第59話 温泉いきたい

 ヴァンの下にその一報が入ったのは、正午を過ぎた頃だった。


「ち、父上、大変だッ!! はぁはぁ……ひが、東の、む……はぁはぁ……が……はぁはぁ」

「……落ち着けスティーヴ。まずは息を整えよ」

「す、すみません」


 普段、何事にも沈着冷静なスティーヴが、いまは肩で息をしている。

 その顔色も、酷く悪い。まるで結界石破壊の一報を届けに来た時のようだ。


(はあ、また悪い知らせか。今度は何が起こった?)


 彼の息が落ち着くまでに、ヴァンは心の準備を行った。


「父上。東にある村で、疫病が発生しました」

「なん、だとッ!?」


 ヴァンの背筋が一気に冷たくなった。

 反乱、スタンピード、水害、火災、略奪。

 様々な悪い知らせを考えたが、疫病はちっとも思い浮かばなかった。


(疫病……最悪だ)


 自分は頑張っているつもりなのに、何故良くないことが、次から次へと発生するのか。

 ヴァンは奇声を発しながら机をバンバン叩きたい衝動に駆られた。


 しかし現在、目の前には息子がいる。

 慌てふためく情けない姿を、息子に見せるわけにはいかない。


 ヴァンは椅子に深く座り直し、一度深呼吸をした。


「……そうか」

「父上、いかがしますか?」

「そうだな……」


 腕を組んで口を結ぶ。

 そして意味ありげに口角を上げた。


「明日、村に向かう」

「あ、明日ですか!? し、しかしそれでは神官の確保が間に合いません!」


 疫病が発生したとき、その対策として神官を招聘する。

 そこで神官が光魔術を用いて、疫病を浄化していくのだ。


 フォード領にも、幾人か神官がいる。

 しかしヴァンは彼らを強制徴集出来ない。


 神官が所属する聖天使教会は、政治からは一定の距離を置いている。

 国や領主の力が一切及ばない聖域であるため、徴集を強制出来ないのだ。


「わかっている」

「まさか、神官不在で向かうつもりですか?」

「ああ」

「……狙いは?」

「…………」


 それを今から考える。

 ――とはさすがに口が裂けても言えない。


 短い時間で、ヴァンはなんとかそれらしい答えをひねり出す。


「視察だ」

「えっ?」

「被害状況の視察を行う。そうでなければ、支援の規模も決められぬであろう」

「――ッ! た、たしかにその通りですね」

「それに、領民が困窮している時こそ、領主が積極的に寄り添う姿を見せねば、領民の心は掴めぬのだ」

「なるほど……!」


 スティーヴが感銘を受けたように目を輝かせた。

 これでよし。なんとか誤魔化せた。


 ヴァンは内心、ほっと息を吐く。


「して、疫病がどのようなものかは調べがついているのか?」

「はい。皆、水のような便が止まらないと口にしておりました。重症者は体が干からび、声が出せず、目が酷く落ちくぼんでいて……。村長の言葉ですが、コロリコロリと死んでいく、と……」

「コロリコロリ?」

「次から次へと、あっという間にという意味でしょう」

「ふむ……」


 大変な病だ。

 何故疫病が発生したのか、原因はさっぱりわからない。

 明日はそこも探らねばならないだろう。


 やらなければならないことが、多すぎる。


(一体いつになれば気が休まるのやら)


 まだ齢42。家督を譲るには早すぎる年齢だ。

 だがこれだけの問題が、息継ぐ間もなく降りかかると、領主の椅子を早々にスティーヴへと譲りたくなってくる。


(温かい地方に行きたいな……)

(オンセンに入りたい……)


 しばし、ヴァンは現実から目を背けるのだった。



          ○



「第三回円卓会議を開催します」

「先輩、またですか」

「我が主最も輝く星(アルファ)様の偉業を耳にしました」

「偉業、ですか?」

「はい。領兵団の事務所を訪れ、皆の武器に魔術を付与していったそうです」

「そんなことが……」


 たしかに、クリスは朝食を取った後から夕方まで姿を消していた。

 シモンは彼がどこに行ったのかわからなかったが、なるほど、領兵団の事務所にいたのかと納得する。


「耳が早いですね」

「これくらい当然です」


 暗がりの中、シモンは素直に感心した。


 ソフィアは北方アレクシア帝国の暗部に薫陶を受けた間者だ。

 生粋の暗殺者には劣るが、潜入任務を六年間続けたことからわかるように、実力は確かである。


 また諜報力にも長けている。

 フォード家に潜入してからも、自らのスキルを磨き続けたのだろう。

 情報を掴む速度が並外れている。


 戦闘力は不明だが、短剣術が得意のようだ。


 フォード家の秘密部屋は、窓がないためほとんど明かりがない状態だ。

 シモンは自分の手すら見えるかどうかだが、ソフィアから感じる視線は確かである。

 どうやら彼女は、これだけの暗がりでもはっきり視認出来るスキルを持っているようだ。


「それでツヴァイ。本日のアルファ様のご様子はいかがでしたか?」

「はい。夕方に部屋に戻られてからすぐ、東の森に向かいました。その途中で川を浄化されたのですが……」


 その時の様子を思い出し、シモンは背中がぶるりと震えた。


 クリスの手から放たれた光が、致死的な大地と水を、あっという間に復活させたのだ。

 あたかもそれは、神の御業のようだった。


 自然に息吹を吹き込む黄金色に輝く光。その中心に佇むクリスの姿は、なるほど、ソフィアが心棒するのも頷ける程のものだった。


「どうかされましたか?」

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