第52話 不可解な噂
「む……?」
フォード家長男スティーヴが異変に気がついたのは、町の見回りを行っている時だった。
町の者たちの様子がどうにもおかしいことに気がついた。
スティーヴの姿を見た者たちが、みな浮かされたようにこちらをじっと見つめてくるではないか。
大人たちだけではない。子どもまでも、キラキラとした眼差しをスティーヴに向けている。
年老いた者などは、スティーヴに手をすり合わせる始末。
(一体、何があったんだ……)
初めてのことに、頭が混乱する。
スティーヴは、これほどの視線を受けても『自分が偉い』『凄い』『かっこいい』などと勘違いするような男ではない。
真面目かつ堅物な男である。
故に、今回の町人からの熱い視線を、なんらかの事件の前触れではないかと訝った。
(うーむ。何らかの問題が発生していて、それを俺が解決することを期待している……のか?)
困惑しているスティーヴの下へ、一人の男性が現われた。
この町の長を務めている、馴染みのある男だ。
「これはこれは、スティーヴ様!」
「久しいな、町長。なにか問題があったか?」
「いえ、問題はございません」
「む? そうか」
問題が起こっているのだと思っていたが、想定が外れた。
(では、なにが起こっている?)
いつもとは違う、有り難くも鬱陶しい熱視線の中、スティーヴは一つ咳払いをして尋ねた。
「皆の視線を集めているようだが……俺は、なにか失礼をしただろうか?」
「いえいえ、滅相もございません! スティーヴ様がいらしたというだけで、わたくしどもは皆、喜んでいるのです!」
「う、む?」
スティーヴは頷きつつも、首を傾げた。
何故喜んでいるのかが、わからない。
「なにか、変わったことはあったか?」
「いえ、とくには」
「そうか」
「はい。……あの、頑張ってください!」
「む……う、うむ」
平民から応援されたのは、初めての経験だ。
やはり、なにかがおかしい。
しかし、この疑問を解消するための適切な問い方が思い浮かばない。
スティーヴが必死に頭を働かせている中、
「さすが、クリス様に認められたお方だ」
「ああ、神々しい……」
町人のひそひそ話が、耳に入った。
(クリスに認められた?)
弟の間抜け面が思い浮かび、スティーヴはつい渋面になる。
「町長。クリスに認められた、というのは何の話だ?」
「ああ、これは失礼しました。実はこの町ではとある噂が流れておりまして……」
「うむ。続けよ」
スティーヴが促すと、町長から驚愕の噂話しが飛び出した。
曰く、悪魔殺しのクリスは世界の敵と戦うために力を蓄えていたこと。
曰く、領主になっては世界の敵と戦えないため、あえて廃嫡してもらったこと。
曰く、世継ぎとなる二人の兄は、その実力をクリスが認めていること。
曰く、この領地は実力ある兄二人と、クリスによって万全に守られているため安泰であること。
「一体どこから、このような根も葉もない噂話が飛び出したんだ……」
そもそも、クリスがスティーヴに敵う部分は(魔術以外には)一つもない。
身体能力など、平民の子に比べてすら危うい程だ。
そのクリスに認められたといわれても、クリスをよく知る人物ならば失笑するだろう。
『あいつに認められたから、なんなのだ?』と。
彼に認められたからといって、ちっとも嬉しくはない。
だが町人たちはクリスの惨状を目にしたことがない。
本当の姿を目にする前に、悪魔殺しとして有名になってしまったため、とても立派な人物なのだろうというイメージがついてしまったのだ。
スティーヴはいまだに、何故クリスが悪魔を倒せたのかがさっぱりわからない。
もしこれが悪い夢であっても、ちっとも驚かないだろう。
とはいえ悪魔討伐によって、フォード領が得た恩恵は大きい。
国王からの直々の表彰を受け、名声が一躍向上した。
これにより、複数の行商がフォード領で商売をしたいという申し出をしてきた。
商人が増えれば貨幣の流通が増え領の経済が上向くだろう。
今後、父の跡を継ぐだろうスティーヴにとって、願ってもない申し出だった。
もし本当に夢であったのなら、少しは落胆するかもしれない。
それはさておき、クリスの活躍とは裏腹に、父は不安を抱いていた。
クリスの廃嫡を、世論が許さないのではないか? と。
民衆の間でクリス待望論が湧き上がれば、お家騒動に発展する。
普段ぼけっとしたクリスが、なにかの間違いで担がれでもすれば、反乱罪を適応せざるを得ない。
法を守るためにも領主のヴァンは、自らの息子を処刑しなければならなくなる。
それだけは、絶対に避けねばならない。
ヴァンはそのような懸念を抱いていたようだ。
(だが、まさかこんな形で救われるとは思わなかったな)
今回、町民の間で出回っている噂は、完全にデマである。
(そもそも世界の敵って、なんだよ……)
おまけに、突っ込みどころのあるデマだ。
だがこのデマのおかげで、民衆がクリスを担ぐ可能性が減った。
『あえて廃嫡してもらった』
ここが、フォード家にとって最も重要なポイントだ。
廃嫡は事実だが、『父に廃嫡された』と、『あえて廃嫡してもらった』では、民衆の受け取り方が百八十度変わる。
前者であれば『これほど力ある者を廃嫡するなど、領主は無能』という誹りを免れない。
だが後者であれば、大団円だ。
誰も傷付かないし、誰も攻撃的にならないし、今後の領地運営にもちっとも差し障りがない。
(おそらく、内情を知る誰かが噂を流したのだろうな)
そうでなければ、『あえて廃嫡してもらった』という言葉は浮かばない。
では誰が流した噂なのか?
フォード家の家人は総勢三十名いるが、その中の誰が犯人かは、さっぱりわからない。
そもそも家人が犯人ではなく、父ヴァンか、兄弟の誰かが流した可能性もある。
(まあ、誰でも良いか)
犯人を捜し当てたからといって、何かが上向く問題ではない。
今回のデマは決して、悪いものではなかった。
むしろフォード家にとってはメリットが大きい。
故に、スティーヴはこの噂話を探ることも、止めることもせずに、放置することにした。
唯一、デメリットがあるとすれば、
(この視線、なんとかならんのか……)
町人が自分を、熱く見つめ続けることだろう。
だがそこで、スティーヴが考え方を変えた。
(まあ、逆に良い刺激にもなるか)
背筋を伸ばし、堂々と馬を歩かせる。
誰かに見られているということは、隅々まできちんとしなければならないと、緊張する。
その緊張感を――せっかくだ、自己の向上に利用しよう。
かくして真面目なスティーヴは、いつもよりもピンと背筋を伸ばしながら、領地の巡回を行った。
その足で向かった次の村で、スティーヴは本当の変事――道ばたに倒れた複数の村人を発見することになるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます