、欠伸が出るほどの時間だ。

 しかし運動神経が悪く、戦闘訓練もサボることに尽力したクリスにとっては、ほとんど一瞬に等しい。


(やばいやばいやばいやばい!!)


 助けに入ったのに、何も出来ないなんて情けない。

 さすがにそれだけは避けたい。


(こういう時、なにを唱えればいいのっ!?)


 慌てふためくクリスの頭に、昨日の光景が思い浮かんだ。

 昨晩、スキルボードでたまたま非殺傷魔術を構築していた。


(これだっ!!)


 クリスは思い浮かんだ非殺傷魔術に――どのような強化構成にしたかも忘れて――全力で飛びついた。


 手早く魔術を構築し、呪文を詠唱する。


「〈破裂音(クラック)〉」


 風魔術の〈クラック〉を前方に撃ち放つ。

〈クラック〉は子どもの横を素通り。

 涎を垂らしながら子どもを追う、狼の鼻先で発動した。

 次の瞬間だった。


 ――ッダァァァン!!


 雷が落ちたかのような轟音が全身を揺さぶった。

 あまりの音に衝撃波が発生。

 狼を後方に吹き飛ばす。


「ンンッ!?」


 それだけには留まらない。

 指向性のある音圧が、さらに奥にある森に激突。

 森の一番端に生えていた木々を数本なぎ倒した。


「あっ……」


 ザァァァ。

 音圧に揺さぶられる木々の音は、まるで豪雨に打たれたもののようだった。

 音の衝撃波を逃れるように、我先にと無数の鳥たちが空へと逃げていく。


「あー……」


 音の衝撃波から遅れて、森の中から様々な生物の悲鳴が上がった。

 音に驚き、逃げ惑っているに違いない。


「……」

「あの、クリス様……?」

「…………うん」


 正直、やり過ぎた。

 まさかここまでの現象を引き起こすとは、想像もしていなかった。

 心の中で、全力で土下座する。


 しかしそれを顔には出さない。

 平静を装いつつ、誤魔化しにかかる。


「きみ、大丈夫?」


 クリスは音に背中から吹き飛ばされた子どもの下へと、小走りで近づいた。

 子どもは、先ほどまで泣いていたことをけろっと忘れてしまったみたいに、目を丸く見開いた。


「びび、びっくりした……」

「うんうん。すごい勢いで転んだけど、大丈夫だった?」

「う、うん。大丈夫。あの……」

「ん?」

「もも、もしかしてくりしゅしゃまですか!?」


 子どもは興奮したように顔を赤らめた。

 クリスの名前を甘噛みしたのは、早口でまくし立てたからか。


 同い年くらいの子どもに、このような態度を見せられるのは初めてだ。

(これまではどこか、蔑んだ目で見られていた)


 クリスは少々戸惑いつつも、頷いた。


「そうだよ。僕はクリスだよ」

「うわぁぁぁ! くりしゅしゃまに会えるなんて、光栄でしゅ!!」

「う、ん?」


 手を両手で掴まれ、上下にブンブン大きく振られる。

 どうやら彼女の腕力は、クリスよりも強いようだ。ちっとも振りほどける気がしない。


「クリス様、もしかしてうちのこと、助けてくださったんですか!?」

「う、うんうん。そうだけど」

「ああ、ありがとうございましゅ!! こうしちゃいられない。父ちゃんと母ちゃんに言わなきゃ!!」


 がばっと起き上がり、少女は疲れを忘れたかのようにまた、草原を駆けていった。

 実に目まぐるしい。あっという間の出来事だった。


 少女を見送ったクリスはというと、


(やばい。両親に報告さ(チクら)れる!!)


 少女が残した言葉に戦々恐々とする。

 その横では、シモンが感心したように呟いた。


「まだ小さいのにご両親に報告するなんて、よく出来た子ですね」

「んンッ!?」


(シモンがまさかの謀反!?)


 逃げ道を塞ぐつもりか。

 これは、ピンチではなかろうか。クリスの額に冷たい汗が浮かび上がる。


 最悪だ。


(間違いなく怒られる……!!)


 クリスが自分の失敗が咎められる未来に怯えた。

 その時だった。


「今の音は、お前の仕業か……ッ!!」

「ひゃうっ!?」


 背後から、今一番聞きたくない人物(ちちうえ)の声が轟き、クリスはその場で飛び上がったのだった。

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