第44話 フォード領の命運や如何に!
責任者と思しき男が崩れ落ちた様子を見て、シモンは頭に上っていた血液が、急速に落下する音を聞いた。
「……殺したんですか?」
「ううん。眠ってるだけだよ」
「そ、そうでしたか」
「うんうん。ちょっとだけ、酷い夢を見てるだろうけどね」
クリスが言った通り、たしかに男は床に眠りながら苦しげに呻いていた。
一体どういう夢を見ているのかはわからないが、決して同じ目には遭いたくないものである。
「殺さなくていいんですか?」
「うんうん。殺しは犯罪だしね」
「……じゃあ、俺が殺していいですか?」
「えー。ばっちぃよ?」
クリスが眉を顰めた。
汚いかどうかは関係ない。
「それに、今は時間がないし」
「でも、ルビーの仇を討たないと、たぶん、一生後悔すると思うので」
「ん、誰の仇?」
「妹です。こいつがいなければルビーが死ぬことはなかった。違いますか!?」
「えっ、ルビーさん、死んでないよ?」
「えっ!?」
シモンはぎょっとして振り返る。
そこには、先ほどと同じようにルビーが横たわっていた。
だが先ほどとは違い、微かに胸が上下している。
クリスが回復魔術をやめて怖い顔をしたものだから、てっきりルビーに回復魔術が間に合わなかったのだと思っていた。
それは、ただの勘違いだったようだ。
「生きて、たんですね……」
「ギリギリだったけどね」
「よかった……」
「でも、なにか食べさせないと。空腹だけは、回復魔術で治らないからね」
「たしかにそうですね」
頷きながら、シモンは『なるほど』と思った。
だから彼は、脱出を急いでいるのだ。
「じゃあ、急いで脱出しましょう!」
「うん。それじゃあ、帰ろうか」
「はいっ!」
ルビーを抱きかかえ、出口へと引き返そうとしたシモンとは対象的に、クリスはその場から動かない。
どうしたんだ?
不思議に思い振り返る。
後ろではクリスが左手を、斜め上に伸ばした状態で停止していた。
(――まさか)
「――≪エアカッター≫」
「ちょ、また――ッ!?」
――ゴゴゴゴゴッ!!
轟音と共に、建物が振動。
風刃が壁をくりぬき、そのまま空高く突き抜けていった。
魔術で空いた穴は、人が二人、横に並んでもゆとりがあるだろう大きなものだった。
それだけで、一体どれほどの威力があったのか、否応なく理解させられてしまう。
「…………うわぁ」
「それじゃあ行こっか!」
「……あっ、ハイ」
どこから? とは聞かない。
どうやって? とも。
ただ、シモンは一つだけ予感した。
再び壁際で四つん這いになりながら、胃をひっくり返してエレエレするだろう未来を……。
○
フォード邸に戻ったヴァンは、自分を出迎えてくれた息子二人の青ざめた顔を見て、今まさに領地に災難が降りかかっているだろうことを理解した。
「父上、大変です!」
「一体どうした」
「魔物の群が北の山から、こちらに向かって来ています!」
「スタンピードです!」
「――ッ!!」
息子たちの言葉を聞いて、雷に打たれたような気分だった。
想像していた最悪を二回りほど上回る厄災に、さしものヴァンも頭が真っ白になった。
「……ち、父上?」
「父上ッ、早急に対策を!! 俺たちが報告を受けてから、もう二日も経ってます。いつスタンピードが人里に到達するか……」
「情報は!?」
「すぐに偵察を放ちましたが、なにぶん発生地点が人足で一日と遠いので、まだ把握出来ていません」
「そうか」
まだ、時間はあるか。
ヴァンは対策を考えながら、足早に執務室に向かう。
その時ふと、王都で別れた息子のことを思い出した。
(そういえば彼奴、ずいぶんと急いでたな。まさか、……いやまさか、な)
クリスがスタンピードの発生を知り、対応するために急ぎ領地に戻ったのではないか?
そのような考えが頭をよぎった。
しかし、さすがに考えが飛躍しすぎた。
クリスが急ぎここに戻ったこと以外は、ただの憶測である。
ヴァンは一度深呼吸をして、冷静さを取り戻す。
「して、領兵は?」
「緊急時ということで、かき集めています」
「領民は?」
「念のため、避難するよう布令を出しました」
「別の領地への情報提供は?」
「万全です。避難する領民を受け入れて頂けるよう、各領地に打診しております」
「承知した。スティーヴ、ヘンリー。俺がいない間に、よくやった」
「「はっ!!」」
ここまで、二人の働きに不足はない。
良く出来た息子だ。
息子たちが立派に育ってくれた今、いつ何時自分が斃れようとも、悔いはない。
(これが俺の、最後の仕事になるか)
領主自ら決死隊の先頭を切れば、領兵もやる気が出るというもの。
せめて息子たちだけは、なんとしてでも自分が守りぬかなければ。
命をかけて領を守ろう。ヴァンがそう決意した時だった。
けたたましい音と共に、執務室の扉が開かれた。
現われたのは、泥だらけの男だった。
スタンピードを探りに行っていた、偵察役だ。
ここまで昼夜問わず走ってきたのだろう。その顔には、疲労が色濃く浮かんでいる。
「ご報告致します!」
その声に、ヴァンと息子二人が一気に緊張した。
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