第60話 落とし穴
「……いえ。改めて、アルファ様は凄い人だなと、思い直していたところです」
「当然ですね。さあ、話の続きを教えてください」
「あ、はい」
状況報告というよりも、ただただクリスの話を聞きたいだけなんじゃないか?
僅かに疑問を感じるも、先輩には逆らえない。シモンは話を続けた。
「アルファ様は東に向かったところで、小川を浄化されました。すごく汚い川だったんですけど、アルファ様が魔術を使うと、飲めるくらい綺麗になりました」
「汚川……東……ああ、なるほど。そういうことでしたか。さすがアルファ様です!」
「えっ、なにがですか?」
「いえいえ、なんでもありません。続けてください」
「えっ、あ、はい。小川を浄化したあと、アルファ様は人里から離れた森の中に降り立ち、なにかの魔術を使われました」
「なにかの魔術、ですか?」
「はい。マナの波動を感じたので、なにかを使われたことはわかったんですが、目では捕らえられませんでした」
「風魔術でしょうか?」
「どうでしょう? 魔術を使いおえると、一瞬アルファ様の姿が消えて、そのあと突如地面に大穴が空きました」
「アルファ様の姿が消えた? それに大穴、ですか。……ただの風魔術ではなさそうですね。その大穴は、どうされましたか?」
「そのままにしました」
「やはり、そうですか……」
「えっ?」
意味深なソフィアの台詞に、シモンは首を傾げる。
「もしかして、アインス先輩はなにかご存じなんですか?」
「うふふ」
ソフィアが意味ありげに笑う。
どうやらシモンはまだ知らない情報を得ているようだ。
「先ほど、屋敷に早馬が到着しました。馬に乗っていたのは長男のスティーヴ」
「早馬……事件ですか?」
「ええ。具体的には、疫病発生です」
「――ッ!」
シモンは僅かに息を飲んだ。
最悪の事態だ。
疫病は災害とは違い、目に見えないため対処が非常に難しい。
もし押さえ込みに失敗すれば、町や領から人が消えるレベルにまで被害が膨らむ。
下手を打ち続ければ国が滅びかねない、厄介な問題である。
「その疫病は、東の村で発生。現在村中が疫病に感染し、うち数名が既に亡くなっています。事態を重く見た領主は、明日にでも現地視察に向かう見込みですね」
「視察!? す、すごい胆力ですね」
「ええ、さすがアルファ様のお父上です」
疫病は、その場にいるだけで感染するタイプのものもある。
なのでトップが現地入りするのは疫病を抑え込んだ後、というのが定石だ。
でなければ疫病に感染し、トップ不在に陥りかねないためだ。
その危険を冒してまで現地視察の決定を下すとは、並々ならぬ人物だ。
「さてツヴァイ、もうおわかりですね」
「……えっ?」
「わかりませんか?」
シモンは頭を傾げた。
彼女が何を尋ねているのかが、パッと思い浮かばなかった。
しかし考えるに従って、徐々になにを尋ねているのかが朧気に見えてきた。
「……まさか、この問題をアルファ様が解決されていたんですか!?」
「その通りです。アルファ様は水を浄化したとおっしゃっていましたね? 今回発生した疫病はコロリ――コレラというもので、水などから口を通して人に感染する病でした。
汚染された水を浄化することで、アルファ様は村を救済されたのです。さらにアルファ様のお考えは、それだけではありません!!」
バンッ! とソフィアが小さな円卓に両手を叩きつけた。
「お父上の性格を計算に入れた上で、あえて『直接視察の前日に、コレラを撲滅』されたのです! もし明日現地に向かった時に、お父上が病に倒れないために!!」
ソフィアが、はふぅ……と熱っぽい息を吐いた。
彼女の言葉を聞いて、シモンは『まさかそこまで考えているはずがない』と考えた。
(いや、ちょっと待てよ?)
しかし、冷静に思い返すに従って、ソフィアの仮説がどんどん補強されていく。
(屋敷を出る時、クリス様はとても急いでいた……)
『はい。ええと、お出かけですか?』
『そう』
『この時間から、ですか?』
『うんうん』
もしなにかを始めようというのなら、翌日に持ち越すのがベストなタイミングだった。
なぜなら門限を破れば、父ヴァンにこってり絞られるからだ。
にも拘わらず、クリスは急いで東へと向かった。
そして汚れた川の直上についたときだった。
『シモン、ちょっとだけここで用を済ませていくよ』
クリスはその場で『用』を済ませた。
川の水を浄化したのだ。
『あれじゃあ、飲み水にも出来なかったからね』
本人はただ水を飲みたかっただけと言わんばかりに振る舞っていたが、シモンの目は誤魔化せない。
(あんなに執拗に水を魔術で綺麗にしていたのは、村に蔓延る疫病を払うためだったんだッ!!)
凄い、と思うと同時に、畏ろしいとも感じた。
(クリス様は〝ただ魔術が使いたかっただけ〟じゃないんだ!)
(とても自然体に見えたけど、それは偽りの姿)
(深い知識と、どこまでも先を見通す目で、クリス様は常に最善の選択を行っているんだ!)
それも、たった十二才の子どもが、だ!
これを畏れずにいられるはずがない。
「クリス様は、なんて凄いお方なんだ……」
「同意しますが、ツヴァイ。呼び名が戻っていますよ」
「あっ、失礼しました、アインス先輩」
謝罪を口にしたシモンに、もはや隠密ネームへの恥じらいはなかった。
クリスへの畏敬の念が、すべての恥じらいを消し去ったのだ。
ふと、シモンは思い出した。
「そういえばアルファ様は、自分の用事がこれだけじゃないとおっしゃっていましたけど……まさか、あの穴も?」
「その通りです」
パチン、とソフィアが指を鳴らした。
「北方で少々、奇妙な動きがありました。まだ断定は出来ませんが、どうも宵闇の翼が動き出したようです」
「――ッ!!」
シモンの体にビリッと電流が走った。
その電流は熱に変わり、メラメラと体の中で燃えさかる。
宵闇の翼は、自分たち兄妹を捕らえた、アレクシア帝国の暗部である。
ルビーを餓死寸前まで追いやった奴らのことを思うと、感情が抑えきれない。
「私が察知出来るくらいですから、相当大所帯のようです」
「それで、奴らは今度は何をするつもりなんですか?」
「おそらく、狙いはアルファ様の暗殺です」
「……ッ」
妹だけでなく、大切な主までも手にかけようとは。
シモンは暴発しそうになる怒りを抑えるため、剣の柄をぐっと握りしめた。
「でもご安心ください。既にアルファ様が手を打っております」
「……へ?」
「まず、アルファ様は領兵の武具を付与魔術で強化されました。宵闇の翼の動きを察知して、事前に領兵の防衛力を高めることにされたのでしょう」
「一体どこからその情報を……」
「影がいる、という話は聞いていません。なのでおそらくは、察知系の魔術を常時展開しているのではないでしょうか」
「……なるほど」
魔術の常時発動は、とんでもない荒技だ。
大抵の人間は一時間ほど発動したところで、マナが枯渇する。
しかし、どれほど魔術を使ってもマナが枯渇する様子すらみせないクリスならば、常時発動も可能に違いない。
「打った手はそれだけではありません」
「というと?」
「先ほどツヴァイがおっしゃった、穴です」
「あれが……?」
一体なにに使うのか?
考えるが、シモンには落とし穴以外の使い道が思い浮かばない。
「あれに、刺客を落とすんですか? いや、さすがにそれは無理だと思いますよ。先輩は見てないからわからないでしょうけど、穴があるのは森の中じゃなくて、開けた場所でした。あんなに堂々と穴が空いていたら、どんな間抜けだって穴に落ちませんよ」
「そ、そうですか」
「それに、宵闇の翼の侵入経路は、北の山からですよね? 東の森まで行くとなると、かなりの遠回りになります。あの穴が、宵闇の翼対策になるとは思いません」
「し、しかし、アルファ様が掘った穴です。なにか深遠な意味があるに違いありません!」
「そこは同意しますが……」
あれに落ちる馬鹿がいるはずがない。
ではどうやって使うのか?
ただの常人であるシモンには、さっぱり利用方法が思い浮かばないのだった。
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フラグじゃないよ(震え声
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