第54話 その威力やいかに

 領兵団の事務所の扉からクリスが現れた瞬間、ヘンリーは心の底から驚いた。


 運動音痴な彼は、自身から領兵事務所に近づくことは一度も無かった。

 ただ単に、訓練させられそうな場所に近づかなかっただけかもしれない。


 つまり今回、初めての事務所来訪だ。

 驚かぬはずがない。


(まさか変事か!?)


 のっぴきならない事態が起こったのかと慌てたヘンリーだったが、クリスの態度を見て冷静さを取り戻した。

 彼はいつも通り、ニヘラと呆けた笑みを浮かべながらこちらに近づいてくる。

 変事の一報をもたらす者の態度としてはあり得ない。


 なのでクリスはごく私的な理由で、ここに顔を出したようだ。


「兄さん、ちょっといいかな?」

「なんだいクリス、ここに来るなんて珍しいじゃないか。明日は雨かな」

「強盗に遭うかもね」

「ははは。ここは領兵事務所だよ? そんなわけないじゃないか」


 長男のスティーヴとは違い、ヘンリーは多少の軽口には覚えがある。

 だが、クリスの軽口は別格だ。

 狙いなのか、それとも天然なのか、突飛すぎて理解が追いつかないものが多い。


 父ヴァンやスティーヴはそういった軽口が苦手なようだが、ヘンリーはクリスの軽口を悪く思ってはいない。


 もう少し彼の軽口を聞いていたいところだが、いまは仕事中だ。

 兄ではなく、団長としての顔を作る。


「それで、要件はなんだい?」

「兄さんにお願いがあるんだけど」

「お願い?」

「うん。領兵が使ってる武具を、ちょっとだけ借りれないかな?」

「えっ、もしかしてクリス、剣術の訓練でもするのかい!?」

「しないしない」

「じゃあ、どうして武具なんかを借りるんだい?」

「ちょっとだけ、強化の練習をしたくて」

「強化?」

「うん。魔術の強化」

「……へぇ」


 魔術という単語を耳にして、ヘンリーは目を細めた。

 クリスが使う魔術は一級品だ。

 人間では決して倒せないと思われてきた悪魔を倒してしまうほどのものである。


 そんな魔術を扱えるクリスの言う『魔術の強化』という言葉に、ヘンリーはとても興味を惹かれた。


 というのも、ヘンリーにとって領兵の強化は喫緊の課題だからだ。


 領兵を強化する方法はいくつかある。

 兵士を増やすか、性能の良い武具を揃えるかだ。

 ただし、いずれもお金がかかる。


 個人の技量を上げる方法もある。野外で強化合宿を行うのだ。

 しかしそれは領の警備が手薄になるため現実的ではない。


 お金はないし、人手は安易に増やせない。

 領兵を強化したいのはやまやまだが、現実は八方塞がりだった。


 そこに、クリスの申し出は願ってもないものだった。


 これで強化出来れば御の字。

 強化出来なくても、マイナスにはならないのなら問題ない。


「それで、武具はどれくらい用意すればいいんだい? 一セット? 二セット?」

「んー、出来るだけ多い方がいいかな」

「今事務所にあるものを集めても、全部で十セットくらいだけどいいかい?」

「うんうん」

「それじゃあ、武具を持ってくるよ」


 クリスが武具を強化してくれるかもしれない。

 そうとわかると、ヘンリーは急ぎ、倉庫にある武具をかき集めるのだった。


          ○


 領兵団の事務所を訪れたとき、クリスは断られるだろうと思っていた。

 まさか、ヘンリーが喜んで協力してくれるとは思いも寄らなかった。


(珍しいこともあるもんだね)


 ここしばらく、おねだりが叶うことの少ないクリスは、この幸運に感謝するのだった。


 集まった武具は全部で10セットほど。

 事務室では手狭なので、訓練所に場所を変えた。


「クリス。無理はしなくてもいいからね」

「うんうん」

「ああそうだ、色々と試すのは良いけど、壊しちゃだめだからね」

「……うんうん」

「今の間はなに?」

「何でもないよ」

「……本当に大丈夫?」

「大丈夫大丈夫」


 兄の鋭い目から逃れるように、クリスは武具の山から剣に手を伸ばした。


「うわ、重っ!」


 手にしたのは、一般的な長剣だった。

 クリスはこれまで、子ども用の木剣しか振るった経験がない。

 それですら、剣に振り回されていた。


 その程度の腕力しかないクリスにとって、大人用の長剣は持ち上げることさえ出来ない。

 ずるずると引きずりながら、武具の山から少しだけ離れる。


「うーん、まずは何にしようかな?」


 スキルボードを眺めながら、長剣に付与する魔術を選ぶ。


 初めから様々な魔術を付与したくなるが、焦りは禁物だ。

 兄からは、『破壊禁止』を言い渡されている。


 一発目の強化魔術で壊しては、その時点で実験終了を言い渡されかねない。


(はじめは我慢するけど……)

(最後の一つくらいは、強化魔術マシマシにしたいな)

(兄さんも、一つくらいなら壊しても許してくれるよね!)


 自制しながら、クリスは最初に付与する魔術を決定した。


■魔術コスト:502/9999

■属性【風:シャープネス】+

■強化度

 威力:MAX 飛距離:―― 範囲:1 抵抗性:MAX 数:1

■特殊能力【付与】


 長剣に向けて、クリスは〈シャープネス〉を発動。

 すると、グラスを強化した時と同じように、長剣がぼんやり光り、暖まる。


 その光が消えるのを確認してから、ヘンリーを呼んだ。


「兄さん。これ、試してみて」

「ん、もう出来たのかい?」

「うん」


 ヘンリーが長剣を、片手で軽々と持ち上げた。

 そしてそれを、あたかも木の枝のように素早く振るう。


「おお、さすが兄さん!」

「ありがとう。ところで、これはなにを強化したんだい? 何も変わっているふうには感じないけど」

「斬れ味を強化してみたんだけど、どうかな」

「へえ」


 ヘンリーが目を輝かせながら、訓練用の木の案山子に近づく。

 そしておもむろに、長剣を振るった。


 見事な攻撃だ。

 クリスではなにをしたのかさえわからなかった。


「へっ?」


 ヘンリーが気の抜けたような声を発した、次の瞬間だった。

 木製の案山子の上半分が、音もなく落下した。

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